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34、だから銀だこはやめろと言ったのに

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「福男、大丈夫か?」

 舞台袖で倒れた福男の身体をゆする。福男は気持ち悪そうに、口を押さえた。

「うーむ、やはり本番前に、おろしポン酢ネギだこを20パック食べたのがよくなかったでござるか」

「それだ、それだ」

「……く、苦しい」

「猪苗代、水持っていないか」

「う、うん」

 猪苗代から渡されたペットボトルの水を、ゴクゴクと飲み干した福男だったが、顔色はいまだに良くない。

「この分だと無理だな」

「すまぬでござる」

「来栖が謝ることじゃないよ。誰だって体調が悪い時はあるし」

「しかし、舞台が……」 

 福男の言葉に、舞台袖にいる俺たちに気まずい沈黙が流れる。

 代役を用意しているわけではない。主人公である野獣のセリフを理解しているのは、福男しかいないからだ。

 舞台は一旦、中止するしかない。頭にそんな考えがよぎった時、福男が俺の腕を掴んだ。

「テツ殿」

「どうした、トイレか」

「拙者の代わりに舞台に立ってくれぬか」

 福男はいたような口調で言った。

「テツ殿が野獣をやるでござる」

 福男が発した言葉は、予想外のものだった。

 俺が福男の代わりに、舞台に立つ? 
 それはつまり……春姫の前に立つと言うことだ。俺があのクライマックスを演じる事になる。

 いや、無理だ。

「できるわけないだろ。何言ってるんだ」

「いえ、テツ殿は、姫のセリフも、拙者のセリフも全て頭に入っているでははないか……」

「それは……そうだが」

 福男の練習に付き合って、確かに俺の頭の中は、みっちり『美女と野獣』のセリフで埋め尽くされている。

「俺には無理だ」

 問題はそこじゃない。

 今、春姫と向き合える自信がない。たとえ、舞台の上だったとしても、平静でいられるとは思えなかった。

 彼女と向き合った時に、あふれてくるであろう感情が怖かった。

「できない」

「大丈夫でござる」

「何を根拠に……」

「姫が舞台で待っているでござる。きっとなんとかしてくれるでござるよ」

 舞台上に視線を送ると、物語はクライマックスに入ったにも関わらず、一向に進行できていなかった。暗転した舞台の上に、主役が現れていないからだ。

「『あの人は? あの人はどこに行ったのでしょうか?』」

 春姫が一人アドリブで、芝居を続けている。

 行くなら、今。
 そうでないと舞台は中止だ。それでも脚は動いてくれなかった。

「……佐良」

 猪苗代が俺の名前を呼ぶ。

「春っちのために、さ」

 その言葉に目を閉じる。
 
 ……ダメだ。このままだと取り返しがつかないくらい後悔しそうだ。

「幼なじみなんでしょ」

 もう一度、舞台を見る。沈黙はあまりに長く、観衆の目の中で、春姫は頼りなげに立っていた。

「……そうだな」

 もうごちゃごちゃと考えるのはやめよう。
 目の前で幼なじみが困っている。助けられるのは俺しかいない。

 理由はそれだけで、もう十分だ。

「分かった、やるよ」

 春姫が大切な存在なことだけは、確かなんだから。
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