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第105話 ゼロ
しおりを挟む夢から醒めても、また夢のようだった。
永遠と繰り返される悪夢のように、『異端の王』となった青年は俺の前に立っていた。
「君と会えるのをずっと待っていた。こうやって2人きりで話すのを待ち望んでいた」
祭壇の1番高いところで、レイナの弟は座りながら俺のことを見ていた。水の音や、息遣いも聞こえない奇妙な静けさがあたりを包んでいた。
「俺もお前に会いたかった。『異端の王』」
「その名前は違う。今の僕は何でもない。その名前で呼ばないで欲しい」
「ここにいるということは、お前も『死者の檻』で蘇ったんだな」
「……その話はあとにしようか。まずは夢の続きの話をしよう」
重苦しい空気の中で、彼は語り始めた。
地下祭壇へと歩き始めたはずなのに、いつの間にか記憶のピースに巻き込まれていた。そばに俺と彼以外の人間はおらず、サティたちの姿は忽然と消えていた。
本当に夢でも見ているみたいだ。
頭の奥でチカチカと光が不規則なリズムで明滅している。
「君が見た通り、僕は邪神教の実験の結果、『異端の王』として誕生した。本来はあと13時間だった僕の誕生は、教祖の予想以上に早まり21時間前に完全に覚醒した。瘴気を撒いて牢獄から脱出した僕は、まず3人の信徒を殺した」
決起集会の日の最初の犠牲者。
3人の信徒は生きたまま殺された。立ちはだかる人間を一撃で殺し、心臓を屠り、彼は進んでいった。
「そして、幹部のラサラとバイシェも殺し、教祖も魂ごと消滅させた。そこからは君も知っている通りだ。僕は瘴気の渦を発生させながら、各地を歩き回った」
ただ在るだけで世界を汚すもの、サティが言った通りだった。
彼が放浪した地域には瘴気が撒かれ、憎しみに同調された生物が魔物化していく。魔物の大量発生により、彼の憎しみは世界中に伝播していく。
「人を1人殺すごとに自分の身体が変わっていくのを感じた。人間ではなくなっていた。腕も足も、内臓も自我も人間から離れて、何か違うものへとなっていった。それでも僕は人を殺し続けた」
「……罪悪感は無かったのか。お前の中にある人としての心は、もう存在はしていないのか」
「罪悪感は無い、人としての心はある。その2つは別の質問だ。僕はもともと自分が何であったのかというのは、ちゃんと覚えている。自分が人間だったという記憶もある。けれど、罪悪感はない。この行為はね、ただの殺人ではなくて戦争なんだよ」
「たった1人で人を殺し続けることが……戦争?」
「僕は1人じゃない、僕は何人も喰って、1人ではなくなった」
ゼロは自分の服をめくって、腹を見せた。白くてツルツルとした彼の腹部は、まだ小さな子どものようにしか見えなかった。
「だから、あれは戦争だ。たくさんの心臓を取り込んだことで、僕は戦争を遂行する機械、『異端の王』と化した。邪神教の彼らの目的は、彼らの死をもって達成された。僕は瘴気を撒く化物になったんだ」
「その……瘴気というのはいったい何なんだ? 今までこの世界にそんな魔法は、存在しなかったはずだ。どんな魔法で一体ここまで世界を汚したんだ」
「瘴気とはただの魔力だ。君も魔力が高ぶった時、魔力炉から漏れ出す魔力を感じた事があるはずだ。他人の魔力を取り込むと、少なからず感情を共有することになる。感情の共有を強制するんだよ。瘴気とは、僕の負の魔力に他ならない」
「自分の負の感情を、魔力として生き物に同調させていった……ってことか」
彼は「そうだ」と言って言葉を続けた。
「僕は歩くだけで瘴気を撒き散らし、周囲の生き物の感情を壊していった。人間と違って、単純な生物はすぐに壊れるからね。人間が憎いということを刷り込まれた生物が魔物と呼ばれるようになった。魔物とは、僕の意思を吸い込んでしまった無垢な生物の成れの果てだよ。かわいそうなことに」
まるで他人事のように彼は言った。
白い髪をかきあげたその顔は、俺が知っているレイナとそっくりだった。しかし口にしている言葉は彼女のものからはかけ離れている。
生き物を殺すことに対して何の抵抗も感じていない。これが『異端の王』と呼ばれる男だったのか。
俺はこんなものと戦っていたのか。
「今更ながらに震えが来るよ。サティが世界を破滅させる者だって言ったのがようやく分かった」
青年は「そうだろう」と言って満足げに笑った。
疑問はそれだけでは無かったが、今解決しなければならないことは明らかだ。
祭りの夜。
答えられなかった質問をもう1度、彼にぶつける。
「お前はいったい何の目的でここに現れたんだ。『死者の檻』を使って、何がしたい? 復讐でないとするならば、何がしたい?」
「……大英雄、その質問は間違っているよ」
「なに……?」
「おかしいことをおかしいと感じられなくなっている。それが、全ての始まりだ。君は最初から全てを間違っているんだ。さぁ……思い出して」
「思い……出す?」
まただ。
俺は何を忘れている? 何を見落としている?
思わず考え込み視線を下げると、彼の姿は俺のすぐ目前へと移動していた。足音や衣擦れの音すら感じられなかった。本当に場所だけ移動したみたいに、彼は一瞬で俺の前に立っていた。
「さぁ、何か分かった?」
彼は本当にこの世にいないものみたいに笑った。赤い唇が、真っ白な顔を割くように広がっている。
「お前は……」
目の前に立つ彼を見て、俺はようやく真実の一端を理解することが出来た。
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