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chapter 1 「もしもワタシが冴えない男子の姿で目が覚めたら...」 part 2

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 カタカタとキーボードの打ち込まれる音が聞こえる。
 生徒会室はとても静かだった。
 白蘭学院は高級住宅街のど真ん中に存在するため防音設備には気を遣っている。聞こえるのは校庭の掛け声ぐらいで学校の放課後でよく連想されるような音、特に楽器の類はこの学院では聞こえることはない。

「私が思うにユリはキャラが弱いと思うんだよね、中途半端というか」

 夕璃ゆりはマックブックから顔を上げるとテーブルのはす向かいを睨んだ。いつ崩れてもおかしくない書類の山の陰でその少女は物憂げに肘をついていた。整然とした塵一つない夕璃の周囲とは対照的である。

「ムラサキ、頼んでいた入力は終わったんですか?」
「いいや、まだー」

 頭痛を覚えかけて思わずこめかみに手を当てた夕璃を見て、少女はにかっと笑った。その笑顔は如何にも純真無垢であり、一陣の涼風を思わせた。
 二見若紫むらさき―――生徒会副会長であり、六条夕璃が学院において唯一気の置けない人物。生徒会長の夕璃が美少女だとしたら、若紫むらさきは美人と形容すべき外見を持つ少女だった。
 天鵞絨ビロードのように滑らかな黒髪にきらきらと輝く健康的な小麦色の肌、長い睫毛が似合う切れ長の目に同性の夕璃でもドキッとする妖艶さを湛えた厚い唇。もう少し身長があれば、「ミス・ユニバース」にエントリーしてもおかしくないような容貌だ。
 だが、黙って憂いの一つでも横顔に浮かべれば艶麗な容姿を持つ少女も今は二人だけの生徒会室ということで気が緩み切っているのか、幼稚園児のようにけらけら笑い続けている。

「…………まったく。とにかく今日中に必ず終わらせてくださいね」
「うーん、やっぱりキャラが薄いなー」

 軽口を叩きながらもタイピング音は加速している。その速さはもはやアップテンポのジャズを弾いているかのよう。若紫むらさきは黙々とやるよりも軽口を叩きながらやる方が仕事はノる。短くはない付き合いでとっくにわかっているはずだが、迷惑なことには変わりない。

「文武両道の優等生で二年にして生徒会長、容姿は黙っていれば眉目秀麗。実家は大手広告代理店の創業一族で母親は元有名女優…………うーん、確かにすごいんだけど、まあ現実リアルに一人ぐらいはいるかもねー、なんだよね。どうせならもっと突き抜けてほしいというか。大財閥の一人娘とかどこぞの王室の落胤とかぐらいまでいくともっと面白かったのになー」
「…………何を馬鹿なことを言っているんですか。羨ましがられこそすれ、私の家のことを物足りないなんて言うのは若紫むらさきぐらいですよ」

 口では呆れつつも夕璃は若紫を信頼している。全幅の信頼を置いているといっていい。普段はいい加減な態度が目に余るが、やるときはやるタイプだ。またこういう性格なので学院の内外に広い顔を持ち、また意外にも人の機微にも敏かったりする。正論一辺倒で得てして周囲に敵を作りやすい夕璃にとって彼女は何ものにも代えがたい存在であるといえた。

「あー! 一番足りないものがわかった!」
「聞きたくありません」
「口調だよ、口調! やっぱりお嬢様キャラでいくなら語尾に『~ですわ』とか『~てよ』をつけなきゃ! はい、そういうことで本番スタート!」
「はい!? 何を言っているんですか!?」
「違う違う! それを言うなら『何を仰っているのかわからなくてよ』、だよ!」
「…………ムラサキサン、それで体育祭の報告書は終わったんデスノ? そろそろ私の堪忍袋の緒も切れる頃デシテヨ?」

 訂正。やはりこの少女はノリと閃きと勢いだけで生きているだけなのかもしれない…………。
 結局、ああだこうだと軽口を叩いているうちに終わる頃には最終下校のチャイムが鳴ってしまっていた。これが鳴ると申請をしない限り、全ての生徒は下校しなくてはならない。

「あー、やっと終わった…………」
「最初から真面目にやっていればすぐに終わったんですのよ……て、はっ!」
「そうそう、それでいいんだよ!」
「どうして私がこんなヘンな喋り方をしなくてはいけないんですの……て、また!」

 夕璃は慌てて口を押さえた。こう見えて意外と流されやすいタイプである。親ならまだしも他の生徒に「お嬢様言葉」を聞かれでもしたらとても不味いことになる。

「もう! どうしてくれるんですの!? 一般生徒にこの語尾を万が一でも聞かれでもしたら今まで築きあげてきたものが水の泡ですわ…………ああ、また!」
「別に聞かれてもいいでしょ。水の泡、結構じゃない」
「…………えっ?」

 聞いたことのないような乾いた声音に心臓の音が跳ねた。
 若紫は夕璃のことをジッと見つめていた。その顔からはおどけた色はすっかり消え、急速に朱色が混じり始めた窓の光に照らされて憂いの陰すら帯びている。

「夕璃はもう少し他人に“隙”を見せたほうがいいと思うな」
「…………どうしてそう思うんですか?」
「この生徒会室に私たち二人だけしかいないからだよ」
「ごめんなさい、仰っている意味がわかりません。生徒会の活動日をもっと増やした方がいいということですか?」

 生徒会の活動日はイベントの準備期間などの繁忙期を除いて「月・木」と決められている。今期の生徒会が始動するにあたって最初の話し合いで決めたことだ。

「内申点目当ての有象無象がいくらいても、ね」
「生徒会の仲間をそういう風に言うのはよくない…………ですわ」

 口ではそう言いつつも若紫の言わんとしていることは夕璃も理解している。
 夕璃と若紫以外の生徒会メンバーは雑用や繁忙期の手伝いをしてもらう程度で生徒会は実質夕璃と若紫の二人で運営されているようなものだった。
 そして、それは二人が学院の中で卓越して優秀だから―――、というわけではない。

「確かに“あの四人”を生徒会に引き込むことができなかったのは私の落ち度です。…………“彼ら”がいたら学院はもっと良くなったでしょうね…………」

 白蘭学院における女子の有名人に現生徒会長の六条夕璃がいるように、男子のなかにも有名人は存在した。それも四人。彼らは学院の内外において余人をもって代えがたい実力と実績を持っていた。
 人呼んで―――『四英雄』。
 その名が持つ重みと学院内の人気は夕璃などのそれをはるかに圧倒している。
 ちなみに容貌もそれぞれ異なる方向で秀でおり、『四英雄』を崇拝する女子生徒ファンの抗争は学院の内外で血で血を洗うほど激しいものらしい。
 
 一人は「白王子ホワイト・プリンス」と渾名される―――「ミカ・フォン・ローゼンダール」。欧州の世界的ファッションブランドグループの跡取りであり、欧州王家の血を引く本物のプリンス。

 一人は「緑ノ君」と渾名される―――「三宮さんのみやかほる」。旧華族出身で曾祖父は人間国宝に列せられる芸術一族であり、自身も人気アイドルグループの一人である。

 一人は「赤き漂流者レツド・ドリフター」と渾名される―――「神戸赤石あかし」。各国の特殊部隊に近年採用されたことで有名な「神戸流実践武術」の継承者であり、身体能力の怪物フィジカル・モンスター
 
 そして、最後の一人は「黒い閃き」―――「葵井あおいけい」。国内最大IT企業AOIグループの創設者の息子であり、若者を中心に圧倒的な支持を集めるSNSサービス「GATE」の開発した若き天才開発者。

 夕璃が会長になれたのは彼らが一人として立候補しなかったからと陰でよく囁かれているが、そのことは夕璃も(悔しいが)認めている。そして、認めているからこそ、より良き学院の運営のために夕璃は『四英雄』に対して生徒会の一員になるように説いたのだ。
 結果は…………惨憺たるものだった。
 一人は「キミが嫌いだから」とはっきり言った。
 一人は困ったファンの一人としてあしらわれた。
 一人は会うことすら叶わなかった。
 一人は―――

「あー、なんかごめん。トラウマ抉っちゃったかも」

 ぷるぷると震える握り拳を若紫は両掌で包み込むと慰めるように言った。一方の夕璃は怒りで赤くなったり、悲嘆で蒼ざめたりと信号機のように目まぐるしく顔色を変えている。

「たとえどんなに有名でもどんなに顔がハンサムだとしても、あんなに失礼で性格の悪い人たちは生徒会には必要ありません! 私には若紫がいてくれればそれでいいんです!」

 気がつけば罵詈雑言が口から駄々洩れだった。

「…………そう言ってくれるのは友達として嬉しいんだけどねえ」

 照れ臭そうに若紫は漏らすが、もちろん夕璃には届いていない。
 あの四人の男子はこれまで順風満帆の人生を送ってきた夕璃にとって人生初めての挫折だった。いくら完璧な美少女である夕璃だって一人の年頃の女の子。学院の超有名人たるイケメン男子を生徒会に誘うにあたって下心が露も欠片もほんの少しぐらいはあったかもしれない、あったかもしれないが!

「それにしたってあの断り方はないです! 私はあくまで生徒の学院生活の向上を願ったからこそ勧誘したわけで、それをあの人たちはまるで私が色欲の権化みたいに―――」
「わかったわかった! どうどう! どうどう!」

 忘れもしないあの屈辱の数々―――。
 顔は人形のように美しいが、いかにも軽薄なミカ・フォン・ローゼンダール! あの心の底を何もかも見透かしたようなあの目! 自分からは何一つ積極的にしないというのに私の何がわかるというんだ!
 親の名声を引き継いだだけのくせに一端の芸術家気取りの三宮かほる! せっかくダンスを誉めてやったというのに「素人にはこういう風に見えるのか…………」と言わんばかりの形だけの心のない感謝の言葉。よりにもよってこの私を一般大衆として扱った!
 神戸赤石あかしは…………よくわからない! とにかく学校に来い!
 そして、“ホタル”だ。
 “ホタル”というのは葵井けいに夕璃が幼い頃につけたのあだ名である。
 夕璃と葵井けいは幼馴染であった。都内の一等地に位置するマンションの隣同士で物心ついたときから一緒に遊んでいた仲だ。以来幼稚舎からずっとこの白蘭学院でずっと同じ時間を過ごしてきたが、ここ数年はまともに口をきいてない。
 理由はよくわからない。全てが最短正面突破の夕璃だから、無論本人に直接聞いたが、ホタルは舌打ちと抽象的な言葉ばかりで一向に要領を得ない。仕方がないので反抗期なんだろうと結論づけた。男の子は年頃になると訳の分からない言動をすると聞いたことがある。「中二病」というか、そういったものなんだろう。

『―――たとえどんなに恵まれていようと、おまえには心がない』

「…………本当にどうして彼らは私を嫌っているんでしょうか?」
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