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第115話 瞑世の魔法

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 それは古い魔法だった。

『プルシャマナの外側には、またプルシャマナのような世界がある。私たちと同じような人間が暮らし、生活する世界だ。海の向こうではなく、星の果てでもない。もっと、遠くに見果てぬ世界がある。古き人間たちは、その世界を夢見て、世界そのものに風穴を空けようと目論んだ。その苦心の結果が『異端の王』と呼ばれるものだ』

 記憶の果てで教祖が言った言葉を思い出す。
 それこそが『異端の王』の本来の力。神にまで届き得る真の能力。

瞑世めいせの魔法の本質は次元を飛び越える力。だから私たちはサティ・プルシャマナ本体にまで届いた。あの瞬間、私の弾丸は次元を超えて、神の座に撃ち込まれたの」

「そして、レイナちゃんがやろうとしているのが、その魔法のさらに本質的な部分。世界そのものを新たな次元で覆う魔法だよ」

「……ほら、終わった」

 サティの魔力の流出が止まる。女神の白色の魔力は、全てレイナのものになっていた。傷はふさがり、煌々こうこうと漆黒の魔力を立ち昇らせるレイナがいた。

「女神の魔力を取り込んだのか……」

「うん、口付けによる魔力吸収だね。どう? レイナちゃん、喋れる?」

 ナツの言葉にレイナは小さく首を横に振った。瞳の輝きは失われていて、焦点の合わない目で、レイナは天井の空いた大穴を見ていた。

 彼女の白い髪からはポタポタと水滴が垂れていた。こぼれ落ちる水滴は虹のように光り輝いていて、地面に垂れるたびに花のような模様を作っていた。

「無理そうだね。さすがに魔力を補給し過ぎたみたい」

 レイナは目を閉じて死んだように眠るサティに、手をかざした。一言「時間がありません」と言うと、レイナはパトレシアとナツに合図をした。

「それじゃあ、アンク、さようなら……もう会うこともないかのな」

「そうね、私たちはあなたを知っているけれど。アンクはもう私たちのことを忘れちゃうから。これで本当に……永遠のお別れってことね」

「お前ら、何を言って……いるんだ」

 ナツとパトレシアは寂しそうな笑顔のまま、倒れている俺の横に座り込んだ。サティによって半分溶かされた身体を見て、悲しそうに言った。

「ごめんね、わがままばかり言って。でも、これはアンクを守るためには仕方がないことだったの」

「私たちは次の魔法で、皆に全てを忘れてもらう。レイナちゃんもナツも私も、みんな一緒に私たちは全ての人の記憶から消える」

「バカ言うな。そんなことが……出来るもんか……!?」

「出来るよ、今の私たちなら」

 ナツとパトレシアは何も言わずに、順番に俺に口付けをした。柔らかく暖かいキスだった。俺が知っている2人の香りがした。少しの間、彼女たちはゆっくりとしたキスをして、やがて離れていった。

 痛む身体が少しだけ楽になった。

「新しい女神になるのよ。サティちゃんを封印して、私たちが世界を新しくするの」

「瞑世の魔法の完成には器が足りなかった。だから、私たちはそのために『死者の檻パーターラ』を使ってレイナちゃんに呼ばれたのよ」

「新しい次元を作り出すことで、アンクは女神の契約ルールからも解き放たれて、本当に自由になるの。大丈夫、その傷も何事もなかったみたいに治るから」

 ナツとパトレシアはそう言うと、愛おしげに俺の頬に触れた。

「俺が言いたいのは、そういうことじゃない。お前たちのことを忘れるなんて、死んでも……嫌だ!」

「……全ては契約を打ち破るため。そうしなきゃ、アンクは死んでいたし、私たちがずっと側にいることは出来なかった」

「どうして……そんなことをするんだ」

 俺の言葉に彼女たちは目を細めて言った。

「アンクやレイナちゃんが死ぬよりはずっとマシだってことだよ。それに私たちはあなたから離れるわけじゃない」

「そうそう、見えなくてもずっと側にいるってこと」

「だから、ね?」

 2人は困ったように笑った。

「そんなの……ダメだ」
 
「これが私たちに出来る最善だったの」
 
 2人は立ち上がって、「それじゃあね」といつもの別れの挨拶をするように背中を向けた。

「待て! 待ってくれ!」

 何もかもを忘れる。
 3人のことが記憶から消える。元からいなかったことになる。意味が分からない。何がどうなったら、そう言う結論になるんだ。

「待て……よ。おかしい……だろ」

 誰も俺の言葉に振り向く様子はなかった。
 レイナは呪文を詠唱えいしょうし始め、ナツとパトレシアは隣に立ってにサティに手をかざした。

「やめろ! 頼むから、待ってくれ! お願いだ!!」

 自分たちを犠牲にして、俺を生かす。助けてくれたことも忘れる。一緒にいたことも忘れる。過ごした日々も忘れてしまう。

 いやだ。
 そんなのは絶対にいやだ。

「ナツ! パトレシア! レイナ! 頼むから、俺は良いから、そんなことをするのはやめてくれ!!」

 胸が苦しい。
 動けない自分が不甲斐ふがいない。ボロボロになった魔力炉は全く反応しなかった。身体は立ち上がろうとする部位すらも、欠損してしまっている。

「あ、あ、あ、あ……!」

 叫ぶ。
 手を伸ばして叫ぶ。けれど俺の声も身体も3人には届かない。

『大丈夫、見えなくても側にいるから』

 何も大丈夫じゃない。
 何も解決していない。

『これが私たちに出来る最善だったの』

 違う。
 違う。
 誰も救われていない。

 だって……。

「君はきっと、最初からこれを望んでいたわけじゃない」

 一緒にいたいと願った。
 そうじゃないのか。

「レイナ……!」

 3人から立ち上る黒い魔力は、あたりの風景を吸い込んで行った。
 突然現れた夜空のように、何も反射することない色が天と地を包み込んでいく。

 中心に立つレイナの髪の毛は、逆立ち、白色がどんどんと淡い青色に染まっていく。瞳からは光彩が失われ、表情も失われていく。

 ……最後の光が瞬くまでの間、レイナは俺の顔を見て言った。

「これで良かった」

 良くない。
 何も良くない。こんな結末を望んだ訳じゃない。勝手過ぎる。あまりにも身勝手が過ぎる。

「瞑世の魔法、攪亂輪天具足ランチャ・ヴァダーラ

 視界が光に包まれる。ナツ、パトリシア、レイナ、そして倒れたサティを中心にして黒い柱が現れる。柱はどこまでも高く、天井を貫いて、空の果てまで伸びた。
 
 太陽をかき消して、星よりも遥か遠くに伸びる神々しい光は、息をのむほどに美しかった。思わず涙が出そうになるほど、神秘的な光景だった。

 膨らんでいく闇の中で、3人のシルエットは徐々に飲まれて、消えていってしまった。


 ————————いやだ。


 それから、俺は……全てを忘れた。
 忘れたことさえ気づかないほどに、忘れ始めた。

 記憶の奔流ほんりゅうの中に飲まれて、自分の全てを失った。失いたくないものからこぼれ落ちて、あとはもうどうでも良くなってしまって、生ぬるい泥の中に沈んでいくように深い眠りについた。

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