8 / 25
火種
8. グラウスタインの玄関口
しおりを挟む
目を覚ますと、揺れる馬車の中だった。側面に設けられた窓からは光が入ってきて、格子の十字を床に写している。窓と床に写った影の角度から察するに、もう日はかなり高く上ってしまっているようだ。寝ぼけた頭で、夜更かしし過ぎたのだと反省する。
窓の外を覗くと、荒れ放題の草原が目に入る。おそらく窓の位置から見えない街道自体も、あの草原と似たようなものなのだろう。
しかし、内臓すら揺れる思いのする馬車の中、こんな硬い椅子に座りながらよくここまで眠れたものだ。その原因は、足の痛みが証明してくれる。
昨晩は、私が今までで一番走った日であろう。帝都のシアハウゼン城からセリカに追い立てられグラウスタイン門まで、そこで小休止を挟んで、待ち伏せから逃れるためにまた走り続けたのだ。帝都での日の入りから街道の朝日まで、止まっていた時間を踏まえても、時計が半周するくらいは走っていたことになる。
「起きたか」
「ん……」
向かいの席から、男性の声が聞こえた。
視線を上げ、向かいの席を見ると、そこには男性が二人いる。
左には、待ち伏せの兵士を貫く矢を放った青年、その右には、矢を放った弓の手入れをする少年。さっきの低めの声は、長い足を組んでいる青年──エレミアス・フォン・グラウスタイン──のものだ。
「そろそろエンフェルト領を抜けるところだ。何か言い残すことはあるか?」
「なにも」
「……そうか」
寝起きの私の気分をより悪くさせていた馬車の揺れは、ある所を境に治った。街道の手入れの行き届いた場所であるということだ。
街道の維持にはそれなりの費用がかかる。グラウスタインと帝都を結ぶ街道は年々使用者が減っており、盗賊が潜んでいるためエンフェルト領民がわざわざ使うこともない。必然的に優先度は低くなっていて、半分くらい放置されているようなものだった。
ヨハンに聞いた話では、皇家の出費の少なくない部分を街道の維持費が締めているらしい。帝国の発展に商人の力は不可欠であったため、これらは必要経費のはずだったが、運河の建設や海運の発達により、維持費が目立ってきたのだ。
「ようこそ、グラウスタインへ」
大河を流れる橋を渡ると、風景は一変した。弓なりの橋の中心を超えるとまず、石に押し潰された家屋が目に入った。そしてその奥には、横一列にバリスタが設置されている。人が住み、仕事をする街は、それらに守られた深くにあった。
グラウスタイン領にて私を迎え入れたのは、防衛施設の数々と戦闘の痕であった。
「酷い有様……」
「隣領からふざけた連中が押し寄せるんでな」
隣領とはエンフェルト領であり、ふざけた連中とは私の父である伯爵があえて放置していた蛮族や盗賊のことである。
石に押し潰された家屋は、おそらく、皇帝軍の開発した最新の投石兵器にやられたのだろう。川幅から見て百メートル以上の攻撃を、迎撃を受ける前に設置から発射までこなせる規模の兵器で実現できるのだからきっとそうだ。グラウスタイン領近くの賊に技術を提供した理由は言うまでもない。
これは実質的なシアハウゼン家とグラウスタイン家の戦争とも言える。皇帝軍が手ずから行ったのではないものの、すでに生活や家族を奪われた者がいるのだ。
「それは……」
「ああ、分かってる。エンフェルト伯が直接手を下した訳じゃないってな。だが、一応素性は隠しておけ。エンフェルト伯を嫌ってる奴もいる。当然、娘のお前もだ」
注意勧告はもっともだ。エンフェルト伯爵家は皇家たるシアハウゼン家との強い繋がりがあり、現在のグラウスタインとの関係は悪い。軍事演習の仮想敵が、公表こそされていないがグラウスタイン軍であるほどだ。
私はその警告に身構えるとともに、ここがエンフェルト領ではないのだと改めて自覚した。
"フォン・エンフェルト"というかつての誇りは、この地では意味を成さないどころか、足枷だった。私は切り離した足枷を、故郷にそっと置き捨て、グラウスタインの地に踏み入った。
窓の外を覗くと、荒れ放題の草原が目に入る。おそらく窓の位置から見えない街道自体も、あの草原と似たようなものなのだろう。
しかし、内臓すら揺れる思いのする馬車の中、こんな硬い椅子に座りながらよくここまで眠れたものだ。その原因は、足の痛みが証明してくれる。
昨晩は、私が今までで一番走った日であろう。帝都のシアハウゼン城からセリカに追い立てられグラウスタイン門まで、そこで小休止を挟んで、待ち伏せから逃れるためにまた走り続けたのだ。帝都での日の入りから街道の朝日まで、止まっていた時間を踏まえても、時計が半周するくらいは走っていたことになる。
「起きたか」
「ん……」
向かいの席から、男性の声が聞こえた。
視線を上げ、向かいの席を見ると、そこには男性が二人いる。
左には、待ち伏せの兵士を貫く矢を放った青年、その右には、矢を放った弓の手入れをする少年。さっきの低めの声は、長い足を組んでいる青年──エレミアス・フォン・グラウスタイン──のものだ。
「そろそろエンフェルト領を抜けるところだ。何か言い残すことはあるか?」
「なにも」
「……そうか」
寝起きの私の気分をより悪くさせていた馬車の揺れは、ある所を境に治った。街道の手入れの行き届いた場所であるということだ。
街道の維持にはそれなりの費用がかかる。グラウスタインと帝都を結ぶ街道は年々使用者が減っており、盗賊が潜んでいるためエンフェルト領民がわざわざ使うこともない。必然的に優先度は低くなっていて、半分くらい放置されているようなものだった。
ヨハンに聞いた話では、皇家の出費の少なくない部分を街道の維持費が締めているらしい。帝国の発展に商人の力は不可欠であったため、これらは必要経費のはずだったが、運河の建設や海運の発達により、維持費が目立ってきたのだ。
「ようこそ、グラウスタインへ」
大河を流れる橋を渡ると、風景は一変した。弓なりの橋の中心を超えるとまず、石に押し潰された家屋が目に入った。そしてその奥には、横一列にバリスタが設置されている。人が住み、仕事をする街は、それらに守られた深くにあった。
グラウスタイン領にて私を迎え入れたのは、防衛施設の数々と戦闘の痕であった。
「酷い有様……」
「隣領からふざけた連中が押し寄せるんでな」
隣領とはエンフェルト領であり、ふざけた連中とは私の父である伯爵があえて放置していた蛮族や盗賊のことである。
石に押し潰された家屋は、おそらく、皇帝軍の開発した最新の投石兵器にやられたのだろう。川幅から見て百メートル以上の攻撃を、迎撃を受ける前に設置から発射までこなせる規模の兵器で実現できるのだからきっとそうだ。グラウスタイン領近くの賊に技術を提供した理由は言うまでもない。
これは実質的なシアハウゼン家とグラウスタイン家の戦争とも言える。皇帝軍が手ずから行ったのではないものの、すでに生活や家族を奪われた者がいるのだ。
「それは……」
「ああ、分かってる。エンフェルト伯が直接手を下した訳じゃないってな。だが、一応素性は隠しておけ。エンフェルト伯を嫌ってる奴もいる。当然、娘のお前もだ」
注意勧告はもっともだ。エンフェルト伯爵家は皇家たるシアハウゼン家との強い繋がりがあり、現在のグラウスタインとの関係は悪い。軍事演習の仮想敵が、公表こそされていないがグラウスタイン軍であるほどだ。
私はその警告に身構えるとともに、ここがエンフェルト領ではないのだと改めて自覚した。
"フォン・エンフェルト"というかつての誇りは、この地では意味を成さないどころか、足枷だった。私は切り離した足枷を、故郷にそっと置き捨て、グラウスタインの地に踏み入った。
0
お気に入りに追加
19
あなたにおすすめの小説
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。
束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。
だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。
そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。
全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。
気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。
そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。
すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。
許婚と親友は両片思いだったので2人の仲を取り持つことにしました
結城芙由奈
恋愛
<2人の仲を応援するので、どうか私を嫌わないでください>
私には子供のころから決められた許嫁がいた。ある日、久しぶりに再会した親友を紹介した私は次第に2人がお互いを好きになっていく様子に気が付いた。どちらも私にとっては大切な存在。2人から邪魔者と思われ、嫌われたくはないので、私は全力で許嫁と親友の仲を取り持つ事を心に決めた。すると彼の評判が悪くなっていき、それまで冷たかった彼の態度が軟化してきて話は意外な展開に・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
【完結】婚約者の義妹と恋に落ちたので婚約破棄した処、「妃教育の修了」を条件に結婚が許されたが結果が芳しくない。何故だ?同じ高位貴族だろう?
つくも茄子
恋愛
国王唯一の王子エドワード。
彼は婚約者の公爵令嬢であるキャサリンを公の場所で婚約破棄を宣言した。
次の婚約者は恋人であるアリス。
アリスはキャサリンの義妹。
愛するアリスと結婚するには「妃教育を修了させること」だった。
同じ高位貴族。
少し頑張ればアリスは直ぐに妃教育を終了させると踏んでいたが散々な結果で終わる。
八番目の教育係も辞めていく。
王妃腹でないエドワードは立太子が遠のく事に困ってしまう。
だが、エドワードは知らなかった事がある。
彼が事実を知るのは何時になるのか……それは誰も知らない。
他サイトにも公開中。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
「お前を妻だと思ったことはない」と言ってくる旦那様と離婚した私は、幼馴染の侯爵から溺愛されています。
木山楽斗
恋愛
第二王女のエリームは、かつて王家と敵対していたオルバディオン公爵家に嫁がされた。
因縁を解消するための結婚であったが、現当主であるジグールは彼女のことを冷遇した。長きに渡る因縁は、簡単に解消できるものではなかったのである。
そんな暮らしは、エリームにとって息苦しいものだった。それを重く見た彼女の兄アルベルドと幼馴染カルディアスは、二人の結婚を解消させることを決意する。
彼らの働きかけによって、エリームは苦しい生活から解放されるのだった。
晴れて自由の身になったエリームに、一人の男性が婚約を申し込んできた。
それは、彼女の幼馴染であるカルディアスである。彼は以前からエリームに好意を寄せていたようなのだ。
幼い頃から彼の人となりを知っているエリームは、喜んでその婚約を受け入れた。二人は、晴れて夫婦となったのである。
二度目の結婚を果たしたエリームは、以前とは異なる生活を送っていた。
カルディアスは以前の夫とは違い、彼女のことを愛して尊重してくれたのである。
こうして、エリームは幸せな生活を送るのだった。
婚約者が他の女性に興味がある様なので旅に出たら彼が豹変しました
Karamimi
恋愛
9歳の時お互いの両親が仲良しという理由から、幼馴染で同じ年の侯爵令息、オスカーと婚約した伯爵令嬢のアメリア。容姿端麗、強くて優しいオスカーが大好きなアメリアは、この婚約を心から喜んだ。
順風満帆に見えた2人だったが、婚約から5年後、貴族学院に入学してから状況は少しずつ変化する。元々容姿端麗、騎士団でも一目置かれ勉学にも優れたオスカーを他の令嬢たちが放っておく訳もなく、毎日たくさんの令嬢に囲まれるオスカー。
特に最近は、侯爵令嬢のミアと一緒に居る事も多くなった。自分より身分が高く美しいミアと幸せそうに微笑むオスカーの姿を見たアメリアは、ある決意をする。
そんなアメリアに対し、オスカーは…
とても残念なヒーローと、行動派だが周りに流されやすいヒロインのお話です。
【完結】そんなに側妃を愛しているなら邪魔者のわたしは消えることにします。
たろ
恋愛
わたしの愛する人の隣には、わたしではない人がいる。………彼の横で彼を見て微笑んでいた。
わたしはそれを遠くからそっと見て、視線を逸らした。
ううん、もう見るのも嫌だった。
結婚して1年を過ぎた。
政略結婚でも、結婚してしまえばお互い寄り添い大事にして暮らしていけるだろうと思っていた。
なのに彼は婚約してからも結婚してからもわたしを見ない。
見ようとしない。
わたしたち夫婦には子どもが出来なかった。
義両親からの期待というプレッシャーにわたしは心が折れそうになった。
わたしは彼の姿を見るのも嫌で彼との時間を拒否するようになってしまった。
そして彼は側室を迎えた。
拗れた殿下が妻のオリエを愛する話です。
ただそれがオリエに伝わることは……
とても設定はゆるいお話です。
短編から長編へ変更しました。
すみません
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる