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第46話 大英雄、リトライ

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 翌朝。
 いつもと変わらない、いつも通りに訪れた朝。

 今日は雲1つ無い晴天で、庭に植えられた花々も楽しげに風に揺れていた。平坦へいたんだけれど美しい日常の景色が窓の外にあった。コーヒーでも飲みながら、空を見上げていたらあっという間に過ぎ去ってしまいそうな日だ。

「っっ………」

 にぶい頭痛を感じる。穏やかな朝の景色とは程遠い、不穏な気持ちが俺の心を覆っていた。
 自分自身に起きている異変を知ったことで、全てのものに対して疑念の視線を向けけざるを得なくなった。今、自分が見ているものが本当にあるものかどうかさえ疑わしくなっていた。

「サティは大丈夫だと言っていたけれどな……」

 足元の床がいつの間にかなくなって、そのまま光すら通さない真っ黒な落とし穴の中に落ちてしまうのではないか。そんな荒唐無稽こうとうむけいな妄想でさえ、現実めいて思えてくる。

「おはようございます。アンクさま」

 階下に降りると、レイナがすでに起きていて洗い物をしていた。オレンジと黒の髪留めが一緒になって髪をくくっている。どうやら彼女は2つの髪留めを同時に使うことを決めたようだ。

「顔色がよろしくないようですが、あまり眠れなかったのですか」

「……いや、ただの寝起きだよ。気にしないでくれ」

「そうですか……私のせいで申し訳ありません」

 レイナは申し訳なさそうな視線を俺に向けた。まっすぐに見つめてくる彼女の眼を、俺は見返すことが出来なかった。気恥ずかしいのと、気まずいのでまともにレイナの顔を見れない。

 どうして俺は何も覚えていないのだろう。

「やぁやぁ、おっはよーう!」 

 パタパタと子供のような激しい足音を立てて、サティが降りてきた。元気良く挨拶すると、彼女は俺の隣に座った。

「朝から元気だな」

「とても良い匂いがしたからね。今日の朝ごはんは何だい?」

「パトレシアさんから頂いた人参でソテーを作りました。卵もあったので目玉焼きにしてあります。中身はもちろん半熟です」

「それは楽しみだ」

 サティはのんきな調子で、鼻歌を歌い始めた。レイナはその様子をチラリと横目で見て、彼女に問いかけた。

「昨日の一件ですが、話はまとまられたのでしょうか」

「気になる?」

「……はい」
 
 返答に少し間をおいて、レイナは頷いた。サティはその様子にニコニコと笑いながら、話を進めた。

「そりゃあ気になるよね」

「はい、とても」

「でも期待外れで悪いんだけれど、今のところは何もしない。アンクに魔法をかけた人物は相当な手練てだれではあるけれど、今すぐ何かをしようっていう訳でもない……つまりは様子見かな」

「では、私はサティさんに対する警戒を緩めてもよろしいということですね」

「あぁ良いよ。こちらこそ、無理に話させようとして悪かった」

 その言葉を聞いて、レイナがふっと警戒の度合いを緩めた。
 いつもの調子でレイナはそそくさと、朝ごはん作りを再開した。手際良くフライパンを振るって卵焼きをつくると、食卓に並べた。ふんわりと良い香りの卵は、少しソースをかけてあげると甘さが引き立つ。

「うまい」

「うまいな」

「ありがとうございます」

 お礼を言ったレイナを見て、昨晩、サティと交わした会話を思い出す。
 微笑みかけたレイナをまともに見ることが出来ない。彼女を見ると、どうしてもサティの言葉を思い出してしまう。

 俺は本当にレイナとした……のか。


◇◇◇


「彼女の中に記憶のピースがあると確信したわけはもう1つある。実は私には誰と誰が性行為したか分かる力があるんだ」

 サティの表情は冗談を言っているようには見えなかった。茶化して笑うこともせず、彼女はただグラスに入った水を飲んだ。

「なんだよそれ。おかしいだろ、そんな力」

「おかしくないよ。魔法を使うものにとって性行為というものは、やましい意味ではなく重要な儀式だからね」

 指で小さな渦を描いたサティは、ピンク色のモヤを発生させた。霧のように広がったそれは、周囲の空気と混じり合うとゆっくりと消えていった。

「……術者は互いの体液を取り込むことで、互いの魔力を共有するんだ。人間にとっては微力過ぎて気づかれていないけれど、実は性行為にはそういう効果もある」

「つまり俺の中にレイナの魔力があったと?」

「微粒子に過ぎないけれどね。その事実は確かに確認出来る」

 説明は尽くしたと言わんばかりに、サティは大きく手を広げた。隠していることは何もないというジェスチャーのあとで、彼女は挑戦的に俺に微笑みかけてきた。

「さぁ、どうする?」

「どうする……か」

 これはかなりの難題だった。
 レイナと性行為をすることは、俺としては何もはばむものがない。可愛いし、料理もうまい。そんな彼女とデキるのならば、世界の異変を抜きしても、そのままベッドにダイブをしても良いくらいだ。

 けれど、問題はそこじゃない。
 俺の考えていることを見透かしたように、サティは口を開いた。

「おそらく君のことだ。レイナにこの事実は言えない、って思っているだろう。レイナの中に記憶のピースがある、だから性行為をしてくれとは君は頼めないだろうな」

「……そうだ。良く分かってるじゃないか」

「君を執行者として選んだのは私だ。君の魂の形は手に取るように分かっている。こういう場合にだけ、君という魂はいやに誠実になるからね」

「気持ちがこもっていないは性行為は、行為的に過ぎる。それって獣以下じゃないか」

「真面目過ぎるというか、頑固というか、バカだね。一回ヤっているんだし、まんざらでもないだろ。もっと軽い気持ちで良いんだよ。『忘れたからもう1回ヤらせてくれー!』って叫べば良いんだよ」

「でも、その記憶は失われている。失われてしまったのなら、もう1度やり直すしかない。リトライ、もう1回最初からだ」

 俺の言葉にサティは大きく舌打ちした。テーブルの向こうから手を伸ばして俺の頬をつねると、ぐいっと引っ張った。

「ひたたたた(いたたたた)」

「もう! 面倒臭い事をさせやがって。そんなことを言ったのはこの口か。この口かー!」

「わふいな(悪いな)」

「反省する意思があるのなら、さっさとコトを済ませてくれ。言っておくけれど、そこまで猶予ゆうよがある訳では無いんだよ。いつ空から隕石が落ちてきて世界が滅びるか分からない。繰り返すけれど、今私たちがいるのはそんな状況だ」

「おっへー、おっへー(オッケー、オッケー)」

 観念して俺が両手をあげると、サティは「本当に分かっているのかなぁ」とため息をついて、手を離した。

「頼むよ、君は世界を救った大英雄なんだ」

「もちろんだ。何より俺自身のためにも、記憶を改ざんした犯人を突き止めたい」

 痛む頬をさすって、小さく頷く。ヒリヒリと痛む頬は、この現実が夢ではないことを示していた。

 記憶をむさぼられるというのは最悪な気分だ。できれば、記憶を失ったことすら忘れてしまいたい。

 それでも、何にせよ、俺とレイナが愛し合っていたことは確かなのならば。その記憶を、彼女の愛を俺の手に取り戻さなきゃいけない。

「やるよ。もう1度、レイナをれさせてみせる」

「やる気になったのは何よりだけど、策はあるのかい?」

「策というほどのものでもないけれど」

 恋愛においてからめ手というのは、どうも性に合わない。普通の恋人になるように、自然体でいくのが1番分かりやすい。

「レイナをデートに誘う、それだけだ」

 そう言って、ふところから2枚のチケットを取り出した。
 それを見たサティは「なるほど君らしいなぁ」と首を縦に振りながらも、やはりどこか不安そうな表情をしていた。

 
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