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第一章 エトランゼ

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 空には爛々と照り付ける太陽が浮かび、足元にある草花を揺らす風は汗ばんだ肌に心地よい。

 オルタリア中を繋いでいる幾つもの街道の中の、あまり人が通らない道を歩いてきたカナタは、その終着点の一つで背に追っていた荷物を下ろして大きく息を吐いた。


「つ、疲れた……。これ、女の子に持たせる荷物の量じゃないよ」


 魔獣の皮で作られたやたらと丈夫な背嚢、カナタにも判る言葉で言うところのリュックの中には、沢山の袋に小分けされた白い粉と茶色い粉が大量に入っていた。


「これ、傍から見たら怪しい薬を運んでる人みたい」


 当然その心配はなく、中に入っているのはどうやら肥料らしい。先日同じ仕事を違う場所でしてきたので、間違いないだろう。

 目の前には畑が広がり、実を付けた野菜も幾つか転がっている。

 畑の先には小さな家が立ち並び、子供達の声がここまで響いてくる。


「……異世界に来てもトマトはトマトなんだよね。変なの」


 視界に入った大きな瑞々しいトマトを見つめていると、離れたところからこちらに近付いてくる人影が見えた。

 やって来たのは中年の男性と、その母親と思しき年配の女性が一人ずつ。二人とも親しげな笑顔をカナタに向けていた。


「隣のアルマ村から行商に来た奴に話は聞いたよ。ヨハンさんのお使いだろ?」


 アルマ村とは昨日カナタが訪れた場所のことだ。どうやらカナタよりも早く、村の誰かがここに来てその話をしていたらしい。

「そうです」と返事を返すと、二人は顔を綻ばせる。


「いやー、よく来てくれた。荷物、重かっただろ? 後はおれが持つから」


 返事をするよりも早く、中年の男性は地面に降ろされた荷物を担いで村の方へと歩いていく。

 傍に寄ってきた老婦人も親しげな笑顔で、カナタの腰の辺りに手を当てて村の方へと軽く押していく。


「お茶の一杯ぐらいはご馳走させておくれよ。それから今朝は砂糖も入って来たからね、冷たい氷菓が出来上がる頃だよ。」

「あ、はい。そういうことなら」


 今の季節、決して暑いわけではないが、重い荷物を背負って長距離を歩いてきたとなれば話は別だ。 

 すっかり喉が渇いてしまったカナタは、お茶と氷菓の誘惑に耐えることはできなかった。

 

 ▽



「おうい! 肥料が来たぞ! 手が空いてる奴は撒くのを手伝ってくれ! 坊主達、出番だぞー!」


 少しばかり歩いて村の中に入ると、中年の男性が集合を掛けて、集まってきた村の住人達が次々と袋を渡していく。

 その中で幾つか見覚えのないものを見つけて、カナタへと質問する。


「こいつは何だい?」

「虫除けの肥料らしいです。でもあんまり撒き過ぎると作物の育ちに影響が出るかも知れないから、虫の被害が大きいときだけ使った方がいいって」


「そっか。なら今年はまだ必要ねえな。使うかどうかは話しあって決めた方がよさそうだ」

 中年男性はそれを避け、その他を引き続き配っていく。


「あんたらは西側から頼む。おれ達は東から撒いてくから。で、坊主は南の部分をやってくれ」


 まだ十歳にも満たない子供もそれを受け取り、仕事を頼まれたのが嬉しいのか笑顔で畑の方へと走って行く。


「凄いですね。まだ小さいのにしっかりと仕事してるなんて」

「こういう村ではみんなそうさ。子供は子供なりにしっかりと働いて食い扶持を稼ぐのが普通さ。そう言えば、あんたもエトランゼかい?」


 そう問われて、答えに詰まる。

 老婦人はカナタの反応に思うところがあったのか、安心させるようににっこりと笑った。


「心配しなくてもあたしらは差別なんかしないよ。そんなことしてる余裕はないのさ。見てごらん、この村にもエトランゼはいるんだよ」


 言われて見てみれば確かに、村人に交じって働く人の中にはカナタと同じ日本人の顔立ちをした人もちらほらと見える。


「エトランゼさん達はあたしらが知らない知識を沢山持ってるからねぇ。村にいてくれりゃそれはもう大助かりだよ。崩れた家を丈夫に補強する方法とか、商売のやり方も上手な人が多くて、村で採れた野菜が高く売れるんだ」


 老婦人の話を聞いていると、家の一件から彼女の孫娘と思しき小さな女の子が現れて、手に持ったよく冷えたお茶の入ったカップをカナタに手渡してくれる。

「ありがとう」とそれを受け取って一口含むと、清涼感のある香りと共によく冷えた液体が舌と喉を潤していく。


「ソーニャ。この子に地下の保冷庫から氷菓を出しておやり。お母さんには内緒でお前も一つ食べていいからね」

「はーい、おばあちゃん!」


 ソーニャと呼ばれた女の子はその言葉で勢いよく駆け出して行く。


「本来ならこんな田舎に保冷庫なんかとてもじゃないけど買えないんだけどねぇ。ヨハン坊やが安く譲ってくれたから助かってるよ」

「へぇ。あの人、ちゃんと仕事してたんだ」

 出会ってから半年。そのうちの三ヶ月は同じ家に住んでいたが、その収入源は謎に包まれている。

 時折客が訪れるのだが、半分は珈琲やお茶を飲みながら談笑して帰って行き、もう半分は買い物はするが、冒険に必要な便利アイテムや消耗品の補充だけで、大きな額ではない。

 以前一度だけヨハンが店の奥の工房で制作している武器や防具が売れたときは見たこともないほどの額のお金が置かれていったのだが。


「あたしも詳しくは知らないけどね。一応は魔道具の制作とか修理をしてるんだろう? こんな田舎じゃなくてソーズウェルとか王都に行けばもっと仕事も多そうだけどねぇ」


 カナタの世界に科学文明があったように、こちらの世界には魔法による文明が発達している。

 それは単純に漫画に出てくる、手から火を出すような魔法の他に、魔道具と呼ばれる魔法の力で動く物も含まれている。

 先程話に出た保冷庫などは要は魔法で動く冷蔵庫のようなものらしい。

 都会になれば当然のように魔道具が人々の生活に使われている。流石にカナタのいた世界ほどではないが、それでもエトランゼの大半が思っているよりは快適な暮らしがそこにはあった。勿論、ある程度裕福な者達に限られる話だが。

 喋っていると、三人分の氷菓が乗った皿を持ったソーニャが足早に戻ってくる。


「はい、おねーちゃん!」

「あ、ありがと……。いいんですか、ボクが食べちゃって……」


 カナタが元居た世界のように、砂糖などの調味料も幾らでも手に入るわけではない。それどころか季節や場所によってはとんでもない高い値がつくこともある。

 それを知っているからこそ、差し出された砂糖で味付けがされた氷においそれと手を伸ばすことは躊躇われた。


「いいさ、ヨハン坊やには世話になってるからね。そのお弟子さんのあんたにも恩があるってことさ」


 先日のアルマ村でヨハンとの関係を尋ねられた際に、思わず弟子と言ってしまったのがどうやらここにも伝わっているようだった。そんなに大きな間違いでもないので訂正もしないでおくことにする。


「この辺りも随分と平和になったもんさ。一年ぐらい前は盗賊や魔物の被害が凄くてねぇ。ほら、あそこにも名残が見えるだろう?」


 老婦人が指さしたのは、村の周りに掘られた堀と、そこを見下ろすように建てられた小さな砦だった。

 砦とはいっても木造で大きさも二階建ての家程度しかなく、効果のほどは疑わしい。

 既にぼろぼろになったその外観から、ここで何度か戦いがあったことが見て取れる。


「ねー。食べないの?」

「おうそうだねぇ。それじゃあ食べようか。ほら、あんたも遠慮せずにね」


 言われるままに、スプーンで氷を砕いて口に運ぶ。

 ひんやりとした口溶けと、砂糖の甘みが心地よく、ここまで歩いてきた疲れが癒されていく。


「ここで働いてるエトランゼさん達の中にも、盗賊をやってたもんもいるのさ」


 返事の代わりに、口の中の氷を飲み込む。


「食うに困ってってところだろうね。いきなり故郷を追いだされてここに流れ着いてきたんだろう? ずっと同じ場所で暮らしているあたしには判らない苦しみも多いだろうね。神様は残酷だよ、聞けばあんたらの大半は争いも飢えもない場所で暮らしてたらしいじゃないか」


 何の話をしているのか判らずに、不思議そうに見上げるソーニャの頭をぽんと撫でながら、老婦人は話を続ける。

「偉い人達は言うんだよ。エトランゼはギフトだっけ? 不思議な力を持ってて危険だって。でもあたしからしたら同じ人間さ。そして人間が最も怖くなる瞬間はエトランゼもオルタリアの国民も関係ない……。飢えて生きていけなくなったときさ」


 実感の籠ったその言葉に、カナタは次の言葉を紡ぐことができなくなる。


「ヨハン坊やは襲われてたあたしらの村を護ってくれて、そのうえで冒険者を派遣して連中の根城を片っ端から壊してくれたのさ」


 空になった氷菓の皿の持て余していると、ソーニャがそれを受け取って片付けに家に戻って行く。

 それを見送ってから、老婦人は話を締めくくる。


「年寄りのつまらない長話になっちまったね」


「いいえ、そんなことないです。むしろ、エトランゼを嫌ってる人ばかりじゃないって知れただけでも、よかったです」

「そうかいそうかい。ならよかった。とにかく、ヨハン坊やはこの辺りの盗賊を片付けてくれて、魔道具を安く譲ってくれて生活を便利に、豊かにしてくれているのさ。なんでそんなことをしているのかは知らないけどね」

「今度会ったときにでも聞いてみます」

「多分、素直に答えちゃくれないよ」

「ですね」


 そう言ってお互いに笑いあう。

 まさか人伝手に自分の武勇伝を聞かせたかったわけではないだろうが、それでもカナタにとってはこの村への訪問は有意義なものになった。
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