4 / 18
本編
ギルバート視点
しおりを挟む一目見て心を奪われた。
彼こそが私の全てなのだと、高鳴る鼓動が強く叫んだ。
出会いの瞬間を今でも鮮明に覚えている。
十年前、家名を忍んで辺境の地を訪れていた時のことだ。
心安らかに過ごせると勧められて来たは良いものの、私には生い茂る草木と何も無い平凡な地、それの何が魅力的なのか全く理解出来なかった。
都でも田舎でも魅力どころか興味一つ湧かないのだから、来る意味は無かったと後悔までした。これなら帝都で執務をしていた方がマシだったと。
無駄足に溜め息を吐いて森を抜けようと歩いていた時、それは突然現れた。
「っ……!!」
この森に住む妖精か…?一瞬本気でそう思った。
ふんわりした淡い栗色の髪に、木漏れ日の如く優しい浅緑の瞳。天使の如く整った華奢な容姿。
少し触れただけで折れてしまうのではないか、そう不安になるほど、小さなその存在は儚げな雰囲気を纏っていた。
すれ違う瞬間、神々しいまでの輝きに思わず目を逸らしてしまった。
触れたい、声をかけたいという衝動に悶えながらも、自ら人に近寄ることの無い私には接する術が分からず。どうにも出来ないまま、とにかくもう一度あの子に会いたいという欲を抱えて森を歩き回った。
翌日もその翌日も。彼にすれ違う度、決心したはずの心は臆病に弱る。
このまま意志を折り続け、いつしか儚い妖精が消えてしまうことを黙って見つめるしか出来ないのか…そう絶望していた時、奇跡は突然に舞い降りた。
『何だか気が合いますね』
妖精は声まで美しいのか。その事実に驚愕し、危うく返事を忘れてしまうところだった。
散々引き伸ばして返したのが『…あぁ』だったことには、自らを川に沈めて殺してしまいたくなったが。
セドリックと名乗った妖精は、どうやら伯爵家の令息らしかった。まさか本当に人間だったとは驚きだ。妖精でなければ、今度は天使の可能性を疑っていたところだった。
妖精…セディが声を出す度、疲労に塗れた心身は嘘のように軽くなる。きっとセディには浄化の力があるのだろう。
彼に会うべく毎日のように森へ訪れ、美しい声で紡がれる愛らしい話を鼓膜と脳に焼き付ける日々。それはとても甘く愛おしく、そして大切なものだった。
そんなある日、セディはとうとう辺境の地にいる理由を語ってくれた。
『僕、病気に弱いんだ』
内容とは裏腹に軽い口調で紡がれる彼の事情。
瘴気に耐えられない体に生まれるという特殊な病。人や魔物の瘴気に満ちたこの世界で、それはどれほど辛いことだろうか。
諦観を瞳に滲ませる彼を見て、私は誓った。
いつか必ず『彼の為の世界』を実現してみせる。せめて人のいないこの辺境の地では、心安らかに過ごせる程の、そんな世界を。
つまり、目指すは魔物が存在しない世界。
『どうもしないよ』
どうしようもないのだから仕方ない。そんな言葉が加えて聞こえた気がした。
彼にとってはどうしようもないことだから、だから彼はこんなにも寂びた瞳をしている。苦痛に塗れた人生を送ることが、何もかも仕方ないのだと。
それならば、私が彼の代わりに変えてみせる。
魔物を全て屠って、人の居ない地に彼の為の邸を建て、彼が何不自由しない人生を私の手で作り上げてみせる。
十年も前の勝手な誓い。それでもその先の私にとって、彼とその誓いは生きる上での全てになった。
* * *
所詮、十年も前の思い出。
抱えて生きてきた私が異常なのだと、それに漸く気が付いたのは、魔物の根源である魔王を消した後だった。
「セディ…!!」
凱旋の日。彼の喜ぶ顔を浮かべながら帰還した帝都。
不意に彼の名が聞こえて振り返ると、そこには確かに美しく成長した彼がいた。そんな彼を強く抱き締める、親しげな男と共に。
「……あれは」
声とも言えぬような小さな呟き。それを正確に拾い上げた部下の一人が、愛おしい彼を見て驚いたような声を上げた。
「シュミット家の妖精だ。珍しいですね、こんな人混みの中に来るなんて」
シュミット家の妖精。その名は帝国内で広く知られる彼の呼び名だ。
浮世離れした愛らしい容姿に、その姿をごく稀にしか見ることが出来ないという神秘性。伯爵家が大切に隠している宝と名高い彼は、邸どころか外に出ることさえ普段なら有り得ない。
だというのに、どうして彼は今。
「あの男は…誰だ」
低く問うと、部下は突然変わった空気に首を傾げながらも「妖精を抱いてる男なら…」と切り出した。
「バージル・フロスト伯爵令息ですよ。妖精の兄君の婚約者です」
「あの子の…兄の婚約者?」
訝しげに眉を顰める。
何故兄の方の婚約者が…あんなにもあの子と親しげなんだ。いくら家族となる間柄とは言え、あれは義理の弟に対する接触にしては明らかに度が過ぎている。
友好の抱擁ならばそれなりにあるが、あれだけ密着して抱き締める必要はあるのか?彼も特に抵抗はしていないように見えるが…。
段々と険しさが増す表情を見た部下が、引き攣った笑みを浮かべて馬を寄せる。「ここだけの話」と不意に語られた内容に、鼓動が嫌な音を立てた。
「一部じゃ二人は恋仲だって噂があります。妖精は兄の婚約者に想いを寄せてしまったことに罪悪感を抱いて、それが社交界に姿を見せない理由なんじゃないかって」
社交界に姿を見せないことは即ち、貴族としての地位を完全に捨てたも同然となる。
それが次男次女以下の者となると尚更。人脈を断つという行為は、貴族にとっての禊のようなものだ。
彼の…セディの病が今、どれ程悪化しているのかは分からない。少なくとも彼が表に出ないのは病だけが原因だと思っていたが、あの様子だとそうでは無いらしい。
「……覚えていたのは、私だけだったのか」
呟きが虚しく雑踏に掻き消される。
肩を抱かれて去っていくセディの背中を見つめながら、暫くそこから動くことが出来なかった。
所詮、遠い昔の霞んだ思い出。
あの子にとって、数ある日々の一幕でしかない私の記憶など、とうに忘れ去ってしまったのだろう。
鉛のような重い何かが胸の内を支配して、今までの行動の全てに影が掛かる。後悔は全く無いが、常に片隅にあった期待と高揚は瞬く間に消えて無くなった。
魔王討伐の最中、勝利を確信して直ぐに帝都の邸へ伝令を送った記憶。その記憶が鮮明に蘇り、あまりの愚かさに苦い微笑が零れた。
きっと彼も覚えていることだろうと、私の行動にほんの少しでも感心を抱いてくれるはずだろうと。求婚状を用意する前に式の準備を進めたのは、あまりに先走り過ぎだったと肩を落とした。
これで彼が心安らかに過ごせる世界を作れると、その歓喜は今でも忘れない。今までしてきた全てに悔いは無い。
悔いは無い…それでも…
「…計画は最後まで遂行する」
言い聞かせるような、改めて覚悟を確認するような。そんな呟きが漏れ出て、手綱を握る手に力が籠った。
彼が望んでいなくても最後まで。彼の愛からも目を逸らして、あの男からも彼を奪う。全ては、セディが心安らかに過ごせる未来の為に。
どの道あの男とセディが結ばれることは無い。彼が罪を抱いて帝都に一生残る選択肢を取ったとしても、それは私が許せない。
魔物が消えた今、帝都は彼にとって地獄も同然だ。
恨まれたって構わない。
この十年思い描いていたセディとの幸福な未来を捨ててでも、私にとっての最優先は彼の安らぎでしかないのだから。
そう、所詮は些細な想定外だ。
彼の想い以外は全てが計画通り。魔物は消えて、根幹たる魔王も討伐した。辺境には彼が一生暮らしても贅沢が尽きない邸を用意し、植物を愛する彼の為の花々も咲かせた。
彼が瘴気で苦しむことはもう無い。病への諦観もきっと払拭されることだろう。
誰が何と言おうと、彼が心で何を思おうと。最終的には、望んだ結果を手に入れたことに変わりは無い。
『彼の為の世界』は実現したのだから。
233
お気に入りに追加
4,534
あなたにおすすめの小説
所詮は他人事と言われたので他人になります!婚約者も親友も見捨てることにした私は好きに生きます!
ユウ
恋愛
辺境伯爵令嬢のリーゼロッテは幼馴染と婚約者に悩まされてきた。
幼馴染で親友であるアグネスは侯爵令嬢であり王太子殿下の婚約者ということもあり幼少期から王命によりサポートを頼まれていた。
婚約者である伯爵家の令息は従妹であるアグネスを大事にするあまり、婚約者であるサリオンも優先するのはアグネスだった。
王太子妃になるアグネスを優先することを了承ていたし、大事な友人と婚約者を愛していたし、尊敬もしていた。
しかしその関係に亀裂が生じたのは一人の女子生徒によるものだった。
貴族でもない平民の少女が特待生としてに入り王太子殿下と懇意だったことでアグネスはきつく当たり、婚約者も同調したのだが、相手は平民の少女。
遠回しに二人を注意するも‥
「所詮あなたは他人だもの!」
「部外者がしゃしゃりでるな!」
十年以上も尽くしてきた二人の心のない言葉に愛想を尽かしたのだ。
「所詮私は他人でしかないので本当の赤の他人になりましょう」
関係を断ったリーゼロッテは国を出て隣国で生きていくことを決めたのだが…
一方リーゼロッテが学園から姿を消したことで二人は王家からも責められ、孤立してしまうのだった。
なんとか学園に連れ戻そうと試みるのだが…
よくある婚約破棄なので
おのまとぺ
恋愛
ディアモンテ公爵家の令嬢ララが婚約を破棄された。
その噂は風に乗ってすぐにルーベ王国中に広がった。なんといっても相手は美男子と名高いフィルガルド王子。若い二人の結婚の日を国民は今か今かと夢見ていたのだ。
言葉数の少ない公爵令嬢が友人からの慰めに対して放った一言は、社交界に小さな波紋を呼ぶ。「災難だったわね」と声を掛けたアネット嬢にララが返した言葉は短かった。
「よくある婚約破棄なので」
・すれ違う二人をめぐる短い話
・前編は各自の証言になります
・後編は◆→ララ、◇→フィルガルド
・全25話完結
彼の幸せを願っていたら、いつの間にか私も幸せになりました
Karamimi
恋愛
真新しい制服に身を包んみ、入学式を目前に控えた13歳の少女、ローズは胸弾ませていた。なぜなら、5年前に助けてくれた初恋の相手、アデルに会えるからだ。
でも、5年ぶりに会ったアデルの瞳は、絶望に満ちていた。アデルの悲しそうな瞳を見たローズは、ひどく心を痛める。そんな中、絶世の美女でアデルの兄の婚約者でもあるティーナを助けた事で、彼女と仲良くなったローズ。
ティーナやアデル、アデルの兄グラスと過ごすうちに、ローズはアデルがティーナの事を好きなのだと気が付いてしまう。アデルが少しでも笑顔でいてくれるならと、自分の気持ちを封印し、ある計画をローズはアデルに持ちかけるのだった。
そんなローズに、アデルは…
ご都合主義なラブストーリーです。
アデルがかなりヘタレ&ローズが超鈍感。ジレジレで展開がゆっくりです。
気長に読んで頂けると嬉しいです。
どうぞよろしくお願いいたしますm(__)m
私は私で勝手に生きていきますから、どうぞご自由にお捨てになってください。
木山楽斗
恋愛
伯爵令嬢であるアルティリアは、婚約者からある日突然婚約破棄を告げられた。
彼はアルティリアが上から目線だと批判して、自らの妻として相応しくないと判断したのだ。
それに対して不満を述べたアルティリアだったが、婚約者の意思は固かった。こうして彼女は、理不尽に婚約を破棄されてしまったのである。
そのことに関して、アルティリアは実の父親から責められることになった。
公にはなっていないが、彼女は妾の子であり、家での扱いも悪かったのだ。
そのような環境で父親から責められたアルティリアの我慢は限界であった。伯爵家に必要ない。そう言われたアルティリアは父親に告げた。
「私は私で勝手に生きていきますから、どうぞご自由にお捨てになってください。私はそれで構いません」
こうしてアルティリアは、新たなる人生を送ることになった。
彼女は伯爵家のしがらみから解放されて、自由な人生を送ることになったのである。
同時に彼女を虐げていた者達は、その報いを受けることになった。彼らはアルティリアだけではなく様々な人から恨みを買っており、その立場というものは盤石なものではなかったのだ。
【完結】「別れようって言っただけなのに。」そう言われましてももう遅いですよ。
まりぃべる
恋愛
「俺たちもう終わりだ。別れよう。」
そう言われたので、その通りにしたまでですが何か?
自分の言葉には、責任を持たなければいけませんわよ。
☆★
感想を下さった方ありがとうございますm(__)m
とても、嬉しいです。
前世で処刑された聖女、今は黒薬師と呼ばれています
矢野りと
恋愛
旧題:前世で処刑された聖女はひっそりと生きていくと決めました〜今世では黒き薬師と呼ばれています〜
――『偽聖女を処刑しろっ!』
民衆がそう叫ぶなか、私の目の前で大切な人達の命が奪われていく。必死で神に祈ったけれど奇跡は起きなかった。……聖女ではない私は無力だった。
何がいけなかったのだろうか。ただ困っている人達を救いたい一心だっただけなのに……。
人々の歓声に包まれながら私は処刑された。
そして、私は前世の記憶を持ったまま、親の顔も知らない孤児として生まれ変わった。周囲から見れば恵まれているとは言い難いその境遇に私はほっとした。大切なものを持つことがなによりも怖かったから。
――持たなければ、失うこともない。
だから森の奥深くでひっそりと暮らしていたのに、ある日二人の騎士が訪ねてきて……。
『黒き薬師と呼ばれている薬師はあなたでしょうか?』
基本はほのぼのですが、シリアスと切なさありのお話です。
※この作品の設定は架空のものです。
※一話目だけ残酷な描写がありますので苦手な方はご自衛くださいませ。
※感想欄のネタバレ配慮はありません(._.)
噂好きのローレッタ
水谷繭
恋愛
公爵令嬢リディアの婚約者は、レフィオル王国の第一王子アデルバート殿下だ。しかし、彼はリディアに冷たく、最近は小動物のように愛らしい男爵令嬢フィオナのほうばかり気にかけている。
ついには殿下とフィオナがつき合っているのではないかという噂まで耳にしたリディアは、婚約解消を申し出ることに。しかし、アデルバートは全く納得していないようで……。
※二部以降雰囲気が変わるので、ご注意ください。少し後味悪いかもしれません(主人公はハピエンです)
※小説家になろうにも掲載しています
◆表紙画像はGirly Dropさんからお借りしました
(旧題:婚約者は愛らしい男爵令嬢さんのほうがお好きなようなので、婚約解消を申し出てみました)
今さら、私に構わないでください
ましゅぺちーの
恋愛
愛する夫が恋をした。
彼を愛していたから、彼女を側妃に迎えるように進言した。
愛し合う二人の前では私は悪役。
幸せそうに微笑み合う二人を見て、私は彼への愛を捨てた。
しかし、夫からの愛を完全に諦めるようになると、彼の態度が少しずつ変化していって……?
タイトル変更しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる