12 / 220
第11話 大英雄、水をかけられる
しおりを挟むナツから朝ごはんを頂いてから帰宅すると、自分の家の庭に入ったところで冷たい水をぶっかけられた。
「うわっち!」
さっきシャワーを浴びて来たのに、再び全身ずぶ濡れになる。ポタポタと水滴を垂らしながら、唖然とするしかなかった。
誰がこんなことを……と横を見るとレイナが巨大なバケツを持っていた。
「すいません、見えなかったもので」
「……何してたんだ?」
「花壇に水をあげていました」
なぜか憮然とした表情でレイナは言った。
「アンク様が歩いてくるから悪いのです」
「花壇に水をやるなら、バケツじゃなくてジョウロだろ。そんなバケツいつ買ったんだ」
「たくさん水をあげた方が花も喜ぶかと思いまして」
「……百歩譲ってそうだったとしても、花壇は向こう側だからな」
花を植えているは反対側だ。この辺りには雑草しか生えていない。いつの間にうちのメイドは雑草を育て始めたんだ。
「このあたりに花壇を作ろうかと思いまして」
「白々しい嘘だ」
「アンクさまこそ、どちらに行っていらしたのですか」
「…………う」
しまった、完全に墓穴を掘った。
「えーと……」
ナツとの約束もある手前、下手なことは言えない。いや、約束があろうがなかろうが、昨日起こったことは簡単に口にして良いことではない。
「む、むにむに」
「ごまかさないでください。どうされたのですか」
俺を覗き込むレイナの表情からは何を考えているか読み取れない。くすんだグレーの彼女の瞳は、少し怒っているようにも見えるし、怒っていないようにも見える。
嘘をつくべきか、本当のことを言うべきか。どちらにしても地獄に思える選択に脂汗をかいていると、意外にもレイナはあっさりと折れた。
「いえ、喋りたくないならよろしいのです。しょせん、私はメイドですから。それで…………朝食はいかがなさいますか?」
「あ……悪い。食べてきたんだ」
「そうですか」
レイナはそう言うと顔を伏せて目を逸らした。そして踵を返すと早足で玄関へと向かった。
「どうした?」
「何でもありません」
いやこれは怒っている。さすがに分かる。
その後を追いかけて、ダイニングキッチンで彼女が隠そうとしているものを見て、俺はようやく自分の過ちに気がついた。
「……ご飯作ってくれたんだ」
レイナが持っていたものはスープと、気合を入れて作ってくれたのが分かるほど、分厚いサンドウィッチだった。
「悪い……ちゃんと遅くなるって言えば良かった」
「いえ、私が勝手に作ったものですから。お気になさらず」
「後で食べるよ。置いておいてくれ」
「結構です、アンクさまには新鮮なものを食べて欲しいですから」
完全に拗ねている。
レイナは持っていた食べものをゴミ箱に直行させようとした。「ゴミはゴミ箱です」と言いながら、皿を傾けたレイナを見て、思わず魔法を発動してしまった。
「固定《フィックス》」
小さなキューブをイメージして、彼女の動きを止める。腕の部分だけに意識を集中させて、ゴミ箱行きを阻止する。
「……あ、悪い……」
と言いつつも止まった彼女の手からスープとサンドウィッチを回収する。固定を解かれたレイナは、口を尖らせて俺に抗議した。
「乱暴です」
「捨てちゃうんだろ。もったいない」
「作ったのは私です。このサンドウィッチに関するあらゆる権限は私にあります」
「材料を買ったのは俺だ」
「……へりくつです」
「……俺が悪かった。腹が減っているのは本当だよ」
そう言うと、レイナは諦めたように肩をすくめた。
相変わらず頑固だ。
ふと、彼女の手元に目を落とすと、手袋の先が赤くにじんでいることに気づいた。人差し指の方が血で濡れている。
「怪我したのか?」
「お気になさらず。ハムと間違えて自分の手を切ってしまっただけです」
「うわー、結構深く切ってるな。ちゃんと消毒した方が良い。ちょっと見せてみな」
近づいて手袋を取ろうとした俺に、さっきまで不機嫌そうな顔をしていたレイナが、ハッと息を呑んだ。
「だめっ……!!」
レイナは聞いたことない甲高い声を出した。感情をあらわにした必死の叫びで、彼女は拒絶した。
だが、すでに何もかもが遅かった。
すでに彼女の手袋は外されて、レイナの赤々とした血が俺の手のひらに流れていってしまった。
—————ブツッ。
レイナの赤い血と俺の手が触れた瞬間に視界がブラックアウトした。
「え?」
……何も、
何も見えない。
家は、レイナは、どこに?
どこにいったんだ?
混乱した頭の中をビリビリと強い電流が走る。
記憶にない景色が俺の脳裏をスライドショーのように駆け抜けていく。次から次へと移り変わるスライドが物語を見せ始める。
色のない街、顔のない人々、平坦な声。
スライドが次から次へと展開されていく。ストーリーはどんどんスピードを早めていく。
知らない光景。見たことのない土地。
それから、返り血を浴びて真っ赤になった人間。
なんだ、
これはなんだ。
もう一度頭の中で電流が走る。スライドが焼き切れる。フィルムを失った映写機のようにカラカラと乾いた音が頭の中で鳴る。
「う……」
再び目を覚ました時、俺は床に倒れていた。
目の前にはレイナが自分の手を押さえてペタンと座り込んでいた。その顔はびっしょりと汗をかいて、綺麗な白い髪が突風に当てられたかのようにボサボサになっていた。
レイナは荒く息を吐き、怯えるような表情で俺を見ていた。瞳を小刻みに揺れ動かし、顔も血の気が引いて真っ青だった。
「今のは、何だ」
問いかけると、彼女は激しく首を横に振った。
レイナはなんども息を吐いて、深呼吸を試みていた。俺から離れるように指を隠して、「分かりません」と言って少しだけレイナは後ずさった。
「レイナも見たのか?」
「いえ、何も。アンクさまが突然叫んだので驚いてしまいました」
「叫んだ?」
「はい、何かを怖がるように、突然」
途切れ途切れの言葉でレイナは説明する。俺が意識を飛ばされていたのは、1分ほど。指の血に触れると、突然頭を抱えて苦しそうに叫んでいたらしい。
見ると、持っていたスープとサンドウィッチの皿が床に落ちてしまっていた。スープは無残に溢れてしまって、割れた皿の上でサンドウィッチがひしゃげてしまっていた。
「悪い……」
レイナがせっかく作ってくれた料理を台無しにしてしまった。
彼女の指からはポタポタと血が垂れていた。床にこぼれたスープと混じり合って、薄紅色の水たまりになっていた。
「それ、手当てしたほうが良い」
「触らないで!!」
近づいてきた俺から逃れるように、レイナは距離を取った。拒絶するように、恐れるように。昨日よりもさらに遠くへ、何かに怖がっているかの様にレイナは後ずさった。
「触らないで……ください」
俺から顔を背けてレイナは呟いた。彼女はもう俺の方を見ようとしなかった。救急箱から包帯を取り出すと、雑に自分の指に巻いて手袋をはめた。ダマになった包帯の束が彼女の手袋の中で膨らんでいる。
「これで十分です。片付けるので退いてもらえますか?」
レイナは顔を伏せたまま、モップを取りに掃除用具入れの方へ歩いて行った。
俺は床に座り込んで、落ちたサンドウィッチを1つ取った。形は崩れてしまっていたが、まだ食べられそうだ。焼いたハムとチーズとレタスを口に含む。香辛料の風味が口の中に広がる。
「おいしい」
「……そんなものを食べないでください」
モップを持ったレイナが疲れ切ったような顔で俺を見下ろしていた。
割れた皿を拾いながらサンドウィッチを回収していく俺を見て、レイナは大きくため息をついた。
「また、作りますから。アンクさまが怪我をしてしまっては大変です」
「これだけ食べさせてくれ」
「はぁ……」
割れた皿とこぼれたスープの具材を拾い集めて、紙袋に包んで捨てる。落ちたサンドウィッチは全て回収した。
「少し休む。なんか頭痛がする」
「その方がよろしいかと。あとで頭痛薬を持って上がります。それと……」
皿を持って部屋に戻ろうとする俺に、レイナはモップを水につけながら声をかけた。
「気を使わないでください、私はあなたのメイドなのですから」
「そんなこと言うなって……」
「私は、ただの使用人ですから」
吐き捨てるように言うと、レイナはせっせと床のモップがけを再開した。ゴシゴシと床の汚れを拭いていく彼女の背中からは、どことなく寂しそうでもあった。
何と声をかけて良いのか分からず、俺は階段を上がった。濡れた服を脱いで、レイナが作ったサンドウィッチを食べる。
「……うまいな」
口をもぐもぐと動かしながらベッドに横たわり、俺はさっき見えた見知らぬ光景を思い出していた。
あれは一体何だったのだろう?
真っ赤な血を浴びた人間の映像は、俺の記憶の中で消えずにいつまでも残っていた。
0
お気に入りに追加
369
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
【書籍化】パーティー追放から始まる収納無双!~姪っ子パーティといく最強ハーレム成り上がり~
くーねるでぶる(戒め)
ファンタジー
【24年11月5日発売】
その攻撃、収納する――――ッ!
【収納】のギフトを賜り、冒険者として活躍していたアベルは、ある日、一方的にパーティから追放されてしまう。
理由は、マジックバッグを手に入れたから。
マジックバッグの性能は、全てにおいてアベルの【収納】のギフトを上回っていたのだ。
これは、3度にも及ぶパーティ追放で、すっかり自信を見失った男の再生譚である。
男女比がおかしい世界の貴族に転生してしまった件
美鈴
ファンタジー
転生したのは男性が少ない世界!?貴族に生まれたのはいいけど、どういう風に生きていこう…?
最新章の第五章も夕方18時に更新予定です!
☆の話は苦手な人は飛ばしても問題無い様に物語を紡いでおります。
※ホットランキング1位、ファンタジーランキング3位ありがとうございます!
※カクヨム様にも投稿しております。内容が大幅に異なり改稿しております。
※各種ランキング1位を頂いた事がある作品です!
男女比1:10。男子の立場が弱い学園で美少女たちをわからせるためにヒロインと手を組んで攻略を始めてみたんだけど…チョロいんなのはどうして?
悠
ファンタジー
貞操逆転世界に転生してきた日浦大晴(ひうらたいせい)の通う学園には"独特の校風"がある。
それは——男子は女子より立場が弱い
学園で一番立場が上なのは女子5人のメンバーからなる生徒会。
拾ってくれた九空鹿波(くそらかなみ)と手を組み、まずは生徒会を攻略しようとするが……。
「既に攻略済みの女の子をさらに落とすなんて……面白いじゃない」
協力者の鹿波だけは知っている。
大晴が既に女の子を"攻略済み"だと。
勝利200%ラブコメ!?
既に攻略済みの美少女を本気で''分からせ"たら……さて、どうなるんでしょうねぇ?
欲張ってチートスキル貰いすぎたらステータスを全部0にされてしまったので最弱から最強&ハーレム目指します
ゆさま
ファンタジー
チートスキルを授けてくれる女神様が出てくるまで最短最速です。(多分) HP1 全ステータス0から這い上がる! 可愛い女の子の挿絵多めです!!
カクヨムにて公開したものを手直しして投稿しています。
勇者一行から追放された二刀流使い~仲間から捜索願いを出されるが、もう遅い!~新たな仲間と共に魔王を討伐ス
R666
ファンタジー
アマチュアニートの【二龍隆史】こと36歳のおっさんは、ある日を境に実の両親達の手によって包丁で腹部を何度も刺されて地獄のような痛みを味わい死亡。
そして彼の魂はそのまま天界へ向かう筈であったが女神を自称する危ない女に呼び止められると、ギフトと呼ばれる最強の特典を一つだけ選んで、異世界で勇者達が魔王を討伐できるように手助けをして欲しいと頼み込まれた。
最初こそ余り乗り気ではない隆史ではあったが第二の人生を始めるのも悪くないとして、ギフトを一つ選び女神に言われた通りに勇者一行の手助けをするべく異世界へと乗り込む。
そして異世界にて真面目に勇者達の手助けをしていたらチキン野郎の役立たずという烙印を押されてしまい隆史は勇者一行から追放されてしまう。
※これは勇者一行から追放された最凶の二刀流使いの隆史が新たな仲間を自ら探して、自分達が新たな勇者一行となり魔王を討伐するまでの物語である※
スライムすら倒せない底辺冒険者の俺、レベルアップしてハーレムを築く(予定)〜ユニークスキル[レベルアップ]を手に入れた俺は最弱魔法で無双する
カツラノエース
ファンタジー
ろくでもない人生を送っていた俺、海乃 哲也は、
23歳にして交通事故で死に、異世界転生をする。
急に異世界に飛ばされた俺、もちろん金は無い。何とか超初級クエストで金を集め武器を買ったが、俺に戦いの才能は無かったらしく、スライムすら倒せずに返り討ちにあってしまう。
完全に戦うということを諦めた俺は危険の無い薬草集めで、何とか金を稼ぎ、ひもじい思いをしながらも生き繋いでいた。
そんな日々を過ごしていると、突然ユニークスキル[レベルアップ]とやらを獲得する。
最初はこの胡散臭過ぎるユニークスキルを疑ったが、薬草集めでレベルが2に上がった俺は、好奇心に負け、ダメ元で再びスライムと戦う。
すると、前までは歯が立たなかったスライムをすんなり倒せてしまう。
どうやら本当にレベルアップしている模様。
「ちょっと待てよ?これなら最強になれるんじゃね?」
最弱魔法しか使う事の出来ない底辺冒険者である俺が、レベルアップで高みを目指す物語。
他サイトにも掲載しています。
男女比の狂った世界で愛を振りまく
キョウキョウ
恋愛
男女比が1:10という、男性の数が少ない世界に転生した主人公の七沢直人(ななさわなおと)。
その世界の男性は無気力な人が多くて、異性その恋愛にも消極的。逆に、女性たちは恋愛に飢え続けていた。どうにかして男性と仲良くなりたい。イチャイチャしたい。
直人は他の男性たちと違って、欲求を強く感じていた。女性とイチャイチャしたいし、楽しく過ごしたい。
生まれた瞬間から愛され続けてきた七沢直人は、その愛を周りの女性に返そうと思った。
デートしたり、手料理を振る舞ったり、一緒に趣味を楽しんだりする。その他にも、色々と。
本作品は、男女比の異なる世界の女性たちと積極的に触れ合っていく様子を描く物語です。
※カクヨムにも掲載中の作品です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる