クラシオン

黒蝶

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話さない理由

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それから数日、町に出たりもした。
材料が足りなかったからというのと、少し気分転換をしたいというのがあったからだ。
月光降り注ぐ夜、カフェの前で大きく伸びをする。
「...いい買い物ができた」
ぼんやりとそんな言葉を呟くと、踞っている少女が目に入った。
本当はもう少しハーブの様子を見てから戻ろうと思っていたが、もし具合が悪いようなら放っておくわけにはいかない。
「あの、大丈夫ですか?」
振り返った彼女の目には、大粒の涙が溢れんばかりにたまっている。
本来なら店を閉めている時間だが、このまま放置しておくわけにもいかない。
「お客様、こちらへどうぞ」
彼女は一言も話さない。
ただ、戸惑っているのは目に見えて分かる。
誰もいないと思っていたら家主が帰ってきてしまった、というところだろうか。
『相手が言葉を話さないときは、何か事情かあるはずだ。
たとえば、外国に住んでいる人や長年暴力をふるわれて育った人。そして...』
言葉の数々を思い出しながら、そっと手をのばしてみる。
その女性は華奢な手でおずおずと握ってきた。
「こちらにおかけになってお待ちください」
一礼する姿は何よりも美しく、今自分がどんな表情を向けているのか全く分からない。
「おまたせいたしました。簡単なもので申し訳ないのですが、どうぞお召しあがりください」
明日の朝食にする予定だった焼き鮭をほぐし、白ご飯に散らして出汁をかける。
こんな賄い程度のものしか出せないのは申し訳ないが、今日買ったのは卵やベーコンといったものからパスタや米粉といった作るだけで時間がかかってしまうものばかりなのだ。
「如何でしょうか?食べられそうですか?」
彼女は大きく首を縦にふり、両手をあわせる。
一口、また一口と噛みしめながら食す姿は美しい。
「...お気に召していただけたようで何よりです」
言葉が通じているということは、海外からのお客様という可能性は低い。
ただ、表情がころころ変わっても一言も声を発さないのが気にかかる。
よく観察していると、彼女の服の袖から切り傷があるのを確認した。
「お客様、それを食べ終わったらデザートもお持ちしますね」
彼女はまた笑顔で一礼するが、その裏にはどんな思いが隠されているのだろう。
ただ、暴力が原因なら人とコミュニケーションをとるのにもっと抵抗を持ちそうだ。
怪我をしているのは事実だが、本当にそれだけだろうか。
だから、もうひとつの可能性を探ってみることにした。
「お客様、食後のデザートにケーキをお出ししますが、飲み物は珈琲と紅茶どちらにしましょうか?」
彼女は瞳を揺らしたの後、さらさらと何かを書きはじめる。
そしてその紙を遠慮がちに手渡してくれた。
《アイスティーってできますか?》
やはり彼女は、海外育ちでも暴力が原因でもない...。
言葉を発しなかったのではなく、そもそも声を出す行為そのものができないのだ。
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