上 下
51 / 400
攻略対象file3:冷酷な大公子

69.友好のマドレーヌ

しおりを挟む
 

「……」

「……」


 幻聴だろうか。きっとそうに違いない。再び流れた沈黙と大公妃の鋭い視線を見て、やっぱり幻聴なのだと確信した。
 何やら大公妃の口から発されるには有り得ない言葉が聞こえたような気がしたけれど、本当にただの気のせいだったようだ。扇子を下げた大公妃の表情は厳しいままだし、眉間の皺もそのまま。絶対零度の視線からも温かみは一切感じられない。

 竦む体を叱咤して、とにかく名乗り直さなければと震える唇を開く。今度は噛まないように…と自分に言い聞かせて声を上げようとした瞬間、それを遮るようにして別の声が被さった。


「母上。また悪い癖が出てしまっていますよ」


 困ったような微笑。ライネスは大公妃の傍にそっと近付いて語り掛けた。
 悪い癖、という言葉に首を傾げる僕を見下ろし、大公妃は僅かに瞳を揺らして口ごもった。


「…悪い癖ですって?」

「母上が子供や小動物をこよなく愛する方だと言うのは周知の事実でしょう?愛情は表に出さなければ伝わらないですよ」

「…何を言って…」


 こそこそと何やら話し合う二人。ライネスは穏やかな笑顔を浮かべているけれど、それに反して大公妃の顔は不快げに歪んでいる。

 どうやらとても名乗れる状況では無さそうだ。どうしよう…と眉を下げていると、隣にシモンが膝をついた。
 爽やかに微笑んでいるけれど、何故か鼻血が出ているせいで爽やかさは半減している。最近よく鼻血を出しているけれど大丈夫なのだろうか。何かの病気とかでは無いと良いのだけれど。


「フェリアル様。さっきのもう一回言ってくれませんか?でしゅって。でしゅってもう一回聞きたいですっ」

「…やめて。言わない」


 羞恥の傷を抉らないでほしい。ついさっき黒歴史を増やしてしまったことを未だに…きっとこれからも後悔して悶え続けるのに。


「えぇー可愛いのにー」

「…可愛くない。恥ずかしい」

「ぐぅッやっぱり可愛いッ!!」

「シモン。鼻血、鼻血」


 鼻血が大変なことに。喋る度に悪化しているような気がする。そのうち顔全体が血で真っ赤に染まりそうな勢いだ。
 そのくらいの勢いで鼻血を吹き出し続けているシモンに慌ててハンカチを差し出した。何だか既視感のある流れだ。


「恥ずかしがるフェリアル様…赤面フェリアル様…うーん、人間国宝かな???」

「何言ってるの。それより血。鼻血止まってない」


 何度か同じような会話を繰り返した後、ようやく鼻血の止まったシモンにほっと息を吐いて顔を上げる。
 ちょうどライネスと大公妃も話が終わったようで、大公妃は何やらそわそわと視線を彷徨わせながらこちらの様子を窺っていた。

 何か話でもあるのかな…と緊張で体を強ばらせる僕をじーっと見つめる大公妃。その様子をライネスが苦笑混じりに見守っている。


「…あなた」

「ひゃ、ひゃいっ…!」


 不意に強い視線を向けられ呼び掛けられた。
 それに驚いてまたもやおかしな声を上げてしまい、早くも二度目の失敗をしてしまったことに青褪める。返事もまともに出来ない人間だと思われた…といっそ泣きそうになりながら見上げ、大公妃の謎の様子に首を傾げた。

 まただ。またぷるぷる震えている。
 扇子で顔を隠し一通り震えを終えると、さっと何事も無かったかのように扇子を畳んで見下ろしてきた。


「…あなた。マドレーヌはお好き?」

「…?大好きです」

「…そう」


 静かに紡がれる会話。唐突な質問に困惑しながらも何とか答え、次の言葉をじっと待つ。

 今までの会話のどこに脈絡があってマドレーヌの話に…?とハテナは浮かんだままだけれど、きっと大公妃のことだから何か深い理由があるのだろう。
 次は何を聞かれるのかな、とそわそわ緊張する僕を一度睨むように見つめた大公妃は、やがて颯爽と踵を返してこの場を離れてしまった。


「…。……??」


 あれ、何も無い…?ぽかんと立ち尽くす僕の元に近付いてきたライネスは、大公妃の背中を見て小さく苦笑した。


「ごめんねフェリ。母上は昔から不器用な人なんだ」

「不器用…?」


 こくりと頷くライネス曰く、どうやら大公妃は昔から感情表現が苦手な人だったらしい。
 そのせいで色々と誤解されることが多く、孤独な人生を歩んできたのだとか。大公と結ばれてからは徐々にその癖も柔らかくなり、改善してきていたらしいのだが。


「父上が倒れてからは以前のように…いや、以前にも増して不器用になり、鉄の仮面を被るようになってしまった」

「……」


 きっとそれは、弱さを包み隠す為の最大の手段だったのだろう。
 大公が倒れ突如として重責が伸し掛かり、それによって生まれた弱さや不安を丸ごと隠そうと。

 …僕は大公妃のことを、少し誤解していたのかもしれない。あの冷たい視線も厳しい表情も、表から見ても分からない何かが篭っているのかも。
 そう考え始めた頃、不意にすぐ傍のテーブルに大きな皿が追加された。


「……?」


 スイーツの補充でもしたのかな、と何気なく見上げた先。皿に積まれたそれを見て大きく目を見開いた。


「マドレーヌ…?」


 思わず駆け寄って、綺麗に並べられたうちの一つを摘む。まさか…と思い振り返ると、困ったように微笑むライネスと視線が合った。

 これ…とマドレーヌを掲げると、ライネスは小さく頷いた。


「母上なりの、精一杯の気持ちの表明だと思うよ」

「気持ち…?」

「うん、友好の証ってやつだね」

「友好…!」


 ライネスの友人として、大公妃に認められたということだろうか。それなら嬉しいな、とそわそわ体が揺れる。
 摘んだマドレーヌをぱくりと頬張り、控えめに舌に広がる甘さに思わず頬が緩んだ。


「次は僕も、大公妃さまに友好の証プレゼントする」


 ぱくぱくとマドレーヌを食べながら宣言する僕に、驚いた様子で目を丸くしたライネスが「…うん。きっと喜ぶよ」と嬉しそうに微笑んだ。

しおりを挟む
感想 1,700

あなたにおすすめの小説

【完結】悪役令息の従者に転職しました

  *  
BL
洗脳され無理やり暗殺者にされ、無様な失敗で死にそうになった俺をたすけてくれたのは、BLゲームで、どのルートでも殺されて悲惨な最期を迎える悪役令息でした。 依頼人には死んだことにして、悪役令息の従者に転職しました。 皆でしあわせになるために、あるじと一緒にがんばるよ! 本編完結しました! 時々おまけのお話を更新しています。

社畜だけど異世界では推し騎士の伴侶になってます⁈

めがねあざらし
BL
気がつくと、そこはゲーム『クレセント・ナイツ』の世界だった。 しかも俺は、推しキャラ・レイ=エヴァンスの“伴侶”になっていて……⁈ 記憶喪失の俺に課されたのは、彼と共に“世界を救う鍵”として戦う使命。 しかし、レイとの誓いに隠された真実や、迫りくる敵の陰謀が俺たちを追い詰める――。 異世界で見つけた愛〜推し騎士との奇跡の絆! 推しとの距離が近すぎる、命懸けの異世界ラブファンタジー、ここに開幕!

【完結】最強公爵様に拾われた孤児、俺

福の島
BL
ゴリゴリに前世の記憶がある少年シオンは戸惑う。 目の前にいる男が、この世界最強の公爵様であり、ましてやシオンを養子にしたいとまで言ったのだから。 でも…まぁ…いっか…ご飯美味しいし、風呂は暖かい… ……あれ…? …やばい…俺めちゃくちゃ公爵様が好きだ… 前置きが長いですがすぐくっつくのでシリアスのシの字もありません。 1万2000字前後です。 攻めのキャラがブレるし若干変態です。 無表情系クール最強公爵様×のんき転生主人公(無自覚美形) おまけ完結済み

期待外れの後妻だったはずですが、なぜか溺愛されています

ぽんちゃん
BL
 病弱な義弟がいじめられている現場を目撃したフラヴィオは、カッとなって手を出していた。  謹慎することになったが、なぜかそれから調子が悪くなり、ベッドの住人に……。  五年ほどで体調が回復したものの、その間にとんでもない噂を流されていた。  剣の腕を磨いていた異母弟ミゲルが、学園の剣術大会で優勝。  加えて筋肉隆々のマッチョになっていたことにより、フラヴィオはさらに屈強な大男だと勘違いされていたのだ。  そしてフラヴィオが殴った相手は、ミゲルが一度も勝てたことのない相手。  次期騎士団長として注目を浴びているため、そんな強者を倒したフラヴィオは、手に負えない野蛮な男だと思われていた。  一方、偽りの噂を耳にした強面公爵の母親。  妻に強さを求める息子にぴったりの相手だと、後妻にならないかと持ちかけていた。  我が子に爵位を継いで欲しいフラヴィオの義母は快諾し、冷遇確定の地へと前妻の子を送り出す。  こうして青春を謳歌することもできず、引きこもりになっていたフラヴィオは、国民から恐れられている戦場の鬼神の後妻として嫁ぐことになるのだが――。  同性婚が当たり前の世界。  女性も登場しますが、恋愛には発展しません。

性悪なお嬢様に命令されて泣く泣く恋敵を殺りにいったらヤられました

まりも13
BL
フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。 性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。 (ムーンライトノベルにも掲載しています)

【完結】伴侶がいるので、溺愛ご遠慮いたします

  *  
BL
3歳のノィユが、カビの生えてないご飯を求めて結ばれることになったのは、北の最果ての領主のおじいちゃん……え、おじいちゃん……!? しあわせの絶頂にいるのを知らない王子たちが吃驚して憐れんで溺愛してくれそうなのですが、結構です! めちゃくちゃかっこよくて可愛い伴侶がいますので! 本編完結しました! 時々おまけを更新しています。

宰相閣下の執愛は、平民の俺だけに向いている

飛鷹
BL
旧題:平民のはずの俺が、規格外の獣人に絡め取られて番になるまでの話 アホな貴族の両親から生まれた『俺』。色々あって、俺の身分は平民だけど、まぁそんな人生も悪くない。 無事に成長して、仕事に就くこともできたのに。 ここ最近、夢に魘されている。もう一ヶ月もの間、毎晩毎晩………。 朝起きたときには忘れてしまっている夢に疲弊している平民『レイ』と、彼を手に入れたくてウズウズしている獣人のお話。 連載の形にしていますが、攻め視点もUPするためなので、多分全2〜3話で完結予定です。 ※6/20追記。 少しレイの過去と気持ちを追加したくて、『連載中』に戻しました。 今迄のお話で完結はしています。なので以降はレイの心情深堀の形となりますので、章を分けて表示します。 1話目はちょっと暗めですが………。 宜しかったらお付き合い下さいませ。 多分、10話前後で終わる予定。軽く読めるように、私としては1話ずつを短めにしております。 ストックが切れるまで、毎日更新予定です。

悪役令息の七日間

リラックス@ピロー
BL
唐突に前世を思い出した俺、ユリシーズ=アディンソンは自分がスマホ配信アプリ"王宮の花〜神子は7色のバラに抱かれる〜"に登場する悪役だと気付く。しかし思い出すのが遅過ぎて、断罪イベントまで7日間しか残っていない。 気づいた時にはもう遅い、それでも足掻く悪役令息の話。【お知らせ:2024年1月18日書籍発売!】

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。