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第103話 1度きりの口付け

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「ちょっっと、まっっったぁあ!」

 覚悟を決めて、ラサラに唇を近づけた時、俺のすぐそばで雷鳴とパトレシアの叫び声がとどろいた。空の魔法で雷をまとったパトレシアが、蛇の頭に電撃を喰らわせて着地した。

「ちょっと聞き捨てならない言葉が聞こえたんですけど、キスってどういうこと? この状況で何しているの、あんた!?」

 俺の腕に抱えられているラサラを指差しながら、パトレシアが顔を真っ青にして叫んだ。電撃と怒りを向けられながら、ラサラは困ったように俺を見た。

「怒られました……」

「パトレシア……これはだな。必要なことなんだ」

「魔力が欲しいだけなら、血で十分じゃない」

 地面の中からナツがひょっこりと顔を出す。地面を動かしてヒドラの首をいなしたナツは、パトレシアと同じように怒っていた。

「大規模な魔法を使うんじゃなければ、血を取り込めば十分でしょ。ダメだよ、私たちに隠れてキスしようだなんて、ついさっき出会っていきなりだなんて、さすがに……むずむずする」

「むかつくってことね」

「ナツさん、パトレシアさん、言っていることはもっともなのですが、血だけではダメなのです。なぜなら私の身体には心臓がありません。どういう訳か、その部分だけ私には欠けているのです」

「もしかして……身体に魔力が流れていないってこと?」

「そうです。さらに言えば、私の身体はもうすぐ自壊します。ほら、この通り、右腕が泥のようになっています」

 ラサラはそう言うと、ドロドロに崩れた自分の手を見せた。形を失った右腕をあげてみせると、地面にぼとりと垂れて行った。

「そんな……」

 そう言っている間にも、敵の攻撃は収まらない。音を立ててナツの土の壁が破裂した。

「私の『死者の檻パーターラ』は不完全なんです」

 襲ってきた2頭の蛇を、今度はサティのほこが貫いた。断面から吹き出した血が、ラサラの腕だったものと混じり合い、黄褐おうかっ色ににじんで床に広がっていった。

「時間はありません。最後に私にバイシェを救わせてください。大丈夫です、私はアンクさんに好意など寄せませんから」

「むぅ……これだと私たちが悪者みたいじゃん」

 ナツはに口をとがらせると、諦めたように肩を落とした。俺たちから背を向けて、ナツはヒドラの方へと向かい直った。

「分かったよ、でも、ちょっとだけだからね。パトレシアもそれで良いよね?」

「はいはい、了解。1回だけって言うなら、私たちも協力してあげよう」

「ありがとうございます」

「1回だけだからね」

 パトレシアがラサラに念を押す。

 断面から再び蛇の首が生えてくる。
 それと向かい合ったナツとパトレシアは、自らの魔力炉から大量の魔力を引き出した。オレンジと黄色の魔力が立ち上り、天井まで届いた時、2人は目の前の敵に向けて魔法を展開させた。

「地の魔法、望て遊ぶものサイティブ・トール……!」

 ナツが右拳を握るように動かすと、背後の壁から巨大な土の拳が現れた。土人形ゴーレムの一部召喚だ。石を積み重ねて、ナツは自分の身体の何十倍もの拳を作り出した。

「いっけええええええ!!」

 超高速のシンプルな右ストレートが、敵の胴体に炸裂さくれつする。
 めりめり、と骨を砕くような音ともに、ヒドラはうめき声をあげて壁の方へと態勢を崩した。

「オオオオオオ゛!!」

「空の魔法 霹靂の樹クイアルドルフ……!」

 追撃はパトリシアが発動した雷のあみ
 有刺鉄線ゆうしてっせんのごとく張り巡らされた電撃の束が、動きを封じ、さらにうろこを焦がすほどの熱量でもって敵を完全にとらえた。

 バリバリバリ!
 痛々しい悲鳴と、目がくらむほどの雷光が輝き、祭壇さいだん周辺の水に反射した。網の中でヒドラはもがき、雷の束を噛みちぎろうとしている。

「ごめん、そんなに長くはたないかも!」

「分かった、ラサラ、あとは頼んだぞ」

「えぇ、任せてください。それにしても、あなたはずいぶんと好かれているのですね」

 俺たちをかばうように戦う2人を見ながら、ラサラが言った。

「こんな私に嫉妬しっとするなんて、本当にいじらしくなります」

「自分で言うのもなんだけど、これでもかというほど好かれているな。まったく、人の唇を自分たちのものみたいに……」

「私がもっと綺麗だったら、少しは絵面も映えたのでしょうが、こんなただれた顔では不快なだけですものね」

 ラサラは小さく息を吐いて、再び目を閉じた。眩く発光する部屋の中で、彼女の顔面にアザがあらわになった。

「別にみにくいと思わないけどな。むしろキス出来て光栄だよ」

「…………冗談」

「本当だよ」

 ラサラの唇は冷たく、体温を感じなかった。舌も唾液も、凍らせたかのように冷たく、喉の中をするりと通り抜けて行った。

 無味無臭。空っぽで虚無きょむ
 けれど、ゼリーのような彼女の舌を感じているうちに、ほのかに燃え上がる炎を感じた。喉の奥深く、目には見えないところで静かに燃え上がっていた。

「ようやく理解出来た気がします」

 キスを終えて、湧き上がる紫色の魔力を揺らしながら、ラサラは言った。

「どうして、あの娘があなたにかれたのかが分かった気がします。きっとあなたの魂はあまり見返りを求めていないのでしょうね。あなたは最初から満たされていて、それを人に分け与えることが出来る人間なのです。まさしく……英雄にふさわしい。あの娘が選ぶにふさわしい魂です」

「あの娘?」

「……いえ、なんでもありません」

 ラサラは自壊しかかっていた脚を、催眠魔法の霧に変えて、俺の腕から離れた。身体の半分以上が崩れ掛けたラサラは、少し名残惜しむように言った。

「世界を救ってしまったあなたのことは嫌いですけれど、人間としてのあなたはそこまで憎むことは出来ませんでした。残念なことです。出来れば、人間を嫌いのまま死にたかったのに」

「あ……」

「さよなら、大英雄」

 彼女がそう言ったのと、パトレシアの魔法が解かれるのはほぼ同時だったように思える。自由になったヒドラが再び俺たちを襲おうと身構えたが、その目前に催眠魔法を展開させたラサラが立ちふさがった。

「バイシェ、私がわかりませんか?」

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