芥川繭子という理由

新開 水留

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40「関誠について 2」

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2016年、12月12日。
都内、某居酒屋にて。
(続き。関誠が現事務所を退社し、一旦モデル業から退くという話を受けて)


-- という事はあれですね。本当は事務所関係の事気にせず込み入ったお話も、色々聞けたわけですね。
「そうだね。でも今そこそこ突っ込んで来られたと思うけどな」
-- もうスペイン牛は一旦忘れましょうか。
「もうと牛がかかってる?」
-- 忘れて下さい!
「あはは。面白い人」
-- だけどモデルを辞めるっていう事については、翔太郎さん何か仰いませんでした?
「反対って事? 少しはされたかなあ。でも反対というよりは確認かな。別に辞める必要はないんだぞって」
-- 未練はないんですか?
「事務所にはあるよ。モデルにもある。日本にはない」
-- 格好いい(笑)。しかし今のポジションへ至るまでの努力や苦労も並大抵ではなかったと思います。
「うん。まあでも相当、運もあったと思うけどね」
-- ご自身の中で、どのようにして決断をされたのでしょうか。
「格好いい世界だなーと思うし色んな人を見てきたからね。もちろん好きだよ今でも。事務所にもお世話になったし、迷惑も掛けてきた。だけどそういう、人として大切にしなきゃいけない部分とこれから先の自分の人生は、やっぱり天秤にはかけられなかったな」
-- 歩きたい道を歩くのが最善ですよね。
「格好良く言えばそのはずだけどね。でも自分一人で生きてるわけじゃないから、簡単に判断は出来ないんだけどさ」
-- 今これを言ってどうなるんだという感想で恐縮ですが、私モデルとしての誠さん大好きです。
「初対面の時から知っててくれたもんね」
-- はい!
「あはは、それはだって、辞めるって言ったの今が初めてだもんね。仕方ないよ。でもありがと」
-- 後悔されませんか。
「しないとは言い切れないし、もう二度とやりたくないなんて思って辞めるわけじゃないよ。でもいつか復帰するとしても、同じようにはいかないっていう覚悟はしてるよ。同じ事務所で、同じ雑誌で、同じ顔触れでお仕事に参加出来るとは思わないし、やるならまたイチからになるだろうし。でも年齢的な事を考えると、復帰は現実的じゃないかな」
-- それでも、アメリカ行きを決意された。
「体の変化も理由の一つだからね。向こう行ったって迷惑かける結果になるかもしれないから、正直悩んだよ」
-- 好きな人について行くって、そんな耳障りの良い甘い話ではないですよね。
「そうだね。…ねえ、凄い残念がってくれるね(笑)」
-- そりゃあ、そうですよ。…御迷惑でしたか?
「いやいや、全然。でもまあ今となっては、自分としては出来過ぎだったと思ってる部分もあるからね。どこまで通用するのか分からないけど、精一杯やれるだけやろうと思って飛び込んだ世界だったし、やっぱり性格的な事とか、人間的な面で不自由は感じてたからさ。これまでの10年が夢みたいな物だったんだよ。10年ずーっと活躍出来てたわけじゃないし」
-- そうなんですか、天職だと思ってました。
「自分ではあんまり、モデル向きの人間ではないと思ってるかな」
-- 誠さんほどの人でもですか?
「私ほどの逸材でもね(笑)」
-- (笑)、ドラマみたいなマウンティングなどは実際にあるものですか?
「あるよ。私はそこまで誰かの邪魔になるほど上り詰めてないから全然だけど、…でも若い時に揶揄われる事もよくあったし」
-- 例えばどのような?
「ウソつかれたリね。まだなり立ての頃ってやっぱり先輩モデルを見て盗めるトコ盗もうという姿勢でしょ。そういう若い子に向かって『本気でモデルを目指すんならフランス語を勉強しなさい』って言ってみたりとか」
-- なるほど、パリコレですね。
「ね、信じちゃうでしょ」
-- ウソなんですか!?
「ウソというか、それ本気にして忙しい中机に向かう勉強で時間を浪費しろって事だからね。今みたいに細分化された日本のモデルとして活動していく事だけ考えたら、完全に無駄だよね。本気でパリコレ目指すならアリかもしれないけど、それにしたって立場的に現地の人間とどれだけ話す機会があるんだって話だし。もっと言えば全員が努力で行ける場所じゃないからね。それやるぐらいなら他にすべきことが山程あるよ」
-- うわー。…なんか、黒いですね。
「そんなの日常茶飯事だし、言う方もそこまで悪く思ってないよ。遊びの範疇だと思ってるよね。なんなら英語じゃなくてフランス語って部分で気付けよぐらいに」
-- ああ、誠さんも言われたわけですね。
「うん。だから『そうなのか』って信じて猛勉強しちゃったよ。私はさ、翔太郎が早い段階で指摘してくれて、揶揄われてるって気づけたから良かったけどね」
-- そうだったんですか。以前どこで目にしたか忘れましたけど、誠さんのプロフィール拝見した時に『特技、フランス語』って書いてあるのを見て、やっぱりモデルさんは違うなぁなんて感心したものですが、あれってあて付けのような事ですか?
「あはは、誰にだよー」
-- 今の流れから察するに…。
「まあ、うーん、あて付けと言えばそうなるのかなぁ。だから私は却って、マジで喋れるようになってやろうじゃんかって思うタイプだから(笑)。翔太郎もそっち側の人だから一緒になって応援してくれたんだ。自己紹介から始めて、俺と話す時は全部フランス語で返せるまでやってみたら?って言ってくれて」
-- うーわー。愛のフランス語講座だ。
「とりあえずジュテームは連発したよね」
-- あははは!
「本気でやれば一年掛からないよ」
-- 今でも喋れます?
「喋れるよ」
-- それってフランス人と意思疎通が取れるって事ですか?
「円滑かどうかは抜きにしていいなら、そうだよ」
-- なんで仰って下さらないんですか!
「っは!ねえねえ聞いて、私フランス語喋れるんだっていつ時枝さんに言うの? どんなタイミングでそれ言うのよ、私おかしな奴でしょ」
-- すごい、誠さん面白い!
「なんだよ(笑)」
-- でも、それってある意味反骨心ですものね。相手の皮肉や嫌味を正面から受けてその上行ってやるっていう。大変なお仕事ですよね、華やかとは言え。
「そうだね。何クソって思う性格だから乗り越えられた部分もあるし、前向いて頑張れば、何とかなる事もあるんだなって、そこは本当勉強になったよ。でも具体的な事一つ言うとさ、インタビュー、あるでしょ」
-- はい。モデルとしてお受けになったインタビューという意味ですか?
「そう。やっぱり私の場合活動の場が女性誌だけあって、ファッションの事はもちろん恋愛の話も皆するでしょ。その時いつもいつも感じてた事があって。流行には皆敏感なくせに、なんで恋愛の話の時だけ口を揃えて古臭い、同じ事ばっかり言うのかなって」
-- はは、それはつまり?
「どんなタイプの男性が好きですかー?面白くて優しい人が好きですねーって」
-- (笑)。いや、でも実際そうじゃないですか。
「全然違うよ、そんなのウソだね」
-- ウソじゃないですよ(笑)。
「ウソだね。考えてみなよ。そんなさあ、相手の条件見て好きになる事なんてある?好きになったらその人がタイプなんじゃないの?」
-- ですが、面白くて優しいから好きになってしまう、というのは自然な流れでは?
「そんなの人付き合いの基本でしかないじゃん。そんな事言ってたらさ、時枝さんだって面白くて優しいでしょ。ただそれだけで、世界中の男共から求愛される?」
-- あー、なるほど、確かにそんな夢のような事態にはなりそうもないですね。
「でしょ?」
-- それはそうかもしれませんが、それでも条件ありきで人を選ぶ人はたくさんいますよ。それこそ男女関わらず、優しいとか、可愛いとか、面白いとか、仕事が出来るとか。その程度なら条件とすら皆思ってないかもしれません。
「でもそんな人さ、本気で人を好きになってないよね。そんな通販のカタログ見て品定めしてるような人がさ、キラキラ着飾って流行最先端謳ってんだよ? それが私ずっと悲しくてさ。モデルの仕事、格好いいな、好きだなって思ってるから余計にさ、そんな人しかいないの!?って思ってたし。どっかで私がオカシイの?って悩んでもいた」
-- 人間的なソリが合わないと感じておられたんですね。
「全員がそんな人ばっかりでもなかったけどさ、でも、皆が考えてる程突き抜けた個性の塊っていう世界ではなかったな」
-- でもそれは、モデル業界だから、というのが理由ではありませんよね。
「もちろん違うよ。だけど少なくとも情報を発信する側ではあるじゃん。なのになんで皆同じこと言うの?って」
-- では誠さんはいつも、どのようにお答えになってなんですか? そういった恋愛に関するインタビューの場では。
「ほとんどの場合で正直に、タイプなんてないですって答えてたよ。でもそれって良い子ぶってるとか意見の無い面白くない奴って思われるから困ったよ」
-- そうですよね。インタビューする側からすれば、真意を測りかねると思います。
「真意っていうか本当にそのままなんだけどね。だって、もう、時枝さん相手だからこんなこと言えるけどさ。私、翔太郎が優しくなくても好きだよ。面白くなくたって好きだもん」
-- うわー!照れる!超照れるし、またなんか泣きそうです!
「あはは。でも、そうよ。まず相手を大切だと思う気持ちが一番手前にあるからね。最初に好きにさせてくれたのは向こうだし、あえて言葉で表現するとしたら、どういう所が好きですか、翔太郎であればなんでもいいです、だね」
-- もうなんかちょっと、腹が立って来た。なんなんですか!?
「あははは!いや、でもさ、ホント、このぐらい言えよなーってずっと思ってたもん。誌面読みながら」
-- ああ、確かにそこまで話せる人に出会った事は一度もなかったですね、私も。仕事と、プライベートの本音を分けてしまうんでしょうね。やはりそこは女性らしいというか、ある意味現実的というか。
「うーん。別にさ、いつでもどこでも本音で生きろって言いたいわけじゃないんだけどね」
-- でも実際にそこまでストレートに愛情表現されると、グイグイ食いつかれて困った事はないんですか?
「名前言ってないだけで、基本的には恋人いますっていう情報はずっと出してたよ」
-- ああ、確かにそうでしたね。翔太郎さんはその辺り何か仰ってましたか?
「…私さ、翔太郎といる時仕事の話ってしないんだよ」
-- え、そうなんですか。全て曝け出してお話をされているイメージです。
「前にちょっと面倒な事があって、あの人の頭に余計な情報を入れたくないというか」
-- 余計な情報?
「どこどこで誰々と仕事したとか、どんな仕事だったとか、そういう具体的な情報」
-- はい。へえー。
「だから私も翔太郎のバンドの話とかは極力聞かないようにしてたんだよ。私は話さないのに、こっちだけ聞くのは申し訳ないしね」
-- はい(笑)。
「だからほんと最近まで、翔太郎が私の仕事をどう思ってるか知らなかったし、自分の恋人が表に顔の出る人間ってどういう心境なのかなって、実はずっと気にはなってたんだ。でも私があの人を世界的なギタリストだと意識してないのと同じような感覚で、向こうもそんなに気にしてないのかなーとは漠然と思ってる部分もあって」
-- 私もそういう人な気がしますね。好きにやればいいよーっていう。
「そうなんだよ。やっぱそう思うよね。ただなんで私が気にしてたかって言うと、知り合った時は10代の子供だった私がモデルになって、平たく言えば他人に自分を見せるっていう仕事を始めたでしょ。そういうのってあの人にはどう見えてたのかなって。私自身若い頃は、自分に興味もなかったし、人に見られる事も、人前に出る事も、…なんていうかな、特別重要な事だと思ってなかったからさ」
-- 誠さん自身の中では、カメラの前でポーズを決める事は出来ても、その姿を自分を知る人間に見られる気恥しさのようなものはなかったですか?
「ああ、そりゃあ最初の何回かはあったよ。若い時は週刊誌でグラビアのお仕事もしたしね。お尻の形丸出しとか、背中全開とか普通にあったし」
-- それって撮影している間はいろいろと、他のスタッフの目にも入りますよね。
「一応周り全員プロだからお互い自然と気を付けてはいるよ。でもまあ、見えてただろうね」
-- うわあ、やっぱりそうなんだ。
「あはは。まあでも、そういうのはさ、現場に入っちゃうと2、3回で慣れるんだけど、出来上がりを翔太郎に見られるのは嫌だったね。グラビアは流石に私の中でも特殊っちゃー特殊な仕事だったけど、そういう部分もひっくるめて、私は『あくまでモデル』というか、私を見て欲しいわけじゃなくて、洋服やアクセサリーを飾っておくマネキンで良かったんだよ。格好良いマネキンでありさえすればいいって思ってたし。そう思ってたから余計に、見られることへの抵抗もなくなっていったかな」
-- なるほど。翔太郎さんが仰ってた言葉を今ふっと思い出したんですけど。煙草を買おうと思って適当にコンビニふらーっと入った瞬間、雑誌コーナーに誠さんの顔があって、『え!?』っていまだに立ち止まるって仰るんです。
「あー(笑)。知った顔が雑誌の表紙になってるのは違和感あるよね」
-- それもそうですし、単純に、『綺麗な人だなー。誰だこれ、誠だこれっ』て仰ったの聞いて私爆笑しましたよ。
「ああ、嬉しいなーそれ、普通にそういうのが嬉しいね」
-- あの方って自分にも他人にも厳しいですけど、頑張ってる人にはきちっと周りの意見に左右されず評価されるんですよね。なので誠さんのその雑誌の表紙の件だけではなく、以前にも仰っていたのが、


『俺なんかでも知ってる有名な雑誌の表紙を飾るような女の子がさ、家帰ったらたまにいて、勝手にソファー座ってテレビ見てんの。その姿は15年前から全然変わらない、阿保なガキだった頃の横顔と同じなんだけど、普段は俺の知らない所へ自分の足で歩いて行って、めちゃめちゃ努力しないと絶対に出来ない仕事を、ちゃんとあいつはやってるんだなって改めて思ったりするんだよ。それって別に世間的には当たり前の事なんだけど、俺はやっぱりずっと知ってるからな、あいつを。だから今でも急に、誠を見てるとこう、震えが込み上げて来る時があるよ。保護者面してるみたいで嫌だから、言わないけどね』


「…ふうーん(頬杖を突いた手で口元を隠し、そっぽを向く)」
-- 泣いてもいいですよ。オフレコにします(笑)。
「泣かない。今日は泣かない。…でもちょっと色々思い出してやばいな、…やばい」
-- …ごめんなさい、どうしても伝えなきゃって思って言いましたけど、カメラ回ってる前で言うべきではなかったですね。
「平気、聞けて良かった。ごめんね、変なタイミングで泣いちゃって」
-- いえいえ。調子に乗りました、すみませんでした。でもそれで可愛らしいのが、コンビニで立ち読みするのが恥ずかしいから、凄い速さで誠さんのページだけ見て帰るらしいです。
「はは!買ってよ!あー! もー! 面白すぎる! 40だぞあの人ー(笑)」
-- 世界屈指のウルトラプレイヤーなんですけどね。
「ムフフ」
-- 素敵なご関係だと思います。
「私、こないだも言ったと思うんだけど。…ちゃんと体を見てもらったのね、帰って来てすぐ、その日のうちに」
-- はい。
「びっくりしたんだけど、…思った以上にあの人泣いたんだよね。それこそ今自分で言ってたみたいに、震えるぐらいにさ。そういう翔太郎を見る事ってもう長い間なかったから私も一緒になって大泣きしちゃって。でさ、さっきの私の仕事の話に戻るんだけど、その時何か一つ答えを貰ったような気がしたの」
-- 答え?
「私がモデルとして自分の顔や姿を写真に収めて、それが公の物になってる事について、あの人がどう思っていたか。直接的な意見として肯定も否定もされてないけど『あ、大切に思われてたんだな』って、そう感じた」
-- …なるほど。
「うふふ、やーい、泣いてやんの」
-- うふふふ。
「モデルとしてとか、普段の私としてとか。そういう区切りをつけるような人ではなかったなって。やっぱり私小さい事気にしてたんだなって思えて嬉しかったし、その反面、相談もせずにおっぱい取っちゃった事については、謝ったよね」
-- 怒ったりはされなかったんですよね。
「もちろん。だけど悲しんでくれてる姿を見た時に感じたのが、これはひょっとして私以上に寂しいとか辛いって思ってくれてるんじゃないかなって。例えなんの意志も感情もないただの脂肪分であったとしても、それでも30年間ここにあった物は、やっぱり関誠だったんだよなって。そういう風に思ってくれてた人にはちゃんと言うべきだったって、そこは本当後悔した。だからもういいんだ。仕事とかモデルとか、そういう肩書を気にして何かを語る前にさ、一人の女として翔太郎を大切にしようって思ってるから」
-- 分かりました。…あー、やばい。
「あははは」
-- 無理やり話戻しますけど、誠さんにとって翔太郎さんと竜二さんを別けた理由ってなんだと思われます?
「なんで翔太郎を選んだのかって事? そうだな。なんだってそうだと思うんだけど、『距離』なんじゃないかな。何かあった時、より私の近くにいてくれたのが翔太郎の方で、竜二さんはとっくにノイちゃんがいたからそもそも私に女としての興味なんかなかったよね。厄介ごとに巻き込まれて面倒くさそうだったし、腹立つぐらい私ガキだったし。翔太郎も下心があるようには見えなかったけど、竜二さんよりは、側にいてくれたかな。あの頃はみんな今よりも尖ってたけど、それでもやっぱり翔太郎は優しい」
-- 何があったんですか?
「あはは、それは。…物凄い長い話になるからまた別の機会にしない?」
-- 分かりました。

(後に彼女の告白を元に執筆した著書、『たとえばなし』を上梓させていただいた。弊社より刊行中。是非お手に取って頂きたい)

「出会った時私は子供だったけど、女だったし、少しくらいは意識して見るじゃん。街ですれ違ってナンパとか、学校で知り合ってとか、何体何の合コンでとか、そういうありふれた出会いではないし。…はっきり覚えてる感情があってね。私その時色々抱えてて、怖かったり、焦ってたり、いつも緊張状態にあったんだけど、どんなピンチな状況で、膝がガクガクするような時でさえ、翔太郎が私の前に立ってくれるだけでなんでもない事のように感じられたの。その安心感の凄さっていうのは、今でも覚えてるんだ」
-- 安心感。
「私ね、時枝さんからどれだけ熱っぽくギタリストとしての伊澄翔太郎を語られてもピンとこないのは、今でも夢に見るぐらいその頃のイメージが強いからなんだと思う」
-- なるほど。そういう事だったんですね。
「時枝さんの中で、翔太郎はスタジオや、ステージにいる人でしょ? 私も最近やっとそういう彼を思い出せるようになってきたんだけど、ほんとついこないだまでは、私の中で翔太郎はまだ街にいるイメージだったんだよね。竜二さんや、大成さん、アキラさん達と笑い合いながら走り回ってる」
-- 10年以上経ってもまだそのイメージが強いというのは、相当思い入れの深い時代という事ですよね。
「そうなんだろうね。そんなに長い間続いた時代の話じゃないんだけどね」
-- 大立ち回りを見た事もあるとか。
「喧嘩? うん、見た見た。映画みたいだったよ、思い出して今でも笑う時あるもん」
-- 怖くはないんですか?
「その時の感情はやっぱり、安心だったような気がする」
-- それはつまり、誠さんを守るような立場での、争い事と言いますか…。
「なんか安いドラマの話してるみたいだね(笑)」
-- ほええ。
「出た(笑)。でも全然、気分いいぜー!みたいな感じではなかったよ、もちろん。後になって申し訳ない気持ちにもなったし、一杯色んな人に頭下げたし。でもその瞬間、私の目の前で彼らが大暴れしてる姿というのは、…ああ、これで大丈夫だっていう、安心感だったね」
-- 皆さん相当喧嘩がお強いと聞いています。
「何、どこまで引っ張るの? 喧嘩の話好きなの?」
-- 全然好きじゃないです。でもちょっと、思う所ありまして。
「何?」
-- 私の友人で、以前パンクバンドを主に取材していた雑誌記者がいたんです。もう辞めてしまったんですけどね。その子と最近偶然会って、当時の話とか心境とかを改めて聞いたんですよ。
「喧嘩ばっかりする人だったの?」
-- いえいえ、女性です。取材相手のパンクバンドがそんな話ばかりするんだそうです。たまたまなのかもしれませんけど、ライブハウスでよく怪我人が出たり、実際何度も打ち上げ先で警察沙汰に巻き込まれたり。
「ああ、そっち方面でか」
-- ええ。それが嫌でやめてしまったのを知っていたものですから、おそらく人より喧嘩の話は好きじゃないんです。
「それは、うーん、勿体ない話だね。念願叶って出版社に就職できて、好きなバンドの取材でご飯が食べられるっていうのに」
-- そうですね。その子も、音楽としてのパンクロックが大好きだったので、ひとつの側面でしかないとは言え実際に触れた現実がそのような血生臭い実態であった事が、かなりショックだったようです。
「という事はいわゆるポストパンクとか、割と年代の若いポジティブなパンクとしての、メッセージソングが好きだったんだね」
-- そうですね、そうだと思います。誠さん煩い音楽嫌いな割に意外とお詳しいんですね。
「私じゃなくて他の皆がね。翔太郎たちが10代の頃よく聞いてたパンクって、ポジティブなイメージはないしそういう捉え方が出来ないような時代の、『世界をぶっ壊してやる』系のハードコアなレベルミュージックだったからね。時枝さんのお友達が体験したようなキナ臭い世界が、どちらかと言えば私なんかでも馴染みのあるパンクだよ」
-- そうでしたか。いやいや、貴重なお話が聞けました。
「それでどうなったの?」
-- その子が辞めちゃってもう5年程経つんですけど、その間会って話すことはあっても仕事の話題は避けていたんです。ですが、今回ドーンハンマーの密着取材を進めるうち、どうも彼らの中にもそういった暴力的な世界が見え隠れするようになって、相談してみたんです。
「あはは、暴力的な世界か。まあやってる音楽自体がそうだし、時枝さんも今の業界10年でしょ? ある程度彼らがどういうバンドなのか知ってたんじゃないの?」
-- 予備知識としてはありましたけど、実際メタルバンドのそういった逸話って、本人達に確認をとってみればそんなにピックアップするようなレベルの話ではないことが多くて。私今の仕事を始めて思うのは、メタル畑のミュージシャンって、怖いのは見た目だけで実は紳士が多いんですよ。
「そうなんだ(笑)」
-- あとオタク体質な人とか。だから、彼らのような本物のミュージシャンからそういうエピソードが出てきた事が少しショックではあったんです。どう向き合うのが正解なのかなと。そういうったアウトロー的な話題は避けるべきなのか、密着取材である以上避けるべきではないのか。やっぱりこれは付き纏い続ける問題なのかなあ、とか…。
「時枝さん」
-- はい。…なんでしょう。そんなにじっと見つめられたら、腰のあたりがムズムズします。
「翔太郎達の敵に回ったりしないでね」
-- へ!?
「申し訳ないけど、私それだけは絶対に許さないよ」
-- 違います違います!真逆の話ですから!
「そ? ならいい」
-- え、言っちゃっていいですかね。めっちゃ怖い!
「あはは、嘘うそ」
-- 嘘じゃないです。ずっと前に、繭子が誠さんめっちゃ怖いって言ってた意味が今理解できました。
「あいつー」
-- あはは、あー、まだ心臓がバクバクしてる。いやいや、違うんです。その相談の内容っていうのは、私も最近取材相手からちょくちょく、喧嘩や過去の暴力的な思い出話を聞く機会があったんだけど、不思議なぐらい嫌悪感を抱かないと。どうしてだろうね、って。その友人の子とは、何が違ったんだろうねって、そういう話です。
「本当にー?」
-- 本当ですよ!逆にどういった話をすると思われたんですか?
「やっぱり程度の低いチンピラバンドだったよーとか、そういう笑えない笑い話」
-- するわけないじゃないですか!
「うわ、…っとお、びっくりしたあ。怒ると立ち上がるタイプかあ。ごめんごめん、ちょっと本当の所確認しておきたくて」
-- 私、ここまで来たら何があっても彼らを嫌いになんかなりませんよ。私彼らがどれだけ本気で世界を獲ろうとしているかこの目で見てますから。今後どんな話が飛び出そうとも、絶対彼らから逃げないし、最後まで全力で全うしたいと考えています!
「分かったよ。そうだよね。ごめん。だから座って」
-- いえ、私の話し方がいけませんでした。誤解を与えるような話し方ですみません。ちょっとお酒追加しますね。
「まだ飲むの!?」
-- 飲まずにはいられません。私、そもそも男の人の喧嘩話とか武勇伝とか、馬鹿にしてる部分は確かにあったんです。その友人の子から色々聞かされる以前から。でもドーンハンマーにはまず音楽で心臓を鷲掴みにされて、実際会ってお話をしてすぐメロメロになって。トマトサワーお願いします!そんな彼らから聞く話だから平気に思えたのか、気づいてないだけで何か別の理由があるのか。そういった部分の話なんです。
「なるほど(笑)」
-- その友人の子が言うには、ほとんどのバンドが持ってた暴力的な怖さって、実は大きく分けて2つのパターンしかなかったらしいんです。一つはカースト。もう一つは病気。このどっちかなんですって。
「カースト制度のカースト?」
-- そうです。それこそ今でいうマウンティングですよね。誰が強い、どっちが強い、あのバンドはやばい、アンタッチャブルな噂話、上下関係。そういうのを広めて、業界内で自分達のポジションを上げてテリトリーを拡大していくための手段です。それをする事で、自分達の名前を広めやすく、単純に一目置かれる存在になる事で流通にも影響してきます。
「昔からよくいるタイプだよね」
-- インディーズパンクが隆盛を誇っていた頃はこの手のバンドが幅を利かせていたように聞きました。もう一つが病気。ドラッグジャンキーなんかもこの手合いです。あとは単純に性格的な喧嘩馬鹿。あるいはその2つの要素を兼備えた本当に危ないバンドもいたり、そのファンがもっと危なかったりで、…まあ、相当嫌いだったようです。
「面倒くさい人多かったもんね(笑)」
-- 実際誰かとお会いになられた事があるんですか?
「あるよ。あるけど、誰かっていうとまた…、ややこしい話になるから。バンドがイケイケだった頃は色んなトコと対バンしてたし、なんでか私も打ち上げによく誘われたんだよ。翔太郎は嫌がったんだけど、竜二さんがとにかく呼ぶの、私を」
-- 見せびらかしたかったんでしょうかね。バンドの側にいい女は付き物ですから。
「あはは! いやぁ、分からないけどさぁ。でも断れないよ実際。そんな事ぐらいで悲しい顔されるの嫌だし」
-- そうですよね。
「あと繭子の側にいてやって的な理由もあると思ったから、そうしてたんだけど。だけど今思うと明らかに私らが並んで座ってる時の方が揉め事多かったんだよ」
-- 嫉妬ですねえ(笑)。
「かなあ。何かそれを楽しんでる風でもあったし、やっぱあの人達も病気なのかなあ」
-- いやいや、違いますよ。その友人と話していて、ドーンハンマーはどちらでもない気がするって答えたんです。そしたら彼女も、確かにそのどちらでもないけど暴力沙汰の絶えないバンドは、少ないけどいるよね、って言ったんです。
「へえ。どちらでもないバンド」
-- はい。彼女が言うには『群れから外れたがるバンド』だそうです。
「あああ、あはは」
-- そうなんですよね、ここなんですよ。あと私が付け加えたいのが、自分を貫くバンド。そういうバンドって、どちらからも嫌われるし、攻撃対象にされやすいから自分からアクションを起こさなくても暴力の渦から逃れられないんだそうです。
「その子もよくわかってる子だね」
-- 私もそう思って感心しました。その子と話せて良かったです。迷いが吹っ切れたので。
「何を迷ってたの?」
-- 翔太郎さん達の、過去の出来事をお伺いしたくて。
「いいの? それこそ音楽からかけ離れてっちゃうよ?」
-- それでも。あの方達の全ては今に繋がってるんだと確信が持てたので。
「そっか。…まあ、話す話さないは彼らが決める事だしね。少なくとも皆自分の事あまり話したがらないから、我慢強く粘らないと、嬉々として話してはくれないよ」
-- はい、今はもう覚悟してます。以前繭子に聞いた時、結構泣いたという感想を教えてもらって、正直物凄く迷いがありました。私の友人が体験したような、血生臭い話だったり、誰かが傷ついたりするような話だったらどうしようって。だけど、さっきの友人の言葉を聞いて、思ったんです。
「群れから外れたがるバンド?」
-- なんだか、繭子みたいじゃないですか?
「ああ。うん、そうだね」
-- 絶対に自分を貫く所も、同じ。繭子贔屓の私としては、彼らの体験したことから目を背けるわけにはいきません。
「バンドに対して音楽の話だけしてたって、上辺をなぞってるのと変わらないもんね。彼らの魅力がそれで一杯引き出されるんなら、良いんじゃないかな。もちろん、そうならない時は記事にしないって約束してくれるよね」
-- します。
「いや、泣いたら私脅してるみたいに映るじゃん」
-- 嬉しいです。誠さんとこういう話が出来て。ただ単に、翔太郎さんの恋人としてだけではなく、バンドの側にいる人間として彼らを守りたいという気持ちを強く持っている事が、伝わってきました。
「あはは。それこそ翔太郎じゃないけどさ、もしも私にやれる事があるんなら全部やる気でいるよ。ただ悲しいかな何にもないから、私はこれまでの自分を振り切ってでも彼らについて行くんだよ。一回でも多く翔太郎に笑って欲しいからね。翔太郎が笑えば、みんなも笑うと思うんだよ。だからそう信じて、海なんてひとっ跳びだぜい!いえい!」
-- ああああああ。
「何なにいきなり、どーしたの、吐きそう?」
-- 私、一日で分かっちゃいましたよ。
「分かっちゃったの? 何を?」
-- 大成さんです。大成さんとお話した時に言われたのが、『誠の側に一週間いてみな。あいつの凄さが分かるよ』って。
「何それー?」
-- その時はまだ誠さんが帰っていらっしゃる前だったので、その場で私聞いちゃったんです。どういう意味ですかって。まさかこんなに早く面と向かってお話をさせて頂く機会に恵まれるとは、思ってもみなかったので。
「大成さんかー。あの人はなー。全部知ってるからなー。弱ったな」
-- どういう意味の全部ですか?
「なんていうかな。女ってお喋りだから横の繋がりの中では全部が共通認識になる事多いでしょ。でも男はそうでもないじゃん。特に翔太郎達も、お互いに自分達のプライベートな話とかしないんだよ。だから普通男側は女側の事あんまり知らないし、逆もそうじゃん。ただ大成さんはさ、織江さんと色々話をするから、男側の出来事も、女側の共通認識も、全部耳に入っちゃうの」
-- なるほど(笑)。自分の目で見た物と、織江さんの口から耳に入る物と。
「そう。…で、あの人なんて答えたの?」
-- 『あいつは俺が出会った中で一番綺麗な顔してる。でもそれ以上に、俺が出会った中で一番努力してきた人間だと思う』って。
「大成さんが?」
-- はい。失礼ながらちょっとした衝撃でした。織江さんや繭子を差し置いて、誠さんが一番に踊り出るの!?って。
「あはは!そりゃそうなるよね。ええ、なんだろう。やばいな、意味も分かんないのにもう泣きそうになって来たよ」
-- 録画した映像持って来てるんで、見てもらえますか。
「勝手に見て平気なの?大成さん怒らない?」
-- 許可は得てます。
「根回し(笑)」


『人を好きになるのは簡単だと思う。けど人から愛され続ける事の大変さってのもさ、何となくだけど分かりそうなもんじゃない。俺達も人気商売だからさ、恋愛のそれとは全然違うかもしれないけど、駆け引きみたいな考え方の部分では、似てる所もあるからね。だから誠の持ってる愛情の大きさは並大抵じゃないと思うんだよ。皆初めは誤解するんだけどね、あいつの顔が綺麗すぎて、やっぱソコなんだろうって。いやいや、翔太郎はそんなんで落ちないよって、俺達はとっくに分かってるからさ。あいつ、どっか狂ってるからね、特に20代なんて。…そんなあいつを15年連続で落とし続ける事が出来るのは誠だけだし、努力の結晶だと俺は思ってるよ。良い仕事してると思う。誠の笑顔見ると俺達まで幸せになるもんな。ただ笑顔でいるって、それだけでも本当に凄い事なんだって分かってるし。…なんかさ、俺らってやっぱりどこかずるいと思うんだよね。そもそも好きな音楽をやっててさ、やりたい事をやりたいように、やりたいだけ追及してるんだから、そんなの上手くなって当たり前だよ。答えを先に出してそこへ向かって走ってるような物だし。でも、出会った時の、…15年前の誠に答えなんかなかったよね、きっとね。翔太郎って他人に自分を掴ませない所あるから、そもそもあいつの方から掴んでやらないと、誠は全然安心出来なかったと思うんだよ。するのは好きだけどされるのは嫌いっていう典型的なドエスマンだし。その上で、今日も明日もそこにいるか分からないようなフラフラした男をずっと側にいて支え続けるって、言ってる言葉以上の努力が必要なんだと思うよ。ちゃんと相手を見て、自分が動かなきゃいけないからね。今自分で言ってても、誠のこれまでを思い返すと溜息出るもん。…誠が何かの楽器なら、ベースなら、めっちゃくちゃ良い音鳴ってると思うんだよなー。フフ、うん、これはマジで』


-- 大成さんらしいコメントだなーって思いながら、私笑いながら泣いちゃってました。やっぱり嬉しいなーって。やっぱり誠さん好きだなーって。もう一度会いたいなーって。…もしかしたら大成さん、その時には誠さんが帰っていらっしゃるって知ってらしたのかもしれませんね。
「あー、やばいやばい。化粧全部落ちちゃうよ」
-- とてもお綺麗です。
「揶揄わないでよ」
-- 本心です。
「翔太郎、ボロカスに言われてるのが笑えるね。あの人さー。…大成さんさ。若い時からそうなんだけど、本当に気遣い半端ない人なの。言葉でひと口に優しい人って言っても色んな種類あるけどさ、竜二さんや翔太郎とはまたタイプの違う、気遣いの人っていう印象があって」
-- 性格なんでしょうかね。
「それもあるし。実を言うとさ、私に関してはいつも気にしてくれていたのはアキラさんだったの。あ、この話したよね。それでね、アキラさんが亡くなってからは、大成さんがその肩代わりをしてくれるようになったんだって思ってるの」
-- ああ、そうだったんですか。
「わざわざ聞いたりしないから分からないけど、そんな気がする。もちろん一番近い距離にいるのは翔太郎なんだけど、…どう言ったらいいかな」
-- 誠さんだけでなく、お二人の事をずっと気にしていらした?
「ん? そうなの?」
-- いや、分かりませんけど。…半年前、誠さんがああいった形で皆さんの前から去った時、私その場にいましたよね。最初、大成さんとお話していた所へ織江さんがお見えになられて、翔太郎さんと誠さんが別れたらしいっていう話をされたんです。
「へえ、そうなんだ。びっくりした?」
-- いえ、びっくりというか、私はバンド内のそういう話題には本来乗っていかないタイプのライターだったので、聞いてていいのかなあなんて思いながら呑気なものでしたけど(笑)。ただ、その時の大成さんのショックの受け方がちょっと普通じゃなかったというか。え、そんなに大成さんが傷つく話なの?って思ったぐらいでした。
「ああああ、そうなんだよ。そういう人なんだよ。だからそれも、私達二人をって事じゃなくて、私が結構心配されやすいタイプなんだよ、昔から」
-- 無鉄砲なんですか?
「そう聞くとそんな想像するでしょ。でもそんな事ないと思うんだよ自分では。結構ちゃんと考えてるし。ただね、私皆と違うのは、大事な事を誰にも相談しない癖があるの」
-- それは心配しますよ(笑)。
「やっぱり? 大成さんから聞いてるかもしれないけど、私割と早くに両親を亡くしててね」
-- いえ、え、初耳です。
「そ? 実はそうなんだよ。皆に出会うちょっと前の事なんだけどね。翔太郎に指摘されて気付いたんだけどさ、私バカみたいな下ネタとかどうでも良い話はベラベラ喋るくせに、大事な事は誰にも相談しないみたいなんだよね。本当は色んな事をお父さんやお母さんに話す筈の場面でさ、その、行き場を失ったような感覚に陥ってるように見えたって言われて。逆に意固地になって自分一人で考えなきゃ、やんなきゃって思ってるんじゃないかって。…私より早く泣くんじゃない(笑)」
-- 大丈夫です、聞いてます。
「だけど、言わないだけであって自分なりにちゃんと考えてはいるんだよ。ああ、でも今回の病気の事も結局自分で決めてるもんね。変わってないなあ、私やっぱり(笑)。…そうそう、そんなんだから、心配かけてた部分はあると自分でも分かってるの。…これ言って良いか分からないんだけど、あのスタジオ行った日さ、半年前に。あの後って、私タクシー呼んでもらって玄関先で大成さんと待ってたんだけどさ、あの人泣き出したんだよ」
-- …え、大成さんがですか?
「ごめん、って言うの。私に。だけどそれしか言わないの。もうね、ギリっギリだった、私。全部言おう、今全部言ってしまおうって、本気で考えた。もうあとちょっと、タクシー来るのが遅かったら縋り付いてたと思う。…謝らないでくださいって、私もそれだけ答えて。それでも、ごめんなって。ずーっと見てきてもらってたんだもんなあって改めて思ったよ。アキラさんにも、大成さんにも。出会ってから今まで、翔太郎ばっかり追いかけて、面倒ごとばっかり起こして迷惑かけてきた。モデルになってからも、バンドが軌道に乗ってからも、世界を相手に戦いを挑んでいる間も、変わらない距離でずーっと見守ってくれてたんだなっていうのが、大成さんの涙を見た時にようやく気が付いたんだよ。あんなの初めて見た。いっつも心配ばっかりかけて、あんな優しい人達を泣かして、…なんなんだよ私はって。何をやってんだよって。久しぶりに帰ってきた時、あの後真っ先に大成さんに頭下げたもん。あの日、心配かけたまま行ってしまって、すみませんでしたって。そしたら、ニッコリ笑って、そんな事どうでもいいって。また会えるのは分かってたって。じゃあなんで謝ったんですかって聞いたら、『お前が一人で悩んだり、行き場をなくしたりしなくて済むようなオッサンでいようなって、竜二といつも話してたから。お前がどういう奴なのか分かってたくせに、いざって時に何にも出来なかった事が悔しかったんだ』って。身勝手な理由で翔太郎から離れようとした私にさえ、そんな風に思ってくれてたんだよ。もう私、大成さんの胸バシ!って叩いて走って逃げたもん(笑)。号泣とはこのことか!ってくらいトイレで大泣きしたよ。今の時枝さんの5倍泣いた」
-- はああー。
「ため息がでかいな(笑)」
-- ふううー。
「泣きすぎてこの部屋酸素薄いよね」
-- やばいなー。私やっぱり向いてないかなー。
「あははは、めっちゃ泣いたもんね。人の事言えないけど」
-- 大成さんやばいなー。
「いい人でしょ。そりゃあ織江さんも落ちるよ」
-- 分かります。
「まあ、それぞれ皆いい男なんだけどね。実は私も昔、彼らを分析したことがあって。聞きたい?」
-- 是非!
「あの人達ってさ、3人が3人とも自分を長兄だと思ってるんだよね」
-- 長兄? 兄ですか?
「うん、言うなればドーンハンマー4兄弟。今は繭子が一番下だけど、アキラさんがいた頃も、アキラさんが末っ子体質だったの。だけど他3人はそれぞれ自分が一番上の兄貴だと思ってるの」
-- あはは、あー、面白い考察ですねえ。
「時枝さんは誰が一番上のお兄ちゃんだと思う?」
-- ええ、誰だろう。やっぱり竜二さんかなって思うんですけど。でも、いや待てよ、って考え直したくなるぐらい皆さん突き抜けた兄貴肌ですもんね。
「バランスが丁度いいんだよね。繭子がいるおかげで皆それぞれお兄ちゃんの役割を果たせてるもんね」
-- そこは大きいですよね。却ってバランス良すぎて誰かが頭一つ抜けるような印象になりませんよね。ちなみに誠さんはどなただと思われますか?
「私も竜二さんだと思うよ」
-- やはり、なんとなくそう思っちゃいますよね。なんとなくは失礼か(笑)。竜二さんは見た目から動きから笑顔から器から、何から何まで人としての大きさを感じます。
「昔からそういう人だね。一番後ろでドンと構えて、最後に出ていくような大将キャラ。何が面白いって、そうは思いながらもそれぞれ一番上の兄貴はなんだかんだ俺だろって思ってる所が笑えるんだよ」
-- そうなんですか(笑)。
「そう、本心は分かんないけどさ、なんでか知らないけどそこは絶対に譲りたがらないね。でも説として一番有力なのはさ、皆に言わせると翔太郎は特攻隊長らしいの。特攻隊長ってのは一番上の兄貴がやるもんじゃねえって(笑)」
-- どういう意味なんでしょうかね、特攻隊長って。
「揉め事があるとイの一番に飛んでって引っ掻き回す奴」
-- あははは!
「確かに一番手を出すのは速いね」
-- ああ、そうかー。それで言うとそうなのかなあ。でもあの人の持つ優しさの種類って、特別な気がするんですよねえ。
「お、私を前にして語るじゃないか。どういう了見だ?」
-- 了見(笑)。場当たり的では決してないというか。今だけを見ずにずっと先の事まで考えてくれている優しさと言いますか。その場では計り知れないぐらい大きな一手を打ってくる人だと思います。
「おいおいおい!あげないからな!」
-- 残念(笑)!でも大成さんも凄いしなあ。
「まあまあ、誰が一番優しいとかって話になっちゃうと答えは出ないよ」
-- 確かに。特攻隊長だって言われちゃった翔太郎さんは、その時なんて答えを返すんですか?
「お前らの為に俺が切り込んでいくんだろうが、って」
-- うわーあ。
「そう。皆黙るよ、それ言われちゃうと。でね、少なくとも大成は違うって、竜二さんと翔太郎が結託しちゃうの。そしたらさ、大成さん笑って、じゃあ、まあいいよ、二番目でって」
-- 素敵(笑)。
「上手いよねえ。その時点で竜二さんと翔太郎どっちかが3番目になるからね」
-- 本当だ。…ってか何をそんなに争う必要があるんだっていう。
「これからさ、時枝さんはあの人達の過去に足を踏み入れていくわけでしょう。彼らがさ、お互いをどういう目で見ているのか分かった時に今の話思い出してみてよ」
-- ええ、何ですか何ですか。気になる言い方しないでくださいよ。
「お楽しみに~」



ドンドン!
乱暴にノックする音がしたかと思えば、驚き固まるこちらの返事を待たずして入り口代わりの襖が勝手に開かれた。思わず身構える。だが姿を現したのが伊澄だと分かった瞬間私が感じた安心感は、例えようのないぬくもりの種類であった。
関誠を見る。彼女は上目使いに私を見ていた。何かを物語る微笑みをその目に浮かべ、ウーロン茶のジョッキに顔半分が埋もれていた。今彼女はどんな言葉を私に投げかけているだろうかと想像する。
格好いいだろ。
安心したでしょ?
惚れちゃうよね。
また泣いてしまいそうなんだけど。
それら全部を彼女は思ったかもしれない。しかし私が感じ取ったのは全然別の言葉だった。

『お膳立てはしたからね。あとは自分で頑張れ』

そう言われた気がしたのだ。
伊澄が現れると思っていなかった私は、いたずらっぽい微笑を浮かべた関誠に嘆息し、無言で伊澄に深々と頭を下げた。先日とは逆のパターンだ。どぶろくを飲みすぎた私を心配したのか、どこかの段階で連絡を取ってくれていたらしい。ノックの音が乱暴だったのは伊澄なりの冗談だったが、正直、俺はお前らの付き人じゃないぞという思いもあったように思う。
伊澄は迷うことなく誠の隣に腰を下ろし、「飲んでんのか?」と彼女の顔を覗き込む。誠は満開の花弁のような笑顔で首を振り、そのまま私を指さした。伊澄は片眉をクイっと持ち上げて私を見つめ、「またかよ」と溜息をもらす。
私は言うほど酔っていないと自分では思っていた。少なくともスタジオで醜態を晒した日とは比べ物にならないほど意識ははっきりしており、誰かの介助がなければ帰れないような状態ではなかったのだが、かと言って全く酔っていないわけでもなかった。
それに関誠と過ごした濃密な時間のおかげで、混乱と多幸感がぐちゃぐちゃになったような精神状態であることも否めなかった。私は勢いに任せてこう言う。
「翔太郎さんは誠さんの一番すごい所ってどこだと思いますか」
句読点を含まない私の棒読みに伊澄は鼻で苦笑し、
「酔っぱらってるアンタにゃあ理解できないんじゃないかな」
と答えた。
「ごまかさずに教えてくださいよ」
と言った瞬間、私は自分の背筋が凍りつくのを感じた。やはり、酔っている。
「ごめんなさい私勢いでも失礼がすぎました。お酒のせいにするのは卑怯ですが忘れてください」
永遠とも思える5秒を経て、伊澄と同時に吹き出して笑い、誠が言う。
「可愛い人だね。でも危うくおしぼり投げそうになったから気を付けてね」
「なんだよお前、今日荒れてんな」
「私が投げないと翔太郎が投げるでしょ」
「投げねえよ。使用済のこれ(おしぼり)で化粧落とすけど」
「あはは、余計いやだ」
「誠の一番すごい所ねえ」
「お、教えて教えて」
「ざっくりしてんなあ。えー…っとおー…」
「あー、そういう感じかぁ」
「ある意味もう一つの人生では、ある」
「…全然分かんない。もっとスパーンとこう、スパーンと決めて。いつもみたいに」
「あはは、いやー、俺なりに今すごい考えて真剣に答えたんだけど」
「そうなんだ。…もう一つの人生…。何だろうね」
照れたような、困ったような顔で誠が私を見る。しかし私は何も答えず首を傾げるに留めた。伊澄はまるで私などそこにいないかのように優しい顔で誠を見やりながら、彼らしい思い付いたままの言葉で話し始めた。
「たまに夢を見るんだよ、今でも。…ここどこだよっていうくらいの山合いに住んでんの、俺。山奥ってわけじゃないんだけど、周囲を全部山に囲まれた、色々不便そうななーんもない集落に暮らしてんの。別にジジイになってからの話じゃなくて、今の俺な。携帯も圏外だろうし、一応道は舗装されてんだけど、周りは田んぼと、ぽつーんぽつーんと離れて建ってる家しかないような場所で、仕事もせずに自給自足で暮してるわけ。俺意外と現代っ子だからそんな生活絶対嫌な筈なんだけどさ、夢の中だと穏やかで幸せな気持ちなんだよ。不思議と満たされてて、焦りも不安も何もないような。なんでかなってしばらくは分からないんだけど、ふと気づくんだよ。…あ、そうか。ここには誠がいるんだなって。どうやら一緒に暮らしてるみたいなんだよ。みたいってのは、夢によっては誠が出てこない時もあるからなんだけど、いるってのは分かってんだ。寝巻みたいな服装で玄関から出てきたり、一瞬しか姿を見せない事がほとんどなんだけど、でも笑ってる。面白い事が他に何もなくたって、ギター弾いてなくたって、周りにあいつらいなくたって、誠がいるって分かってれば楽しく生きていけんだなって、そう夢ん中では思ってる。何もしないなんてクソつまんねー人生かもしれないけど、そこに誠がいたら面白いんだって事に妙に納得してるっていう、そういう変な夢。夢から覚めてはいつも『たまに見るけどなんなんだこれ』って自分でも思ってんだけどな。けど目覚めた後もどっかで引き摺るような感覚が残ってて、そういう時に誠に会うと妙に納得する自分もいたりして。その夢がどこからくる物なのか分からないけど、やっぱり自分自身がそれをアリだと思ってるって事なんだろうなって。実際今はもう無理だけどな。俺ギターやめられないし、あいつら捨てられないし。…だから、それでもどこかの分岐で今の道を選んで俺はここにいるけど、きっと別の人生を選んでたとしてもそこに誠はいるだろうなって思ってるよ。それは凄い事だなって思うよ。…なんだよ、長々と喋ったのに珍しく泣かないんだな」
朦朧とまではいかないまでも、気を抜けば緊張の糸が切れてしまいそうであった混濁した酔いの境地と、感覚が鈍くなった現実の狭間をふわふわと浮遊しているような状態が功を奏したのだろうか。
私は少し掠れた伊澄の低い声を心地よく聞きながら、とても幸せな妄想を思い描いてうっすら笑っていたように思う。
関誠も笑っていた。そして静かに泣いていた。
伊澄は誠の手からジョッキを取り上げて喉を潤す。
「ビールじゃないよ」
恥ずかしげもなく隣の男を愛おしそうに見上げながら誠がそう言うと、車で来てんだから分かってるよ、と伊澄は答えた。
「ほら、結局酔っぱらって、よく分かってない顔してる」
伊澄は私を見ながらそう言うと、口をパクパクさせてなんとか言葉を返そうとする私にニッコリと笑いかけた。




この日の事ではないが、いつかのインタビュー収録の際、伊澄が私に教えてくれた事がある。彼が関誠と出会ってからこれまでの日々を思い返した時、たった一度だけ彼女に向かって弱音を吐いた事があるという。たった一度なんですか、と私が笑って尋ねると、伊澄は臆面もなくこう言った。

「あいつ(誠)がいたでせいで弱音みたいなもんは、もう吐けなくなったんだよ」

それが嘆きなのか惚気なのかすぐには判断が付かなかった。しかし考えてみればたった一回でも、あなたが誰かに弱音を吐く姿を想像できないですね。出会って間もない頃ですか、という私の問い掛けに伊澄は黙って頷いた。なんと仰られたんですか、というストレートな食い下がりには、笑って首を横に振った。
私が関誠にその言葉を覚えているかと尋ねたある日、外では偶然雨が降っていた。とても寒くて冷たい夜に、誠はバイラル4内会議室の窓を開けて私を手招きする。怖いほどの激しい雨音が会議室に飛び込み、彼女が笑顔で発した声が全て掻き消されてしまった。
「なんですか?」
と私が耳を近づけると彼女は窓を閉めて、両腕で体を抱きしめて震えた。お道化た様子で窓の側を離れると、「てな具合にさ」と言って振り返る。伊澄が関誠にたった一度の弱音を吐いたとされる日も大雨で、全身がボトボトに濡れ沈む屋外での出来事だったという。

『何一つ自分の思い通りにならないでただ時間だけが過ぎて行く。振り返る事も出来ずに自分の意志では止まる事も出来ない。何かにぶつかるようにして霧のように消え去る。きっと俺は、そういう終わり方をすると思う』

伊澄の声が全く耳に届かず、触れるか触れないかぐらいの距離まで体を近づけてようやく聞いたその言葉に、彼女は驚きのあまりすぐに返事をすることが出来なかったそうだ。
とても後悔したのを覚えているという。
その日は別れてお互いの家へ帰る予定だったのだが、その道すがら堪えきれなくなった誠は踵を返すなり走って伊澄の元へ舞い戻った。そしてこんな言葉を返した。

『私を連れていけば良いと、思うんです。ただ黙って側に置いておけば良いと思います。私だけはあなたの思い通りになります。私が全部上手くやりますから。私が、翔太郎さんをそんな風に終わらせたりはしません。絶対にさせません。…約束します』

その言葉を聞いた私が思い起こしたのは、関誠がスタジオを去った日の深夜に伊澄が零した言葉だった。
再録ではあるが、あの日の会話を掲載する。

「じゃあなんで止めなかったの。…そんなに誠の事大切なら、なんであんなにあっさり受け入れたのよ」
不意に伊藤の声が真剣味を帯び、池脇も繭子も笑顔でいられなくなった。
伊澄は煙草に火をつける。
普段は視線を送らずとも先端だけに綺麗な火を灯す彼だが、
今は深い縦皺を眉間に刻み、怖いくらいに強い目でその火を見つめていた。
「あっさりじゃねえよ。ボケ」
口調は強くなかったが、最後に「ボケ」と付けた瞬間伊澄の装えない本心が見えような気がした。
明るかった室内の雰囲気が、またきゅっと温度を下げたようだった。
全てを吹き飛ばすような音量の溜息をついて、池脇が言う。
「もう終わったことは終わったことだ。今日はもういいだろ」
沈黙の中で伊澄の煙を吐く音が微かに漂う。
「約束したからな」
と彼は言った。
「どんな約束ですか」
と繭子が問う。
「…言わない」

伊澄がその続きを言わなかったのは、約束の意味が恐らく周囲の抱いた印象とは食い違っているだろうと、初めから分かっていた為だと思われる。約束をしたのは伊澄ではなく、関誠の方だった。だからあえてその言葉を口に出来なかったのだ。結果として誠は約束を守るために彼のもとへ戻ってきた。しかしこの時、一度はスタジオへ一人残された彼の胸中を思うと、過ぎ去った出来事とは言え涙を禁じ得ない。
そんな彼の心からの本音を、思いもよらぬ形で5か月越しに見た関誠の、絞り出すように吐き出した言葉を思い出せば、尚。
紡がれる人の想いと絆を実感する出来事だった。彼らは15年前からずっと繋がり続けている。そんな2人の物語『たとえばなし』の書き出しは、関誠のこんな独白から始まる。


「馬鹿で生意気で経験不足の私があの人と話をしたいと思った時は、いつも『たとえばなし』をするしかなかったんだよ。最初は正直面倒くさそうに見えたし無表情な時もあったけど、それでもきちんと私の目を見ながら話を聞いてくれた。学校で授業受けてる間中ずっと、今日はどんな話をしようかなって、話のネタばかり考えてたの覚えてる。創作してたんだよ、ただあの人との会話が欲しくて。まだ私には、私の話を聞いてくれる人がいるって思いたかったの。その頃の私にとってそれがどれほど救いだったか。
『たとえばですけどね。10年後は2人ともいい年した大人じゃないですか。その時私達は、どんな風になって、どんな風に生きてるんでしょうね』
って、聞いたことがあるの。そしたらさ、あの人、珍しく笑って煙草の煙吐き出してさ、こう言ったんだ。
『知るかよ。10年経ってから聞いてくれよ』
だって。嬉しくて嬉しくて舞い上がってたらね、15年経ってたよ」



まだ何者でもなかった頃の彼らに思いを馳せる旅が、始まろうとしている。



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