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第三章 名無しのエトランゼ

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 森の中に鎧の音が幾つも鳴り響く。

 隊列を作って行進するのは、ルー・シンの指示を受けて派遣されたラウレンツ率いる捜索隊だった。

 彼等は手分けして森の中に入り込み、残党狩りを行っていたが、その成果は多いとは言えない。

 せめて敵の指揮官でも捕らえようと、ラウレンツ直々に陣頭指揮を執ってはいるのだが……。


「ラウレンツ様! 別動隊より報告です! 先程再び交戦したコボルトの殲滅に成功。ですがどうやらそれも群れの一部らしく、昨晩のことを考えればまだ引き続き警戒は必要かと」


 手分けしておいた部隊の伝令が、草木を器用に踏み分けて、ラウレンツの前に歩み出た。


「おう。怪我人はどうなってる?」

「重傷者はいませんが、軽傷者が若干名出ております」

「……そりゃ参ったな」

「……はい。持って来た医薬品も昨晩の戦いで底を尽きつつありますので」


 報告に来た兵士の顔が暗くなる。


「ったく。なんだってんだよ。取り敢えずは捜索は続行。ただし体調不良を訴える奴がいたら、すぐに街に戻れ。下手すりゃ命に関わるぞ」


 返事を返して、伝令は別動隊の方へと戻って行った。

 魔物の襲撃があったのは、昨晩遅くのことだった。それほど大がかりな襲撃もないだろうと踏んで、部隊を分けて野営をしていたラウレンツ隊は、各個に攻撃を受けて夜通し戦う羽目になった。

 何が原因かは判らないが、こうして夜が明けた今でも断続的に魔物により襲撃受けている。正確にはこちらを狙っているのではなく、偶然遭遇したから戦いになっているのだが、気が立った魔物達を宥める方法などあるわけもない。

 戦力的には有利だが、だからと言って戦って全く被害がないわけではない。特に森の中では軽傷すらもそこから病原菌が入ったり、森に幾つも生息する毒を持った動植物に触れられて毒に冒されるなどその二次被害を生む危険性もある。


「これが国の存亡を賭けた重要な任務ってならまだ頑張りようもあるんだがね」


 ぼりぼりと後頭部を掻きながら、思わず口に出た。

 他の兵士は黙って聞いているだけだが、きっと心の中ではそれに同意していることだろう。

 ルー・シンが語った通り、既に戦いには負けている。しかし、ディオウルでの勝利によってどうにかホーガン家の面目は保った。

 この戦いはもうすぐに終わる。それはラウレンツも兵士も承知している。だからこそここで無駄に被害を出すことに対して積極的になれないのは仕方のないことだ。


「それに、どうにも匂う」

「は、動物の糞でしょうか?」

「そうじゃねえよ!」


 先日敵の脱出口を作ることになった西側を護っていた軍の兵士がラウレンツの言葉に反応する。彼等は自分達の失態に責任を感じ、旗下の兵を休ませる代わりにこうして同行してくれていた。


「魔物がそんな積極的に動くか? こっちは数は多くないとはいえ武装してんだぞ?」

「た、確かにそうでありますね。だとすれば敵の謀でしょうか?」

「魔法とか、あのギフトってやつかも知れないしな。何にせよ何かしらの仕掛けが働いてるのは間違いないだろうよ」

「でしたら撤退も視野に入れては? 自分としては雪辱を果たせないのが悔しくありますが、これ以上被害を出すわけにも……」

「そりゃそうかも知れんがね。……ただ、こっちにも意地がある」

「差し出がましいことを言いました。申し訳ございません」

「構わんよ。はっきり進言してくれる部下は貴重だ。わざわざ責任とって付いて来てくれた気骨といい、正式に俺の隊に欲しいぐらいだ」

「光栄です」

「おう。……っと、その話は後だな。どうやら俺はまだツイてるみたいだ」


 ラウレンツの視線の先には、剣を構えた一人の少年と、その傍で座り込んでいる男の姿があった。

 忘れもしない、その少年は先日やりあった若き剣士。そしてその横の男は今回の件の指揮官であり、ルー・シンが気にしていた男だ。


「なんだ二人か? どうにも進退窮まってるな、イシュトナルの指揮官さん」


 今にも斬りかかって来そうなトウヤは無視してもう一人の男、ヨハンに声を掛ける。

 既に部下達は臨戦態勢に入っており、数は少ないもののたった二人を殲滅するだけの余力は充分にある。


「無駄に殺しをする主義じゃねえ。武器を捨てて投降しな」


 二人にその気配はない。

 ラウレンツは溜息を一つ付いて、部下に攻撃命令を出すために片手を上げる。

 前衛に立つ少年はそれなりの使い手だ。それを警戒して、もう片方の手ではすぐに戦えるように槍の柄を握っていた。


「戦う前に一つ、交渉がある」

「……交渉?」


 まさかのその言葉に、ラウレンツは動きを止める。交渉はお互いに益がなければ成立しない。そしてこの場で、相手側がその身柄以上にこちらの利益になるものを差し出せるとは思えなかった。


「昨日の夜から断続的に魔物の襲撃を受けているだろう? そちらの傷ついた様子を見ればそれは一目瞭然だ」


 ラウレンツの兵も武具も、ヨハンの言う通り魔物との戦いで傷を幾つも作っていた。


「やっぱりお前さん達の仕業かよ。どんな手を使ったんだい?」

「幾つかの爆発物と、そいつのギフトでな。森のあちこちに派手に火や爆発を放った。それに驚いた魔物達が暴れ出し、身近で一番音を立ててる人間に向かって侵入者を追いだしに掛かっただけのことだ」

「……へっ。そりゃ、随分と趣味の悪い作戦だこと」


 実働したのはトウヤ一人だ。煙で匂いを誤魔化し、コボルトのねぐらに火を付けて回る。慌てて飛び出したコボルト達は縄張りを侵略されたと勘違いして、森の中をうろつく人間に報復する。また逃げている途中で興奮状態にあれば、その意志がなくても戦いは始まる。

 そして今森の中で最も目立つのは、しっかりとした装備と人員を整えているラウレンツの追撃隊だ。

 完全に成功するとは言い難かったが、運よくヨハンの目論見通り、ラウレンツの部隊は夜から何度も魔物と遭遇する羽目になった。


「やってくれたじゃねえか。尚更逃がすわけにはいかなくなったぜ」

「魔物はまだこの周囲を徘徊している。時間を掛ければかけるほど、お互いに無事に脱出できる可能性は低くなるぞ」


 別にこの森中の魔物を相手にしたところで引けを取るとはラウレンツは思っていないが、死者が出るのは事実であり、それは避けたい事態でもある。


「なら、さっさと仕留めさせてもらおうか」


 槍を構える。

 後は号令一つで駆けだせる状況にあってもまだ、ヨハンは余裕の表情を消すことはなかった。


「もう一つ、交渉材料がある」

「続きは地獄でやりな」

「あんたの命だ」


 ざわめきが起こり、兵達の動きが止まった。

 ラウレンツはすぐさま背後で起こった異常事態に対応しようとして、やめた。

 振り返れば恐らく命はない。相手は決して外さず、ラウレンツを殺すことができる、本物だ。


「いや、確かにこりゃ……。失敗したなぁ。骨のある奴を誘えたと思ったんだがな」


 ボウガンを構え、兜を脱ぎ捨てた、西軍から動向を申し出た兵士。その下にあった端正な顔立ちは、オルタリア軍のものではない。


「てっきり紛れ込んでた裏切り者は、全員見つかったと思ってたんだけどな」

「何人かは犠牲になってもらったぜ。こうして保険を掛けるためにな」


 かつてアサシン組織に所属していたその凄腕の暗殺者は、カーステンの部隊に紛れ込み嘘の報告を行い、その後もオルタリア軍の中で工作活動をしながらずっとその身を潜め続けていた。

 それは先程語った通り保険のため。いざと言うときに確実にヨハン達を逃がすために、敵陣の中で殿を務めていた。


「すみませんが、そっちの部隊には所属できませんな。仕える主が別にいますんで」

「ラウレンツ様!」

「はいはい。動くなよお前さん達。この隊長さんの頭をぶち抜かれたくなかったらな」


 その身を敵に囲まれ剣と槍を向けられながらも、ゼクスは全く怖じた様子もない。構えたボウガンの矢先は、真っ直ぐにラウレンツの後頭部を狙っている。


「交渉の続きだ」

「俺が自分の命を捨ててあんたを殺そうとしたらどうする?」

「その可能性は低いだろう。お前は優秀な指揮官だ。だから判っている、俺の命にそこまでの価値はないと」

「……ちっ。それはそれで、やり辛い相手だ」


 だが、その言葉は正しい。

 追撃に出る前にルー・シンに言い含められていたことがある。それは決して無理をして命を落とすような真似はするなとのことだった。

 戦場で命を捨てるのが兵士の役目だが、上官からそう言われてしまった以上、従わざるを得ないのもまた兵士だ。


「時間を掛ければ魔物が集まってくる。連中は食料も焼かれてご立腹のようだからな」

「くっそ。判ったよ判った。今日は俺の負けだ、負けでいい」


 槍を捨てて両手を上げるラウレンツ。

 そのまま視線で命令すると、一瞬戸惑ったがすぐに兵士達は森の奥へと移動を始める。


「そのまま真っ直ぐ歩いて仲間と合流しろ。もしこっちに引き返すような真似をしたら、この木の間から出もあんたを射抜けるぜ」


 ラウレンツの度胸も大したもので、ゼクスの脅しに全く動じた様子もなく、森の方へと歩いていく。


「やるかっつの。こちとら現場が長いが、こう見えても騎士様だぜ? 一度決まった誓いを破りゃしねえよ」


 そう言って木々の奥へと消えていくラウレンツ。

 最後、その姿が消える間際に、一度だけこちらを振り返った。


「ヨハンさんって言ったっけ? うちの軍師殿も凄いがあんたも大したもんだ。……俺としちゃもう、イシュトナルの相手はしたくねえな」

「光栄だ。こちらも二度とヴィルヘルムの相手はしたくない。心臓に悪い」

「ははっ、そう言ってもらえりゃ嬉しいね。あばよ」


 今度こそ、森の中へとラウレンツの姿が完全に消えた。


「……よし、帰るぞ。どっちか肩を貸してくれ」


 安心と限界により最早一歩も動けない状況で、口だけは偉そうにヨハンがそう言って、一連の戦いは人知れず静かに幕を下ろすことになった。
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