上 下
1 / 25
亡命

1. 婚約破棄

しおりを挟む
 それは賑やかなパーティだった。帝国中から貴族諸侯が集結し、豪勢な食事が並ぶ、過去を遡っても類を見ない規模で執り行われた会食だ。
 私もエンフェルト伯爵令嬢として──そして、シュトュール帝国第一皇子の婚約者として、このパーティに参加していた。


「あー、美味しいぃ……」
 両親やエンフェルト領民には悪いが、帝都を所領に含むシアハウゼン領の文化、特に食文化は、他の追随を一切許さない。シアハウゼン家に正式に属するようになれば、このような食事が毎日取れるというのだから、私は幸運の女神に愛されていると言っても過言とはならないだろう。
 丁寧な味付けに口元が緩む。行儀が悪い事と理解しているが、食欲と、それに紐付けられた感情のコントロールが難しいのも事実であり、つまりどうしようもないのだ。
「ギネヴィアお嬢様」
 目立たない色のドレスを着た少女が私を見つめ、首を横に振った。
 むっ、そういえば今日の会食は従者を側につけることになっているのだった。まさかこのような場で小言を聞くことになるとは……。
「食べる?」
「…………」
 睨まれてしまった。貴族の従者がまた貴族であることなど決して少なくない。この娘は貴族ではないけれど、私のドレスをきているならその辺の令嬢よりよっぽど端麗だ。いくら食べても、誰も文句なんて言わないのに。
「いい加減にしてください。そろそろヨハン皇子が入室なさいます。もし、こんな大口を開けて食事を流し込む姿を見られたら──、…………」
「はい、あーん」
 大きなお口でお小言をのたまうから、ステーキを押し込んでやった。
 幸せというのは、目の前のステーキにかぶりつくようなものだ。皇子に見捨てられ、いつか食べられなくなるかもしれないから今食べない? それは最良の幸せとはいえないだろう。もしもとか、かもしれないとか言って、目の前の幸せをないがしろにすると、一生幸福は訪れないのだ。
 ほら、口角が上がってきた。
「美味しい?」
「…………まあ。でも、エンフェルトの食事は懐かしい味、というか……」
 素直じゃない。これからは、シアハウゼン家との国交が深まり、それにつれてエンフェルトの食事も急激な進歩を遂げるだろう。美味しいものを美味しいと認めてしまって、それを自領に持ち帰るのもきっと大事なのだと思う。


「あ、お嬢様」
 近衛達が会場の扉に集結し、ずらっと並んだ。ものものしい雰囲気が扉の奥から漏れ出している。
「ヨハン・ケーニヒ・シアハウゼン殿下、ご入室!」
 会食中の諸侯に緊張が走った。殿下。彼が皇族であることを示す敬称である。
 普段は重苦しい大扉も、その威光を前に軽々しく開かれたように感じた。その扉の先に彼はいた。ヨハン、次期皇帝であり、私に婚約を申し込んだ男。
 彼は重厚な装飾の施された礼服を纏い、厳かに歩む。とても会食には似合わない衣服だ。これだけの貴族を招集したのだから、何か重大な発表でもするのだろう。もしや、正式に私との婚姻を成立させるというのか。サプライズなら歓迎するところだ。
 彼と目が合う。微笑みかけると、彼はすぐに目を逸らした。今のはなんだ、失礼ではないか? まさか、「次期皇帝はエンフェルトの令嬢を真に愛す」とかいうあれか? どう考えても政略結婚のはずなのだが、あの態度を見るに、彼は本当に私に恋でもしているかのようだ。
 彼は皇族のために設けられた席を従者に引かせ、この場の誰よりもどっしりと座った。未だ二十三歳、背丈も恰幅も良いものとはいえない彼は、自分を大きく見せるために必死だ。
 おや、近衛の中に見知った顔がないではないか。確か、エンフェルト領出身の騎士が近衛の地位に上り詰めたと聞いていたが。エンフェルト領主である父も出席するこの会食に彼を呼ばない意図は?

「皆、足労である。突然の不躾な呼びかけに、それでも応えてくれた事、感謝の念に堪えない。こちらも、帝都の粋をかき集めた。是非とも楽しんでいってほしい。帝国きっての音楽隊や、デザートの用意も──」
「失礼」
「…………何だ」
 皇子の挨拶を傾聴していた諸侯らがざわめき出す。何者かが、皇子の言葉を遮ったのだ。本来ならありえない話だ。場合によっては、その場で罰がくだらねばならない。
「何か話があると思って来てやったのだが…………ヨハン殿下」
 声の主の方を向くと、そこには不敵な笑みがあった。彼は華奢なヨハンに対し、声は低く、髭を蓄え、見事な筋肉を携えている。武道に優れ、幾度も諸外国や蛮族の侵攻を弾き返したとされる彼は、グラウスタイン辺境伯。一部諸侯からは、反皇帝派のトップと目されている。
 反皇帝というのはあくまで噂に過ぎなかったが、今ここに証明されたようなものだ。
「私どもも暇ではなくてね。なにせ、東方より来る敵より帝国を守る盾をせねばならんのだ」
「それに関しては、皇族ともども感謝している。兵員が不足しているのなら、皇家や公爵家から優秀な騎士や傭兵の派遣も検討しよう」
「結構だ。雑兵ポーンなど、騎馬が蹂躙することだろう」
「騎馬、とはシアハウゼン軍の騎馬隊ナイトのことか?」
「動物園のポニーを騎馬とは呼べんよ」
 ……いつの間に、皇家と辺境伯家の仲はこれほど険悪になったんだ? もともと良好とは言えなかったが、もはや水と油ではないか。
 冗談じゃないぞ。本当にシャレにならない。私の父親が治めるエンフェルト領は、皇家たるシアハウゼン領と辺境伯家たるグラウスタイン領に挟まれる形でそれぞれ隣接しているのだ。この二国が争えば、戦場となるのはうちの領地となる。
 これが、ヨハンと私の婚姻が政略的であるとされる所以か。エンフェルト領を皇帝軍が簡単に通り抜けできれば、グラウスタイン領は目と鼻の先となるのだ。エンフェルト家としては、これに反対はない。仮に二国が戦争状態になったとして、皇家という勝ち馬に乗れるのだから。

「もういい、そちらの望みはなんだ、辺境伯」
 ヨハンが問う。苛立っているようだ。言葉にトゲが見える。
 それに対し、グラウスタイン辺境伯はこう返した。
「時間だ。敵がいつ攻め込んでくるかもわからんのでな。……息子に軍を預けてはいるが……」
「時間?」
「今日、何を公表するつもりか、今ここで聞きたい」
「…………」
 そういうことか。誰しもが、唐突に貴族を招集した理由について考えていた。そして、誰しもが推測する理由が、何か広く公表すべき事があるから、というものだ。
 ヨハンは沈黙している。おそらく、今このタイミングで公表するのは最適ではない。先程、ヨハンはデザートが出ると言っていた。皆が油断しがちなデザートの時間。それが彼の狙い目だったに違いない。だとしたら何だ。これだけの貴族が集まった。政局に大きな影響を及ぼす何かであることは明白だ。
 辺境伯がとった態度は、大国の皇子を相手にするには大きすぎた。東方地域の防衛を一手に担うグラウスタイン辺境伯の影響力は確かに、皇族に連なる公爵を除けば頂点に君臨するほどであるが、それでも過分という評価は拭えない。ヨハンはこれを理由に辺境伯を会場から追い出すことができる。できはするが、形だけ追い出したところで、彼の作り出した空気というものはいつまでも滞留することだろう。
 こうなれば公表しないのもひとつの手だが、その結果残るのは「皇家には秘密があるよ。でもそれが何かは教えないよ」と、こうだ。批判は免れない。
 皇子は言わねばならない。政局に影響する何かを。諸侯が油断しているうちに言いたかったそれを。圧倒的な視線の集まる今、ここで!
 辺境伯は勘づいているのか、本来なら辺境伯にとって不利になるはずだった何かに。不敬罪を犯しかねないリスクを背負ってまで、諸侯の油断を取り払わなければならないほどの何かに──!!

 それは何だ!? 何が起こる?
 神よ! どうかそれが私に無関係であらんことを! 


「シュトュール帝国第一皇子ヨハン・ケーニヒ・シアハウゼンは、今日をもって、ギネヴィア・フォン・エンフェルトとの婚約を破棄することとする」


 ────は?
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。

束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。 だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。 そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。 全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。 気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。 そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。 すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

許婚と親友は両片思いだったので2人の仲を取り持つことにしました

結城芙由奈 
恋愛
<2人の仲を応援するので、どうか私を嫌わないでください> 私には子供のころから決められた許嫁がいた。ある日、久しぶりに再会した親友を紹介した私は次第に2人がお互いを好きになっていく様子に気が付いた。どちらも私にとっては大切な存在。2人から邪魔者と思われ、嫌われたくはないので、私は全力で許嫁と親友の仲を取り持つ事を心に決めた。すると彼の評判が悪くなっていき、それまで冷たかった彼の態度が軟化してきて話は意外な展開に・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

【完結】選ばれなかった王女は、手紙を残して消えることにした。

曽根原ツタ
恋愛
「お姉様、私はヴィンス様と愛し合っているの。だから邪魔者は――消えてくれない?」 「分かったわ」 「えっ……」 男が生まれない王家の第一王女ノルティマは、次の女王になるべく全てを犠牲にして教育を受けていた。 毎日奴隷のように働かされた挙句、将来王配として彼女を支えるはずだった婚約者ヴィンスは──妹と想いあっていた。 裏切りを知ったノルティマは、手紙を残して王宮を去ることに。 何もかも諦めて、崖から湖に飛び降りたとき──救いの手を差し伸べる男が現れて……? ★小説家になろう様で先行更新中

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

心の声が聞こえる私は、婚約者から嫌われていることを知っている。

木山楽斗
恋愛
人の心の声が聞こえるカルミアは、婚約者が自分のことを嫌っていることを知っていた。 そんな婚約者といつまでも一緒にいるつもりはない。そう思っていたカルミアは、彼といつか婚約破棄すると決めていた。 ある時、カルミアは婚約者が浮気していることを心の声によって知った。 そこで、カルミアは、友人のロウィードに協力してもらい、浮気の証拠を集めて、婚約者に突きつけたのである。 こうして、カルミアは婚約破棄して、自分を嫌っている婚約者から解放されるのだった。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

処理中です...