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亡命
1. 婚約破棄
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それは賑やかなパーティだった。帝国中から貴族諸侯が集結し、豪勢な食事が並ぶ、過去を遡っても類を見ない規模で執り行われた会食だ。
私もエンフェルト伯爵令嬢として──そして、シュトュール帝国第一皇子の婚約者として、このパーティに参加していた。
「あー、美味しいぃ……」
両親やエンフェルト領民には悪いが、帝都を所領に含むシアハウゼン領の文化、特に食文化は、他の追随を一切許さない。シアハウゼン家に正式に属するようになれば、このような食事が毎日取れるというのだから、私は幸運の女神に愛されていると言っても過言とはならないだろう。
丁寧な味付けに口元が緩む。行儀が悪い事と理解しているが、食欲と、それに紐付けられた感情のコントロールが難しいのも事実であり、つまりどうしようもないのだ。
「ギネヴィアお嬢様」
目立たない色のドレスを着た少女が私を見つめ、首を横に振った。
むっ、そういえば今日の会食は従者を側につけることになっているのだった。まさかこのような場で小言を聞くことになるとは……。
「食べる?」
「…………」
睨まれてしまった。貴族の従者がまた貴族であることなど決して少なくない。この娘は貴族ではないけれど、私のドレスをきているならその辺の令嬢よりよっぽど端麗だ。いくら食べても、誰も文句なんて言わないのに。
「いい加減にしてください。そろそろヨハン皇子が入室なさいます。もし、こんな大口を開けて食事を流し込む姿を見られたら──、…………」
「はい、あーん」
大きなお口でお小言をのたまうから、ステーキを押し込んでやった。
幸せというのは、目の前のステーキにかぶりつくようなものだ。皇子に見捨てられ、いつか食べられなくなるかもしれないから今食べない? それは最良の幸せとはいえないだろう。もしもとか、かもしれないとか言って、目の前の幸せをないがしろにすると、一生幸福は訪れないのだ。
ほら、口角が上がってきた。
「美味しい?」
「…………まあ。でも、エンフェルトの食事は懐かしい味、というか……」
素直じゃない。これからは、シアハウゼン家との国交が深まり、それにつれてエンフェルトの食事も急激な進歩を遂げるだろう。美味しいものを美味しいと認めてしまって、それを自領に持ち帰るのもきっと大事なのだと思う。
「あ、お嬢様」
近衛達が会場の扉に集結し、ずらっと並んだ。ものものしい雰囲気が扉の奥から漏れ出している。
「ヨハン・ケーニヒ・シアハウゼン殿下、ご入室!」
会食中の諸侯に緊張が走った。殿下。彼が皇族であることを示す敬称である。
普段は重苦しい大扉も、その威光を前に軽々しく開かれたように感じた。その扉の先に彼はいた。ヨハン、次期皇帝であり、私に婚約を申し込んだ男。
彼は重厚な装飾の施された礼服を纏い、厳かに歩む。とても会食には似合わない衣服だ。これだけの貴族を招集したのだから、何か重大な発表でもするのだろう。もしや、正式に私との婚姻を成立させるというのか。サプライズなら歓迎するところだ。
彼と目が合う。微笑みかけると、彼はすぐに目を逸らした。今のはなんだ、失礼ではないか? まさか、「次期皇帝はエンフェルトの令嬢を真に愛す」とかいうあれか? どう考えても政略結婚のはずなのだが、あの態度を見るに、彼は本当に私に恋でもしているかのようだ。
彼は皇族のために設けられた席を従者に引かせ、この場の誰よりもどっしりと座った。未だ二十三歳、背丈も恰幅も良いものとはいえない彼は、自分を大きく見せるために必死だ。
おや、近衛の中に見知った顔がないではないか。確か、エンフェルト領出身の騎士が近衛の地位に上り詰めたと聞いていたが。エンフェルト領主である父も出席するこの会食に彼を呼ばない意図は?
「皆、足労である。突然の不躾な呼びかけに、それでも応えてくれた事、感謝の念に堪えない。こちらも、帝都の粋をかき集めた。是非とも楽しんでいってほしい。帝国きっての音楽隊や、デザートの用意も──」
「失礼」
「…………何だ」
皇子の挨拶を傾聴していた諸侯らがざわめき出す。何者かが、皇子の言葉を遮ったのだ。本来ならありえない話だ。場合によっては、その場で罰がくだらねばならない。
「何か話があると思って来てやったのだが…………ヨハン殿下」
声の主の方を向くと、そこには不敵な笑みがあった。彼は華奢なヨハンに対し、声は低く、髭を蓄え、見事な筋肉を携えている。武道に優れ、幾度も諸外国や蛮族の侵攻を弾き返したとされる彼は、グラウスタイン辺境伯。一部諸侯からは、反皇帝派のトップと目されている。
反皇帝というのはあくまで噂に過ぎなかったが、今ここに証明されたようなものだ。
「私どもも暇ではなくてね。なにせ、東方より来る敵より帝国を守る盾をせねばならんのだ」
「それに関しては、皇族ともども感謝している。兵員が不足しているのなら、皇家や公爵家から優秀な騎士や傭兵の派遣も検討しよう」
「結構だ。雑兵など、騎馬が蹂躙することだろう」
「騎馬、とはシアハウゼン軍の騎馬隊のことか?」
「動物園のポニーを騎馬とは呼べんよ」
……いつの間に、皇家と辺境伯家の仲はこれほど険悪になったんだ? もともと良好とは言えなかったが、もはや水と油ではないか。
冗談じゃないぞ。本当にシャレにならない。私の父親が治めるエンフェルト領は、皇家たるシアハウゼン領と辺境伯家たるグラウスタイン領に挟まれる形でそれぞれ隣接しているのだ。この二国が争えば、戦場となるのはうちの領地となる。
これが、ヨハンと私の婚姻が政略的であるとされる所以か。エンフェルト領を皇帝軍が簡単に通り抜けできれば、グラウスタイン領は目と鼻の先となるのだ。エンフェルト家としては、これに反対はない。仮に二国が戦争状態になったとして、皇家という勝ち馬に乗れるのだから。
「もういい、そちらの望みはなんだ、辺境伯」
ヨハンが問う。苛立っているようだ。言葉にトゲが見える。
それに対し、グラウスタイン辺境伯はこう返した。
「時間だ。敵がいつ攻め込んでくるかもわからんのでな。……息子に軍を預けてはいるが……」
「時間?」
「今日、何を公表するつもりか、今ここで聞きたい」
「…………」
そういうことか。誰しもが、唐突に貴族を招集した理由について考えていた。そして、誰しもが推測する理由が、何か広く公表すべき事があるから、というものだ。
ヨハンは沈黙している。おそらく、今このタイミングで公表するのは最適ではない。先程、ヨハンはデザートが出ると言っていた。皆が油断しがちなデザートの時間。それが彼の狙い目だったに違いない。だとしたら何だ。これだけの貴族が集まった。政局に大きな影響を及ぼす何かであることは明白だ。
辺境伯がとった態度は、大国の皇子を相手にするには大きすぎた。東方地域の防衛を一手に担うグラウスタイン辺境伯の影響力は確かに、皇族に連なる公爵を除けば頂点に君臨するほどであるが、それでも過分という評価は拭えない。ヨハンはこれを理由に辺境伯を会場から追い出すことができる。できはするが、形だけ追い出したところで、彼の作り出した空気というものはいつまでも滞留することだろう。
こうなれば公表しないのもひとつの手だが、その結果残るのは「皇家には秘密があるよ。でもそれが何かは教えないよ」と、こうだ。批判は免れない。
皇子は言わねばならない。政局に影響する何かを。諸侯が油断しているうちに言いたかったそれを。圧倒的な視線の集まる今、ここで!
辺境伯は勘づいているのか、本来なら辺境伯にとって不利になるはずだった何かに。不敬罪を犯しかねないリスクを背負ってまで、諸侯の油断を取り払わなければならないほどの何かに──!!
それは何だ!? 何が起こる?
神よ! どうかそれが私に無関係であらんことを!
「シュトュール帝国第一皇子ヨハン・ケーニヒ・シアハウゼンは、今日をもって、ギネヴィア・フォン・エンフェルトとの婚約を破棄することとする」
────は?
私もエンフェルト伯爵令嬢として──そして、シュトュール帝国第一皇子の婚約者として、このパーティに参加していた。
「あー、美味しいぃ……」
両親やエンフェルト領民には悪いが、帝都を所領に含むシアハウゼン領の文化、特に食文化は、他の追随を一切許さない。シアハウゼン家に正式に属するようになれば、このような食事が毎日取れるというのだから、私は幸運の女神に愛されていると言っても過言とはならないだろう。
丁寧な味付けに口元が緩む。行儀が悪い事と理解しているが、食欲と、それに紐付けられた感情のコントロールが難しいのも事実であり、つまりどうしようもないのだ。
「ギネヴィアお嬢様」
目立たない色のドレスを着た少女が私を見つめ、首を横に振った。
むっ、そういえば今日の会食は従者を側につけることになっているのだった。まさかこのような場で小言を聞くことになるとは……。
「食べる?」
「…………」
睨まれてしまった。貴族の従者がまた貴族であることなど決して少なくない。この娘は貴族ではないけれど、私のドレスをきているならその辺の令嬢よりよっぽど端麗だ。いくら食べても、誰も文句なんて言わないのに。
「いい加減にしてください。そろそろヨハン皇子が入室なさいます。もし、こんな大口を開けて食事を流し込む姿を見られたら──、…………」
「はい、あーん」
大きなお口でお小言をのたまうから、ステーキを押し込んでやった。
幸せというのは、目の前のステーキにかぶりつくようなものだ。皇子に見捨てられ、いつか食べられなくなるかもしれないから今食べない? それは最良の幸せとはいえないだろう。もしもとか、かもしれないとか言って、目の前の幸せをないがしろにすると、一生幸福は訪れないのだ。
ほら、口角が上がってきた。
「美味しい?」
「…………まあ。でも、エンフェルトの食事は懐かしい味、というか……」
素直じゃない。これからは、シアハウゼン家との国交が深まり、それにつれてエンフェルトの食事も急激な進歩を遂げるだろう。美味しいものを美味しいと認めてしまって、それを自領に持ち帰るのもきっと大事なのだと思う。
「あ、お嬢様」
近衛達が会場の扉に集結し、ずらっと並んだ。ものものしい雰囲気が扉の奥から漏れ出している。
「ヨハン・ケーニヒ・シアハウゼン殿下、ご入室!」
会食中の諸侯に緊張が走った。殿下。彼が皇族であることを示す敬称である。
普段は重苦しい大扉も、その威光を前に軽々しく開かれたように感じた。その扉の先に彼はいた。ヨハン、次期皇帝であり、私に婚約を申し込んだ男。
彼は重厚な装飾の施された礼服を纏い、厳かに歩む。とても会食には似合わない衣服だ。これだけの貴族を招集したのだから、何か重大な発表でもするのだろう。もしや、正式に私との婚姻を成立させるというのか。サプライズなら歓迎するところだ。
彼と目が合う。微笑みかけると、彼はすぐに目を逸らした。今のはなんだ、失礼ではないか? まさか、「次期皇帝はエンフェルトの令嬢を真に愛す」とかいうあれか? どう考えても政略結婚のはずなのだが、あの態度を見るに、彼は本当に私に恋でもしているかのようだ。
彼は皇族のために設けられた席を従者に引かせ、この場の誰よりもどっしりと座った。未だ二十三歳、背丈も恰幅も良いものとはいえない彼は、自分を大きく見せるために必死だ。
おや、近衛の中に見知った顔がないではないか。確か、エンフェルト領出身の騎士が近衛の地位に上り詰めたと聞いていたが。エンフェルト領主である父も出席するこの会食に彼を呼ばない意図は?
「皆、足労である。突然の不躾な呼びかけに、それでも応えてくれた事、感謝の念に堪えない。こちらも、帝都の粋をかき集めた。是非とも楽しんでいってほしい。帝国きっての音楽隊や、デザートの用意も──」
「失礼」
「…………何だ」
皇子の挨拶を傾聴していた諸侯らがざわめき出す。何者かが、皇子の言葉を遮ったのだ。本来ならありえない話だ。場合によっては、その場で罰がくだらねばならない。
「何か話があると思って来てやったのだが…………ヨハン殿下」
声の主の方を向くと、そこには不敵な笑みがあった。彼は華奢なヨハンに対し、声は低く、髭を蓄え、見事な筋肉を携えている。武道に優れ、幾度も諸外国や蛮族の侵攻を弾き返したとされる彼は、グラウスタイン辺境伯。一部諸侯からは、反皇帝派のトップと目されている。
反皇帝というのはあくまで噂に過ぎなかったが、今ここに証明されたようなものだ。
「私どもも暇ではなくてね。なにせ、東方より来る敵より帝国を守る盾をせねばならんのだ」
「それに関しては、皇族ともども感謝している。兵員が不足しているのなら、皇家や公爵家から優秀な騎士や傭兵の派遣も検討しよう」
「結構だ。雑兵など、騎馬が蹂躙することだろう」
「騎馬、とはシアハウゼン軍の騎馬隊のことか?」
「動物園のポニーを騎馬とは呼べんよ」
……いつの間に、皇家と辺境伯家の仲はこれほど険悪になったんだ? もともと良好とは言えなかったが、もはや水と油ではないか。
冗談じゃないぞ。本当にシャレにならない。私の父親が治めるエンフェルト領は、皇家たるシアハウゼン領と辺境伯家たるグラウスタイン領に挟まれる形でそれぞれ隣接しているのだ。この二国が争えば、戦場となるのはうちの領地となる。
これが、ヨハンと私の婚姻が政略的であるとされる所以か。エンフェルト領を皇帝軍が簡単に通り抜けできれば、グラウスタイン領は目と鼻の先となるのだ。エンフェルト家としては、これに反対はない。仮に二国が戦争状態になったとして、皇家という勝ち馬に乗れるのだから。
「もういい、そちらの望みはなんだ、辺境伯」
ヨハンが問う。苛立っているようだ。言葉にトゲが見える。
それに対し、グラウスタイン辺境伯はこう返した。
「時間だ。敵がいつ攻め込んでくるかもわからんのでな。……息子に軍を預けてはいるが……」
「時間?」
「今日、何を公表するつもりか、今ここで聞きたい」
「…………」
そういうことか。誰しもが、唐突に貴族を招集した理由について考えていた。そして、誰しもが推測する理由が、何か広く公表すべき事があるから、というものだ。
ヨハンは沈黙している。おそらく、今このタイミングで公表するのは最適ではない。先程、ヨハンはデザートが出ると言っていた。皆が油断しがちなデザートの時間。それが彼の狙い目だったに違いない。だとしたら何だ。これだけの貴族が集まった。政局に大きな影響を及ぼす何かであることは明白だ。
辺境伯がとった態度は、大国の皇子を相手にするには大きすぎた。東方地域の防衛を一手に担うグラウスタイン辺境伯の影響力は確かに、皇族に連なる公爵を除けば頂点に君臨するほどであるが、それでも過分という評価は拭えない。ヨハンはこれを理由に辺境伯を会場から追い出すことができる。できはするが、形だけ追い出したところで、彼の作り出した空気というものはいつまでも滞留することだろう。
こうなれば公表しないのもひとつの手だが、その結果残るのは「皇家には秘密があるよ。でもそれが何かは教えないよ」と、こうだ。批判は免れない。
皇子は言わねばならない。政局に影響する何かを。諸侯が油断しているうちに言いたかったそれを。圧倒的な視線の集まる今、ここで!
辺境伯は勘づいているのか、本来なら辺境伯にとって不利になるはずだった何かに。不敬罪を犯しかねないリスクを背負ってまで、諸侯の油断を取り払わなければならないほどの何かに──!!
それは何だ!? 何が起こる?
神よ! どうかそれが私に無関係であらんことを!
「シュトュール帝国第一皇子ヨハン・ケーニヒ・シアハウゼンは、今日をもって、ギネヴィア・フォン・エンフェルトとの婚約を破棄することとする」
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