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特別編
桜の年末年始
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一七二五年の大晦日〔十二月三十一日〕
源心の店は年越し蕎麦の準備で大忙しで、この日は左近も蕎麦作りを手伝うのが毎年恒例の行事となっていた。
去年からは桜も加わり、三人で本業とは違う仕事に四苦八苦しながら汗水流して取り組んでいた。
蕎麦を打つのは源心の役目で、左近がそれを切り、桜が茹でていく。
本来であれば、桜は看板娘としてお客さんに配膳しているのだが、大奥での激闘による怪我で彼女の右腕は動かなくなってしまい今は無理であった。
そこへ元吉原大夫朝霧のあやめが手伝いに来てくれた。
「桜さん、みなさん。お手伝いに来ました」
「あやめさん!助かります」
「私で手伝える事ならば何でもやりますよ」
「あやめさん、すまない。ではお客さんに出来上がった蕎麦を配膳してくれませんか」
源心の頼みにあやめはすぐに応じる。
あやめはそれだけでなく、食べ終わった食器の洗いと後片付けもやってくれた。
こうして見事な連携で後から絶え間なく来るお客さんに蕎麦を提供していく。
年末なので営業時間も延長し、四つ時〔夜十時〕まで四人でやり繰りした。
「明日は絶対一日寝るぞ!寝てやる。誰が来ても起きてやるもんか!」
桜がそうぼやくと左近が茶々を入れる。
「お姫様、上様に新年のご挨拶に行かなければならないのに寝ていられるのですか?」
「それは。。行くよ。行かなきゃ仕方ないもん」
桜がふてた表情を浮かべる。
「それに天英院様と月光院様へのご挨拶まわりもあるんですよ。のんびりなどしていられません」
「うう。。全然ゆっくり出来ない」
桜はお正月の挨拶まわりなどこれまでした事がなかった。
紀州時代はそもそも武家屋敷に挨拶まわりするような身分ではなかったし、御庭番になってからはお正月は一度きりで、それも吉宗の元に行けば加納久通や大岡越前も居たので一度で済んでしまう。
後は事件でもない限りはのんびりと過ごす事が出来たのである。
幸いにも御庭番時代のお正月には吉宗への挨拶後は何事もなくのんびり出来た。
だが、お姫様で吉宗の養女ともなれば新年の挨拶まわりは必須だ。
「あ。。頭が痛くなって来た」
「それは仮病という名の病気だね」
左近に突っ込まれて桜は頭を抱える。
「まあ、桜は何だかんだ言っててもやる時はちゃんとやるから心配してないけど」
「重圧をかけてくるね。。」
桜と左近のやり取りを聞いていたあやめが大夫だった頃を思い出していた。
「まあ、お姫様というのも大変ですね。吉原も似た様なもんですけど。大夫ともなればお正月の挨拶まわりは必須でしたからね」
「あやめさん、その苦労、今ならよくわかります」
「私はそれが大夫の特権だと思っていたので、苦労に感じたことはなかったですけど」
「あ。。あれ?」
「桜、これは自覚の問題だね」
「だって、私お姫様になったのつい二ヶ月前だし。。」
「ぶつくさ言っても始まらないでしょ。いつからそんな怠け者になったの」
左近に言われて桜はついに観念した。
寝正月が夢と消えたのだ。
そして一七二六年の年明けがやって来た。
「新年、あけましておめでとうございます」
新年の挨拶があちこちで飛び交う江戸の町。
初日の出を見に品川と高輪あたりに出向く人たちもたくさんいたという。
初日の出を見ると寿命が伸びると言う説があったからだ。
桜は左近の言った通り、何だかんだ言いながらも義理の父である吉宗と天英院、月光院にそれぞれ新年の挨拶まわりを無事に済ませた。
大奥ではお姫様と言うだけあって何十人もの女中たちに挨拶されて、慣れない事に少し疲労の表情もあったものの、そこは若さと体力で乗り切る桜だった。
「終わった!もう休む。絶対休むからね」
「はいはい。予定は全て終わったからゆっくり休んでいいよ」
桜はくたーと大の字になって寝転ぶ。
御庭番時代は寝る時も一切隙を見せなかったが、紀州時代からのお姉さん的存在である左近と二人だけだとつい甘えが出る。
「まったくお姫様なんだから、この姿を誰かに見られたら恥ずかしいよ」
と左近が言っているそばから予想外の人が桜を訪ねて来た。
「う、上様」
左近は慌てて平伏する。
「桜はいるか?」
「はい。おりますが。。その。。」
「なんだ?着替え中か?」
「い、いえ。どうぞお入り下さい」
(桜、どうなっても知らないよ)
左近は後は知らないとばかりにその場を立ち去った。
「桜、雑煮を用意させたから来るがいい」
突然部屋に入って来た吉宗に桜は「きゃ!」と驚きの声を上げる。
「どうした!いきなり声を上げて。驚くではないか」
「す、すみません。。まさかお義父様(とうさま)が入ってくるとは思わなかったので」
吉宗はそれを見て大笑いする。
「なんだ。昼寝の最中だったか。桜、去年は苦労をかけた。せめて正月の雑煮とちょっとした料理くらいは余がご馳走してやろうと思ってな」
吉宗直々の誘いに桜は戸惑いながらもお言葉に甘える事にした。
「今日は余と二人、水入らずじゃ。遠慮なく好きな物を好きなだけ食べるといい」
「はい!」
吉宗とこうして二人きりで正月を過ごすなど御庭番時代には考えられなかった。
「私、紀州でずっと過ごしていたので、江戸のお雑煮が醤油仕立てだったのに驚きました。紀州では白味噌でしたからね」
「そうだな。餅も紀州では丸餅だったが、江戸では角餅。ところ変われば味付け一つとっても変わる物だな」
右腕が動かないためにお椀が持てない桜は吉宗の前で行儀が悪いと思いつつも少し前かがみになって雑煮を食べる。
普段なら女中がお椀を持ってくれるのだが、今日は義理とはいえ親子二人水入らずで過ごすという吉宗の意向で女中もいなかった。
すると吉宗がこれは気がつかなかったとお椀を持ってくれた。
「えっ。大丈夫です。行儀が悪いですけど一人で食べられますので」
「お前は余の義理の娘だ。娘のために親がこれくらいするのは当然であろう」
「。。お義父様。ありがとうございます。先ほど苦労をかけたとおっしゃって下さいましたが、私は全然苦労したなんて思っていません。むしろどれほどお役に立てたか、それだけが不安でございます」
「お前は間違いなく余の臣下で最強の剣客だった。それゆえに使い勝手から無理をさせてすまなかったと思っている。もっと早く気づいておれば良かったのだが」
「私が黙っていただけです。何も気になさらずとも構いません」
「それがお前の悪いところでもある。これからは苦しいとか痛いというのは早めに言ってくれぬと困るぞ」
桜は申し訳なさげに頭を下げる。
「いつかまたお前の力を借りなければならぬ時が来るかも知れぬ。そうならなければよいのだがな」
「私はいつでもお声がけ下さるのをお待ちしてます。もう一度剣を取って戦えと言われれば片手でも戦います」
桜の真剣な目に吉宗はわかったわかったと手を振った。
「万一そんな事態になった時はその時だ。今はゆっくり正月を過ごすとしよう」
「はい!」
その後も吉宗と桜は左近が迎えにくる四つ時〔夜十時〕まで水入らずの時を過ごした。
それは桜にとって初めて「家族」と過ごした正月であった。
⭐︎⭐︎⭐︎
お正月も終わって七草粥も食べ終わった頃、桜はいつものように月光院の元へ吉宗の代行として出向いていた。
その時、大奥の廊下で初めて見る一人の女中が目に入った。
「あれ?初めて見る女中さん。あんな人いたかな?紗希さんみたいに茶髪で身長は私と同じくらいかな?誰だろう。。」
それは新たな事件の始まりであった。
源心の店は年越し蕎麦の準備で大忙しで、この日は左近も蕎麦作りを手伝うのが毎年恒例の行事となっていた。
去年からは桜も加わり、三人で本業とは違う仕事に四苦八苦しながら汗水流して取り組んでいた。
蕎麦を打つのは源心の役目で、左近がそれを切り、桜が茹でていく。
本来であれば、桜は看板娘としてお客さんに配膳しているのだが、大奥での激闘による怪我で彼女の右腕は動かなくなってしまい今は無理であった。
そこへ元吉原大夫朝霧のあやめが手伝いに来てくれた。
「桜さん、みなさん。お手伝いに来ました」
「あやめさん!助かります」
「私で手伝える事ならば何でもやりますよ」
「あやめさん、すまない。ではお客さんに出来上がった蕎麦を配膳してくれませんか」
源心の頼みにあやめはすぐに応じる。
あやめはそれだけでなく、食べ終わった食器の洗いと後片付けもやってくれた。
こうして見事な連携で後から絶え間なく来るお客さんに蕎麦を提供していく。
年末なので営業時間も延長し、四つ時〔夜十時〕まで四人でやり繰りした。
「明日は絶対一日寝るぞ!寝てやる。誰が来ても起きてやるもんか!」
桜がそうぼやくと左近が茶々を入れる。
「お姫様、上様に新年のご挨拶に行かなければならないのに寝ていられるのですか?」
「それは。。行くよ。行かなきゃ仕方ないもん」
桜がふてた表情を浮かべる。
「それに天英院様と月光院様へのご挨拶まわりもあるんですよ。のんびりなどしていられません」
「うう。。全然ゆっくり出来ない」
桜はお正月の挨拶まわりなどこれまでした事がなかった。
紀州時代はそもそも武家屋敷に挨拶まわりするような身分ではなかったし、御庭番になってからはお正月は一度きりで、それも吉宗の元に行けば加納久通や大岡越前も居たので一度で済んでしまう。
後は事件でもない限りはのんびりと過ごす事が出来たのである。
幸いにも御庭番時代のお正月には吉宗への挨拶後は何事もなくのんびり出来た。
だが、お姫様で吉宗の養女ともなれば新年の挨拶まわりは必須だ。
「あ。。頭が痛くなって来た」
「それは仮病という名の病気だね」
左近に突っ込まれて桜は頭を抱える。
「まあ、桜は何だかんだ言っててもやる時はちゃんとやるから心配してないけど」
「重圧をかけてくるね。。」
桜と左近のやり取りを聞いていたあやめが大夫だった頃を思い出していた。
「まあ、お姫様というのも大変ですね。吉原も似た様なもんですけど。大夫ともなればお正月の挨拶まわりは必須でしたからね」
「あやめさん、その苦労、今ならよくわかります」
「私はそれが大夫の特権だと思っていたので、苦労に感じたことはなかったですけど」
「あ。。あれ?」
「桜、これは自覚の問題だね」
「だって、私お姫様になったのつい二ヶ月前だし。。」
「ぶつくさ言っても始まらないでしょ。いつからそんな怠け者になったの」
左近に言われて桜はついに観念した。
寝正月が夢と消えたのだ。
そして一七二六年の年明けがやって来た。
「新年、あけましておめでとうございます」
新年の挨拶があちこちで飛び交う江戸の町。
初日の出を見に品川と高輪あたりに出向く人たちもたくさんいたという。
初日の出を見ると寿命が伸びると言う説があったからだ。
桜は左近の言った通り、何だかんだ言いながらも義理の父である吉宗と天英院、月光院にそれぞれ新年の挨拶まわりを無事に済ませた。
大奥ではお姫様と言うだけあって何十人もの女中たちに挨拶されて、慣れない事に少し疲労の表情もあったものの、そこは若さと体力で乗り切る桜だった。
「終わった!もう休む。絶対休むからね」
「はいはい。予定は全て終わったからゆっくり休んでいいよ」
桜はくたーと大の字になって寝転ぶ。
御庭番時代は寝る時も一切隙を見せなかったが、紀州時代からのお姉さん的存在である左近と二人だけだとつい甘えが出る。
「まったくお姫様なんだから、この姿を誰かに見られたら恥ずかしいよ」
と左近が言っているそばから予想外の人が桜を訪ねて来た。
「う、上様」
左近は慌てて平伏する。
「桜はいるか?」
「はい。おりますが。。その。。」
「なんだ?着替え中か?」
「い、いえ。どうぞお入り下さい」
(桜、どうなっても知らないよ)
左近は後は知らないとばかりにその場を立ち去った。
「桜、雑煮を用意させたから来るがいい」
突然部屋に入って来た吉宗に桜は「きゃ!」と驚きの声を上げる。
「どうした!いきなり声を上げて。驚くではないか」
「す、すみません。。まさかお義父様(とうさま)が入ってくるとは思わなかったので」
吉宗はそれを見て大笑いする。
「なんだ。昼寝の最中だったか。桜、去年は苦労をかけた。せめて正月の雑煮とちょっとした料理くらいは余がご馳走してやろうと思ってな」
吉宗直々の誘いに桜は戸惑いながらもお言葉に甘える事にした。
「今日は余と二人、水入らずじゃ。遠慮なく好きな物を好きなだけ食べるといい」
「はい!」
吉宗とこうして二人きりで正月を過ごすなど御庭番時代には考えられなかった。
「私、紀州でずっと過ごしていたので、江戸のお雑煮が醤油仕立てだったのに驚きました。紀州では白味噌でしたからね」
「そうだな。餅も紀州では丸餅だったが、江戸では角餅。ところ変われば味付け一つとっても変わる物だな」
右腕が動かないためにお椀が持てない桜は吉宗の前で行儀が悪いと思いつつも少し前かがみになって雑煮を食べる。
普段なら女中がお椀を持ってくれるのだが、今日は義理とはいえ親子二人水入らずで過ごすという吉宗の意向で女中もいなかった。
すると吉宗がこれは気がつかなかったとお椀を持ってくれた。
「えっ。大丈夫です。行儀が悪いですけど一人で食べられますので」
「お前は余の義理の娘だ。娘のために親がこれくらいするのは当然であろう」
「。。お義父様。ありがとうございます。先ほど苦労をかけたとおっしゃって下さいましたが、私は全然苦労したなんて思っていません。むしろどれほどお役に立てたか、それだけが不安でございます」
「お前は間違いなく余の臣下で最強の剣客だった。それゆえに使い勝手から無理をさせてすまなかったと思っている。もっと早く気づいておれば良かったのだが」
「私が黙っていただけです。何も気になさらずとも構いません」
「それがお前の悪いところでもある。これからは苦しいとか痛いというのは早めに言ってくれぬと困るぞ」
桜は申し訳なさげに頭を下げる。
「いつかまたお前の力を借りなければならぬ時が来るかも知れぬ。そうならなければよいのだがな」
「私はいつでもお声がけ下さるのをお待ちしてます。もう一度剣を取って戦えと言われれば片手でも戦います」
桜の真剣な目に吉宗はわかったわかったと手を振った。
「万一そんな事態になった時はその時だ。今はゆっくり正月を過ごすとしよう」
「はい!」
その後も吉宗と桜は左近が迎えにくる四つ時〔夜十時〕まで水入らずの時を過ごした。
それは桜にとって初めて「家族」と過ごした正月であった。
⭐︎⭐︎⭐︎
お正月も終わって七草粥も食べ終わった頃、桜はいつものように月光院の元へ吉宗の代行として出向いていた。
その時、大奥の廊下で初めて見る一人の女中が目に入った。
「あれ?初めて見る女中さん。あんな人いたかな?紗希さんみたいに茶髪で身長は私と同じくらいかな?誰だろう。。」
それは新たな事件の始まりであった。
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