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討伐
20. 疑惑
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エレミアスの従者ペーターに謀反の兆しあり──。私が少ない情報からそう判断しただけで、決して裏を取って確信に至ったわけではないが、彼の父であるフロッシュ男爵が皇帝から爵位を与えられたことは、皇家との繋がりを指摘されて然る状況だ。
私たちはペーターから話を聞くべく、寝泊まりさせてもらっている教会堂まで戻ってきた。すでに見慣れた教会堂の扉が不思議と重く感じられた。ルートヴィヒの言う通り、ペーターは教会堂にいた。ほうきを長椅子の端に立てかけ、誰かと談笑中のようだ。
「楽しそうですね。あの金髪の少年がペーター様で、横にいる女の子は?」
「あの子はユリアだよ。あれ、カーヤなら知ってると思ってた」
私の中では、教会堂といえばカーヤというくらいのイメージがあった。この教会堂に入り浸るユリアと、かつてエンフェルト領の教会で教えを説いていたカーヤがこの十日間で知り合っていないのは意外だった。
「申し訳ございません、しばらく神前に立っていないものでして……」
そういえば、カーヤがこの教会堂で祈りをささげている姿に覚えがない。一神教であるスレイ教において、教会堂ごとに神の存在が異なることはなく、地元の教会でなくとも、それぞれの場所で等しく祈らなければならない。カーヤがたとえエンフェルト領の教会を大切に思っているのだとして、グラウスタイン領だからと祈祷を怠るということはあってはいけないことだし、カーヤに限って教団の意向に反することはないはずだ。
「どうして──」
「私の事はよいのです。今はペーター様の腹を探らないと」
「…………」
追及はさせてもらえなかった。
私たちは長椅子の裏に隠れ、ペーターとユリアの話を盗み聞くことにした。さあ、有益な情報は出るだろうか。
「エレミアス様、どんな方と結婚されるのかな。やっぱり、話が合う人がいいよね」
「話って……きっと戦争の話でしょ……? そんな話に興味がある女性がいるのかな。それよりも、心優しい方がいいな。良識があって、歌劇にも通じてて……毎日のお祈りを欠かさなくて……」
「それ、ユリアが結婚したい人じゃないの?」
「私のお姉様になる人なんだから一緒でしょう?」
どうやらふたりはここにいない人間についての恋愛談義の真っ最中らしい。
なんと可愛らしい。これが例えば年のいった給仕たちだったら耳に毒だが、五つ以上も歳下の子供たちが憧れを口にしているのであれば感情の揺れ方も変わってくるというものだ。貴族の婚姻など特に憧れるようなものでもないが。
というか、エレミアス、独身……そればかりか、あの年で婚約者のひとりもいないのか。そういえば彼の父であるグラウスタイン伯も、嫁がどうとか言っていた気がする。
私は肩を落とした。この類の話に有益な情報が紛れているのなら、わざわざこうして身を隠しながら盗み聞きをするよりも、休憩中のメイドたちの中に堂々と混ざって会話をしている方がよっぽど効率的だ。
「はぁ、どうするカーヤ。別の方法を考え……カーヤ?」
カーヤは彼らの話をえらく集中して聞いている。もしかすると、彼女の感が有用な情報の臭いを嗅ぎつけたのかもしれない。長椅子から乗り出した身体がどんどん前のめりになっていく。私も今一度、彼女に倣ってふたりの話を傾聴しようと長椅子から身を乗り出す。
「あの、ギネヴィア様は、この話を聞かなくても……私がしっかりと聞いていますから」
……ああ、カーヤはヨハンのやつに婚約を破棄された私の事を気遣ってくれているのか。それに気付き、胸が熱くなる。
「大丈夫だよ。こんな話で気分を悪くしているようじゃ、女の社会じゃ生きていられないからね。……ありがとう、カーヤ」
「い、いえ、そんな……!」
「ちょっと、声が大き──」
必要以上の感激をしたカーヤの口を咄嗟に塞ぐも遅く、長椅子のふたりは立ち上がってこちらを振り返った。私たちはこの教会堂に寝泊まりしているのでここに居ることに問題は何ひとつないのだが、盗み聞きしているという状況がじつにまずい。
ペーターは焦った様子で立てかけてあったほうきを手に取った。いくらそれが清廉な教会堂にあるただのほうきであっても、状況と見方を変えれば1メートルの木製の棒──つまり武器だ。私とカーヤの空気がピリつく。
「ユリア……様。今日のところはこれで……」
「え、う、うん」
私たちから自身の身体でユリアの姿を隠すように立つ動きは、まるで騎士のするようだった。
「い、一度離れた方がいいでしょうか……もう盗み聞きも何もありませんよ」
「でも、声を聞かれたし……」
床に触れたほうきの穂先がぱちぱちと音を鳴らす。
その軽い音は、まるで大斧をもった処刑人が、血まみれの斧を地面に引きずりまわすような音にも聞こえた。
「…………。……?」
ほうきが木目をなでる心地いい音は、その後一定のリズムを保って聖堂に響き続けた。
「掃除……ですか?」
私たちの前に現れた光景は、少年が熱心に床の掃き掃除をするものだった。
「じゃあ、あのほうきは?」
「掃除用具」
無論、それがほうきの正しい使い方である。
「ユリア様の姿を隠そうとしたのは?」
「それは……今から聞いてみれば判るね」
私は長椅子の陰から、堂々とペーターの前に進み出た。
「ペーター」
「は、は、はい、ギネヴィア様! 精一杯掃除をしていました! なんでしょう!?」
「ユリアがここに居ると思ったんだけど、知らない?」
ペーターは目の前に突然クマが出たかのように目を白黒させる。
「……っ。知り……ません」
嘘だ。この子は何かを隠そうとしている。
「ほんとに? 今、誰かと話してなかった?」
「あ、えっと…………ご──」
小さく震える肩の少年は、「ご」とだけ言ってほうきを握る手を強くした。まさか「御免!」などと言って叩き伏せるつもりなのか?
身体を強張らせる私を前に、ペーターは大声をあげた。
「ご、ごめんなさい!! 人目がないと思ってつい……僕が勝手に仕事を怠けていただけで、ユリアは何も悪くなくて……その……」
「待って、なんの話?」
私たちはペーターから話を聞くべく、寝泊まりさせてもらっている教会堂まで戻ってきた。すでに見慣れた教会堂の扉が不思議と重く感じられた。ルートヴィヒの言う通り、ペーターは教会堂にいた。ほうきを長椅子の端に立てかけ、誰かと談笑中のようだ。
「楽しそうですね。あの金髪の少年がペーター様で、横にいる女の子は?」
「あの子はユリアだよ。あれ、カーヤなら知ってると思ってた」
私の中では、教会堂といえばカーヤというくらいのイメージがあった。この教会堂に入り浸るユリアと、かつてエンフェルト領の教会で教えを説いていたカーヤがこの十日間で知り合っていないのは意外だった。
「申し訳ございません、しばらく神前に立っていないものでして……」
そういえば、カーヤがこの教会堂で祈りをささげている姿に覚えがない。一神教であるスレイ教において、教会堂ごとに神の存在が異なることはなく、地元の教会でなくとも、それぞれの場所で等しく祈らなければならない。カーヤがたとえエンフェルト領の教会を大切に思っているのだとして、グラウスタイン領だからと祈祷を怠るということはあってはいけないことだし、カーヤに限って教団の意向に反することはないはずだ。
「どうして──」
「私の事はよいのです。今はペーター様の腹を探らないと」
「…………」
追及はさせてもらえなかった。
私たちは長椅子の裏に隠れ、ペーターとユリアの話を盗み聞くことにした。さあ、有益な情報は出るだろうか。
「エレミアス様、どんな方と結婚されるのかな。やっぱり、話が合う人がいいよね」
「話って……きっと戦争の話でしょ……? そんな話に興味がある女性がいるのかな。それよりも、心優しい方がいいな。良識があって、歌劇にも通じてて……毎日のお祈りを欠かさなくて……」
「それ、ユリアが結婚したい人じゃないの?」
「私のお姉様になる人なんだから一緒でしょう?」
どうやらふたりはここにいない人間についての恋愛談義の真っ最中らしい。
なんと可愛らしい。これが例えば年のいった給仕たちだったら耳に毒だが、五つ以上も歳下の子供たちが憧れを口にしているのであれば感情の揺れ方も変わってくるというものだ。貴族の婚姻など特に憧れるようなものでもないが。
というか、エレミアス、独身……そればかりか、あの年で婚約者のひとりもいないのか。そういえば彼の父であるグラウスタイン伯も、嫁がどうとか言っていた気がする。
私は肩を落とした。この類の話に有益な情報が紛れているのなら、わざわざこうして身を隠しながら盗み聞きをするよりも、休憩中のメイドたちの中に堂々と混ざって会話をしている方がよっぽど効率的だ。
「はぁ、どうするカーヤ。別の方法を考え……カーヤ?」
カーヤは彼らの話をえらく集中して聞いている。もしかすると、彼女の感が有用な情報の臭いを嗅ぎつけたのかもしれない。長椅子から乗り出した身体がどんどん前のめりになっていく。私も今一度、彼女に倣ってふたりの話を傾聴しようと長椅子から身を乗り出す。
「あの、ギネヴィア様は、この話を聞かなくても……私がしっかりと聞いていますから」
……ああ、カーヤはヨハンのやつに婚約を破棄された私の事を気遣ってくれているのか。それに気付き、胸が熱くなる。
「大丈夫だよ。こんな話で気分を悪くしているようじゃ、女の社会じゃ生きていられないからね。……ありがとう、カーヤ」
「い、いえ、そんな……!」
「ちょっと、声が大き──」
必要以上の感激をしたカーヤの口を咄嗟に塞ぐも遅く、長椅子のふたりは立ち上がってこちらを振り返った。私たちはこの教会堂に寝泊まりしているのでここに居ることに問題は何ひとつないのだが、盗み聞きしているという状況がじつにまずい。
ペーターは焦った様子で立てかけてあったほうきを手に取った。いくらそれが清廉な教会堂にあるただのほうきであっても、状況と見方を変えれば1メートルの木製の棒──つまり武器だ。私とカーヤの空気がピリつく。
「ユリア……様。今日のところはこれで……」
「え、う、うん」
私たちから自身の身体でユリアの姿を隠すように立つ動きは、まるで騎士のするようだった。
「い、一度離れた方がいいでしょうか……もう盗み聞きも何もありませんよ」
「でも、声を聞かれたし……」
床に触れたほうきの穂先がぱちぱちと音を鳴らす。
その軽い音は、まるで大斧をもった処刑人が、血まみれの斧を地面に引きずりまわすような音にも聞こえた。
「…………。……?」
ほうきが木目をなでる心地いい音は、その後一定のリズムを保って聖堂に響き続けた。
「掃除……ですか?」
私たちの前に現れた光景は、少年が熱心に床の掃き掃除をするものだった。
「じゃあ、あのほうきは?」
「掃除用具」
無論、それがほうきの正しい使い方である。
「ユリア様の姿を隠そうとしたのは?」
「それは……今から聞いてみれば判るね」
私は長椅子の陰から、堂々とペーターの前に進み出た。
「ペーター」
「は、は、はい、ギネヴィア様! 精一杯掃除をしていました! なんでしょう!?」
「ユリアがここに居ると思ったんだけど、知らない?」
ペーターは目の前に突然クマが出たかのように目を白黒させる。
「……っ。知り……ません」
嘘だ。この子は何かを隠そうとしている。
「ほんとに? 今、誰かと話してなかった?」
「あ、えっと…………ご──」
小さく震える肩の少年は、「ご」とだけ言ってほうきを握る手を強くした。まさか「御免!」などと言って叩き伏せるつもりなのか?
身体を強張らせる私を前に、ペーターは大声をあげた。
「ご、ごめんなさい!! 人目がないと思ってつい……僕が勝手に仕事を怠けていただけで、ユリアは何も悪くなくて……その……」
「待って、なんの話?」
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