9 / 12
出会った人と生きていく
しおりを挟む
寺子屋を後にして、歩き出す。ある角を曲がったとき、前から華やかな一団がやって来るのが見える。傘を掲げる人、荷物を持つ人、華を振らせる男の人。お囃子の音に、周りから上がる感嘆の悲鳴。もれる、黄色いため息。殿に負けない人気ぶり
「殿、あの人達はナニ」
「うむ、こちらに来てくれるようじゃ、すぐにわかるの。それにしても、運が良かったのお。帰って来ておったんじゃの」
華やかな人垣は、殿とわたしの前で留まる。と、花吹雪が倍になる。扇子で扇いで、花を撒き散らす。お囃子も一層、賑やかになる
「と、との~」
「案じなくて良いの」
気押される、わたし、殿の袖を掴む。すると従者と華撒きさんが退いたその先、甘い甘い良い香りが漂ってくる。花吹雪やお囃子、香りの中心にいたのは
「まぁまぁ、御館様ぁ。まさか、大江戸城下でお目にかかれるとは思いませんでしたわぁ」
花魁着物を着こなし、煌びやかなかんざしを差した、凄まじい美人がいた。お、同じ人間だろうか、背後にキラキラが見える気がする
「ワシの言葉じゃ、舞彩(まい)戻っておったのじゃのぅ。大江戸へ入ったのは何時かの」
「昨日(さくじつ)ですわぁ。本当はそのままの足で、お目通りいたしたかったですの~。ですが旅の埃も落とさずに伺うのは、失礼と万感思い踏みとどめましたの」
どうやら殿は、この人とも親しいみたい。綺麗な人は、声まで綺麗。聴いてるだけで、心地よい声色だ
「本日こそ、お目通りをと思ってましたところに、御館様がお出ましとの騒ぎを耳にしましたの。もう、お座敷もそこそこに、やって参りましたわぁ」
殿との会話が、嬉しくてたまらない感じ。女の人、顎のした、鮮やかな扇を開く。かんざしについている、いくつもの瓔珞が、鈴のように鳴る。着物の裾を引きずらないように、小さな二人の女の子が僅かにたくし上げている
「それは、手間をかけたのぅ。はっは、お座敷を投げ出してはイカンのう」
「とんでもありませんわぁ。御館様がお出ましならば、いても立っても、いられませんでしたの~」
くせの無い、絹のようなロングヘアー、後ろ髪の先端を結んでいる。切れ長だけど、優しい雰囲気の瞳、まつげバッチリ。お化粧は、多分、少ししてる程度のナチュラルメイク。女のわたしでもため息出そうな、絶世の美人さん
「うむ、そうじゃ。舞彩がおるなら頼みたいの。明日のぅ、天歌屋で、此方のアカネ殿を迎える宴を行うのじゃ。舞彩の歌と舞踊を披露しては貰えんかのぅ」
わたしの肩に手を置き、紹介してくれる、殿
「まぁまぁ、可愛らしいお嬢様ですの。御館様、お断りする理由がありませんわ。はじめまして、アカネさん、舞彩と申しますの。以後お見知りおきを、お願い致しますわぁ」
妖艶な笑みを浮かべる、マイさん。扇を胸の位置まで下げ、お辞儀。その仕草で『谷間』が強調され、大人の色香がすさまじい。ぷるぷるの唇が、いかにも妖艶。まわりから、桃色のため息が漏れる
「ぁっ―はちめまして、マイさん」
実際わたしも、色気に呑まれそうになる。どうにか立て直して、お辞儀。したけど思いっきり、あいさつ噛んだ
「アカネ殿はのぅ舞彩、叔父上の末娘なんじゃよ。昨晩、越後より参った、の」
「まぁまぁまあ、越後様の娘様。それでは、わたくしが参じるなど恐れ多くはありませんか、御館様」
驚きの声と顔の舞彩さん。周りの人たち『御殿様、舞彩太夫(たゆう)に越後様の娘様。今日はなんて日だ』そんな声をあげる。事態が大げさになりすぎて、もうどうにもできない
「ほっほ、何を申すかのぅ、舞彩。大和一のそなたが歌と舞、どうか披露してほしいのう。それにの、舞彩、鍛冶屋の鋼も呼んでおるのぅ」
コウ君の名前を聞いた琉華さん、微笑みが増しマシ
「まぁまぁまぁ、鋼さんも。ますます、お断りできませんわ。ああ、愛しの鋼さん」
「はっはっは、存分に可愛がると良いの」
悶えてる、マイさん。カラカラ笑う殿
「そうですわ、御館様。わたくしの妹を連れて行っても構いませんか。最近入った新顔で、歌と踊りはまだまだですが、お三味線の腕は逸品ですの。そろそろお座敷に、お顔見せさせたいと思っていましたところですわぁ」
扇を一気に畳む、マイさん。名案を思いついたって感じのリアクション。乾いた、気持ちの良い音が響く
「これは、嬉しい申し出じゃ。願ってもないの。アカネ殿の宴が、初お披露目というわけじゃ。ますますもって、楽しみじゃの。舞彩、明日昼より、天歌屋で催すでの。それまでに、の」
マイさんの提案に、殿、大きく頷いて肯定。マイさんに加え、もう一人来てくれることになるみたい
「必ず伺いますわぁ。まぁまぁ、天歌屋様で、越後様の娘様をご歓迎。そこにはせ参じるなんて、御館様にお目通りした御利益ですわぁ」
「大げさじゃ、舞彩。では、本日はこれにてのぅ。急ぎ足ですまんのじゃが、アカネ殿に、大江戸を案内(あない)しておる最中での」
「ご宴会、楽しみにしてますわぁ」
殿と話す舞彩さんは、どこか幼く見える気がする。殿の声に、歓声、感嘆、黄色桃色。色々な悲鳴に見送られ、再び歩き出す。わたしは殿に聞く
「殿、あの美人さん、マイさんはどんな人」
「舞彩はの、大人気の芸妓じゃの。歌と舞踊で人を魅了するのじゃ。大和一の太夫(たゆう)でのぅ、大江戸に居ることは少ないほどじゃ。国中引っ張りだこじゃからの」
正面を見つめ、笑いながら話す、殿。わたし、またその横を付いて歩く
「そうなんだ。ホント、綺麗なひとだもんね~。そういえば、コウ君のことも言ってたけど、なにか関係あるの」
納得と、再び浮かぶ疑問を口にする
「以前のぅ、お座敷が遅くなった時があったらしくての。舞彩が、野犬に襲われたそうじゃ。その時、たまたま通りがかった鋼が、必死に撃退したらしくての。よい男気じゃ」
二三度頷き、コウ君の事を語る殿。何処か誇らしげ。わたしも、弟が褒められてる気分で
「コウ君、ほんとにイイコなんだね。マイさん護ったんだぁ」
やや前のめり気味で返す。声が弾んじゃう
「火焚き棒だけが武器だったそうでの。追い払いはしたが、鋼も傷だらけじゃったそうだの」
『身を挺して守る』そんな言葉を、聞いたことがある。コウ君、言葉通り守ったんだ
「傷が元で高熱を出した鋼を、付ききりで舞彩が看病したらしいのぅ。それ以来、鋼が、大のお気に入りというわけじゃ」
「あんな綺麗な人のお気に入り、コウ君、幸せ者だ~」
殿、吐息をつき、笑いながらわたしを観る
「じゃの。本人は大分(だいぶん)照れておるがの。じゃが、それだけのことをやってのけたと言う事じゃの。幸せに過ぎるくらいでちょうど良い。アカネ、そなたにも同じ事が言えようの」
「わたしにも」
殿が目線を合わせてくる
「左様じゃの。これからは、幸せに生きれば良いということじゃ。もとの世に戻っても、の」
元の世界に戻る。そんな事が出来るのかはわかんない。でも一つ、言えることがある。帰ることを想像すると、背筋が寒くなる。だからわたしは帰りたくなんかない。二度と化け物(しんぞく)の家に、飲み込まれたくない
「―っ殿」
歩みを止めるわたし。両手を握りしめる
「如何したかの、アカネ」
突然歩くのを止めたわたし。殿が不思議そうに訊いてくる。わたしは衝動が湧き上がる。それを言葉にする
「わたし、ちょっと前まで、生きてても、何もいいことない。そんな風に思ってた。この大江戸に来て、颯馬さんに斬られそうになって。わたし、思った、死にたくないって」
『生きてるのか死んでるのか解らない』化け物の家(しんるいのいえ)で、ただ一度、わたしに投げつけられた言葉
「殿に『生きよ』って言われて思った、生きたいって。はじめて生きてたいって思った」
涙が溢れる。こらえることが出来ない
「アマス屋さんでお菓子食べて、わたし思った『幸せって』」
あの幸せは、初めて思った、幸せだった。あれが、幸せだったんだ
「幸せにって言うなら、生きていいんだったら」
殿に詰め寄っていく。着物の裾を、思いっきり掴む。殿を見上げる。綺麗な瞳は、切なげにわたしを見てた
「殿、幸せにして、わたしをこの大江戸で。わたしが生きたいって思った、この街で。帰る方法なんていらない、化け物の家(しんるいのいえ)何かに戻りたくない。わたし生きたいっ、殿が言うように。コウ(おとうと)が、生きているこの大江戸で。わたし、ココで生きたいのっ」
袖を掴まれたまま、屈んでくれる、殿。切なげに、それでも温かな笑みを浮かべて、わたしを見てくれる
「アカネ」
名前を呼ばれ、掴んでいた袖を、離してしまう。自分の我が儘だけを言ってしまった。もし、それで殿に見放されたらと言う、恐怖に駆られた
「よう耐えた」
おもむろに撫でてくれる、殿。その手のひらが温かくて、また涙が込み上げてくる。安堵の涙
「よう堪え忍んだのぅ」
殿の温かな言葉と手のひらが、涙のタガを外す
「辛かったんだの。一人きり、だったんだの。ワシのように、頼れる友も、家族もおらんかったかの。すまんない事を言ってしまったようじゃの。アカネ、よう耐えた、よう堪え忍んだ」
撫でてくれる、殿の着物の袖を、目に当ててしまう。涙で、殿の着物、汚してしまう
「まずはこの大江戸で、身体と心を休めるがよいの。この地で、まずはそなたの心を癒すと良い、の」
肩に乗った手が、わたしをさすってくれる
「ここにおると良い、の、アカネ。そなたが幸せを感じられるこの世にの」
わたしの前に回り込む。涙を拭ってくれながら、目を合わせながら、わたしに告げてくれる。どこまでも真剣に。わたしのことを、こんなに想ってくれる人がいる。わたしは生きていく。この大江戸で生きていく。殿と同じこの時を、わたしはみんなと生きていく
「ワシと共に、ワシら家族と共に生きようのぅ、アカネ」
涙を拭ってくれる。ワシと共に、ワシら家族と共に。なんて素敵な響きだろう
「わたし、生きるね、一生懸命。殿たちと一緒に」
まだ涙は止まらない。ぐずりながら泣き笑い。殿に告げる、わたし
「生きようの、アカネ。そなたの言うように、懸命にじゃ」
「んっ」
自分の着物の袖で、涙を強めに拭く
「じゃあ今度は、ドコに連れてってくれるの、殿」
シッチャカメッチャカだけど、泣いてばかりで、殿を困らせてもイケナイ。と言って、ドコに行くか殿にまかせる、ワガママ振り
「そうじゃのう。ふふ、泣いた女子が、笑顔になる場所に向かうかの~」
「やった~」
わたしはココで生きていく。殿と一緒に生きていく
「殿、あの人達はナニ」
「うむ、こちらに来てくれるようじゃ、すぐにわかるの。それにしても、運が良かったのお。帰って来ておったんじゃの」
華やかな人垣は、殿とわたしの前で留まる。と、花吹雪が倍になる。扇子で扇いで、花を撒き散らす。お囃子も一層、賑やかになる
「と、との~」
「案じなくて良いの」
気押される、わたし、殿の袖を掴む。すると従者と華撒きさんが退いたその先、甘い甘い良い香りが漂ってくる。花吹雪やお囃子、香りの中心にいたのは
「まぁまぁ、御館様ぁ。まさか、大江戸城下でお目にかかれるとは思いませんでしたわぁ」
花魁着物を着こなし、煌びやかなかんざしを差した、凄まじい美人がいた。お、同じ人間だろうか、背後にキラキラが見える気がする
「ワシの言葉じゃ、舞彩(まい)戻っておったのじゃのぅ。大江戸へ入ったのは何時かの」
「昨日(さくじつ)ですわぁ。本当はそのままの足で、お目通りいたしたかったですの~。ですが旅の埃も落とさずに伺うのは、失礼と万感思い踏みとどめましたの」
どうやら殿は、この人とも親しいみたい。綺麗な人は、声まで綺麗。聴いてるだけで、心地よい声色だ
「本日こそ、お目通りをと思ってましたところに、御館様がお出ましとの騒ぎを耳にしましたの。もう、お座敷もそこそこに、やって参りましたわぁ」
殿との会話が、嬉しくてたまらない感じ。女の人、顎のした、鮮やかな扇を開く。かんざしについている、いくつもの瓔珞が、鈴のように鳴る。着物の裾を引きずらないように、小さな二人の女の子が僅かにたくし上げている
「それは、手間をかけたのぅ。はっは、お座敷を投げ出してはイカンのう」
「とんでもありませんわぁ。御館様がお出ましならば、いても立っても、いられませんでしたの~」
くせの無い、絹のようなロングヘアー、後ろ髪の先端を結んでいる。切れ長だけど、優しい雰囲気の瞳、まつげバッチリ。お化粧は、多分、少ししてる程度のナチュラルメイク。女のわたしでもため息出そうな、絶世の美人さん
「うむ、そうじゃ。舞彩がおるなら頼みたいの。明日のぅ、天歌屋で、此方のアカネ殿を迎える宴を行うのじゃ。舞彩の歌と舞踊を披露しては貰えんかのぅ」
わたしの肩に手を置き、紹介してくれる、殿
「まぁまぁ、可愛らしいお嬢様ですの。御館様、お断りする理由がありませんわ。はじめまして、アカネさん、舞彩と申しますの。以後お見知りおきを、お願い致しますわぁ」
妖艶な笑みを浮かべる、マイさん。扇を胸の位置まで下げ、お辞儀。その仕草で『谷間』が強調され、大人の色香がすさまじい。ぷるぷるの唇が、いかにも妖艶。まわりから、桃色のため息が漏れる
「ぁっ―はちめまして、マイさん」
実際わたしも、色気に呑まれそうになる。どうにか立て直して、お辞儀。したけど思いっきり、あいさつ噛んだ
「アカネ殿はのぅ舞彩、叔父上の末娘なんじゃよ。昨晩、越後より参った、の」
「まぁまぁまあ、越後様の娘様。それでは、わたくしが参じるなど恐れ多くはありませんか、御館様」
驚きの声と顔の舞彩さん。周りの人たち『御殿様、舞彩太夫(たゆう)に越後様の娘様。今日はなんて日だ』そんな声をあげる。事態が大げさになりすぎて、もうどうにもできない
「ほっほ、何を申すかのぅ、舞彩。大和一のそなたが歌と舞、どうか披露してほしいのう。それにの、舞彩、鍛冶屋の鋼も呼んでおるのぅ」
コウ君の名前を聞いた琉華さん、微笑みが増しマシ
「まぁまぁまぁ、鋼さんも。ますます、お断りできませんわ。ああ、愛しの鋼さん」
「はっはっは、存分に可愛がると良いの」
悶えてる、マイさん。カラカラ笑う殿
「そうですわ、御館様。わたくしの妹を連れて行っても構いませんか。最近入った新顔で、歌と踊りはまだまだですが、お三味線の腕は逸品ですの。そろそろお座敷に、お顔見せさせたいと思っていましたところですわぁ」
扇を一気に畳む、マイさん。名案を思いついたって感じのリアクション。乾いた、気持ちの良い音が響く
「これは、嬉しい申し出じゃ。願ってもないの。アカネ殿の宴が、初お披露目というわけじゃ。ますますもって、楽しみじゃの。舞彩、明日昼より、天歌屋で催すでの。それまでに、の」
マイさんの提案に、殿、大きく頷いて肯定。マイさんに加え、もう一人来てくれることになるみたい
「必ず伺いますわぁ。まぁまぁ、天歌屋様で、越後様の娘様をご歓迎。そこにはせ参じるなんて、御館様にお目通りした御利益ですわぁ」
「大げさじゃ、舞彩。では、本日はこれにてのぅ。急ぎ足ですまんのじゃが、アカネ殿に、大江戸を案内(あない)しておる最中での」
「ご宴会、楽しみにしてますわぁ」
殿と話す舞彩さんは、どこか幼く見える気がする。殿の声に、歓声、感嘆、黄色桃色。色々な悲鳴に見送られ、再び歩き出す。わたしは殿に聞く
「殿、あの美人さん、マイさんはどんな人」
「舞彩はの、大人気の芸妓じゃの。歌と舞踊で人を魅了するのじゃ。大和一の太夫(たゆう)でのぅ、大江戸に居ることは少ないほどじゃ。国中引っ張りだこじゃからの」
正面を見つめ、笑いながら話す、殿。わたし、またその横を付いて歩く
「そうなんだ。ホント、綺麗なひとだもんね~。そういえば、コウ君のことも言ってたけど、なにか関係あるの」
納得と、再び浮かぶ疑問を口にする
「以前のぅ、お座敷が遅くなった時があったらしくての。舞彩が、野犬に襲われたそうじゃ。その時、たまたま通りがかった鋼が、必死に撃退したらしくての。よい男気じゃ」
二三度頷き、コウ君の事を語る殿。何処か誇らしげ。わたしも、弟が褒められてる気分で
「コウ君、ほんとにイイコなんだね。マイさん護ったんだぁ」
やや前のめり気味で返す。声が弾んじゃう
「火焚き棒だけが武器だったそうでの。追い払いはしたが、鋼も傷だらけじゃったそうだの」
『身を挺して守る』そんな言葉を、聞いたことがある。コウ君、言葉通り守ったんだ
「傷が元で高熱を出した鋼を、付ききりで舞彩が看病したらしいのぅ。それ以来、鋼が、大のお気に入りというわけじゃ」
「あんな綺麗な人のお気に入り、コウ君、幸せ者だ~」
殿、吐息をつき、笑いながらわたしを観る
「じゃの。本人は大分(だいぶん)照れておるがの。じゃが、それだけのことをやってのけたと言う事じゃの。幸せに過ぎるくらいでちょうど良い。アカネ、そなたにも同じ事が言えようの」
「わたしにも」
殿が目線を合わせてくる
「左様じゃの。これからは、幸せに生きれば良いということじゃ。もとの世に戻っても、の」
元の世界に戻る。そんな事が出来るのかはわかんない。でも一つ、言えることがある。帰ることを想像すると、背筋が寒くなる。だからわたしは帰りたくなんかない。二度と化け物(しんぞく)の家に、飲み込まれたくない
「―っ殿」
歩みを止めるわたし。両手を握りしめる
「如何したかの、アカネ」
突然歩くのを止めたわたし。殿が不思議そうに訊いてくる。わたしは衝動が湧き上がる。それを言葉にする
「わたし、ちょっと前まで、生きてても、何もいいことない。そんな風に思ってた。この大江戸に来て、颯馬さんに斬られそうになって。わたし、思った、死にたくないって」
『生きてるのか死んでるのか解らない』化け物の家(しんるいのいえ)で、ただ一度、わたしに投げつけられた言葉
「殿に『生きよ』って言われて思った、生きたいって。はじめて生きてたいって思った」
涙が溢れる。こらえることが出来ない
「アマス屋さんでお菓子食べて、わたし思った『幸せって』」
あの幸せは、初めて思った、幸せだった。あれが、幸せだったんだ
「幸せにって言うなら、生きていいんだったら」
殿に詰め寄っていく。着物の裾を、思いっきり掴む。殿を見上げる。綺麗な瞳は、切なげにわたしを見てた
「殿、幸せにして、わたしをこの大江戸で。わたしが生きたいって思った、この街で。帰る方法なんていらない、化け物の家(しんるいのいえ)何かに戻りたくない。わたし生きたいっ、殿が言うように。コウ(おとうと)が、生きているこの大江戸で。わたし、ココで生きたいのっ」
袖を掴まれたまま、屈んでくれる、殿。切なげに、それでも温かな笑みを浮かべて、わたしを見てくれる
「アカネ」
名前を呼ばれ、掴んでいた袖を、離してしまう。自分の我が儘だけを言ってしまった。もし、それで殿に見放されたらと言う、恐怖に駆られた
「よう耐えた」
おもむろに撫でてくれる、殿。その手のひらが温かくて、また涙が込み上げてくる。安堵の涙
「よう堪え忍んだのぅ」
殿の温かな言葉と手のひらが、涙のタガを外す
「辛かったんだの。一人きり、だったんだの。ワシのように、頼れる友も、家族もおらんかったかの。すまんない事を言ってしまったようじゃの。アカネ、よう耐えた、よう堪え忍んだ」
撫でてくれる、殿の着物の袖を、目に当ててしまう。涙で、殿の着物、汚してしまう
「まずはこの大江戸で、身体と心を休めるがよいの。この地で、まずはそなたの心を癒すと良い、の」
肩に乗った手が、わたしをさすってくれる
「ここにおると良い、の、アカネ。そなたが幸せを感じられるこの世にの」
わたしの前に回り込む。涙を拭ってくれながら、目を合わせながら、わたしに告げてくれる。どこまでも真剣に。わたしのことを、こんなに想ってくれる人がいる。わたしは生きていく。この大江戸で生きていく。殿と同じこの時を、わたしはみんなと生きていく
「ワシと共に、ワシら家族と共に生きようのぅ、アカネ」
涙を拭ってくれる。ワシと共に、ワシら家族と共に。なんて素敵な響きだろう
「わたし、生きるね、一生懸命。殿たちと一緒に」
まだ涙は止まらない。ぐずりながら泣き笑い。殿に告げる、わたし
「生きようの、アカネ。そなたの言うように、懸命にじゃ」
「んっ」
自分の着物の袖で、涙を強めに拭く
「じゃあ今度は、ドコに連れてってくれるの、殿」
シッチャカメッチャカだけど、泣いてばかりで、殿を困らせてもイケナイ。と言って、ドコに行くか殿にまかせる、ワガママ振り
「そうじゃのう。ふふ、泣いた女子が、笑顔になる場所に向かうかの~」
「やった~」
わたしはココで生きていく。殿と一緒に生きていく
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
番を辞めますさようなら
京佳
恋愛
番である婚約者に冷遇され続けた私は彼の裏切りを目撃した。心が壊れた私は彼の番で居続ける事を放棄した。私ではなく別の人と幸せになって下さい。さようなら…
愛されなかった番
すれ違いエンド
ざまぁ
ゆるゆる設定
殿下から婚約破棄されたけど痛くも痒くもなかった令嬢の話
ルジェ*
ファンタジー
婚約者である第二王子レオナルドの卒業記念パーティーで突然婚約破棄を突きつけられたレティシア・デ・シルエラ。同様に婚約破棄を告げられるレオナルドの側近達の婚約者達。皆唖然とする中、レオナルドは彼の隣に立つ平民ながらも稀有な魔法属性を持つセシリア・ビオレータにその場でプロポーズしてしまうが───
「は?ふざけんなよ。」
これは不運な彼女達が、レオナルド達に逆転勝利するお話。
********
「冒険がしたいので殿下とは結婚しません!」の元になった物です。メモの中で眠っていたのを見つけたのでこれも投稿します。R15は保険です。プロトタイプなので深掘りとか全くなくゆるゆる設定で雑に進んで行きます。ほぼ書きたいところだけ書いたような状態です。細かいことは気にしない方は宜しければ覗いてみてやってください!
*2023/11/22 ファンタジー1位…⁉︎皆様ありがとうございます!!
《勘違い》で婚約破棄された令嬢は失意のうちに自殺しました。
友坂 悠
ファンタジー
「婚約を考え直そう」
貴族院の卒業パーティーの会場で、婚約者フリードよりそう告げられたエルザ。
「それは、婚約を破棄されるとそういうことなのでしょうか?」
耳を疑いそう聞き返すも、
「君も、その方が良いのだろう?」
苦虫を噛み潰すように、そう吐き出すフリードに。
全てに絶望し、失意のうちに自死を選ぶエルザ。
絶景と評判の観光地でありながら、自殺の名所としても知られる断崖絶壁から飛び降りた彼女。
だったのですが。
前略、旦那様……幼馴染と幸せにお過ごし下さい【完結】
迷い人
恋愛
私、シア・エムリスは英知の塔で知識を蓄えた、賢者。
ある日、賢者の天敵に襲われたところを、人獣族のランディに救われ一目惚れ。
自らの有能さを盾に婚姻をしたのだけど……夫であるはずのランディは、私よりも幼馴染が大切らしい。
「だから、王様!! この婚姻無効にしてください!!」
「My天使の願いなら仕方ないなぁ~(*´ω`*)」
※表現には実際と違う場合があります。
そうして、私は婚姻が完全に成立する前に、離婚を成立させたのだったのだけど……。
私を可愛がる国王夫婦は、私を妻に迎えた者に国を譲ると言い出すのだった。
※AIイラスト、キャラ紹介、裏設定を『作品のオマケ』で掲載しています。
※私の我儘で、イチャイチャどまりのR18→R15への変更になりました。 ごめんなさい。
【完結】私だけが知らない
綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。
やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
【完結】「心に決めた人がいる」と旦那様は言った
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
「俺にはずっと心に決めた人がいる。俺が貴方を愛することはない。貴女はその人を迎え入れることさえ許してくれればそれで良いのです。」
そう言われて愛のない結婚をしたスーザン。
彼女にはかつて愛した人との思い出があった・・・
産業革命後のイギリスをモデルにした架空の国が舞台です。貴族制度など独自の設定があります。
----
初めて書いた小説で初めての投稿で沢山の方に読んでいただき驚いています。
終わり方が納得できない!という方が多かったのでエピローグを追加します。
お読みいただきありがとうございます。
愛していないと嘲笑されたので本気を出します
hana
恋愛
「悪いが、お前のことなんて愛していないんだ」そう言って嘲笑をしたのは、夫のブラック。彼は妻である私には微塵も興味がないようで、使用人のサニーと秘かに愛人関係にあった。ブラックの父親にも同じく嘲笑され、サニーから嫌がらせを受けた私は、ついに本気を出すことを決意する。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる