イマジナリーフレンド

岩久 津樹

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イマジナリーフレンド

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 僕はなんて孤独なのだろうか。
 お昼休みに教室で一人本を読みながら、自分の孤独さを憂いた。クラスメイトは皆、グラウンドに出てドッチボールや鬼ごっこをして遊んでいる。小学四年生なのだから、休み時間に外で遊ぶのは当然だろう。僕のように一人で本を読んでいる子もいるが、周りに何人かの子が囲んで「何を読んでいるの?」と声をかけている。
 つまりあの子は孤独じゃない。本当に孤独なのは僕だけだ。
 本を閉じて立ち上がり、トイレに行くために廊下を出ると、何組かの子たちが楽しげに会話をしている。僕に気がつく子もいたが、まるで幽霊を見たかのような表情を浮かべてすぐに視線を逸らした。
 トイレに入ると、六年生の子とぶつかってしまった。
「おっと、ごめん」
 六年生の子が謝ると、横にいたクラスメイトが慌てた様子で言った。
「あ、ケンジくん、そいつと話しちゃ駄目だよ」
「どうして? ……ああ、こいつが前にタケルが言ってた四の二でイジメられてるって奴か」
「とにかくほら、早く出よう」
 どうやら二人は学年は違うが知り合いのようだ。そんな二人が急いでトイレから出たのを確認すると、僕は一番奥の個室に入って、ズボンも降ろさずに便器の蓋の上に座った。
 久し振りに僕の事を認知してくれた。その嬉しさが込み上がり、個室の中で一人でにやけてしまった。
「おい、誰かうんこしてるぞ」
「本当だ! おーいうんこマン!」
 しばらく個室に篭っていると、トイレに二人の子が入ってきた。入ってくるなり、個室の鍵が掛かっている事に気がつき、中にいるのが僕とも知らずに莫迦にしてくる。
「うわ、臭え!」
 うんちどころかズボンも脱いでいないのに。と、僕はクスクスと笑った。きっと普通の子なら、こんな事を言われたら恥ずかしいだろう。そもそも学校でうんちをする子も多くはない。今と同じように莫迦にされるからだ。
 だけど僕は違った。この方法なら、幽霊のような僕にも声を掛けてくれる。それが嬉しくて、昼休みになると便意も無いのに個室に篭るのだ。
「おい出てこいようんこマン!」
 今日の二人はしつこかった。出てくるまで居座るつもりだろう。声の主は恐らく同じクラスの子だ。
 僕は静かに個室の扉を開いた。扉の外ににやけた顔を浮かべる二人が立っていたが、個室の中に居たのが僕だと知ると、「あっ」と小さく声を漏らして、逃げるように外へ出て行った。
 今日は運が良い。二回も僕の事を認知してもらえたのだから。
 
 

 僕がイジメられるようになったのは、小学校一年生の頃からだ。
 当時から大人しく、本ばかり読んでいた僕に対して、良い印象を持っていなかった数人の子たちから、本を奪われたり背中を叩かれたりしたのが始まりだった。
 そんな悪戯に僕が声を荒げて怒ると、その反応が面白かったらしく、また同じような悪戯を続けられた。
 次第に僕は悪戯に対して反応を示さなくなった。反応をすると、また同じ悪戯をされると学んだからだ。
 その効果は抜群で、二度と同じ悪戯を受けることはなくなった。代わりにクラスメイトからの悪戯はイジメへと変貌を遂げた。
 無反応な僕に対して腹が立ったのか、本を奪い目の前で破り捨てたのだ。流石の僕もそれには憤りを感じ、本を破った子に掴みかかった。しかし、相手には他にも多くの味方がいて、敢え無く反撃に合い袋叩きにされた。その事件をきっかけに上履きを隠されたり、教科書を破かれたり、机に酷い言葉を連ねた落書きをされたり、リンチ紛いの暴力を受けたり、一通りのイジメを受けてきた。
 先生に相談もしたが、軽く注意をしてくれるだけで、暫くするとイジメは再開した。むしろ先生に告げ口をしたことで、より一層激しさを増していくばかりだった。そんなイジメは小学三年生まで続いた。
「もうあいつ無視しようぜ」
 三年生に進級してすぐに、誰かの一言がきっかけでイジメは無視へと変わった。僕は殴られるよりはマシだと胸を撫で下ろしたのだが、無視されるのは想像以上に苦痛だった。
「あいつと喋った奴も無視するから」
 そう付け加えられたのが、効果覿面だったようだ。今までイジメをしていなかった他のクラスメイトも、こぞって僕を無視し始めたのだ。
 無視され始めてから一年。今では僕は幽霊扱いされて、目を合わしてくれる子さえ居なくなった。
 
  
  
 僕はなんて孤独なのだろうか。
 この感情は家に帰っても変わらない。
 お父さんは僕が一才の時に病気で死んでしまい、今はお母さんと小さなアパートの一室で二人暮らしをしている。
 お母さんは夕方から翌朝まで働いて、僕が起きる時間は寝ているし、帰ってきたら既に働きに出てしまっている。そのため、ここ最近はお母さんと会話らしい会話をしていないい。
 夕食は作り置きされていて、机の上のサランラップで包まれたお皿をレンジで温めて食べている。最近は忙しいのか、カップ麺やコンビニのお弁当が多い。今日は久し振りに手作りの生姜焼きと、炊飯器にはお米も炊いてあった。
『なんでやねん』
 僕はバラエティ番組が好きだ。たくさんの芸能人が楽しそうに話しているから、僕もいつかは芸能人になりたいと思っている。
「なんでやねん」
 芸人のツッコミを真似して口にしながら、一人で夕食を食べる。それが日課となっていた。
 夕飯を食べ終わると、一人でお風呂に入って、一人で眠る。二つ並んだ敷布団に、二人が並んで入って眠るのは、月に一回くらいしかなかった。その日もお母さんは疲れているから、僕はなるべく話さないようにしている。お母さんは「いつも一人にしてごめんね」と、僕の頭を撫でてくれるから、僕は「男の子だから大丈夫」と答える。
 そうだ、僕は孤独でいるのなんて平気なのだ。
 
  
  
(本当は寂しいくせに。本当はもっとお母さんとお喋りしたいくせに)
 うるさい。僕は一人でも大丈夫だ。
(学校でも、友達が欲しいくせに)
 友達なんていらない。どうせ嫌なことがあると、また殴ったりするんだ。だったらずっと一人の方がマシだ。
(そんな態度だから、お前はいつも一人なんだよ。いつも無視されるんだよ)
 うるさい! うるさい!
「うるさい!」
 目を覚ますと、まだ辺りは暗かった。時計を見ると深夜の三時半だった。どうやら夢を見ていたらしい。誰かが僕に話しかけていた。いや、あれは僕だ。僕が僕に話しかけていたんだ。
(そうだ、僕は孤独でも平気さ)
(本当に?)
(本当だよ)
(寂しいくせに)
(寂しくない)
(いつも一人で泣いてくるせに)
(泣いていない) 
 目を覚ましても、頭の中で僕と僕が問答を繰り返す。いつしか頭の中の僕の声は明瞭に聞こえてくるようになってきた。空想だと分かっている、分かっているけど、空想ならばいっそ別の子が話しかけてきて欲しかった。せめて空想上くらいは誰かとお喋りしたかった。
(それじゃあ俺と話そか)
 突然頭の中で関西訛りの男の声が聞こえた。これも僕の空想だと分かっているのだが、僕の意志からは離れた人格が話しているようにしか聞こえなかった。
(いいよ。もう寝るから)
(なんでやねん。自分から呼んでおいて)
(余計に寂しくなるから)
(ほな呼ぶなや!)
 コテコテの関西弁で思わず笑みが溢れてしまう。前に何かの本で読んだことがあるが、これがイマジナリーフレンドというものだろうか。この日から、僕は脳内で作り上げた友達とお喋りするのが楽しみになった。
 
  
  
 今日も僕は孤独だ。
 周りの子たちは、今日の給食はコーヒー牛乳だから楽しみだの、転校生が来るだの、体育の先生が骨折しただのと、楽しそうにお喋りをしている。いつもなら本を読みながら聞き耳を立ててしまうが、今日は違った。
(今日、コーヒー牛乳だってよ)
(うるさいな、分かってるよ)
(なんや、コーヒー牛乳だけに冷めてんな)
(全然上手くないよ)
 脳内で繰り広げられる会話は、まるで本物の友達をお喋りをしているようで楽しかった。
 朝の会が始まっても、僕はイマジナリーフレンドとの会話を止めることはなかった。
(そういえば君の名前は?)
(うーん、そうやな……)
 イマジナリーフレンドは少し悩んだ後にこう言った。
(トモキ……)
(トモキ?)
(そう、俺の名前はトモキ)
(ふーん、なんか普通だね)
(ほっとけ)
 昨夜は不明瞭だった声もはっきり聞こえ始めた。明らかに僕の声ではないトモキは、授業中も絶えずに話しかけてくる。
(国語の授業は真面目に聞いてるな)
(うん、国語は好きなんだ)
(なんで?)
(色々なお話しが読めるから)
(ああ、いつも本読んでるもんな。今習っているお話しは何?)
(ごんぎつねだよ)
(ごんぎつね?)
(うん、とっても悲しいお話しなんだ)
 悪戯ばかりしていた狐のごんが、自分の悪戯を悔いて、償いのために栗や松茸を兵十に届ける。しかし最期にはまた悪戯をしに来たんだと誤解をされて火縄銃で撃たれてしまう。そんなお話し。
 僕を虐めている子たちもいつか悔いてくれるのだろうか。いつか償いをしてくれるのだろうか。そして僕はそれを許せるのだろうか。
(許さんでもええやろ)
(だけど、許したらまたみんなと仲良くなれるかもしれない)
(なれるわけないやろ。きっとまたすぐにいじめるに決まってる)
(だけど……、僕はもう一人は嫌なんだ)
 昼休みに入り、僕は今日もトイレの個室に籠っていた。だけど今日は誰も個室が閉まっていることに言及しない。
(いつまでこんなことしてるん?)
(うるさい)
(こんな遠回しなことしないで、思い切って誰かに話しかければええやん)
(うるさい。どうせ無視されるだけだよ)
(そんな陰気やから虐められるんとちゃうの?)
「うるさい!」
 思わず声に出して叫んでしまった。幸い個室の外には誰もいないようで、とくに反応はなかった。
 トモキは僕の意志からどんどん離れていっているような気がした。そのうち声は脳ではなく耳元から聞こえて、終いには姿も現すかもしれない。僕はちょっぴり怖かったけど、トモキが本当に居てくれたら良いのにとも思った。
 
  
  
 僕の願望は、トモキが現れてから一ヶ月後に叶った。
「何読んでるん?」
 トモキの声が脳内ではなく耳元から聞こえてきたのだ。驚いて辺りを見回しても、周りには知っている顔ばかりで、トモキなんていなかった。トモキが現実にいたらどんな顔をしているのだろうか。頭の中で逡巡してみると、なんとなくイメージが湧いた。
 きっと短い髪がツンツンしていて、色黒で活発な男の子だろう。
「なあ、何読んでるん?」
 トモキは返事をしない僕に痺れを切らしてもう一度尋ねてきた。
(ごめんごめん、この本だよ)
 僕は本を閉じて表紙を見せた。
「お、少年探偵団やん。俺はやっぱ二十面相が好き」
(二十面相と言っても、出てくる作品いっぱいあるじゃん)
「んー中でもサーカスの怪人が好きやな」
「僕も!」
 また思わず声を出してしまった。同じ作品が好きだと知って嬉しかったのだ。しかし、考えてみると当たり前だ。トモキは僕の脳内が作り出したイマジナリーフレンドなのだから好みも一緒のはずだ。
 僕が声を出したことで、周りの子たちは驚いた様子でこちらを見ている。それがまた嬉しかった。みんなが僕のことを認知してくれている。
「おお、やっぱ二十面相の復讐劇は熱いよな!」
「うんうん、二十面相の名前も出てくるし楽しいよね」
 僕は周りの目も気にせずに声に出して喋った。変な奴と思われても良い。だってそれで僕のことを認知してもらえるのだから。
「おいあいつ、一人で話してるぜ」
 周りからクスクスと笑い声が漏れる。それでも僕は気にせずトモキとの会話を楽しんだ。

  
  
 トモキが現れて二ヶ月が経った頃には、トモキと会話をしていても、みんなは何も反応を示さなくなった。
「なあ、いつまでこうしてるん?」
「何が?」
「お前無視されてるんやぞ?」
「またそれ? うるさいな……」
「友達が無視されてるんやぞ? 良い加減黙ってられるか!」
「うるさい!」
 僕は机を叩いて立ち上がった。するとみんなは僕の方を見て目を丸くする。
「おいおいまた一人で喋ってやがるぞ」
 一人が小馬鹿にしたような口調で言うと、周りも釣られるようにして声を出し始める。
「本当だ、あいつ幽霊と喋ってやがる!」
「キモ!」
「出てけよ!」
 うるさい。一体僕が何をしたと言うんだ。イマジナリーフレンドと話すことさえ許されないのか?
「キモいのはお前らやろ」
「キモいのはお前らだろ」
 トモキと声が重なった。と、同時に、一人がこちらに向かって突進してくる。
 殴られる。そう思って頭を押さえてしゃがみ込むが、いつまで経っても僕に触れる者はいない。代わりに怒号と机が散乱する音が聞こえてくる。恐る恐る顔を上げると、そこにいは頭をツンツンにした色黒の男の子が、クラスメイトと取っ組み合いをしている光景が広がっていた。
 
  
  
 何が起きているか理解できなかった。イマジナリーフレンドのはずのトモキのことを、クラスメイトは認知しているのだ。
「おいやめろトモキ!」
「うっさい!」
「離せよ!」
「なんでやねん! 悪いんはこいつやろ!」
 クラスメイトに馬乗りになり、トモキは何度も拳を振り上げる。周りの子たちがそんなトモキの腕を掴んで、一気に引き剥がす。ようやくトモキも落ち着き、立ち上がって僕の方を見た。
「お前も黙ってないでやり返してみい」
 そう言って教室を出ていったトモキ。教室には啜り泣く子の声と、殴られていたいじめっ子を心配する声が聞こえる。僕は急いでトモキを追いかけた。
「待ってよトモキ!」
「何?」
「トモキは実在するの?」
「はあ?」
「ト、トモキはこの世界にいるの?」
「何言うてんねん」
「だってトモキは……」
 僕の言葉を遮るようにトモキは手を伸ばす。その手は確かに僕の腕に触れた。
「ほらおるやろ?」
「だって……だってトモキは……」
「よく分からんけど、いつまでもいじめられてたらあかんよ?」
「君は!」
 僕は立ち止まり少し声を大きくして言った。
「僕が作り出したイマジナリーフレンドじゃないの?」
「はあ?」
 トモキは心底不思議そうに僕を見つめる。頬を指先で掻きながら、呆れた様子で「アホか」と呟き、一人廊下を歩いていった。
 トモキは実在した。それならば最初にトモキが現れたあの夜は何だったのだろうか。あの日は間違いなく頭の中で話しかけてきた。いや、その時は確か名前も無く、声も不明瞭で、関西弁ということしか分からなかった。それに今思えば、あの声はバラエティー番組でよく見る芸人の声だった気がする。
 しかし、トモキという名前を付けたのは僕のはずだ。僕の空想が偶然被ってしまったのだろうか。いや、それも今に思えば簡単なことだ。トモキの名前を付けたあの日は、転校生が来るという話をクラスメイトがしていた。つまり僕は、関西から引っ越してきたトモキが、あまりにも僕が作り上げたイマジナリーフレンドに似ていたので、自己紹介をしたトモキの名前を、あたかも自分が名付けたように錯覚してしまったのだ。
 いや、しかし、それならば何故クラスメイトは僕とトモキとの会話を聞いて「一人で喋っている」と言っていたのだろうか。
 ……ああ、そうか。あれは僕に対して言っていたのでは無く、トモキに対して言っていたのか。
 全てを理解した僕は、遠のいていくトモキの背中を眺めながら、これからまた孤独な夜を迎えるのだと悟り涙を流した。
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