余命僅かの悪役令息に転生したけど、攻略対象者達が何やら離してくれない

上総啓

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攻略対象file3:冷酷な大公子

81.願いごと

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「っ…!」

「……」


 背後でシモンが息を吞む気配がする。確かに、初めはかなり衝撃的に見えるだろう。
 僕はゲームで一度見ているからそれほど驚くことはないけれど。そうは言っても実際に目にするのとでは大分見方が変わる。

 手袋の下。ライネスの手の皮膚は痛々しく爛れていて、錆びた鉄のように黒ずんでいた。


「…ごめん。気持ち悪いよね」


 僕とシモンをじっと見つめたライネスは、怯えた様子で瞳を揺らして手袋を付け直した。視線から逃れるようなその仕草と、まるで穢いものでも見るかのような目で隠す姿に心が軋む。


「気持ち悪くなんて…!」


 気持ち悪くなんてない。そう紡ごうとした言葉は、直ぐ傍から近付いてくる足音によって遮られた。


「…ライネス」


 不意に静かに響く声。いつの間にベッドから離れていたのか、ふと気付くと大公妃がライネスの後ろに立っていた。


「母上…」


 後ろめたいものを抱えたような表情で立ち上がったライネスが、俯きながらも大公妃に向き直る。大公妃は無表情を歪めて、微かに怒りの滲んだ声で語った。


「…利用したって何の事。あなた、大公家の問題に無関係の子供を巻き込んだの?」

「それは…っ」

「…私もあの人も、あなたにそんな事を頼んだ覚えは無いわ」


 冷たく突き放すような声音にライネスの表情がぐっと崩れる。余裕を浮かべるいつもの笑顔は消え去って、そこには確かに傷付いた子供のような表情があった。

 その表情が前世の自分のものと重なって、何故か酷く胸が痛む。苦しいのはライネスのはずなのに、まるで自分が大切な人に突き放されたような錯覚に陥った。
 ただ守りたかっただけ。救いたかっただけ。だというのに、守りたい当人である大切な人に突き放される。その辛さが痛いほど理解出来てしまったから。


「っ…大公妃さま!」


 上擦った声が響き渡る。大公妃の瞳が驚いたように見開かれた。
 呆然とするライネスの前に立つと、僅かに見開いていた瞳が即座に冷静さを取り戻して細められる。怯む心を叱咤して、微かに震える声を何とか絞り出した。


「ラ、ライネスは悪くない…です」


 ライネスの裾をきゅっと握ってそう言うと、大公妃は訝しげに眉を顰めた。


「…利用されたというのに、どうしてこの子を庇うのかしら。恨みの言葉でも何でも、あなたには全て吐き出す権利があるのよ」


 声音は厳しくても、やっぱり大公妃は堅実で優しい人だ。
 冷たい表情と口調が誤解を生みやすいけれど、語る内容には威圧が無い。寧ろ全ての言葉に僕への配慮と罪悪感が篭っていた。

 ちらりとライネスを一瞥した直後、落ち込んだ暗い瞳と視線が合う。申し訳なさそうに伏せられた瞼を見て、思わず表情が綻んだ。


「…じゃあ、おねがいを叶えてくれる?」

「は…願い…?」


 突然の要求に、ライネスは予想外とばかりに目を瞬いて僕を見下ろす。つい数秒前までの暗い色が消え去ったことに満足してこくこくと頷いた。


「おねがい聞いてくれたら、許してあげる」


 ライネスの肩越しに、シモンが小さく微笑む様子が見えた。


「大公妃さま」


 上目遣いで両手を合わせると、大公妃はぷるぷる震えてバッ!と顔を逸らした。しまった、また大公妃さまの機嫌を損ねてしまったようだ。
 しょんぼりと反省して肩を落とすと、頭上から「…ま…まぁそうね」というぎこちない声と共にこほんと咳払いがひとつ零された。


「…大公家の問題に無関係なあなたを巻き込んでしまったことは事実。それに対する代償についても、当然巻き込まれた側のあなたが定めるべきだわ」


 早口で紡がれた言葉にぱあっと表情を輝かせた。心なしか何だか大公妃の雰囲気が柔らかいような…気のせいだろうか。

 ほわほわした雰囲気の大公妃をぎょっとした顔で見据えるライネス。どうやらライネスは、僕の言う『願いごと』の内容を何となく察しているらしい。
 けれど大公妃は確かに口にした。代償については僕が決めるべきだと。言質を取った以上、これ以降で彼らが僕の『願いごと』を拒否する方法はない。
 焦燥を見せる様子を早くも想像しながら、首を傾げる大公妃と青褪めるライネスをふにゃりと笑んで見上げた。


「僕が、大公さまとライネスの呪いを治します」


 案の定「…は?」と硬直する大公妃。そして疲労を堪えるように眉間を抑えるライネス。背後には恐らく僕の作戦が上手くいったことへの喜びでニコニコ顔のシモン。
 やっぱりなしはだめですよ、と大公妃に語りながら横を通り過ぎると、数秒後に後ろから「ま、待ちなさい…!」と珍しく力の籠った声を投げかけられた。


「む…のぼれない…」

「フェリアル様。抱っこしますね」

「たすかる」


 ベッドによいしょと上がろうとしたが、如何せん僕の身長では足を乗っけることさえままならない。むすっと頬が膨らんだ僕の傍に、シモンが音もなくスッと現れた。

 返事をする前にひょいっと抱っこでベッドに乗せられる。うむ、とお礼を言ってもぞもぞ動き出すと、少し離れた場所からあたふたと足音が近付いてきた。


「フェリ!いい子だから戻っておいで…!」


 まるで言うことを聞かない子供をあやすような口調だ。僕はただ『願いごと』を実行しているだけで、子供扱いされて宥められるようなことはしていないのに。
 少ししょんぼりしてしまったので振り返ることはせず、広いベッドの真ん中に四つん這いで近付いた。

 中央に辿り着き、死んだように眠る男性の姿を見て目を見開く。


「……きれい」


 短髪のライネスだ。初めに浮かんだのはそんな陳腐な感想だった。
 長い黒髪のライネスとは異なり、青白い顔で横たわる彼は真っ黒な短髪。顔の造形はライネスをそのまま大人にしたように美しく整っていた。

 一目で分かるほど死期に近く生々しいその姿に、一瞬鼓動がドクンと嫌な音を立てる。試しにそっと首元に触れてみると、体温は青白い肌色に違わず酷く冷え切っていた。


「シモン。もし倒れたらおねがいね」

「任せてください!けど倒れない努力もしないとですよ」

「がんばる」


 力の正しい使い方を覚えろということだろうか。それについては僕自身も知っておきたいと思っていたところだ。
 力の調整、扱い方。初めて大公妃に力を使った時は何が何だか理解不能だったから、大公にする二度目の治癒で何とか学んでおきたいところだ。そうすればもしかしたら、この先また力が必要になった時に役立つかもしれないから。


「…どうして…あなたには何の利益も無いでしょう」


 背後からぽつりと届いた言葉。その言葉に思わず振り返ると、明らかな困惑を滲ませた大公妃の瞳と視線が合った。


「…あなたの力についてライネスから聞いたわ。魂を削ることによって聖者以上の治癒能力を発揮する…そんな危険な力を、どうして見ず知らずの人間に使おうと思えるの」


 静かに問う姿をじっと見つめる。責めているというよりは、純粋に理解不能なことを問い掛けているような声音だ。まさにその言葉通りの疑問。

 危険な力を見ず知らずの人間に。言葉にすると確かに理解が難しいけれど、大公妃の言葉はそもそも間違っている。何せライネスの両親であり大切な人達である以上、僕にとっては無関係の他人ではないのだから。


「利益なら、あります」


 それは何。大公妃の瞳がそう問い掛ける。言葉は無くとも明白に伝わった。


「僕にとって、ライネスは大切なお友達。大切なお友達の大切な人を助けたら、ライネスがきっと喜ぶから」

「……」

「ライネスが嬉しいと、僕も嬉しいから」


 だから利益なら十分ある。そう言うと二人は息を吞んだ。

 大公となら兎も角、大公妃とライネスはあまり似ていないと思っていたけれど。こうして見ると、二人はびっくりしたような顔が瓜二つだ。そっくりという次元を通り越している。


「大切な人を助けたくて、ライネスは僕に頼ってくれた。だから期待に応えたい」


 ライネスは僕を利用したのではなく、頼ったのだ。
 思い込みでもなんでも、そう考えればライネスの期待に応えざるを得ない。友達は助け合うものだと何かで言っていたから、僕もライネスを助けたい。


「信じて」


 微かに表情を緩めて言うと、二人はもう僕を止めなかった。

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