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【聖者の薔薇園-開幕】
225.そばにいて
しおりを挟むうとうと。首をこっくりさせながら歩く僕を不意に見下ろすと、ライネスは苦笑してひょいっと僕を抱き上げた。
背中をぽんぽんされると更に眠気が酷くなって、重い瞼に力を籠めてなんとか意識を保つ。肩に顔を埋めてうりうりと目を擦りカッと目を見開いた。
「僕起きてるよ。寝てないよ」
「そうだね。起きてるね。偉い偉い」
「ん…うむ」
満腹で眠気が…。いやいや、僕は満腹だからってだけで寝るような子じゃない。お兄さんなので眠気の管理くらいはちょちょいのちょいなのだ。お茶の子さいさいなのだ。
なんて寝惚けた頭で考えながら、ふと視界に映った黒い紐のようなものをきゅっと掴んだ。ぼやけて見えたそれが気になった、という眠い時特有の単純な好奇心で。
なんじゃろなーとくいくい引っ張っていると、頭上から「ちょっぴり痛いかなぁ」という困ったような笑い声が聞こえてきてぱちくりする。
ん、んむ…?これ、よく見たらあみあみしていて、さらさらしていて…?はっ!これ、ライネスの髪ではないかふむふむ。
「むぅ……」
くいくい。ライネスのあみあみから手を離す。ごめんねの意味を込めてうりうりーっとすると、ライネスが不意に僕の髪に手を当ててくすくす微笑んだ。
「フェリの髪はふわふわだね」
「ライネスは、さらさらだよ」
サラサラは触り心地が良いから好き。そう言うとライネスは笑って「ふわふわも撫で心地が良いから好きだよ」と甘い声で囁いた。それにんふふと声を漏らして、更にむぎゅむぎゅと抱き着いてみる。
何となく沈黙が広がって、遠くから祭りの喧噪が聞こえてくる。独特な雰囲気に眠気も覚めて、けれど下ろしてもらうタイミングを掴めずにずっと抱っこされたまま。
路地を進んで数分は経っただろうか。沈黙を破り、ふとライネスが小さく声を上げた。
「そういえば、三人とも学園を卒業したんだよね。レナードにはもう会った?」
「む…?うん。兄様達と一緒に帰ってきたよ」
三人が帰ってきた時のことを話す。ライネスはくすくす笑ったり苦笑したりして、そっかとこくこく頷いた。ライネスはずっとレオに会っていなかっただろうし、近況を聞きたかったのかな。
忘れがちだけれど二人は従兄弟。お互いにそれなりの信頼関係があるだろうから、早く会いたいと思うのは普通だろう。そう思い、レオと再会した時の状況をなるべく事細かに説明した。
すると、なぜかライネスの表情が一瞬暗くなったような気がして首を傾げる。きょとんとすると、その顔にはすぐに柔らかな微笑みが戻った。気のせい、だったのろうか。
「……楽しそうに話すね。レナードのこと」
「うん…?」
ふと落とされた呟きに、困惑を滲ませながらもこくりと頷く。
言葉の意図がいまいち読めなくて、だから文字通りに受け取った。レオに限らず、大事な人に会えた時のことを話すときはわくわくする。だから喋る時、そういう気持ちが表に出てしまっているのかもしれない。
ちょっぴりわくわくしすぎたかな、と反省してしょんと萎む。眉がへにゃりと下がった顔を見るなり、ライネスは困ったように微笑んだ。
「レナードのこと、好き?」
「うん…?うん。好き」
突然の問いに戸惑うも、さっきと同様こくりと頷く。
レオのことは大好きだ。人としては初めてのお友達で、幼いころからずーっとその関係は続いてきた。今は少し違うかもしれないけれど…それでも、僕にとってはずっと大好きな友人だ。
そういう想いを籠めて頷いた僕を見下ろし、ライネスはスッと目を細めて「そっか」と呟いた。
何処か寂しそうな、けれど凪いでいるような穏やかな声にきょとんとする。今日のライネスは全体的にいつもより雰囲気が違うな。ふとそう思い、おかしな感覚を消す為にぎゅっと抱き着いた。
背中をぽんぽんされて、柔く頭に顔を埋められながら声を聞く。ライネスが小さく、まるで自分に言い聞かせるみたいな声で語った。
「レナードは大切な従兄弟なんだ。あんな環境だから、狡猾で執念深い性格になるのも無理は無い。それでも、あの子は魅力的な人間だよ」
「……レオは素敵な人。僕、知ってるよ」
あんな環境、というのは皇室のことを言っているのだろう。代々聖者の魅了を生まれつき持っている皇族。つまり、レオの両親もまた聖者崇拝をする信者の一人ということだ。
パパの話を思い出す。あの環境と境遇が皇室では当たり前なのだとしたら、魅了の効果を完全に消し去った今のレオでは、きっと皇室という環境は苦でしかないだろう。
ずっと疑問を持たずに生きてきて、ある時ふと、家族の愛が偽物に見えてしまったのなら。
まるで前世の人格と上手く融合したような今世のレオ。多少歪んではいるけれど、彼が大切な友人であることに変わりはない。
そしてそれは、ライネスもきっと同じだ。
「レナードも、フェリのお兄様達もね。私はみんな弟も同然に思ってるんだ。皆同じものに目を向けて、それを必死で守ろうとしてる」
「……」
「微笑ましいよ。でも、私はその輪の中には入れない。お兄さんだからね。兄はいつだって、幼い子達の成長を見守るものだから。私はただ、見守るだけ」
ライネスは微笑んでいるはずなのに。何故か一瞬、ほんの一瞬、その頬に雫が伝ったように見えた。ように見えたというだけで、実際は本当にただ笑みが浮かんでいるだけだ。
それだけ悲しそうに、寂しそうに見えたということ。それが何だか痛くて、胸が痛くて。思わず頬に手を伸ばして、ふにゅっと摘まんでしまった。
「ん…?どうしたの…?」
「……ライネスも一緒」
金色の瞳が真ん丸に見開かれる。それをじーっと見つめて、ふにゅふにゅと頬を摘まんだままむっと頬を膨らませた。
まるで自分だけは除け者みたいな、数歩後ろに引くような言葉が気になった。嫌だと思った。
みんな大好きで、それは勿論ライネスも同じ。ライネスがみんなを大切な弟だと思うように、僕だってライネスを含めたみんなを大好きなお兄さんだと思っている。
だから、ライネスだけが輪から外れるなんてことは絶対に有り得ない。
「離れちゃだめ。ライネス、そばにいて」
輪の中にいて。ライネスもみんなと同じように、みんなと一緒に楽しく過ごして。
そういう意味でぴしっと紡いだ言葉。聞いてくれるかなーふむふむとそわそわして、やがて固まった。
そっぽを向いたライネスの顔が、微かに赤く染まっているのが見えた。
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