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遊郭阿片事件編
遊郭阿片事件九
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紅玉の告白に朝霧はそうだったのかと彼女の心情をようやく理解出来た自分を恥じた。
そして紅玉を諭すように話し始める。
「わっちは穂花姐さんから特別目をかけられていたわけじゃありんせん。ここに来た時わっちは大人を誰も信用出来なくて、心が壊れていたんで穂花姐さんは傷物を扱うような感じでありんした。
逆に紅玉はんはちょっとやそっと叱られてもへこたれない根性があったから突き放しても大丈夫と認められていたんでありんす。
それが紅玉はんにはエコひいきしているように見えなんしたんですな。。
わっちは十二歳になるまで大人の男の人が怖くて話すどころか近寄る事すら出来ない有様でありんした。
穂花姐さんはそんなわっちを辛抱強く時間をかけなんして男の人に慣れるようにしてくれなんした。
そのおかげでようやく吹っ切れたわっちは穂花姐さんになるなら一番頂点の大夫を目指すよう言われなんして必死にやってきなんした」
それを聞いて紅玉は唖然とした。
まさか自分が穂花に認められていたなんて思ってもみなかった。
そして朝霧が男性恐怖症だったのも初めて知った。
朝霧はそれを努力で克服して今の地位を手に入れたのだ。
それなのに自分は朝霧に嫉妬して不貞腐れて、自分から落ちていってしまった。
〔わっちと朝霧はんの差は己の努力を怠り相手に嫉妬しなんしていた心の違いでありんしたか。。〕
「朝霧はんに当たったところで何も変わらん事くらいよくわかっているつもりでありんす。。でも言わずにいられないんでありんす。あんたは上州屋の大旦那に落籍されてここから出られるでありんしょうが、わっちは死ぬまでここから出られないんでありんす」
「紅玉はん。。何で阿片に手を出したんでありんすか?」
朝霧の問いに紅玉はうつむき加減で答える。
「わっちがあんたから二年遅れてようやく格子に上がれた頃、ふとした事から霧右衛門はんが長安先生と話しているのを見てしもうてな。。捕まったあげくに阿片を吸わされたんでありんす」
それを聞いて朝霧は穂花姐さんを思い出した。
穂花も同じように霧右衛門と平田長安の関係を知ってしまって阿片を吸わされたのではないかと。
「紅玉はん、教えて欲しいざんす。穂花姐さんとおふじは長安と霧右衛門の阿片の件を知りなんしたから殺されたんでありんすか?」
「。。穂花姐さんは後から聞きなんしたが、姐さんの年季が迫っていた時期に見世のお職を失いたくない霧右衛門はんは姐さんに阿片を吸わせて判断力を奪い、年季を二年延長させる書類に印を押させたんでありんす。これに絶望した姐さんは阿片を浴びるほど吸って急性中毒で亡くなったんでござりんす」
予想外の答えに朝霧は絶句する。
「それはほんざんすか?」
「ほんざんす。おふじの時はわっちも目撃していたでありんす」
紅玉はその日の事を苦渋の表情で話し始めた。
「おふじはあの夜、長安先生が霧右衛門はんを訪ねて来たので内所〔楼主の席〕へお茶を運びに行きなんした。
ところが二人の姿が見えなんだので、不思議に思いながらも部屋に戻ろうとしなんしたら、偶然長安先生が霧右衛門はんに阿片の袋を手渡したところを見なんしたんです。
見られた霧右衛門はんはその場でおふじを捕まえて男たちに誰にも見つからないように離れに連れて行きなんすよう命じたんでありんす。
おふじは縄で縛られて桶の中に入れられ、この離れに連れて来られた後、口封じのためにそのまま殺されたんでありんす。
遊郭には桶伏せの罰がありんすから桶に入れて運べば誰も怪しまれずに済んだんでありんす。
わっちにはそれを止める力も勇気もなかったでありんす。おふじにも朝霧はんにもすまん事をしたと思っとります。。」
紅玉は朝霧にどれだけ叩かれても罵られても仕方ない時覚悟していたが、話しを聴き終えた朝霧は「そうでありんしたか」と言うと紅玉に礼を述べた。
「紅玉はん、よく話してくれなんした。今からでも遅くはありんせん。しばらく養生して阿片の毒から抜け出すでありんす」
「朝霧はん?」
「そしていつかここから出るんでありんす。わっちも出来る限りの協力はしなんす」
「わっちを許してくれるでありんすか?」
「紅玉はんも霧右衛門に利用されていたとわかれば恨む筋合いはないでありんす。全ての根源は霧右衛門と平田長安でありんす。わっちは桜はんにこの事を伝えてきなんす」
⭐︎⭐︎⭐︎
吉原は周囲を田んぼに囲まれているという、不便な場所にあった。
江戸の中心地から吉原へ行く場合、猪牙舟(ちょきぶね)〔舳先が猪の牙のように細長く尖った、二、三人名乗りの小さな舟〕に乗って隅田川を北上する、駕籠で日本堤の土手を進む、徒歩で行くの三通りあった。
平田長安は駕籠で日本堤を通り抜けて大門まで来るのが通例で、この日も駕籠で大門まで乗り付けて来た。
駕籠を降りた平田長安を源心と左近が前後から挟むように呼び止める。
「止まれ!少し調べたい吟味がある」
「何事ですか?私は医者ですぞ」
平田長安の言葉に聞く耳持たぬとばかりに左近が刀を抜いて首元に近づける。
「静かにしな。平田長安、お前が阿片を玉屋に持ち運びしているのは調べがついている」
「な、何の事だか身に覚えがないが」
慌てる長安の薬箱を源心が調べる。
「これは何だ?」
源心が阿片と思われる紙袋を見つけて長安に確認する。
「それは一粒金丹(いちりゅうきんたん)じゃ」
一粒金丹とは阿片にいくつかの薬を調合して作られた下痢止め薬で効き目があると評判の高い薬であった。
「ほう。一粒金丹ね。では小石川養生所の彩雲先生に調べてもらおう。本当か嘘かすぐにわかるだろう」
長安は歯軋りするような仕草で無念の表情を浮かべる。
「お前の罪状はすでに調べが付いている。大人しくお縄に付くんだな」
こうして長安は源心と左近に捕らえられ、南町奉行所に引き渡された。
⭐︎⭐︎⭐︎
「桜花姐さん」
「おしのちゃん、どうしたの?」
「もうすぐ昼見世が始まりなんすのに朝霧姐さんと紅玉姐さんが二人ともいないでありんす。桜花姐さん二人を見なんしたか?」
「朝霧姐さんと紅玉さんが?」
桜は二人が離れに行ったのではとすぐにわかった。
しかしおしのにそれを言うわけにはいかない。
「わかった。私が探してくる」
そう言って急ぎ離れに向かった。
羅生門河岸に向かい走っていた桜と見世に向かっていた朝霧が江戸町二丁目の表通りで互いの姿を確認して声を掛け合う。
「桜はん」
「朝霧姐さん、どうしたんです?」
「阿片の証拠、見つかりなんした。やはり羅生門河岸の離れでありんした」
「朝霧姐さん、危険ですから動かないように言ったのに。。」
「紅玉の禿、おうめに頼まれては放っておけんでありんすよ。さあ、離れに案内しなんす」
桜は朝霧の後について離れへと向かった。
「隠密め。見つけてしまったようだな。こうなれば長安先生には悪いが口封じのためだ。やむを得まい。朝霧共々始末してやる」
⭐︎⭐︎⭐︎
江戸町二丁目の表通りから羅生門河岸の通りに出る前に桜は背後から迫る殺気に気がついていた。
「朝霧姐さん、どうやら霧右衛門に感づかれたようです」
桜がそう言い終えると同時に二十人もの手下を引き連れて霧右衛門が姿を現した。
「朝霧、お前が裏でコソコソ動いているのはとうに気づいておった。だがお前は長安先生のお気に入りだからな。あえて見てみぬフリをしてやっていたのよ。さんざん育ててやった恩を忘れおって」
「わっちはあんたに育てられた訳ではありんせん。わっちを育ててくれたのは穂花姐さんでありんす。あんたは金でわっちを買っただけの楼主でしかありんせん」
「黙れ!売女のくせに一人前の口を聞くな」
「その売女のお陰でおまんまを食べさせてもらっているのはどなたさんでござりんすかね」
「生意気な口を聞けるのもそこまでよ。この吉原で遊女と芸者が一人や二人いなくなったところで投げ込み寺に放り込んじまえば闇から闇よ。構わねえ、まとめてやっちまえ」
霧右衛門の怒声に男たちが桜と朝霧に襲い掛かる。
突然始まった乱闘騒ぎに通りを歩いている客たちが野次馬で寄ってきたが、霧右衛門の「見せ物じゃねえ」の恫喝にみな見て見ぬフリをして通り過ぎていった。
「焔乃舞(ほむらのまい)」
桜が剣を一閃させると一度に三人の男たちが刀の剣圧で飛ばされる。
タン!という強力な足音と驚異的な速さ。
まるで華麗な踊りのようでいて、剣のひと振りは凄まじい威力。
その動きの美しさに朝霧は目を奪われる。
「桜はん。。なんて美しいんでありんしょう。わっちのような作り物の華やかさではござりんせん。本当に美しいとはこういう事なのでありんしょうね」
しかし相手は二十人。
いくら桜が強いと言っても朝霧も手をこまねいてはいられなかった。
「桜はん、小太刀を貸しておくんなさい」
「朝霧姐さん?」
「わっちは剣術も少し心得があるでありんす。桜はんの手助けが出来ると思うでありんすよ」
桜は一瞬躊躇したが「わかりました」と小太刀を朝霧に手渡す。
桜から小太刀を受け取ると朝霧は抜刀して逆手で刀を構える。
「さあ、かかってくるでありんす」
朝霧の剣技は見事で小太刀が一閃されると男たちが一人また一人と倒されていく。
「大夫って剣術も出来るの?本当、才色兼備って朝霧姐さんのためにあるような言葉ね」
桜も朝霧の剣の腕に驚いた。
一方の霧右衛門は青ざめていた。
「こんな馬鹿な。。」
隠密一人と遊女一人。
二十人もいれば十分だと思っていたのが既に半数が叩きのめされ地面に転がっている。
「やはり酒井と奥村にやってもらうしかないか」
霧右衛門が離れに向かって走り出す。
「待て!」
桜の声に朝霧も霧右衛門が羅生門河岸の通りへと逃げていく姿を確認した。
「ここはあっちに任せて桜はんは霧右衛門を」
「でも朝霧姐さんだけでは。。」
桜がそう言ったところで源心が現れた。
「ここは俺と朝霧さんで食い止める。桜、行け!」
「わかった。源心、朝霧姐さん。頼んだよ」
桜は急ぎ霧右衛門を追う。
「あんさんも桜はんのお仲間でありんすか?」
「はい。源心と申します」
「源心はん、ほならまいりましょうか」
朝霧と源心は共に小太刀を構えて男たちに斬りかかる。
離れに逃げ込んだ霧右衛門は用心棒を呼び出す。
「酒井、奥村。例の隠密だ。やれ!」
霧右衛門に呼ばれた用心棒風の侍二人は刀を手に持ち立ち上がる。
酒井高山(さかいこうざん)と奥村又右衛門(おくむらまたえもん)は霧右衛門が見世に潜入した隠密を葬るために雇われた浪人であった。
酒井高山は離れから出ると桜と鉢合わせる。
「お前が隠密か?俺が相手になる」
「邪魔だてするものは容赦なく斬る」
人二人がやっとすれ違う程度の道幅しかない羅生門河岸の通りである。
横への動きが制限され、前後の動きのみで相手と対峙するため、酒井高山は刀を上段に構える。
一方の桜は中段の構え。
一瞬の静寂のあと、酒井が踏み込み一気に前に出る。
「稲妻落とし」
頭上から恐るべき速さの剣が桜を襲うが、斬ったと思ったそれは空中に舞った袖の切れ端であった。
「焔乃舞(ほむらのまい)」
桜の焔乃舞が一閃されると、酒井は胴に一刀を当てられ、地面にひれ伏して桜を見上げる。
「見事だ。。幕府はいい剣客を抱えているな。。」
酒井はそう言うとばったりと倒れた。
「峰打ちだ。今回は取り調べがあるから斬らずに捕らえる」
桜が酒井を倒すとそこにもう一人の用心棒が現れた。
奥村又右衛門である。
「酒井がやられたか。相手にとって不足なし」
〔こいつはさっきの浪人より出来る。。〕
桜は強敵だと直感した。
⭐︎⭐︎⭐︎
吉原の入り口である大門に南町奉行所の同心がひしめいている。
「これより玉屋楼主霧右衛門の捕縛に参る」
大岡越前の号令に同心たちが一斉に大門から仲の町の大通りを走り抜け、江戸二丁目にある玉屋へと入る。
「なんだい?何なんだよ?」
遣手婆のお里が声を上げると同心の三浦が手短に説明する。
「玉屋楼主霧右衛門を阿片密売の件にて捕縛しに参った。霧右衛門はどこだ?」
「阿片。。そんな事、急に言われても旦那はちょっと目を離したらいなくなってたんだよ」
「探すぞ!邪魔だてしたらお前も同罪でしょっ引く」
「しないよ。しないから他のお客さんに迷惑が掛からないようにしとくれ」
その時、ひと足先に乗り込んでいた左近が大岡越前に報告する。
「大岡様、霧右衛門は羅生門河岸の離れでございます。今、桜が応戦しています。こちらです」
「よし。三浦、離れに向かえ」
「は!」
⭐︎⭐︎⭐︎
奥村の一文字斬りが桜を襲うが、これを難なく受け止める。
「焔乃舞(ほむらのまい)」
桜も焔乃舞を放つが奥村はこれを見切ってかわした。
「その技はさっき酒井を倒した時に見せてもらった」
「なるほど、一度見た技は通じないというわけね」
どんなに剣術が強くても力では男に敵うまい。
奥村はそう考えて上段から剣を振り下ろすと受けた桜をそのまま力でねじ込もうとする。
だが、桜は奥村が渾身の力を込めてもまるで岩のようにピクリともしない。
「なんだと。。」
奥村は信じられない表情を浮かべたが、桜は幼少から常人離れした師匠、美村紗希の剣を死ぬほど受けてきたのだ。
この程度の力技など紗希に比べたら児戯に等しかった。
奥村は力技を諦めていったん桜から離れ間合いを取った。
「さすがに将軍直下の剣客だけあるな」
桜は奥村が距離を取ったのを見ると剣を鞘に納めて居合い抜きの構えを取った。
奥村は全身に凍り付くような悪寒を感じ取る。
こいつはまずい。
そう思ってもすでに間合いは桜にあった。
「迅速斬(しんそくざん)」
桜の長神速の抜刀が抜き放たれ、胴に直撃すると、奥村は苦悶の表情でその場に倒れた。
この際も桜は抜刀の直前に鞘を回転させて峰打ちになるようにしていた。
「残るは霧右衛門のみ」
そして紅玉を諭すように話し始める。
「わっちは穂花姐さんから特別目をかけられていたわけじゃありんせん。ここに来た時わっちは大人を誰も信用出来なくて、心が壊れていたんで穂花姐さんは傷物を扱うような感じでありんした。
逆に紅玉はんはちょっとやそっと叱られてもへこたれない根性があったから突き放しても大丈夫と認められていたんでありんす。
それが紅玉はんにはエコひいきしているように見えなんしたんですな。。
わっちは十二歳になるまで大人の男の人が怖くて話すどころか近寄る事すら出来ない有様でありんした。
穂花姐さんはそんなわっちを辛抱強く時間をかけなんして男の人に慣れるようにしてくれなんした。
そのおかげでようやく吹っ切れたわっちは穂花姐さんになるなら一番頂点の大夫を目指すよう言われなんして必死にやってきなんした」
それを聞いて紅玉は唖然とした。
まさか自分が穂花に認められていたなんて思ってもみなかった。
そして朝霧が男性恐怖症だったのも初めて知った。
朝霧はそれを努力で克服して今の地位を手に入れたのだ。
それなのに自分は朝霧に嫉妬して不貞腐れて、自分から落ちていってしまった。
〔わっちと朝霧はんの差は己の努力を怠り相手に嫉妬しなんしていた心の違いでありんしたか。。〕
「朝霧はんに当たったところで何も変わらん事くらいよくわかっているつもりでありんす。。でも言わずにいられないんでありんす。あんたは上州屋の大旦那に落籍されてここから出られるでありんしょうが、わっちは死ぬまでここから出られないんでありんす」
「紅玉はん。。何で阿片に手を出したんでありんすか?」
朝霧の問いに紅玉はうつむき加減で答える。
「わっちがあんたから二年遅れてようやく格子に上がれた頃、ふとした事から霧右衛門はんが長安先生と話しているのを見てしもうてな。。捕まったあげくに阿片を吸わされたんでありんす」
それを聞いて朝霧は穂花姐さんを思い出した。
穂花も同じように霧右衛門と平田長安の関係を知ってしまって阿片を吸わされたのではないかと。
「紅玉はん、教えて欲しいざんす。穂花姐さんとおふじは長安と霧右衛門の阿片の件を知りなんしたから殺されたんでありんすか?」
「。。穂花姐さんは後から聞きなんしたが、姐さんの年季が迫っていた時期に見世のお職を失いたくない霧右衛門はんは姐さんに阿片を吸わせて判断力を奪い、年季を二年延長させる書類に印を押させたんでありんす。これに絶望した姐さんは阿片を浴びるほど吸って急性中毒で亡くなったんでござりんす」
予想外の答えに朝霧は絶句する。
「それはほんざんすか?」
「ほんざんす。おふじの時はわっちも目撃していたでありんす」
紅玉はその日の事を苦渋の表情で話し始めた。
「おふじはあの夜、長安先生が霧右衛門はんを訪ねて来たので内所〔楼主の席〕へお茶を運びに行きなんした。
ところが二人の姿が見えなんだので、不思議に思いながらも部屋に戻ろうとしなんしたら、偶然長安先生が霧右衛門はんに阿片の袋を手渡したところを見なんしたんです。
見られた霧右衛門はんはその場でおふじを捕まえて男たちに誰にも見つからないように離れに連れて行きなんすよう命じたんでありんす。
おふじは縄で縛られて桶の中に入れられ、この離れに連れて来られた後、口封じのためにそのまま殺されたんでありんす。
遊郭には桶伏せの罰がありんすから桶に入れて運べば誰も怪しまれずに済んだんでありんす。
わっちにはそれを止める力も勇気もなかったでありんす。おふじにも朝霧はんにもすまん事をしたと思っとります。。」
紅玉は朝霧にどれだけ叩かれても罵られても仕方ない時覚悟していたが、話しを聴き終えた朝霧は「そうでありんしたか」と言うと紅玉に礼を述べた。
「紅玉はん、よく話してくれなんした。今からでも遅くはありんせん。しばらく養生して阿片の毒から抜け出すでありんす」
「朝霧はん?」
「そしていつかここから出るんでありんす。わっちも出来る限りの協力はしなんす」
「わっちを許してくれるでありんすか?」
「紅玉はんも霧右衛門に利用されていたとわかれば恨む筋合いはないでありんす。全ての根源は霧右衛門と平田長安でありんす。わっちは桜はんにこの事を伝えてきなんす」
⭐︎⭐︎⭐︎
吉原は周囲を田んぼに囲まれているという、不便な場所にあった。
江戸の中心地から吉原へ行く場合、猪牙舟(ちょきぶね)〔舳先が猪の牙のように細長く尖った、二、三人名乗りの小さな舟〕に乗って隅田川を北上する、駕籠で日本堤の土手を進む、徒歩で行くの三通りあった。
平田長安は駕籠で日本堤を通り抜けて大門まで来るのが通例で、この日も駕籠で大門まで乗り付けて来た。
駕籠を降りた平田長安を源心と左近が前後から挟むように呼び止める。
「止まれ!少し調べたい吟味がある」
「何事ですか?私は医者ですぞ」
平田長安の言葉に聞く耳持たぬとばかりに左近が刀を抜いて首元に近づける。
「静かにしな。平田長安、お前が阿片を玉屋に持ち運びしているのは調べがついている」
「な、何の事だか身に覚えがないが」
慌てる長安の薬箱を源心が調べる。
「これは何だ?」
源心が阿片と思われる紙袋を見つけて長安に確認する。
「それは一粒金丹(いちりゅうきんたん)じゃ」
一粒金丹とは阿片にいくつかの薬を調合して作られた下痢止め薬で効き目があると評判の高い薬であった。
「ほう。一粒金丹ね。では小石川養生所の彩雲先生に調べてもらおう。本当か嘘かすぐにわかるだろう」
長安は歯軋りするような仕草で無念の表情を浮かべる。
「お前の罪状はすでに調べが付いている。大人しくお縄に付くんだな」
こうして長安は源心と左近に捕らえられ、南町奉行所に引き渡された。
⭐︎⭐︎⭐︎
「桜花姐さん」
「おしのちゃん、どうしたの?」
「もうすぐ昼見世が始まりなんすのに朝霧姐さんと紅玉姐さんが二人ともいないでありんす。桜花姐さん二人を見なんしたか?」
「朝霧姐さんと紅玉さんが?」
桜は二人が離れに行ったのではとすぐにわかった。
しかしおしのにそれを言うわけにはいかない。
「わかった。私が探してくる」
そう言って急ぎ離れに向かった。
羅生門河岸に向かい走っていた桜と見世に向かっていた朝霧が江戸町二丁目の表通りで互いの姿を確認して声を掛け合う。
「桜はん」
「朝霧姐さん、どうしたんです?」
「阿片の証拠、見つかりなんした。やはり羅生門河岸の離れでありんした」
「朝霧姐さん、危険ですから動かないように言ったのに。。」
「紅玉の禿、おうめに頼まれては放っておけんでありんすよ。さあ、離れに案内しなんす」
桜は朝霧の後について離れへと向かった。
「隠密め。見つけてしまったようだな。こうなれば長安先生には悪いが口封じのためだ。やむを得まい。朝霧共々始末してやる」
⭐︎⭐︎⭐︎
江戸町二丁目の表通りから羅生門河岸の通りに出る前に桜は背後から迫る殺気に気がついていた。
「朝霧姐さん、どうやら霧右衛門に感づかれたようです」
桜がそう言い終えると同時に二十人もの手下を引き連れて霧右衛門が姿を現した。
「朝霧、お前が裏でコソコソ動いているのはとうに気づいておった。だがお前は長安先生のお気に入りだからな。あえて見てみぬフリをしてやっていたのよ。さんざん育ててやった恩を忘れおって」
「わっちはあんたに育てられた訳ではありんせん。わっちを育ててくれたのは穂花姐さんでありんす。あんたは金でわっちを買っただけの楼主でしかありんせん」
「黙れ!売女のくせに一人前の口を聞くな」
「その売女のお陰でおまんまを食べさせてもらっているのはどなたさんでござりんすかね」
「生意気な口を聞けるのもそこまでよ。この吉原で遊女と芸者が一人や二人いなくなったところで投げ込み寺に放り込んじまえば闇から闇よ。構わねえ、まとめてやっちまえ」
霧右衛門の怒声に男たちが桜と朝霧に襲い掛かる。
突然始まった乱闘騒ぎに通りを歩いている客たちが野次馬で寄ってきたが、霧右衛門の「見せ物じゃねえ」の恫喝にみな見て見ぬフリをして通り過ぎていった。
「焔乃舞(ほむらのまい)」
桜が剣を一閃させると一度に三人の男たちが刀の剣圧で飛ばされる。
タン!という強力な足音と驚異的な速さ。
まるで華麗な踊りのようでいて、剣のひと振りは凄まじい威力。
その動きの美しさに朝霧は目を奪われる。
「桜はん。。なんて美しいんでありんしょう。わっちのような作り物の華やかさではござりんせん。本当に美しいとはこういう事なのでありんしょうね」
しかし相手は二十人。
いくら桜が強いと言っても朝霧も手をこまねいてはいられなかった。
「桜はん、小太刀を貸しておくんなさい」
「朝霧姐さん?」
「わっちは剣術も少し心得があるでありんす。桜はんの手助けが出来ると思うでありんすよ」
桜は一瞬躊躇したが「わかりました」と小太刀を朝霧に手渡す。
桜から小太刀を受け取ると朝霧は抜刀して逆手で刀を構える。
「さあ、かかってくるでありんす」
朝霧の剣技は見事で小太刀が一閃されると男たちが一人また一人と倒されていく。
「大夫って剣術も出来るの?本当、才色兼備って朝霧姐さんのためにあるような言葉ね」
桜も朝霧の剣の腕に驚いた。
一方の霧右衛門は青ざめていた。
「こんな馬鹿な。。」
隠密一人と遊女一人。
二十人もいれば十分だと思っていたのが既に半数が叩きのめされ地面に転がっている。
「やはり酒井と奥村にやってもらうしかないか」
霧右衛門が離れに向かって走り出す。
「待て!」
桜の声に朝霧も霧右衛門が羅生門河岸の通りへと逃げていく姿を確認した。
「ここはあっちに任せて桜はんは霧右衛門を」
「でも朝霧姐さんだけでは。。」
桜がそう言ったところで源心が現れた。
「ここは俺と朝霧さんで食い止める。桜、行け!」
「わかった。源心、朝霧姐さん。頼んだよ」
桜は急ぎ霧右衛門を追う。
「あんさんも桜はんのお仲間でありんすか?」
「はい。源心と申します」
「源心はん、ほならまいりましょうか」
朝霧と源心は共に小太刀を構えて男たちに斬りかかる。
離れに逃げ込んだ霧右衛門は用心棒を呼び出す。
「酒井、奥村。例の隠密だ。やれ!」
霧右衛門に呼ばれた用心棒風の侍二人は刀を手に持ち立ち上がる。
酒井高山(さかいこうざん)と奥村又右衛門(おくむらまたえもん)は霧右衛門が見世に潜入した隠密を葬るために雇われた浪人であった。
酒井高山は離れから出ると桜と鉢合わせる。
「お前が隠密か?俺が相手になる」
「邪魔だてするものは容赦なく斬る」
人二人がやっとすれ違う程度の道幅しかない羅生門河岸の通りである。
横への動きが制限され、前後の動きのみで相手と対峙するため、酒井高山は刀を上段に構える。
一方の桜は中段の構え。
一瞬の静寂のあと、酒井が踏み込み一気に前に出る。
「稲妻落とし」
頭上から恐るべき速さの剣が桜を襲うが、斬ったと思ったそれは空中に舞った袖の切れ端であった。
「焔乃舞(ほむらのまい)」
桜の焔乃舞が一閃されると、酒井は胴に一刀を当てられ、地面にひれ伏して桜を見上げる。
「見事だ。。幕府はいい剣客を抱えているな。。」
酒井はそう言うとばったりと倒れた。
「峰打ちだ。今回は取り調べがあるから斬らずに捕らえる」
桜が酒井を倒すとそこにもう一人の用心棒が現れた。
奥村又右衛門である。
「酒井がやられたか。相手にとって不足なし」
〔こいつはさっきの浪人より出来る。。〕
桜は強敵だと直感した。
⭐︎⭐︎⭐︎
吉原の入り口である大門に南町奉行所の同心がひしめいている。
「これより玉屋楼主霧右衛門の捕縛に参る」
大岡越前の号令に同心たちが一斉に大門から仲の町の大通りを走り抜け、江戸二丁目にある玉屋へと入る。
「なんだい?何なんだよ?」
遣手婆のお里が声を上げると同心の三浦が手短に説明する。
「玉屋楼主霧右衛門を阿片密売の件にて捕縛しに参った。霧右衛門はどこだ?」
「阿片。。そんな事、急に言われても旦那はちょっと目を離したらいなくなってたんだよ」
「探すぞ!邪魔だてしたらお前も同罪でしょっ引く」
「しないよ。しないから他のお客さんに迷惑が掛からないようにしとくれ」
その時、ひと足先に乗り込んでいた左近が大岡越前に報告する。
「大岡様、霧右衛門は羅生門河岸の離れでございます。今、桜が応戦しています。こちらです」
「よし。三浦、離れに向かえ」
「は!」
⭐︎⭐︎⭐︎
奥村の一文字斬りが桜を襲うが、これを難なく受け止める。
「焔乃舞(ほむらのまい)」
桜も焔乃舞を放つが奥村はこれを見切ってかわした。
「その技はさっき酒井を倒した時に見せてもらった」
「なるほど、一度見た技は通じないというわけね」
どんなに剣術が強くても力では男に敵うまい。
奥村はそう考えて上段から剣を振り下ろすと受けた桜をそのまま力でねじ込もうとする。
だが、桜は奥村が渾身の力を込めてもまるで岩のようにピクリともしない。
「なんだと。。」
奥村は信じられない表情を浮かべたが、桜は幼少から常人離れした師匠、美村紗希の剣を死ぬほど受けてきたのだ。
この程度の力技など紗希に比べたら児戯に等しかった。
奥村は力技を諦めていったん桜から離れ間合いを取った。
「さすがに将軍直下の剣客だけあるな」
桜は奥村が距離を取ったのを見ると剣を鞘に納めて居合い抜きの構えを取った。
奥村は全身に凍り付くような悪寒を感じ取る。
こいつはまずい。
そう思ってもすでに間合いは桜にあった。
「迅速斬(しんそくざん)」
桜の長神速の抜刀が抜き放たれ、胴に直撃すると、奥村は苦悶の表情でその場に倒れた。
この際も桜は抜刀の直前に鞘を回転させて峰打ちになるようにしていた。
「残るは霧右衛門のみ」
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しかし、美しき花は無残に手折られ、エルサレムは再びイスラム教徒の手に。そしてそれをきっかけに、第七回十字軍がエジプトに戦火を巻き起こす。
憎悪の連鎖の結末やいかに。
フリードリヒ二世がメインですが、彼と文通相手、およびその周辺の人間たちの群像劇です。そして最後は美味しいところをかっさらっていく奴が……(笑)。
ファ ンタジー要素なし。転 生もチ ートもありません。
「小説家になろう」様の公式企画「秋の歴史2022」向けに執筆・投稿した作品ですが、より多くの方に読んでいただきたく、この度「アルファポリス」様にも投稿させていただくことにしました。
よろしくお願いします。
「カクヨム」様にも掲載しています。
北武の寅 <幕末さいたま志士伝>
海野 次朗
歴史・時代
タイトルは『北武の寅』(ほくぶのとら)と読みます。
幕末の埼玉人にスポットをあてた作品です。主人公は熊谷北郊出身の吉田寅之助という青年です。他に渋沢栄一(尾高兄弟含む)、根岸友山、清水卯三郎、斎藤健次郎などが登場します。さらにベルギー系フランス人のモンブランやフランスお政、五代才助(友厚)、松木弘安(寺島宗則)、伊藤俊輔(博文)なども登場します。
根岸友山が出る関係から新選組や清河八郎の話もあります。また、渋沢栄一やモンブランが出る関係からパリ万博などパリを舞台とした場面が何回かあります。
前作の『伊藤とサトウ』と違って今作は史実重視というよりも、より「小説」に近い形になっているはずです。ただしキャラクターや時代背景はかなり重複しております。『伊藤とサトウ』でやれなかった事件を深掘りしているつもりですので、その点はご了承ください。
(※この作品は「NOVEL DAYS」「小説家になろう」「カクヨム」にも転載してます)
旧式戦艦はつせ
古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。
吼えよ! 権六
林 本丸
歴史・時代
時の関白豊臣秀吉を嫌う茶々姫はあるとき秀吉のいやがらせのため自身の養父・故柴田勝家の過去を探ることを思い立つ。主人公の木下半介は、茶々の命を受け、嫌々ながら柴田勝家の過去を探るのだが、その時々で秀吉からの妨害に見舞われる。はたして半介は茶々の命を完遂できるのか? やがて柴田勝家の過去を探る旅の過程でこれに関わる人々の気持ちも変化して……。
西涼女侠伝
水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超
舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。
役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。
家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。
ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。
荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。
主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。
三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)
涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。
独裁者・武田信玄
いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます!
平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。
『事実は小説よりも奇なり』
この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに……
歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。
過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。
【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い
【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形
【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人
【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある
【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である
この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)
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