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後日談
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しおりを挟む「……」
「……」
き、気まずい…。
公爵様が答えを委ねるから、てっきり何か話があるとばかり思っていたのに。
予想に反して食事は無言。一言の会話も無く、ただ淡々と食器の音だけが部屋に響いた。
こうなったら早く食べ終えて自室に戻るに限る。そう思っていつもより早いペースで食べ進めていると、不意にお腹が痛くなってきた。
「っ…!」
まずい。ただでさえ少食だというのに早食いし過ぎたせいか、胃が悲鳴を上げている。
けれどこんな些細なことを知られてしまえば公爵様が機嫌を損ねてしまうだろう。食事すらまともに出来ない妻なんて、いくら名ばかりと言っても嫌気がさすかもしれない。
失恋の痛みはかなり癒えたとは言え、まだ未練は少しばかり残っている。
仮に今、最悪な形で捨てられてしまえば…少なくともその痛みは失恋による苦痛とは比にならない程のものだろう。
絶対にバレてはいけない。そう思い変わらぬペースで手を動かし続けていると、ふと正面から強い視線を感じた。
「…?…っ!?」
チラリと見上げた先は勿論公爵様の席だ。
二人席のテーブルに向かい合って座っているから、顔を上げるだけで直ぐに視線を合わせることが出来る。
そうして見上げた先の公爵様は、何故かじっとこちらを見て食事の手を止めていた。
「…。…体調でも悪いのか」
「えっ…い、いえ、特には…」
「…そうか」
疑うような視線。あまりにも分かりやすく怪訝に思われていることに焦燥感を抱いた。
それにしても一体どうして僕の変化に気が付いたのか。注視していない限り、相手の具合を読み取るなんてほぼ不可能だと思うけれど…。
…いや、やっぱりただの偶然に過ぎない。
彼は昔から人の感情には疎いくせに変化には機敏だったから、こういうことも人より早く気付く節があるのだろう。
「……瘴気が気になるか?」
「え、あ…いえ。大丈夫です…」
まさか、僕の体調を心配してくれた…?一瞬の不調を見抜いて、その原因が瘴気であると考える理由は…。
…いや、そんなわけないか。
「公爵様のお陰で…とても快適です」
公爵様が魔物を討伐してくれたおかげで。それとなくそう含んで答えると、彼はほんの一瞬息を吞んだ。
直ぐに俯いてしまったから、どんな表情を浮かべたのかは分からない。もしかしたら、お前の為なんかじゃないって思っているのかもしれないけれど。それは僕も勿論分かっている。
彼の献身の全てが皇女様の為ものだって、そんなことは分かっているのだ。
それでも伝えたいと思った。そういえばこのことについての感謝を伝えたことが無かったなと、今更思い立ったから。
「…そう、か…」
気のせいだろうか。
彼の小さな呟きに、柔らかい喜びが籠っている気がした。
* * *
「……」
その日の夜。
月明かりが窓から差し込み、早く寝ようとベッドに入ったは良いものの。何故だか全く寝付けないことに悶々として、少し歩こうと自室を出た。
庭園へ出ると冷たい風が肌に触れて、鋭い寒さに身を縮めた。少し歩くだけとはいえ、薄着に何も羽織ってこなかったのは失敗だったな…。
「はぁ…」
腕を擦りながら歩みを進める。寒いけれど、自室に戻る気分でもない。
眠くなるまで何処で過ごそうか。そう考えて、浮かんだのはやっぱり噴水だった。
あそこに咲く花がこの庭園での一番の癒やしだから、悩みがあったりぼーっとしたい時なんかはいつもあそこで過ごしているのだ。
十年前の思い出が蘇るのは苦しいけれど、それでも花の癒やしには代えられない。
少し。少しだけ花を見たら戻ろう。落ち込みそうな気持ちに言い聞かせて向かった噴水。
そこには先客がいた。
「……公爵様…?」
噴水の縁に腰掛け、地面にじっと視線を向けている公爵様。そんなに熱心に何を見ているのだろうかと首を傾げると、呟きが聞こえたらしい彼が驚いたように顔を上げた。
「セドリック」
「っ…」
ただ呼びかけられただけ。名前を紡がれただけ。たったそれだけのことに胸が締め付けられた。
「公爵様、どうしてここに…?」
「…君こそ…こんな時間に何をしている」
呆然とした問い掛けに返ってきた答え。それを聞いてハッとした。
確かにそうだ。こんな時間に嫌いな僕が出歩いているなんて、きっと彼は訝しく思うはず。ただでさえ僕が散財しないか、何か悪いものに手を出さないかと怪しんでいるだろうに。
慌てて答えを探すけれど、何と返せば良いのか分からない。正直に散歩をしに来たと言っても、彼は信じてくれるだろうか。
焦燥を抱きながら答えに躊躇っていると、不意に公爵様が何かに気付いた様子で立ち上がった。迷わずこちらに歩いてくる足音に固まっていると、その足音はちょうど目の前で止んだ。
「…そんな薄着で外に出て、風邪を引きたいのか」
優しい声音、なんて思うのは都合のいい解釈だろうか。
彼は羽織っていた黒のカーディガンを脱ぐと、それを僕の肩に掛けてくれた。公爵様の温もりが残ったカーディガンは暖かくて、何だか心に穏やかな感情が広がった。
「あ…ありがとう、ございます…」
お礼を言って黙り込むと沈黙が流れ始めて、直ぐに去るとばかり思っていた公爵様が動く気配は無かった。
こちらから離れた方が良いだろうか、と考えて踵を返そうとした時。無言を貫いていた彼がふと声を掛けてきた。
「…魔物のことだが」
「は、はい」
「明日で確認が済む。二日後には…帝都へ戻る」
「あ…そうですか…」
気の利いた返事が浮かばない。
ただ、これで皇女様の憂いを取り除けて嬉しいだろうな、なんて考えて勝手に落ち込んでしまった。僕が同じ邸にいるという苦痛からも解放されるだろうし、なんて。
次に会えるのはいつだろう、と思いながら俯くと、視界に映った彼の手がそわそわと落ち着きなく動いていることに気が付いた。何だか…まるで緊張しているみたいだ。たかが僕相手に話す程度で、緊張なんてするはず無いけれど。
「…お気を付けて」
月並みな言葉すら紡げなくて、結局愛嬌の欠片も無い返事だけが口から零れる。
それでも彼は不快そうな反応を見せず、ただ小さく「…あぁ」と呟いた。
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