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56時限目 クラスナッツ
しおりを挟むその日の夜。
宿直室で自分の傷の手当てをしているダンテのところに、フジバナがやってきた。コンコンとノックをすると、ドアの隙間から顔を覗かせて言った。
「隊長、よろしいでしょうか」
「フジバナか。どうした、まだ帰っていなかったのか」
「はい、今日は旧校舎に泊まろうと思いまして。女子部屋に寝袋置かせてもらっているんです」
「すっかり仲良くなったな」
そう言ってダンテは中に入るように促した。フジバナはぺこりと会釈して、ダンテのそばに座った。
「あいつらの様子はどうだ?」
「問題ありません。ミミが作った軟膏が効いているみたいです。傷が完全に塞がるまでには時間がかかりますが、みんな元気そうでした」
「良かった」
「隊長、包帯巻くの手伝いましょうか」
「おう、助かる」
フジバナはダンテの背中に回って、傷口を包帯で塞ぎ始めた。鍛え上げられた上半身は、ゴツゴツと硬く古傷だらけだった。背中の裂傷を包帯で器用に塞ぎながら、フジバナは言った。
「隊長、一つ確認したいことがあるのですが」
「なんだ」
「模造人形のことです。どうして、傷んだ髪の毛を送ってこられたのですか?」
その言葉にダンテの肩がぴくりと反応するのを、フジバナが見逃すはずがなかった。
「なんのことだ」
「しらばっくれても無駄です。私の作った模造人形が遠目で誰かに見破られるはずがありません。隊長はわざと傷んだ髪の毛を混入させて、模造人形に不具合がかかるようにしたのではないのですか」
「わざとじゃないよ。間違えて入っていたのかもしれない」
「エーリヒ殿を仕向けるためですか?」
フジバナは「これは推測に過ぎないのですが」と付け加えて言った。
「そうなると全てが納得がいくのです。あの対抗戦の観戦席で、そのような微差に気が付けるのはエーリヒ殿しかいません。当然のごとく疑いの目は私に向けられます。そして私が隊長の居場所を教える」
「……で、エーリヒが助けに駆けつけてくるというシナリオか」
「バーンズ卿を説得することまで見込んでいた。あの人の性格上、そうすることが隊長には分かっていた」
包帯を巻き終わり、結びをしめてフジバナは合図した。
「終わりました」
「サンキュー」
調子を確かめるように、肩をぐるぐると回して、ダンテはシャツに着替えた。腰に手を当てると、正座したフジバナから視線をそらしながらダンテは口を開いた。
「俺がそこまで考えられると思うか。神じゃないんだ。人の動きまで操れない」
「人の動きを想定することはできます。隊長が作戦を立てると時に良くおっしゃっていた言葉です」
「……やれやれ敵わないな」
ダンテは困ったように肩をすくめると、改めてフジバナに向き直った。
「今回の作戦は賭けの連続だ。今回のリリアがバーンズに勝てるか。マキネスが出し惜しみせず魔導を出せるか。ミミが自制心を保てるか。シオンが追っ手をまけるか。イムドレッドがアカデミアに戻るという選択をするか。失敗すれば全てが総崩れになる作戦だった」
「結果、全てが上手くいった。隊長は賭けに勝ったということですね」
「全部、あいつらの実力のおかげだ。俺は何もしていない」
感慨深げに言って表情を緩めると、ちらりと視線を動かして、宿直室のドアに向かって呼びかけた。
「……というわけで、ドアの前でこそこそしないで入ってこい」
唐突に呼びかけられて、ドアの外がわちゃわちゃと騒がしくなった。一通りもめ終わったあと、ドアが開いてリリア、シオン、マキネス、イムドレッド、ミミ、全員の顔が覗いた。
「こ、こんばんは」
「こんばんはじゃない。盗み聞きは良くないぞ」
「マキネスが見に行こうっていったニャ」
「……大人の時間かと思って」
「やめてくれよ……」
「みなさん、傷は大丈夫ですか」
フジバナが問いかけると、全員が問題ないという風に頷いた。シオンが肩口の包帯を見せてにっこりと笑った。
「ちょっと寝たら治りました」
「若いな」
「若さですね」
「ねぇねぇ、今から祝勝会しようと思うんだけど、先生たちもやろうよ」
宿直室に上がり込んだリリアは、ふんふんと鼻息を荒げて二人の手を引っ張った。
「イムドレッドが燻製肉を隠していてね。みんなで切り分けて食べようって話をしていたんだ」
「燻製肉?」
「床下に隠しておいたやつが、シオンたちに見つかったんだ」
イムドレッドは「あとで回収しようと思っていたのに」と悔しそうに漏らした。
「熟成した高級肉だ。絶対うまいはずだ」
「良いな、それ」
「味の分からない小娘に食い尽くされるくらいなら、先生たちにも食べてもらいたい」
「ちょっと小娘って何よ。同い年でしょ。むしろ誕生日換算で言ったら、イムドレッドの方が年下じゃんかー」
ぽかぽかと叩くリリアの拳を、しかめっ面で受けながらイムドレッドは言葉を続けた。
「……それと改めてお礼を言いたい。俺をここまで連れ戻してくれたことに。正直言って、もう戻ってこれないと思っていた」
「大人の怖さを思い知ったか?」
「あぁ。……でも、次は負けない」
イムドレッドは強く意思のある視線をダンテに向けていた。
「もっともっと強くなりたい。道具じゃなくて、イムドレッド・ブラッドとして俺は強くなりたい」
「それがお前の選択か」
「うん。無様な姿は今日で最後だ」
大きく頷いたイムドレッドに、ダンテは嬉しそうに笑って手を伸ばして言った。
「了解した。教師として、導くところまで導こう」
「よろしく頼む」
「改めて、ようこそ。クラスナッツへ」
力強く言ったイムドレッドを見て、ダンテは安心した。出会った時の荒んだ様子とは違う、地に足がついた人間の顔つきになっている。成長が楽しみです、と言ったアイリッシュ卿の言葉をふっと思い出していた。彼らが成長する姿を見られることは、ひょっとして幸運なのではないかとすら思えてきた。
握手する二人の間に入って、リリアが頬を膨らませて言った。
「ねぇねぇ、早くお肉食べようよ」
「空気の読めない女だな……」
悪態をついたイムドレッドは手を離して、苦々しげに顔をしかめた。おかしそうに笑いながら、ダンテは箱に詰めていた食料を手に持った。
「よし、対抗戦も終わったし、明日一日は丸っと休講にしてやる」
「本当!? やったー!」
「やったニャ!」
「その代わり、明後日からは今までの二倍授業をやるからな。定期テストで点が取れなかったら元子もないからな」
「え?」
「朝から晩まで机にかじりついてもらう」
「ひえぇ……」
「……先生、鬼」
「バカ言うんじゃない。授業の遅れの方が問題だ。今日が最後の晩餐だと思え」
がくがくと足を震わせる生徒たちを先に行かせて、ダンテは立ち上がり、正座したフジバナを手招きした。
「フジバナも行こう。アイリッシュ卿から頂いたワインがある。一緒に飲もう」
「良いのですか? 大事にとっておいたものでは」
「もちろん。お礼にもならんが、ほんの気持ちだ。遠慮しないでくれ」
「……はい、では喜んで」
幸福そうに微笑んで、フジバナは立ち上がり、生徒たちの待つ部屋へと歩いて行った。
一杯で目玉が飛ぶような価格のするワインと、イムドレッドが隠していた燻製肉を囲みながら、旧校舎の夜は更けていった。楽しげな笑い声が、校舎の外まで響き、やがて朝日が昇ってきた。差し込む朝日は幸福そうな寝顔を照らした。
ソード・アカデミア、クラスナッツの新学期はまだ始まったばかりで、これからいくつもの苦難を迎えることになるが、それはまだ少し先の話だった。
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