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番外編/ダルさんとシルヴィアンさんとロータス
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「お前みたいな役立たずは、そうはいない。」
自分はずっと、そう言われ続けてきた。
「はい、自分は役立たずです。
ごめんなさい、ご主人さま。」
物心ついた頃から奴隷だった自分は、いつも頭を地面に擦りつけていた。
幸い、命を脅かす程の扱いを受けた事は無かったが、いつも殴られ、叩かれ、罵倒されて生きてきた。
自分は見た目も良くないし、与えられた仕事は失敗ばかりするし…。
暴力をふるわれても反応がにぶくて「面白くも何ともない。」らしい。
だからご主人さまは、自分をすぐいらなくなる。
だからまた、安く売りに出される。
自分は何度も何度も奴隷商と新しいご主人さまとの間を行ったり来たりしている。
「お前は、よく殺されもせずに売りに出されるよな。」
奴隷商の親方が呆れ顔で言う。
「殺す価値もない位、面白くない奴だと言われました。」
奴隷商の親方は、納得したような顔をした。
「今度の主は、お前を殺してくれるかもな!
もう、テメエの新しい主人を探すのも面倒くせぇんだよ。
いっそ、殺されてくれ。」
自分の新しいご主人さまが決まったようだ。
自分は首と両手に鎖をつけられて、馬車に乗せられた。
馬車は町から離れて山のふもとの方に行く。
馬車が停まったのは民家も何も無い山のふもとにポツンと建った古い石造りの塔の前。
「旦那ぁ、お待ちかねの奴隷ですぜ!」
奴隷商の親方が、塔の扉をガンガン叩く。
「やかましい!静かにしやがれ!」
2メートルを越える扉が開くと、中から身を屈めながら大きな男が出て来た。
「こりゃまた、豆みてぇな小さい奴隷だな!」
出て来た男は身の丈が3メートル程あり、褐色の肌にザンバラな長い白髪、よく見たら髪の色が途中から黒い。
元々は黒髪だったようだ。
シワが刻まれた精悍な顔付きに顎髭を生やし、老人であるのだろうがその姿は若々しく逞しい。
「旦那、研究の助手に奴隷が欲しいと言ってやしたでしょ?
コイツは安いし、丈夫なんでお買い得ですぜ!
おら、挨拶しろ!」
奴隷商の親方が、自分の足を蹴った。
はずみで地面に膝をついた自分は、そのまま頭を地面に擦りつける。
「新しいご主人さま、自分は……奴隷です。
よろしくお願いいたします。」
自分には名前が無いので、名乗る事は出来ない。
「お前…ワシの前でナニしてやがる…?
ワシの物になる奴隷を足蹴にしやがったな?」
「そっ…!そんなつもりは…!す、すいやせん」
奴隷商の親方は真っ青になって、新しいご主人さまにペコペコ頭を下げている。
熊みたいに大きな大きなご主人さまは、怒らせたら怖そうだ…。
こんな大きな身体で、自分を殴ったり叩いたりしたら、自分は今度こそ死んでしまうかも知れない。
それも仕方ない事なのだろう。
新しいご主人さまは奴隷商の親方に金を渡し、金を受け取った親方は逃げるように帰って行った。
塔の中に案内された自分は、ところ狭しと置かれた本やガラスの瓶に囲まれていた。
ご主人さまは、何の為に自分を買ったのだろう。
イライラした時に叩いたり殴ったりするためなのかな…。
だって、研究の助手なんて自分に出来るワケが無い。
「お前、さっき自分の事を奴隷だって言ったな?
名前無いのか?」
低く太い、怖い声。その声が高い場所から自分に注がれる。
「あ、ありません…自分は、ただの奴隷です…。」
怖い、と思ってしまった自分は、一歩後退る。
後退った足がぶつかり積み上げられた本の一部が崩れ、側にあった瓶が割れた。
「ああ、あ、ああ…!すみません、すみません!」
慌てて割れたガラスに手をのばす。ガラスで皮膚が切れ、血が滲む。
「馬鹿野郎!何してやがる!」
「ああ!すぐ、すぐ、片付けます!片付けますから…!」
怖い!怒らせた!殴られる!
「怪我してやがるじゃねぇか!
割れたガラスなんか素手で触るんじゃねぇよ!」
ご主人さまは、血だらけになった自分の手を優しく掴み、長いザンバラ髪を縛っていた布をほどくと、自分の手に巻いてくれた。
「そいでお前……むー…名前が無いっつーのは不便だな…
よし、お前の名は今日からロータスな?
ワシの好きな蓮の花の名前だ!
食ってもウマイ!レンコンは!」
「ロータス…」
生まれて初めて、自分は名前を貰った。優しくされた。
手に巻かれたご主人さまの布が赤く染まっていくのが、なぜこんなに嬉しく感じてしまうのか…。
自分には分からないのだけれど、目から溢れる水が止まらない。
「ワシの名前は、ダルゼリア。
呼びにくかったらダルでいいぞ?」
「ごっ…ご主人っ…ご主人さまを、お名前で呼んだり…で、出来ませんっ…」
目から水が出るのが止まらない自分は、しゃっくりが止まらなくなり、ヒクッヒクッと喉を鳴らしながら言った。
「じゃあ、ダルさんでいいわ。こりゃ、命令だぞ?」
「はい…命令ならば…従います…ダルさん…」
ダルさんの大きな手が自分の頭に乗っかり、ワシャワシャと撫で回す。
今まで叩かれた事しか無かった頭を撫で回され、あまりの気持ち良さにまた目から水が出る。
「そんなに泣くな、涙が出過ぎて干からびちまうぞ?
若いモンがジジイのワシより先に干からびたらイカンだろ?」
これが、泣くという事なんだ…目から出る水が涙…。
ダルさんは、自分の手のキズの手当てをしてくれた。
それから塔の内部を案内してくれて、三階にある部屋を自分にくれた。
部屋にはシーツのかかったベッドがあり、それが自分のベッドだと言われた。
「自分は、床で寝ます!ベッドはご主人…
ダルさんが使って下さい!」
「いや、ワシの身体が乗るワケが無いだろう?
ベッドが潰れちまうわ!
だからそれは、ロータスのベッドだな!」
ダルさんは楽しそうに笑う。
ダルさんの笑顔を見て嬉しくなった自分は、つられて笑ってしまった。
叱られるかと思ったら、ダルさんはもっと笑って
「ロータス、これからは自分の事を自分って呼ぶな。
オレかボクにしとけ!これも命令な!」
とんでもない命令を出した。
ダルさんに向かって、オレなんて、言えるワケが無い。
「自分っ…ぼ、ボクは…これから、ボクと言います…」
「はっはっは!よしよし!偉いぞロータス!
頑張ったご褒美だ、晩飯はワシが自慢のレンコン料理を振る舞おう!」
神様…これは、夢ではないのですか?
自分…ボクは、奴隷なのに…
こんな優しい人に優しくされて良いのですか?
夢なら覚めないで欲しいです…。
その日、ボクは生まれて初めてテーブルに乗った温かい料理を椅子に座って食べた。
並んでるナイフやフォークの使い方が分からなくて食べないでいたら、ダルさんが隣に座ってボクの手を包むように握りながら、教えてくれた。
大きな大きな暖かい手だった。
初めてベッドで寝た次の日の朝、ダルさんは塔の一階で研究らしき事を始めた。
「ワシは遠い国の出身でな、詳しくは言えんのだがちょっとした秘密を持っていてな。」
ダルさんは本を片手に、何か怪しい薬を作りながらボクに話し掛けてくる。
「その秘密を知られた時の事を考えたら、助手を募集したいと思ったのだが、人を雇うってのが中々出来なくてな…
それで、絶対に裏切らない誓約魔法を掛けられる奴隷を買う事にしたんだ。」
ボクはまだ、誓約魔法を掛けられていない。
ダルさん忘れてる…?
「ワシは、ロータスを信じる事にしたから誓約魔法は使わん。」
奴隷のボクを信じる…?
ダルさんの手にあった、怪しい薬が出来上がったようだ。
「ほれ、ロータス手を出してみろ。キズ薬が完成したから。」
「えっ…ダルさん、研究は…そんな、ボクの為に…研究…」
言葉を上手く紡げない。
ボクなんかの為に貴重な時間を割いてくれた事を、どう聞いたら良いか分からない。
「ワシがしたくてやったんだ、気にすんな!ジジイの遊びだ」
ボクの手を取り、じっと見つめる。
ボクの手は汚い。
生傷も、治りかけのキズも、青いアザもたくさんある。
爪や指の形もおかしい。
折れた骨が変な形のまま治ったせいらしい。
ダルさんは汚い物を見るような目はしなかった。
悲しそうに、ボクの両手を掴んで
「よく頑張ったな…もう、痛い目にはあわない。
ワシがロータスを守ってやるから。」
ボクの額にダルさんが額を合わせる。
大きな身体を小さく丸め、ボクに合わせたダルさんの目線は、綺麗な金色の瞳だった。
「ロータスは、自分の年齢も分からないのか?
…見た感じだと13歳程なんだが…
多分、15歳辺りなんだろうな…
骨格が小さい、栄養が足りなかったんだな。」
ダルさんは、ボクの汚れた身体を洗いながら身体の確認をしていく。
治せるキズがあれば、治してやりたいと言ってくれた。
こびりついたホコリや垢でボサボサになった髪を洗って切って整えてくれた。
「おいおい、こりゃどこの王子様だ?
はっはっは!まさしくロータスだな!」
ボクの髪は柔らかいピンク色の髪だった。
瞳は鮮やかなライトグリーンで、ボク自身忘れていたボクの姿を鏡で見せて貰った。
「…ダルさんは…好きですか?こんな…ボク」
「あ?キライな理由がないだろが、好きだぞ?」
胸の奥が、ギュンと熱くなる。
ボク…ダルさんが好き…。
ダルさんと一緒に暮らすようになって一月経った頃の朝。
起きたボクが一階に降りると、いつも朝ごはんを作っているダルさんが居なかった。
かわりに、モノクルを着けた細身の綺麗なおばあさんが朝ごはんを作っている。
おばあさんは綺麗な白髪の長い髪を緩くまとめ、若くないハズなのに若い女性と変わらない位に張りのある身体をしている。
なんて、綺麗な人なんだろう……あ……そうか……。
ダルさんの奥さんなんだ……
ダルさんも若々しくて、たくましくて…お似合いだもの。
胸が…痛い…。
「いい所に来た!ロータス!いつものアレ取ってくれ!」
おばあさんの言った言葉に驚く。
ダルさんがいつも言うのと同じ言葉を言った。
ボクが目を丸くして、返事も動く事も出来ないでいるのを見たおばあさんは、ペチンと自分の額を叩いた。
「ありゃ……?あたし、やっちまったね…」
おばあさんは、困った顔をして前髪をかきあげてから、笑い出した。
「悪いね!ロータス!
あたしはシルヴィアン、ダルゼリアはあたしだよ!」
意味が分からなかったボクの目の前で、シルヴィアンさんはダルさんの姿に変わった。
「すまんな、これがワシの秘密ってやつでな、知られるワケにはいかんのだ」
それからダルさんは再びシルヴィアンさんになり、「彼の国」という遠い国の出身だと教えてくれた。
「あたしは王女でね、次期女王だと言われてたんだ。
だけど、あたしは魔法使いに憧れてねぇ。
魔法使いになるために家出したのさ。」
「お、王女様…なのですか…」
「あー、気にしないでおくれよロータス!
王位は弟に押し付けたし、今は甥っこ…の娘が女王やってるハズさ。」
シルヴィアンさんは楽しそうに話す。
話していたら分かった。
この人とダルさんが、見た目はまったく違うのに、まったく同じ人なのだと。
優しくて、暖かい。そしてボクを包み込むような…。
「女一人だと、ナニかと物騒でね…
だからあたしはダルゼリアになっているのさ。
だけど、たまにあたしに戻らないと、身体がなまっちゃう気がすんのさ。」
シルヴィアンさんは再び朝ごはんの用意を始めた。
「面白いもんでね、ダルゼリアとあたしは同じなのに、微妙に違う所があったりすんのさ。
料理もそのひとつでね。」
シルヴィアンさんは、テーブルに焼きたてのアップルパイという料理を置いた。
「菓子なんて、ダルゼリアの時には作る気も起きないんだけどねぇ、あたしはコレを作るのが好きなのさ。」
初めて見る料理…甘い甘い匂いがする。
ボクは、じいっとアップルパイを見る。
「初めて見るのかい?ほら、座りな。
食べてご覧よ。」
シルヴィアンさんはテーブルの上に、切り分けてお皿に載せられたアップルパイを置いた。
恐る恐るアップルパイを口に運ぶ。
甘い!甘い!甘くて、熱くて、美味しい!
夢中になって食べていたら、お皿はすぐ、空になった。
もっと…食べたい。
でも、そんな事…言えない…。
ボクの表情に気付いたシルヴィアンさんが、大きめに切り分けたアップルパイをボクのお皿に置いた。
「欲しい時には、欲しいって言いなよ。
駄目な時は駄目って言うから、言う前から諦めるんじゃないよ。」
モノクルの奥で細められた優しい目は、綺麗なスミレ色をしていた。
ボクは、シルヴィアンさんにも会いたいと思って、アップルパイを食べたいから、もっと会いたいと言ったら、週に一回会えるようになった。
「そんなにお菓子が好きなら、あたし、張り切っちゃうよ!」
と、色んなお菓子を作ってくれる。
会いたいからお菓子を口実にしたのに、お菓子目当てだと思われてるみたい…。
ダルさんは、口下手であまり喋らないけど、いつもボクの身体を心配してくれている。
優しく優しく包み込むような雰囲気で。
シルヴィアンさんは、お話が好きでボクに色んな話しをしてくれる。
ボクの知らなかった国の話しや、戦争の話し。
楽しい話しもするけど、つらい話しもする。
「ロータス、あんたは賢いよ。
あたしが話した事を覚えていて、自分でも考えている。
奴隷の時は、考える事を禁止されていたんだろう?
でもねロータス、考えるってのは素晴らしい事なんだよ。」
僕が、この塔に奴隷として売られてから一年が過ぎた。
僕はダルさんの治療によって、栄養不足だったり暴力により歪んだりした骨が矯正され、年相応に近い姿になっていた。
身長はシルヴィアンさんを追い越した。
「こいつは驚いたな、ロータスお前…17、18歳位だよな?」
「僕は…いつ、どこで生まれたのか覚えてないので正確な歳は…分からないのですが…」
「いやぁ、逞しくなったもんだ!
シルヴィアンがもっと若かったら、惚れていたかもな!」
えっ……?
僕の顔が熱くなる。なんで?どうして?
シルヴィアンさんが…僕を好きに…?
じゃあ、ダルさんも僕を…?二人とも僕を…?
「どうした?ロータス。熱でもあんのか?…顔が赤いぞ?」
ダルさんは、僕の額に自分の額を合わせる。
初めて僕の手を見たあの日から、ダルさんはよく額同士を合わせる。
目の前に来る、優しい金色の瞳。
ふと、スミレ色をした美しい瞳を思い出す。
僕は…僕は…何て欲張りなんだろう…。
ダルさん、僕はあなたが…そして、シルヴィアンさんが…
二人が…欲しいのです。
「ロータス、賢いあんたに隠すのは卑怯だと思うから話すけど…あんたは戦争孤児だ。」
いつもは明るい時間にだけ現れるシルヴィアンさんが、深夜に僕の部屋を訪ねて来た。
「あたしは「彼の国」の王女で、ダルゼリアは戦士で……
あたし達はあんたが想像するより多くの人間を殺してきている。」
僕は、シルヴィアンさんが目を伏せ辛そうに話すのを、黙って聞いている。
「…あたしは人殺しさ…あたしみたいなのが居るせいで、ロータスみたいな悲しい孤児が生まれる…
あたしはそれが嫌で、戦士を続けられずに逃げ出した卑怯者なんだよ…。」
モノクルの奥のスミレ色をした瞳が、悲しそうに濡れる。
「シルヴィアンさん…シルヴィアンさんのせいじゃない…
僕は…今の自分を悲しいなんて思ってないです…
でも、つらい…」
「…つらい…?ロータス…なんで、つらい……!?」
シルヴィアンさんの手首を掴んで引き寄せ、抱き締めた。
「あなたが好きで…好き過ぎて!
つらい…どうしていいのか…分からない…
僕は…僕は、あなたが欲しいです!」
「ろっ!?ロータス!?あんた…それは違うよ
あんたのそれは、思い込みさ…
あたしみたいな老婆に、あんたみたいな若い子が惚れたりするなんて無いよ」
「僕は、名前も無く、考える事も無く、未来も無く、希望も無く…
それを全て与えてくれたあなただから…初めて優しさを与えてくれた人だから…
だから、惚れたと勘違いしてると言いたいのでしょう?」
抱き締めたシルヴィアンさんの身体を倒し、僕のベッドに縫い付ける。
ベッドの上に広がる銀糸の髪が蜘蛛の糸の様で。
そこに横たわるシルヴィアンさんは、蜘蛛の糸に捕らえられた蝶のようにキレイだ。
「勘違いでも、思い込みでも!
今、僕がシルヴィアンさんを欲しいと思う気持ちは本物だもの!
駄目って言われても諦めない!僕はあなたが欲しい!」
「お、落ち着きなよ…ロータス…
ばあさんには刺激が強すぎるわ…」
口の上手い、この人なら僕を言いくるめてしまうかも知れない。だから、もう喋らせない。
シルヴィアンさんの唇に、僕の唇を押し付ける。
彼女の唇を濡らすように、舌先で彼女の唇をなぞっていく。
シルヴィアンさんの頬に手を当て、顔を傾けて逃げないようにしてから、深く深く唇を重ねていく。
少し唇を離し、僕の身体の下でグッタリと脱力したシルヴィアンさんの身体を抱き締めると、彼女の首筋に唇を滑らせる。
「今まで貰った幸せが…すべて無くなったとしても…あなただけは…あなたとダルさんだけは…僕に下さい…」
「……誰に言ってんだい……まったく……
無くなりゃしないよ…あんたが感じた幸せも、……あたし達もさ」
僕はその日、世界一幸せな男になったんだと思う。
僕の手には、キレイなキレイな蝶が居たから。
僕だけのキレイな人。
本人は、複雑な顔をしていたけど。
翌朝、ベッドの上で横たわるシルヴィアンさんの肩に唇を落とす。
「ロータス…あんた、自分が若いんだからって年寄りに無理させるんじゃないよ…。」
シーツを身体に巻いて、僕から防御するシルヴィアンさんは、かわいい。
初めて思った…かわいい…かわいい…かわいい………。
「ちょっと!
無理させるんじゃないよって言ったばかりだよ!」
「おかわり…欲しいです…」
「なに言ってんだい!ぶっ倒れちまうよ!」
シーツごと抱き締めて、肩に、耳に、キスの雨を降らし始める。
「ダルさんも…欲しいです…」
「……え゛っ……」
この声は、ダルさん、シルヴィアンさん、どちらの声だったのだろうか……。
でも、塔での幸せは長く続かなかった…。
奴隷商の親方が、どこかの国の兵隊さん達を連れて来たのだ。
「ここに狂戦士がいるのか!」
「はい、間違いございやせん!
ここに住む、でかい男は狂戦士に違いありやせん!」
「誰にも話してないだろうな!この手柄は我が国だけのものだぞ!
「彼の国」を我が国の物にする、貴重な情報源だ」
「ええ!誰にも話してやいませ………」
話しの途中で、奴隷商の親方の首が飛んだ。
ボールのように、弾んで転がっていく。
「そうか、まだお前ら以外は知らんのだな…そいつは都合がいい。」
いつの間にか、ダルさんは大きな剣を持って塔の外に立っていた。
「人を殺すのは、やめたかったんだがなー
………ハハ、久しぶりに血が騒ぐわ………
お前ら、皆殺しだ!」
剣を振り回し、人を刻みながら躍るダルさんは血塗れになりながら嬉しそうに笑っていた。
30人位居たハズの兵隊さん達は、すぐ居なくなった。
かわりに、塔の前に挽き肉がいっぱい落ちている…。
「ロータス!こんな人殺しのワシの事も好きなのか?」
塔の三階の窓から顔を出す僕に、血塗れになったダルさんが声を掛ける。
「大好きです!今夜はダルさんを抱きたい!」
「そっそんな事、言わんでいい!」
ダルさんの顔が赤いのは、返り血のせいだけじゃないみたい。
僕達は、塔を去り旅に出た。
どこか落ち着ける場所を見つけたら、また魔法の研究を始めるだろう。
僕は、シルヴィアンさんとダルさんが居てくれるなら、どこでもいい。
あなた達を抱けるのなら、どこでも………。
「……伯母上のシルヴィアンが、結婚したそうだよ。」
父、ダイオスが手紙を読みながら言った言葉に、茶を嗜んでいた女王の私は噴き出した。
「はい!?大伯母様、いくつでしたっけ?」
「私が今、四十で…父がその二十上で…父の5つ上のはず…
65歳かな?……あ、夫は18歳だそうだよ」
「はい?……それは、結婚したと言うより養子では…?
大伯母様、独身でしたもの…。」
「……夫婦だって。手紙には、二人とも毎晩愛されてますと。」
「わざわざ、そんな報告を甥にしてくる必要あるか!?
しかも、二人って何ですか!」
「…デルフィナ……伯母上は、父より強い戦士だったよ?
二人ってのは……まぁ言い変えれば君と、オブザイアって事だよ。」
な、なんだと……!?
「なかなか強者だな、その夫とやらは。」
いつの間にか、アンドリューが父の隣に居て手紙を見ている。
「…ほう…どちらに対しても夫の立場らしい。」
「……ダルゼリアに対しても……夫…?それは…強い…」
ダルゼリアを知っているダイオスが深刻な顔をしながら頷く。
「……女王、試してみよう。
俺もオブザイア殿の妻ではなく、夫でイケるかも知れん。」
「は?え?た、試してみる!?何を!!」
デルフィナは腕を掴まれアンドリューに引き寄せられると、ヒョイと抱きかかえられる。
「こ、公務の途中で何をする気だ!」
「後継ぎを作る!これも立派な公務だろう!?
では、義父上、ごきげんよう!」
アンドリューはデルフィナを抱きあげたまま、寝室に向かって行った。
どうせまた、失敗するんだろうけど…
ダイオスは手紙の続きを読み始める。
『夫が毎晩、毎晩激し過ぎて、ダルゼリアもあたしも身が持たない。
どうすれば良いか教えてくれんか?』
………そんな事は………知らん!
ダイオスは手紙をたたんで懐に入れ、見なかった事にしようと決めたのだった。
自分はずっと、そう言われ続けてきた。
「はい、自分は役立たずです。
ごめんなさい、ご主人さま。」
物心ついた頃から奴隷だった自分は、いつも頭を地面に擦りつけていた。
幸い、命を脅かす程の扱いを受けた事は無かったが、いつも殴られ、叩かれ、罵倒されて生きてきた。
自分は見た目も良くないし、与えられた仕事は失敗ばかりするし…。
暴力をふるわれても反応がにぶくて「面白くも何ともない。」らしい。
だからご主人さまは、自分をすぐいらなくなる。
だからまた、安く売りに出される。
自分は何度も何度も奴隷商と新しいご主人さまとの間を行ったり来たりしている。
「お前は、よく殺されもせずに売りに出されるよな。」
奴隷商の親方が呆れ顔で言う。
「殺す価値もない位、面白くない奴だと言われました。」
奴隷商の親方は、納得したような顔をした。
「今度の主は、お前を殺してくれるかもな!
もう、テメエの新しい主人を探すのも面倒くせぇんだよ。
いっそ、殺されてくれ。」
自分の新しいご主人さまが決まったようだ。
自分は首と両手に鎖をつけられて、馬車に乗せられた。
馬車は町から離れて山のふもとの方に行く。
馬車が停まったのは民家も何も無い山のふもとにポツンと建った古い石造りの塔の前。
「旦那ぁ、お待ちかねの奴隷ですぜ!」
奴隷商の親方が、塔の扉をガンガン叩く。
「やかましい!静かにしやがれ!」
2メートルを越える扉が開くと、中から身を屈めながら大きな男が出て来た。
「こりゃまた、豆みてぇな小さい奴隷だな!」
出て来た男は身の丈が3メートル程あり、褐色の肌にザンバラな長い白髪、よく見たら髪の色が途中から黒い。
元々は黒髪だったようだ。
シワが刻まれた精悍な顔付きに顎髭を生やし、老人であるのだろうがその姿は若々しく逞しい。
「旦那、研究の助手に奴隷が欲しいと言ってやしたでしょ?
コイツは安いし、丈夫なんでお買い得ですぜ!
おら、挨拶しろ!」
奴隷商の親方が、自分の足を蹴った。
はずみで地面に膝をついた自分は、そのまま頭を地面に擦りつける。
「新しいご主人さま、自分は……奴隷です。
よろしくお願いいたします。」
自分には名前が無いので、名乗る事は出来ない。
「お前…ワシの前でナニしてやがる…?
ワシの物になる奴隷を足蹴にしやがったな?」
「そっ…!そんなつもりは…!す、すいやせん」
奴隷商の親方は真っ青になって、新しいご主人さまにペコペコ頭を下げている。
熊みたいに大きな大きなご主人さまは、怒らせたら怖そうだ…。
こんな大きな身体で、自分を殴ったり叩いたりしたら、自分は今度こそ死んでしまうかも知れない。
それも仕方ない事なのだろう。
新しいご主人さまは奴隷商の親方に金を渡し、金を受け取った親方は逃げるように帰って行った。
塔の中に案内された自分は、ところ狭しと置かれた本やガラスの瓶に囲まれていた。
ご主人さまは、何の為に自分を買ったのだろう。
イライラした時に叩いたり殴ったりするためなのかな…。
だって、研究の助手なんて自分に出来るワケが無い。
「お前、さっき自分の事を奴隷だって言ったな?
名前無いのか?」
低く太い、怖い声。その声が高い場所から自分に注がれる。
「あ、ありません…自分は、ただの奴隷です…。」
怖い、と思ってしまった自分は、一歩後退る。
後退った足がぶつかり積み上げられた本の一部が崩れ、側にあった瓶が割れた。
「ああ、あ、ああ…!すみません、すみません!」
慌てて割れたガラスに手をのばす。ガラスで皮膚が切れ、血が滲む。
「馬鹿野郎!何してやがる!」
「ああ!すぐ、すぐ、片付けます!片付けますから…!」
怖い!怒らせた!殴られる!
「怪我してやがるじゃねぇか!
割れたガラスなんか素手で触るんじゃねぇよ!」
ご主人さまは、血だらけになった自分の手を優しく掴み、長いザンバラ髪を縛っていた布をほどくと、自分の手に巻いてくれた。
「そいでお前……むー…名前が無いっつーのは不便だな…
よし、お前の名は今日からロータスな?
ワシの好きな蓮の花の名前だ!
食ってもウマイ!レンコンは!」
「ロータス…」
生まれて初めて、自分は名前を貰った。優しくされた。
手に巻かれたご主人さまの布が赤く染まっていくのが、なぜこんなに嬉しく感じてしまうのか…。
自分には分からないのだけれど、目から溢れる水が止まらない。
「ワシの名前は、ダルゼリア。
呼びにくかったらダルでいいぞ?」
「ごっ…ご主人っ…ご主人さまを、お名前で呼んだり…で、出来ませんっ…」
目から水が出るのが止まらない自分は、しゃっくりが止まらなくなり、ヒクッヒクッと喉を鳴らしながら言った。
「じゃあ、ダルさんでいいわ。こりゃ、命令だぞ?」
「はい…命令ならば…従います…ダルさん…」
ダルさんの大きな手が自分の頭に乗っかり、ワシャワシャと撫で回す。
今まで叩かれた事しか無かった頭を撫で回され、あまりの気持ち良さにまた目から水が出る。
「そんなに泣くな、涙が出過ぎて干からびちまうぞ?
若いモンがジジイのワシより先に干からびたらイカンだろ?」
これが、泣くという事なんだ…目から出る水が涙…。
ダルさんは、自分の手のキズの手当てをしてくれた。
それから塔の内部を案内してくれて、三階にある部屋を自分にくれた。
部屋にはシーツのかかったベッドがあり、それが自分のベッドだと言われた。
「自分は、床で寝ます!ベッドはご主人…
ダルさんが使って下さい!」
「いや、ワシの身体が乗るワケが無いだろう?
ベッドが潰れちまうわ!
だからそれは、ロータスのベッドだな!」
ダルさんは楽しそうに笑う。
ダルさんの笑顔を見て嬉しくなった自分は、つられて笑ってしまった。
叱られるかと思ったら、ダルさんはもっと笑って
「ロータス、これからは自分の事を自分って呼ぶな。
オレかボクにしとけ!これも命令な!」
とんでもない命令を出した。
ダルさんに向かって、オレなんて、言えるワケが無い。
「自分っ…ぼ、ボクは…これから、ボクと言います…」
「はっはっは!よしよし!偉いぞロータス!
頑張ったご褒美だ、晩飯はワシが自慢のレンコン料理を振る舞おう!」
神様…これは、夢ではないのですか?
自分…ボクは、奴隷なのに…
こんな優しい人に優しくされて良いのですか?
夢なら覚めないで欲しいです…。
その日、ボクは生まれて初めてテーブルに乗った温かい料理を椅子に座って食べた。
並んでるナイフやフォークの使い方が分からなくて食べないでいたら、ダルさんが隣に座ってボクの手を包むように握りながら、教えてくれた。
大きな大きな暖かい手だった。
初めてベッドで寝た次の日の朝、ダルさんは塔の一階で研究らしき事を始めた。
「ワシは遠い国の出身でな、詳しくは言えんのだがちょっとした秘密を持っていてな。」
ダルさんは本を片手に、何か怪しい薬を作りながらボクに話し掛けてくる。
「その秘密を知られた時の事を考えたら、助手を募集したいと思ったのだが、人を雇うってのが中々出来なくてな…
それで、絶対に裏切らない誓約魔法を掛けられる奴隷を買う事にしたんだ。」
ボクはまだ、誓約魔法を掛けられていない。
ダルさん忘れてる…?
「ワシは、ロータスを信じる事にしたから誓約魔法は使わん。」
奴隷のボクを信じる…?
ダルさんの手にあった、怪しい薬が出来上がったようだ。
「ほれ、ロータス手を出してみろ。キズ薬が完成したから。」
「えっ…ダルさん、研究は…そんな、ボクの為に…研究…」
言葉を上手く紡げない。
ボクなんかの為に貴重な時間を割いてくれた事を、どう聞いたら良いか分からない。
「ワシがしたくてやったんだ、気にすんな!ジジイの遊びだ」
ボクの手を取り、じっと見つめる。
ボクの手は汚い。
生傷も、治りかけのキズも、青いアザもたくさんある。
爪や指の形もおかしい。
折れた骨が変な形のまま治ったせいらしい。
ダルさんは汚い物を見るような目はしなかった。
悲しそうに、ボクの両手を掴んで
「よく頑張ったな…もう、痛い目にはあわない。
ワシがロータスを守ってやるから。」
ボクの額にダルさんが額を合わせる。
大きな身体を小さく丸め、ボクに合わせたダルさんの目線は、綺麗な金色の瞳だった。
「ロータスは、自分の年齢も分からないのか?
…見た感じだと13歳程なんだが…
多分、15歳辺りなんだろうな…
骨格が小さい、栄養が足りなかったんだな。」
ダルさんは、ボクの汚れた身体を洗いながら身体の確認をしていく。
治せるキズがあれば、治してやりたいと言ってくれた。
こびりついたホコリや垢でボサボサになった髪を洗って切って整えてくれた。
「おいおい、こりゃどこの王子様だ?
はっはっは!まさしくロータスだな!」
ボクの髪は柔らかいピンク色の髪だった。
瞳は鮮やかなライトグリーンで、ボク自身忘れていたボクの姿を鏡で見せて貰った。
「…ダルさんは…好きですか?こんな…ボク」
「あ?キライな理由がないだろが、好きだぞ?」
胸の奥が、ギュンと熱くなる。
ボク…ダルさんが好き…。
ダルさんと一緒に暮らすようになって一月経った頃の朝。
起きたボクが一階に降りると、いつも朝ごはんを作っているダルさんが居なかった。
かわりに、モノクルを着けた細身の綺麗なおばあさんが朝ごはんを作っている。
おばあさんは綺麗な白髪の長い髪を緩くまとめ、若くないハズなのに若い女性と変わらない位に張りのある身体をしている。
なんて、綺麗な人なんだろう……あ……そうか……。
ダルさんの奥さんなんだ……
ダルさんも若々しくて、たくましくて…お似合いだもの。
胸が…痛い…。
「いい所に来た!ロータス!いつものアレ取ってくれ!」
おばあさんの言った言葉に驚く。
ダルさんがいつも言うのと同じ言葉を言った。
ボクが目を丸くして、返事も動く事も出来ないでいるのを見たおばあさんは、ペチンと自分の額を叩いた。
「ありゃ……?あたし、やっちまったね…」
おばあさんは、困った顔をして前髪をかきあげてから、笑い出した。
「悪いね!ロータス!
あたしはシルヴィアン、ダルゼリアはあたしだよ!」
意味が分からなかったボクの目の前で、シルヴィアンさんはダルさんの姿に変わった。
「すまんな、これがワシの秘密ってやつでな、知られるワケにはいかんのだ」
それからダルさんは再びシルヴィアンさんになり、「彼の国」という遠い国の出身だと教えてくれた。
「あたしは王女でね、次期女王だと言われてたんだ。
だけど、あたしは魔法使いに憧れてねぇ。
魔法使いになるために家出したのさ。」
「お、王女様…なのですか…」
「あー、気にしないでおくれよロータス!
王位は弟に押し付けたし、今は甥っこ…の娘が女王やってるハズさ。」
シルヴィアンさんは楽しそうに話す。
話していたら分かった。
この人とダルさんが、見た目はまったく違うのに、まったく同じ人なのだと。
優しくて、暖かい。そしてボクを包み込むような…。
「女一人だと、ナニかと物騒でね…
だからあたしはダルゼリアになっているのさ。
だけど、たまにあたしに戻らないと、身体がなまっちゃう気がすんのさ。」
シルヴィアンさんは再び朝ごはんの用意を始めた。
「面白いもんでね、ダルゼリアとあたしは同じなのに、微妙に違う所があったりすんのさ。
料理もそのひとつでね。」
シルヴィアンさんは、テーブルに焼きたてのアップルパイという料理を置いた。
「菓子なんて、ダルゼリアの時には作る気も起きないんだけどねぇ、あたしはコレを作るのが好きなのさ。」
初めて見る料理…甘い甘い匂いがする。
ボクは、じいっとアップルパイを見る。
「初めて見るのかい?ほら、座りな。
食べてご覧よ。」
シルヴィアンさんはテーブルの上に、切り分けてお皿に載せられたアップルパイを置いた。
恐る恐るアップルパイを口に運ぶ。
甘い!甘い!甘くて、熱くて、美味しい!
夢中になって食べていたら、お皿はすぐ、空になった。
もっと…食べたい。
でも、そんな事…言えない…。
ボクの表情に気付いたシルヴィアンさんが、大きめに切り分けたアップルパイをボクのお皿に置いた。
「欲しい時には、欲しいって言いなよ。
駄目な時は駄目って言うから、言う前から諦めるんじゃないよ。」
モノクルの奥で細められた優しい目は、綺麗なスミレ色をしていた。
ボクは、シルヴィアンさんにも会いたいと思って、アップルパイを食べたいから、もっと会いたいと言ったら、週に一回会えるようになった。
「そんなにお菓子が好きなら、あたし、張り切っちゃうよ!」
と、色んなお菓子を作ってくれる。
会いたいからお菓子を口実にしたのに、お菓子目当てだと思われてるみたい…。
ダルさんは、口下手であまり喋らないけど、いつもボクの身体を心配してくれている。
優しく優しく包み込むような雰囲気で。
シルヴィアンさんは、お話が好きでボクに色んな話しをしてくれる。
ボクの知らなかった国の話しや、戦争の話し。
楽しい話しもするけど、つらい話しもする。
「ロータス、あんたは賢いよ。
あたしが話した事を覚えていて、自分でも考えている。
奴隷の時は、考える事を禁止されていたんだろう?
でもねロータス、考えるってのは素晴らしい事なんだよ。」
僕が、この塔に奴隷として売られてから一年が過ぎた。
僕はダルさんの治療によって、栄養不足だったり暴力により歪んだりした骨が矯正され、年相応に近い姿になっていた。
身長はシルヴィアンさんを追い越した。
「こいつは驚いたな、ロータスお前…17、18歳位だよな?」
「僕は…いつ、どこで生まれたのか覚えてないので正確な歳は…分からないのですが…」
「いやぁ、逞しくなったもんだ!
シルヴィアンがもっと若かったら、惚れていたかもな!」
えっ……?
僕の顔が熱くなる。なんで?どうして?
シルヴィアンさんが…僕を好きに…?
じゃあ、ダルさんも僕を…?二人とも僕を…?
「どうした?ロータス。熱でもあんのか?…顔が赤いぞ?」
ダルさんは、僕の額に自分の額を合わせる。
初めて僕の手を見たあの日から、ダルさんはよく額同士を合わせる。
目の前に来る、優しい金色の瞳。
ふと、スミレ色をした美しい瞳を思い出す。
僕は…僕は…何て欲張りなんだろう…。
ダルさん、僕はあなたが…そして、シルヴィアンさんが…
二人が…欲しいのです。
「ロータス、賢いあんたに隠すのは卑怯だと思うから話すけど…あんたは戦争孤児だ。」
いつもは明るい時間にだけ現れるシルヴィアンさんが、深夜に僕の部屋を訪ねて来た。
「あたしは「彼の国」の王女で、ダルゼリアは戦士で……
あたし達はあんたが想像するより多くの人間を殺してきている。」
僕は、シルヴィアンさんが目を伏せ辛そうに話すのを、黙って聞いている。
「…あたしは人殺しさ…あたしみたいなのが居るせいで、ロータスみたいな悲しい孤児が生まれる…
あたしはそれが嫌で、戦士を続けられずに逃げ出した卑怯者なんだよ…。」
モノクルの奥のスミレ色をした瞳が、悲しそうに濡れる。
「シルヴィアンさん…シルヴィアンさんのせいじゃない…
僕は…今の自分を悲しいなんて思ってないです…
でも、つらい…」
「…つらい…?ロータス…なんで、つらい……!?」
シルヴィアンさんの手首を掴んで引き寄せ、抱き締めた。
「あなたが好きで…好き過ぎて!
つらい…どうしていいのか…分からない…
僕は…僕は、あなたが欲しいです!」
「ろっ!?ロータス!?あんた…それは違うよ
あんたのそれは、思い込みさ…
あたしみたいな老婆に、あんたみたいな若い子が惚れたりするなんて無いよ」
「僕は、名前も無く、考える事も無く、未来も無く、希望も無く…
それを全て与えてくれたあなただから…初めて優しさを与えてくれた人だから…
だから、惚れたと勘違いしてると言いたいのでしょう?」
抱き締めたシルヴィアンさんの身体を倒し、僕のベッドに縫い付ける。
ベッドの上に広がる銀糸の髪が蜘蛛の糸の様で。
そこに横たわるシルヴィアンさんは、蜘蛛の糸に捕らえられた蝶のようにキレイだ。
「勘違いでも、思い込みでも!
今、僕がシルヴィアンさんを欲しいと思う気持ちは本物だもの!
駄目って言われても諦めない!僕はあなたが欲しい!」
「お、落ち着きなよ…ロータス…
ばあさんには刺激が強すぎるわ…」
口の上手い、この人なら僕を言いくるめてしまうかも知れない。だから、もう喋らせない。
シルヴィアンさんの唇に、僕の唇を押し付ける。
彼女の唇を濡らすように、舌先で彼女の唇をなぞっていく。
シルヴィアンさんの頬に手を当て、顔を傾けて逃げないようにしてから、深く深く唇を重ねていく。
少し唇を離し、僕の身体の下でグッタリと脱力したシルヴィアンさんの身体を抱き締めると、彼女の首筋に唇を滑らせる。
「今まで貰った幸せが…すべて無くなったとしても…あなただけは…あなたとダルさんだけは…僕に下さい…」
「……誰に言ってんだい……まったく……
無くなりゃしないよ…あんたが感じた幸せも、……あたし達もさ」
僕はその日、世界一幸せな男になったんだと思う。
僕の手には、キレイなキレイな蝶が居たから。
僕だけのキレイな人。
本人は、複雑な顔をしていたけど。
翌朝、ベッドの上で横たわるシルヴィアンさんの肩に唇を落とす。
「ロータス…あんた、自分が若いんだからって年寄りに無理させるんじゃないよ…。」
シーツを身体に巻いて、僕から防御するシルヴィアンさんは、かわいい。
初めて思った…かわいい…かわいい…かわいい………。
「ちょっと!
無理させるんじゃないよって言ったばかりだよ!」
「おかわり…欲しいです…」
「なに言ってんだい!ぶっ倒れちまうよ!」
シーツごと抱き締めて、肩に、耳に、キスの雨を降らし始める。
「ダルさんも…欲しいです…」
「……え゛っ……」
この声は、ダルさん、シルヴィアンさん、どちらの声だったのだろうか……。
でも、塔での幸せは長く続かなかった…。
奴隷商の親方が、どこかの国の兵隊さん達を連れて来たのだ。
「ここに狂戦士がいるのか!」
「はい、間違いございやせん!
ここに住む、でかい男は狂戦士に違いありやせん!」
「誰にも話してないだろうな!この手柄は我が国だけのものだぞ!
「彼の国」を我が国の物にする、貴重な情報源だ」
「ええ!誰にも話してやいませ………」
話しの途中で、奴隷商の親方の首が飛んだ。
ボールのように、弾んで転がっていく。
「そうか、まだお前ら以外は知らんのだな…そいつは都合がいい。」
いつの間にか、ダルさんは大きな剣を持って塔の外に立っていた。
「人を殺すのは、やめたかったんだがなー
………ハハ、久しぶりに血が騒ぐわ………
お前ら、皆殺しだ!」
剣を振り回し、人を刻みながら躍るダルさんは血塗れになりながら嬉しそうに笑っていた。
30人位居たハズの兵隊さん達は、すぐ居なくなった。
かわりに、塔の前に挽き肉がいっぱい落ちている…。
「ロータス!こんな人殺しのワシの事も好きなのか?」
塔の三階の窓から顔を出す僕に、血塗れになったダルさんが声を掛ける。
「大好きです!今夜はダルさんを抱きたい!」
「そっそんな事、言わんでいい!」
ダルさんの顔が赤いのは、返り血のせいだけじゃないみたい。
僕達は、塔を去り旅に出た。
どこか落ち着ける場所を見つけたら、また魔法の研究を始めるだろう。
僕は、シルヴィアンさんとダルさんが居てくれるなら、どこでもいい。
あなた達を抱けるのなら、どこでも………。
「……伯母上のシルヴィアンが、結婚したそうだよ。」
父、ダイオスが手紙を読みながら言った言葉に、茶を嗜んでいた女王の私は噴き出した。
「はい!?大伯母様、いくつでしたっけ?」
「私が今、四十で…父がその二十上で…父の5つ上のはず…
65歳かな?……あ、夫は18歳だそうだよ」
「はい?……それは、結婚したと言うより養子では…?
大伯母様、独身でしたもの…。」
「……夫婦だって。手紙には、二人とも毎晩愛されてますと。」
「わざわざ、そんな報告を甥にしてくる必要あるか!?
しかも、二人って何ですか!」
「…デルフィナ……伯母上は、父より強い戦士だったよ?
二人ってのは……まぁ言い変えれば君と、オブザイアって事だよ。」
な、なんだと……!?
「なかなか強者だな、その夫とやらは。」
いつの間にか、アンドリューが父の隣に居て手紙を見ている。
「…ほう…どちらに対しても夫の立場らしい。」
「……ダルゼリアに対しても……夫…?それは…強い…」
ダルゼリアを知っているダイオスが深刻な顔をしながら頷く。
「……女王、試してみよう。
俺もオブザイア殿の妻ではなく、夫でイケるかも知れん。」
「は?え?た、試してみる!?何を!!」
デルフィナは腕を掴まれアンドリューに引き寄せられると、ヒョイと抱きかかえられる。
「こ、公務の途中で何をする気だ!」
「後継ぎを作る!これも立派な公務だろう!?
では、義父上、ごきげんよう!」
アンドリューはデルフィナを抱きあげたまま、寝室に向かって行った。
どうせまた、失敗するんだろうけど…
ダイオスは手紙の続きを読み始める。
『夫が毎晩、毎晩激し過ぎて、ダルゼリアもあたしも身が持たない。
どうすれば良いか教えてくれんか?』
………そんな事は………知らん!
ダイオスは手紙をたたんで懐に入れ、見なかった事にしようと決めたのだった。
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