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本編

ギルバート視点

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 一目見て心を奪われた。
 彼こそが私の全てなのだと、高鳴る鼓動が強く叫んだ。



 出会いの瞬間を今でも鮮明に覚えている。
 十年前、家名を忍んで辺境の地を訪れていた時のことだ。

 心安らかに過ごせると勧められて来たは良いものの、私には生い茂る草木と何も無い平凡な地、それの何が魅力的なのか全く理解出来なかった。
 都でも田舎でも魅力どころか興味一つ湧かないのだから、来る意味は無かったと後悔までした。これなら帝都で執務をしていた方がマシだったと。
 無駄足に溜め息を吐いて森を抜けようと歩いていた時、それは突然現れた。


「っ……!!」


 この森に住む妖精か…?一瞬本気でそう思った。

 ふんわりした淡い栗色の髪に、木漏れ日の如く優しい浅緑の瞳。天使の如く整った華奢な容姿。
 少し触れただけで折れてしまうのではないか、そう不安になるほど、小さなその存在は儚げな雰囲気を纏っていた。

 すれ違う瞬間、神々しいまでの輝きに思わず目を逸らしてしまった。
 触れたい、声をかけたいという衝動に悶えながらも、自ら人に近寄ることの無い私には接する術が分からず。どうにも出来ないまま、とにかくもう一度あの子に会いたいという欲を抱えて森を歩き回った。

 翌日もその翌日も。彼にすれ違う度、決心したはずの心は臆病に弱る。
 このまま意志を折り続け、いつしか儚い妖精が消えてしまうことを黙って見つめるしか出来ないのか…そう絶望していた時、奇跡は突然に舞い降りた。


『何だか気が合いますね』


 妖精は声まで美しいのか。その事実に驚愕し、危うく返事を忘れてしまうところだった。
 散々引き伸ばして返したのが『…あぁ』だったことには、自らを川に沈めて殺してしまいたくなったが。



 セドリックと名乗った妖精は、どうやら伯爵家の令息らしかった。まさか本当に人間だったとは驚きだ。妖精でなければ、今度は天使の可能性を疑っていたところだった。

 妖精…セディが声を出す度、疲労に塗れた心身は嘘のように軽くなる。きっとセディには浄化の力があるのだろう。
 彼に会うべく毎日のように森へ訪れ、美しい声で紡がれる愛らしい話を鼓膜と脳に焼き付ける日々。それはとても甘く愛おしく、そして大切なものだった。

 そんなある日、セディはとうとう辺境の地にいる理由を語ってくれた。


『僕、病気に弱いんだ』


 内容とは裏腹に軽い口調で紡がれる彼の事情。
 瘴気に耐えられない体に生まれるという特殊な病。人や魔物の瘴気に満ちたこの世界で、それはどれほど辛いことだろうか。


 諦観を瞳に滲ませる彼を見て、私は誓った。
 いつか必ず『彼の為の世界』を実現してみせる。せめて人のいないこの辺境の地では、心安らかに過ごせる程の、そんな世界を。
 つまり、目指すは魔物が存在しない世界。


『どうもしないよ』


 どうしようもないのだから仕方ない。そんな言葉が加えて聞こえた気がした。
 彼にとってはどうしようもないことだから、だから彼はこんなにも寂びた瞳をしている。苦痛に塗れた人生を送ることが、何もかも仕方ないのだと。

 それならば、私が彼の代わりに変えてみせる。
 魔物を全て屠って、人の居ない地に彼の為の邸を建て、彼が何不自由しない人生を私の手で作り上げてみせる。
 十年も前の勝手な誓い。それでもその先の私にとって、彼とその誓いは生きる上での全てになった。




 * * *




 所詮、十年も前の思い出。
 抱えて生きてきた私が異常なのだと、それに漸く気が付いたのは、魔物の根源である魔王を消した後だった。



「セディ…!!」



 凱旋の日。彼の喜ぶ顔を浮かべながら帰還した帝都。
 不意に彼の名が聞こえて振り返ると、そこには確かに美しく成長した彼がいた。そんな彼を強く抱き締める、親しげな男と共に。


「……あれは」


 声とも言えぬような小さな呟き。それを正確に拾い上げた部下の一人が、愛おしい彼を見て驚いたような声を上げた。


「シュミット家の妖精だ。珍しいですね、こんな人混みの中に来るなんて」


 シュミット家の妖精。その名は帝国内で広く知られる彼の呼び名だ。
 浮世離れした愛らしい容姿に、その姿をごく稀にしか見ることが出来ないという神秘性。伯爵家が大切に隠している宝と名高い彼は、邸どころか外に出ることさえ普段なら有り得ない。
 だというのに、どうして彼は今。


「あの男は…誰だ」


 低く問うと、部下は突然変わった空気に首を傾げながらも「妖精を抱いてる男なら…」と切り出した。


「バージル・フロスト伯爵令息ですよ。妖精の兄君の婚約者です」

「あの子の…兄の婚約者?」


 訝しげに眉を顰める。
 何故兄の方の婚約者が…あんなにもあの子と親しげなんだ。いくら家族となる間柄とは言え、あれは義理の弟に対する接触にしては明らかに度が過ぎている。
 友好の抱擁ならばそれなりにあるが、あれだけ密着して抱き締める必要はあるのか?彼も特に抵抗はしていないように見えるが…。

 段々と険しさが増す表情を見た部下が、引き攣った笑みを浮かべて馬を寄せる。「ここだけの話」と不意に語られた内容に、鼓動が嫌な音を立てた。


「一部じゃ二人は恋仲だって噂があります。妖精は兄の婚約者に想いを寄せてしまったことに罪悪感を抱いて、それが社交界に姿を見せない理由なんじゃないかって」


 社交界に姿を見せないことは即ち、貴族としての地位を完全に捨てたも同然となる。
 それが次男次女以下の者となると尚更。人脈を断つという行為は、貴族にとっての禊のようなものだ。

 彼の…セディの病が今、どれ程悪化しているのかは分からない。少なくとも彼が表に出ないのは病だけが原因だと思っていたが、あの様子だとそうでは無いらしい。



「……覚えていたのは、私だけだったのか」



 呟きが虚しく雑踏に掻き消される。
 肩を抱かれて去っていくセディの背中を見つめながら、暫くそこから動くことが出来なかった。


 所詮、遠い昔の霞んだ思い出。
 あの子にとって、数ある日々の一幕でしかない私の記憶など、とうに忘れ去ってしまったのだろう。
 鉛のような重い何かが胸の内を支配して、今までの行動の全てに影が掛かる。後悔は全く無いが、常に片隅にあった期待と高揚は瞬く間に消えて無くなった。

 魔王討伐の最中、勝利を確信して直ぐに帝都の邸へ伝令を送った記憶。その記憶が鮮明に蘇り、あまりの愚かさに苦い微笑が零れた。
 きっと彼も覚えていることだろうと、私の行動にほんの少しでも感心を抱いてくれるはずだろうと。求婚状を用意する前に式の準備を進めたのは、あまりに先走り過ぎだったと肩を落とした。

 これで彼が心安らかに過ごせる世界を作れると、その歓喜は今でも忘れない。今までしてきた全てに悔いは無い。
 悔いは無い…それでも…


「…計画は最後まで遂行する」


 言い聞かせるような、改めて覚悟を確認するような。そんな呟きが漏れ出て、手綱を握る手に力が籠った。

 彼が望んでいなくても最後まで。彼の愛からも目を逸らして、あの男からも彼を奪う。全ては、セディが心安らかに過ごせる未来の為に。
 どの道あの男とセディが結ばれることは無い。彼が罪を抱いて帝都に一生残る選択肢を取ったとしても、それは私が許せない。
 魔物が消えた今、帝都は彼にとって地獄も同然だ。

 恨まれたって構わない。
 この十年思い描いていたセディとの幸福な未来を捨ててでも、私にとっての最優先は彼の安らぎでしかないのだから。


 そう、所詮は些細な想定外だ。
 彼の想い以外は全てが計画通り。魔物は消えて、根幹たる魔王も討伐した。辺境には彼が一生暮らしても贅沢が尽きない邸を用意し、植物を愛する彼の為の花々も咲かせた。
 彼が瘴気で苦しむことはもう無い。病への諦観もきっと払拭されることだろう。
 誰が何と言おうと、彼が心で何を思おうと。最終的には、望んだ結果を手に入れたことに変わりは無い。




『彼の為の世界』は実現したのだから。


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