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ぼくのかわいい奥さんは、「密室殺人」を所望してます

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 ぼくは、とある温泉宿の布団の上で死んでいる。
 スーツにネクタイ、カフスボタン。
 靴下には、リボンで吊り下げられた子羊のロゴ。
 つまり、それなりによい格好をしている男――の役をしているのだ。
 そんなぼくの顔を、ぼくのかわいい奥さんが涙目で覗き込んできた。
「……もう、ダメ。密室殺人のトリックが、なんにも思いつかない」
 ふわふわのくせっ毛に、少し垂れた瞳。
 丸い頬に小さな耳。
 ちょっと見、高校生にも見えるが、これでも二十七歳。
 人妻一年生のぼくの奥さんなのである。
「密室、やめたら?」
 とりあえず、死体役を続行しながら意見してみる。
「湯けむりミステリーといえば、密室殺人でしょう?」
「そうか? 崖からの転落死もあるんじゃないかな?」
 ぼくのその言葉に、奥さんがうーんと考え込む。
「それって、失礼じゃない?」
「は? 転落死が?」
「だって、その土地を舞台にさせてもらった上に、そこの名所での殺人だよ」
「いやいや、だったら、そこを舞台に殺人を起こすこと自体がNGなのでは?」
 ぼくの奥さんは、小説家だ。……多分。
 多分というのは、奥さんはデビューしたてのほやほやだからだ。
「でも、ミステリーには殺人がつきものでしょう?」
 あたりまえだと言わんばかりに、奥さんがぼくを見下ろしている。
「……あのさ、そもそもなんだけど。なんでミステリー? それ、きみに求められているの? だって、きみのデビュー作ってさ、煎餅屋の娘と日本茶専門店の跡継ぎのほっこりロミジュリ恋愛物語だったよね。それなのに、次が殺人? なんで?」
「だって、日奈子ちゃんが恋愛小説は読まないって言うから」
「日奈子って、ぼくの妹の?」
 奥さんが頷く。
 日奈子は十歳。
 長いことやもめだった父が再婚したおかげで生まれた、年の離れた妹だ。
 たしかに、日奈子は恋愛小説ってタイプではない。彼女の部屋にある本と言えば、探偵漫画ばかりだ。
「いやいや、待て待て。そんな、たった一人の、しかも小説を読むんだか読まないんだかわからん人間のために自分の路線を変えるって。しかも、なんだ、それってきみだけの問題じゃないだろう?」
 そういえば、デビューからついてもらっている担当者さんと、週に何度も熱心に打ち合わせをしていると思ったけれど。
 ……もしや、あれは、説得と言う名のダメだしをされていたのではないだろうか。
「密室、考えて」
「いや、無理」
「日奈子ちゃんに読んで欲しいんだもん」
「どうして?」
「日奈子ちゃんに、認めてもらいたいんだもん」
 そう言うと奥さんは、死体役のぼくの上にまたがってきた。
「わたし、いまだに日奈子ちゃんから『お義姉ねえさん』って呼んでもらえてないんだよ」
「恥ずかしがっているのさ」
「違う。お兄ちゃんを奪った敵に認定されているのよ」
 冷や汗が出る。
 薄々、それは感じていた。
 けれど、日奈子のまえで奥さんはいつも明るかったから気がついてないと思っていた。
 死体役、終了。
 生身の人間に戻ったぼくは、そのまま奥さんを抱きしめた。
「日奈子が認めなくって、きみはぼくのかわいい奥さんだから」
 やわらかな髪がぼくの頬をくすぐる。
 ……まだ陽は高いけど。
 奥さんを抱いたまま、体の上下を入れ替える。
「――あっ閃いちゃった。密室トリック」
「え? このタイミングで?」
 奥さんがぼくの下から這い出して、そばにあったスマホで文章を打ち出す。
「布団と異世界が繋がっていて、偶然こっちの世界に来ちゃった騎士の剣に運悪く刺されちゃって」
 ほくほく顔で奥さんはそう報告してくれるけれど。
「……あのさ、言いにくいけど。それはファンタジーなのでは?」
 がくりと奥さんが項垂れる。
「ううう!!! どうやったら、密室が……。密室、来いっ!」
 

 いや、来ないから。
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