世迷ビト

脱兎だう

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三章 イリシェとマーク

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 世迷ビトの呪いをかけた魔女は母だと答える少女にマークは戸惑う。
 ほらね、とでも言いたげにあざ笑うイリシェ。
 反応を見て信じてくれなかったのだと感じたらしい。残念そうな顔を浮かべる彼女に慌てて否定する。

「あ。いや、俺はイリシェの味方だから。そうじゃなくて。魔女の存在を信じてなかったから驚いたのもあるし、何つうか……お前の母親がこの村にいたなら会ったことがないのは変だな、とか」
「母が記憶を奪ったから、覚えてなくて当然よ」

 幼なじみだったのか。マークのひとり言に「うん、まあそんな感じ」とあやふやな返事をしてうなずく。

「マークとは幼いときによく遊んでたかな」

 奪われた記憶の中にイリシェと彼女の母がいるなら、恐らく両親が死んだ理由は魔女の迫害に加担したからだろう。
 運悪く死んだと認識していたからか少年は彼女の言葉に動揺を隠せなかった。
 大して思い出せもしない両親の顔がいいものではなかったのだ。もしかすると自分自身も酷いことをしていたのでは、と思わずにはいられない。
 いられないが、もし加害者側だったとしても記憶がない状態で謝られるのは嫌だろう。
 そう考えたマークは話を切り替える。

「あの異端審問官はお前を魔女だと知ってて、殺そうとしてるのか?」
「呪いのことで見逃してもらってる。母は、捕まったときに処刑されちゃったみたい。あの人が最初あたしを見て『あの魔女の娘なら、同じ道を辿たどるだろうな』って言ってたから。だからあたしは生き残るために必死に頼んだんだ。母がかけた呪いを解くから見逃してって、同じ魔女にしかできないんじゃないのって」
「じゃあ、イリシェは母親の罪を償うために」
「うん。呪いを解く必要がある。十六歳までに呪いを解く、できなかったら」

 親指で首を切るよう直線を描く。言わなくても分かる結末を想像してマークはため息をついた。
 もっと早くに相談してくれてたら手伝えたのに。
 今更言ったって何も変わらない。過去を変えることなど誰にもできやしないのだから。
 イリシェの立場は罪人の子に等しく、軽々しく頼むことができなかったのだろうと容易に想像ができた。マークは彼女の心情をくみ本題に入る。

「それで、世迷ビトっていう呪いの条件は何なんだ? 何かこう、あるんだろ。呪いをかける条件みたいなものが」
「ニコラスが言っていた通り『恨み』や『怒り』が条件。その恨みや怒りが強ければ強いほど、夜の人格は悪くなる。簡単に言うと、かけた魔女の憎悪がそのまま呪いの対象に移るってこと」
「つまり殺したいほど憎んだり、怒ったりしてたから、ここの村人たちも殺し合いに発展したのか」
 納得した様子でうなずくマーク。ふと、夜のときイリシェにしてしまったことを思い出し、首をきながら問うた。
「興味本位で聞きたいんだけど、どうして俺が首を絞めたとき逃げたり抵抗したりしなかった。近くにいたの、気付いてただろ」

 珍しく慌てた素振りで目線をそらすものだから「何だ何だ」と視線を追いかけ、観念した少女はささやき声を鳴らす。

「……顔が近かったから」
「……?」

 意味が分からない。
 そう言いたげな少年の表情に耐えかねたのかイリシェは話を進める。

「手伝ってくれるなら呪いの根源を一緒に探して。あたしは、祭りに使う装飾とか、村で神様として祭っている木像とかかなって考えてるけど」
「理由は」
「ここに戻る前、呪術について調べたの。呪いの多くは媒体があって、それを経由する形で効力を得る。だったら形のある物かなー、嫌がらせされてるときに使われた物かなー。神様とか嫌いになりそうだよねーって」
「っお前、まさか! 母親が何を嫌ってたのか理解するために、わざと嫌がらせされてたんじゃないだろうな!?」

 図星を突かれた彼女は腕を組んで不満そうな口ぶりで続けた。

「あたしは無関係の人まで巻き込む母とは違うから分かんないんだよ。怒ったり毛嫌いしたりすることは分かっても、マークまで巻き込んだところが特に分からなくて。でも理解をするしか呪いの根源、媒体を見つける方法がないって思ってたんだ」
「二年も見つけられなかった時点で止めるべきだった」

 イリシェはばつが悪そうにそっぽを向く。

「それにしても、どうしてマークは意識があったのかな」
「あの一回だけだし。いつもと違うことと言えば」

 思い返そうとした拍子に扉の外から物音が何度も繰り返される。重い物を運んだ後、草のような軽くて細いものが積み上げていくような音がした。

「何だ?」

 椅子から立ち上がり様子を見る。
 音がやむと、今度は扉下から液体が広がっていった。独特なにおいが鼻につき「これは油の臭いだ」とマークは確信する。

「早く魔女を殺せ!」
「あいつのせいで呪いが解けないんだ!」

 罵声を浴びせる村人たちは何かを投げた。火だ。
 火の手が、扉から瞬く間に上がっている。
 油を染み込ませた干し草に火を放ったに違いない。焦ったマークは少女の手を掴み立ち上がらせた。

「とうとう気でも狂ったか!? イリシェ、早く出よう」
「う、うん」

 ランタンを急ぎ回収してイリシェは窓を開け外へ出たマークへ続く。
 燃え上がった家から離れようとすると、一人の少女が二人の行く手を遮る。それは、震えた手で弓を構えたメイだった。

「パパを殺した魔女の癖に。逃げるつもり?」

 話を聞かれていたのだと二人は察した。メイが話を聞いていたということは、村長たちに「呪いをかけた魔女の娘だ」と報告して、今に至るのか。
 事情をくみ取り、マークはなるべく落ち着かせられるように言う。

「それをやったのはイリシェじゃない。分かってるだろ」
「うるさい! それでも、それでもかたきの娘であることに変わりはないじゃない!」

 少しでも刺激してしまえば弓を引いてしまいそうなメイへ、彼女は首を振る。

「まだ夜じゃない、君にはできないよ。誰かを殺すなんて。君は血を見るのだって苦手だもの」

 汗ばむ手の震えは一向に収まる気配がない。やはり、平常心を保っている状態ではメイは暴力的になれないのだろう。
 マークたちが村人たちから逃げて行っても矢が飛んでくることはなかった。
 火力が強すぎた火は草から草へと燃え広がる一方で、走っていっても終わりが見えない。

「マーク、早くしないと夜が来ちゃう」

 赤いだいだい色の炎が増えるたび、少年の動悸どうきは激しく脈打っていく。
 鈍くなった足取りを見てイリシェがマークを呼び続ける。少年は怖くて仕方なかったのだ。
 糸のように細くなった息が切れるほど。

 幼い少年の耳に誰かがノックをした音が届いた。
 背の低い黒髪の子供はつま先を伸ばしてドアノブを動かす。

「あら。御両親は今いないのかしら」
「いない。そとにいるとはおもう。おばさん、だれ?」

 紫色に近い藍色の髪がゆらりと揺れる。見たことない顔だな、と若かりし頃のマークは思う。

「最近ここへ引っ越してきたばかりなの。娘があなたと同い年くらいだから、良ければ仲良くして頂戴ね」

 意味は分からなかったが首を縦に振って扉を閉めた。
 数日後、森で山菜を採っていたときだった。赤いリボンで後ろを結んだ、柔らかそうな紫色の髪が見えて声を掛けたのだ。

「ねえ」

 振り返った赤い瞳を持つ少女の姿を見て思考が止まる。
 マークはその日、彼女に一目ぼれをしてしまい、仲良くなろうと躍起になっていったのだ。

「イリシェ!」
「花は好きじゃない」

 小さな花を幾つか持ってあきれられ、

「これは!?」
「それきらい」

 村のおまもりを渡そうとして突き返されていく。
 何度かプレゼントを贈ったり、遊びにしつこく誘ったり、いよいよ嫌われるのではないかと少年自身何回も思ったものだが、不思議なことにイリシェは一度も彼を追い返そうとはしなかった。
 しかしその様子を見ていたメイはイリシェのことを「冷たい」と嫌うようになり、マーク以外は彼女と距離を置いてしまう。
 渋々イリシェが一緒に遊んでくれるようになった頃だった。少年に相談するよう彼女がつぶやいたのだ。

「母さんが村の人たちからいやがらせされてるみたい」
「おばさんが? 何で」
「んー。分かんないけど、理由はない気がする。母さんじゃなくてもしそうっていうか」
「村長に言ってくるよ。そういう周りを止めるのは村長の役目だろ」
「それはだめ」

 立ち上がって村へ戻ろうとする少年の腕を咄嗟とっさに掴むイリシェ。振り返ったマークが見たのは一瞬、光を帯びた少女の瞳。

「イリシェ、今……目が」
「目?」

 子供ながらにマークは言ってはいけないような気がして、慌てて首を横に振った。

「何でもない。気のせいだったみたいだ」

 それからイリシェの姿は見えなくなった。
 代わりに、彼女の母親がひどくやつれて「魔女」と呼ばれ石を投げられ、信じていた夫に裏切られて憔悴しょうすいしていく姿が目に映る。嫌がらせとしては度を超えた暴力行為も、何かしようとしていた大人の姿も、加担している両親の姿も。
 止めようとしても無意味だった。無力な子供の声なんて聞き入れる気もない。むしろ、「魔女に魅入られている」と言われ両親から殴られるようになる日々が続くだけで。
 村人たちがどうかしてるということはそのときにやっと理解した。イリシェを連れて村から出た方がいいんじゃないか、そう思って外へ出た日は呪いをかけられた日だった。
 メイの父親が弓を持っている姿が見えて、何事かと思ったときだ。
 重力が重くのしかかるような感覚が全身をむしばんだのだ。
 さっきのは一体何だったんだろう。膝をつき、胸を押さえつけていたマークは立ち上がる。
 後ろから駆け付けるような音が聞こえ振り返れば、母親が狂ったような笑い声を上げながら家に火をつけたではないか!
 その背後から父親が母を刺し崩れ落ちる様が目に焼き付く。
 突然狂いだした村人たちの様子を燃え上がる火の中で見続け、少年はを覚える。
 マークが恐怖に身を乗っ取られた瞬間、意識は途絶えいった。
 気が付けば、夜は皆が皆意識を失うことが普通になっていて、イリシェのことも村で起きたことも誰も覚えていなかった。
 誰か不思議に思いそうなものだが違和感はまるでなかったのだ。だから、森でイリシェに声をかけられても「知らない子だな」としか思えずにいた。

「夜に動けないのは不便じゃない?」
「不便だよ。不便に決まってるだろ、何が起こってるのかも分からないし」

 冷たかったイリシェはマークが素っ気なくなってから寂しさを覚えたのだろう。話しかけるなという態度の少年を見て気まずそうに背後で手を組む。

「その内動けるようになるよ」
「気休めはいいって」
「いつか解くから。……約束」

 記憶から覚め意識を取り戻す。
 取り戻した瞬間、
     かち。
   かち。
 かち。
 と、夜の始まりを告げる音がどこかで鳴った。
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