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第3部 第3章・襲撃
第6回
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6
「あらあらあら! 良いじゃない、お友達とお泊りなんて! ちょうど結奈もお友達と遊びに行くとかで今晩は帰ってこないし、お父さんも出張に行っちゃってるから、寂しいなぁって思っていたのよ! 桜ちゃんが泊ってくれたら、おばさんとっても嬉しいわ!」
玲奈の母親は満面の笑みで、心底嬉しそうに手を叩いた。
桜はそんな母親とリビングで向かい合って談笑しながら、玲奈の普段の学校での様子を面白おかしく話している。
玲奈は桜と並んでその会話に加わろうと努めたが、けれど頭の中を巡るのは、やはりあのスーツの男のことばかりだった。
こうして桜が心配して家まで送ってくれただけでなく、不安な玲奈の為に泊まっていってくれると申し出てくれたのはとても嬉しかった。
けれどそれと同時に、果たしてあのスーツの男を相手にふたりと一匹で、どれだけ対抗できるかがあまりに心配で、気付けば玲奈は上の空で、母親と桜が会話しているのを右から左へ聞き流しているだけだった。
なんだかすごく厭な気分だった。
壁や天井、床から滲み出てくるあの男の気配を身体で感じるだけで鳥肌が立ち、身体をぎゅっと縮こまらせたくなる。もし自分にカタツムリのような硬い殻があったなら、玲奈はきっと殻の中に閉じこもって二度と出てこようとは思わなかったことだろう。それくらい、玲奈は身を隠したくて仕方がなかった。
コトラ曰く、あのスーツの男は水を介して今もこのマンションのどこかに身を潜めているという。玲奈もその気配はひしひしと感じており、まるで四方六方からじろじろと見つめられているような感覚にずっと苛まれていた。
桜も母親も、そんな気味の悪い視線にまるで気が付いていないらしく、帰ってからずっと大きな笑い声を上げながら、楽しげに会話を続けている。
むしろその方がまだ気が楽かもしれない。まさか、桜や母親までこの視線に気が付いて、三人揃って怯えながら夜を過ごすよりずっとマシに玲奈は思えた。
とはいえ、それは何の解決にもならない。その普段通りの様子が玲奈の気を多少なりとも落ち着かせることはできたとしても、あのスーツの男を退ける根本的な解決になるわけではないのだから。
玲奈たちは食事をすませると、食器洗いを母親に任せ、桜とふたり、玲奈はぼんやりとテレビを付けてドラマを観ていた。桜は真剣にドラマを観ているようだったが、玲奈はその間もやはり上の空のままだった。気を紛らわせようとドラマに集中しようと試みたけれど、気付くと意識はあのスーツの男のことばかりに向けられている。考えないように考えないように努めれば努めるほど、頭の中はあの男のことでいっぱいになっていった。
もう、どうしたら良いのか、わからない。
「……大丈夫? 玲奈」
不意に桜に声をかけられ、玲奈は我に返って桜に顔を向ける。
「え? あ、うん。たぶん、大丈夫……」
「ホントに? 無理しちゃダメだからね?」
「ありがとう、桜。でも、本当に大丈夫だから」
「……そうは見えないけど」
「ほら、コトラもずっと警戒してくれているし、大丈夫だよ」
「……そう?」
「うん!」
けれど、内心では心配で心配で仕方がなかった。
今晩、あの男はどう出てくるのか、何か仕掛けてくるのか、それとも昨晩のように、ただじっと玲奈のことをどこかから見つめるだけで何もしてこないのか――
やがてドラマが終わりを迎えた頃、
「ふたりとも、お風呂が入ったから、どうぞ」
母親がダイニングから声をかけてきて、玲奈は「はーい」と返事する。
「桜、お先にどうぞ」
「え? 一緒に入るんでしょ?」
「――は?」
桜の台詞に玲奈は目を丸くして閉口する。
いったい、桜は何を言っているのか。
「だって、どう考えたってふたりで一緒に入った方が安全じゃない。ひとりでいることの方が危険でしょ」
「そ、それは、そうかもしれないけど……」
桜のことだから、それだけではない気がしてならない。
普段からよくセクハラしてくるようなこの友人に、玲奈はむしろ身の危険を感じずにはいられなかった。
「何かあったら、あたしが玲奈を守ってみせるから!」
満面の笑みでがしっと拳を握り締めるその姿に、玲奈は小さく息を吐いて、
「そうだね」
と、何かに負けたような気分で返事した。
その途端、「ヨッシャ」とガッツポーズをしてみせる桜の姿に、玲奈は頬を膨らませながら、
「けど、絶対に変なことしないでよ?」
「しないしない!」ケラケラと笑いながら桜は言って、玲奈の胸をまじまじと見つめながら、「その大きいのを、生で見られると思ったらワクワクしちゃうけどね!」
玲奈は別の意味で、ぞくりと寒気を感じたのだった。
結論として、桜は宣言通り、玲奈に手を出してくることは決してなかった。
一緒にお風呂に入っている間、桜はただ「玲奈に手を出そうとする魔の手をいち早く察知するために、玲奈の身体をじっと見張っているだけだから」と、明らかに玲奈の身体を――主にその胸を――ニヤニヤしながらじろじろと見つめ続けるばかりだった。
玲奈はそのイヤらしい目つきに心休まるばかりかますます神経質になってしまい、あのスーツの男のことを警戒すべきなのか、桜のことを警戒すべきなのか、終いにはどっちが敵なのか、どっちも敵なのか、判らなくなってしまっていた。
その間、コトラは脱衣所で男の気配をずっと探り続けていたが、彼が動いた気配はまったくなかったという。
それからふたりは寝間着(玲奈は桜に、結奈の服を貸してあげた)に着替えると、玲奈の部屋へ移動する。
「……まさか、寝る時も一緒の布団で寝るって言わないよね?」
どこか胡乱な目で玲奈が問うと、
「え? 一緒の布団で寝るに決まってるじゃん?」
と桜はさも当たり前のように返事した。
「だって、何かあった時に守りやすいし」
「……むしろ桜に襲われそうで怖いんだけど」
「あの男に襲われるよりはマシじゃない? あたしに襲われる方が、玲奈も嬉しいでしょ?」
「嬉しくない」
「またまたぁ、玲奈もあたしのこと、愛してるくせに!」
「桜には村田くんがいるでしょ?」
「あたし、どっちもイケるタイプだから、安心して! ふたりまとめて愛してあげる!」
「ちょ、ちょっと! 離して! いやあぁっ!」
ケラケラ笑いながら飛びかかってきた桜に、玲奈はそのままベッドに押し倒される。
けど、本当に嫌な気分では決してなかった。
桜がどんな気持ちでおどけてみせてくれているか、玲奈にもちゃんと解っていたからだ。
玲奈の気を紛らわせるために、おちゃらけて見せているだけなのだ。
たぶん、そう、間違いなく、そのはず、だよね?
「――このまま脱がしていい?」
あまりに真剣な眼差しで口にする桜に、玲奈は思わず真顔になって、
「……いいわけない」
「――ちっ」
その舌打ちが、心からのものでないことを玲奈は願った。
「あらあらあら! 良いじゃない、お友達とお泊りなんて! ちょうど結奈もお友達と遊びに行くとかで今晩は帰ってこないし、お父さんも出張に行っちゃってるから、寂しいなぁって思っていたのよ! 桜ちゃんが泊ってくれたら、おばさんとっても嬉しいわ!」
玲奈の母親は満面の笑みで、心底嬉しそうに手を叩いた。
桜はそんな母親とリビングで向かい合って談笑しながら、玲奈の普段の学校での様子を面白おかしく話している。
玲奈は桜と並んでその会話に加わろうと努めたが、けれど頭の中を巡るのは、やはりあのスーツの男のことばかりだった。
こうして桜が心配して家まで送ってくれただけでなく、不安な玲奈の為に泊まっていってくれると申し出てくれたのはとても嬉しかった。
けれどそれと同時に、果たしてあのスーツの男を相手にふたりと一匹で、どれだけ対抗できるかがあまりに心配で、気付けば玲奈は上の空で、母親と桜が会話しているのを右から左へ聞き流しているだけだった。
なんだかすごく厭な気分だった。
壁や天井、床から滲み出てくるあの男の気配を身体で感じるだけで鳥肌が立ち、身体をぎゅっと縮こまらせたくなる。もし自分にカタツムリのような硬い殻があったなら、玲奈はきっと殻の中に閉じこもって二度と出てこようとは思わなかったことだろう。それくらい、玲奈は身を隠したくて仕方がなかった。
コトラ曰く、あのスーツの男は水を介して今もこのマンションのどこかに身を潜めているという。玲奈もその気配はひしひしと感じており、まるで四方六方からじろじろと見つめられているような感覚にずっと苛まれていた。
桜も母親も、そんな気味の悪い視線にまるで気が付いていないらしく、帰ってからずっと大きな笑い声を上げながら、楽しげに会話を続けている。
むしろその方がまだ気が楽かもしれない。まさか、桜や母親までこの視線に気が付いて、三人揃って怯えながら夜を過ごすよりずっとマシに玲奈は思えた。
とはいえ、それは何の解決にもならない。その普段通りの様子が玲奈の気を多少なりとも落ち着かせることはできたとしても、あのスーツの男を退ける根本的な解決になるわけではないのだから。
玲奈たちは食事をすませると、食器洗いを母親に任せ、桜とふたり、玲奈はぼんやりとテレビを付けてドラマを観ていた。桜は真剣にドラマを観ているようだったが、玲奈はその間もやはり上の空のままだった。気を紛らわせようとドラマに集中しようと試みたけれど、気付くと意識はあのスーツの男のことばかりに向けられている。考えないように考えないように努めれば努めるほど、頭の中はあの男のことでいっぱいになっていった。
もう、どうしたら良いのか、わからない。
「……大丈夫? 玲奈」
不意に桜に声をかけられ、玲奈は我に返って桜に顔を向ける。
「え? あ、うん。たぶん、大丈夫……」
「ホントに? 無理しちゃダメだからね?」
「ありがとう、桜。でも、本当に大丈夫だから」
「……そうは見えないけど」
「ほら、コトラもずっと警戒してくれているし、大丈夫だよ」
「……そう?」
「うん!」
けれど、内心では心配で心配で仕方がなかった。
今晩、あの男はどう出てくるのか、何か仕掛けてくるのか、それとも昨晩のように、ただじっと玲奈のことをどこかから見つめるだけで何もしてこないのか――
やがてドラマが終わりを迎えた頃、
「ふたりとも、お風呂が入ったから、どうぞ」
母親がダイニングから声をかけてきて、玲奈は「はーい」と返事する。
「桜、お先にどうぞ」
「え? 一緒に入るんでしょ?」
「――は?」
桜の台詞に玲奈は目を丸くして閉口する。
いったい、桜は何を言っているのか。
「だって、どう考えたってふたりで一緒に入った方が安全じゃない。ひとりでいることの方が危険でしょ」
「そ、それは、そうかもしれないけど……」
桜のことだから、それだけではない気がしてならない。
普段からよくセクハラしてくるようなこの友人に、玲奈はむしろ身の危険を感じずにはいられなかった。
「何かあったら、あたしが玲奈を守ってみせるから!」
満面の笑みでがしっと拳を握り締めるその姿に、玲奈は小さく息を吐いて、
「そうだね」
と、何かに負けたような気分で返事した。
その途端、「ヨッシャ」とガッツポーズをしてみせる桜の姿に、玲奈は頬を膨らませながら、
「けど、絶対に変なことしないでよ?」
「しないしない!」ケラケラと笑いながら桜は言って、玲奈の胸をまじまじと見つめながら、「その大きいのを、生で見られると思ったらワクワクしちゃうけどね!」
玲奈は別の意味で、ぞくりと寒気を感じたのだった。
結論として、桜は宣言通り、玲奈に手を出してくることは決してなかった。
一緒にお風呂に入っている間、桜はただ「玲奈に手を出そうとする魔の手をいち早く察知するために、玲奈の身体をじっと見張っているだけだから」と、明らかに玲奈の身体を――主にその胸を――ニヤニヤしながらじろじろと見つめ続けるばかりだった。
玲奈はそのイヤらしい目つきに心休まるばかりかますます神経質になってしまい、あのスーツの男のことを警戒すべきなのか、桜のことを警戒すべきなのか、終いにはどっちが敵なのか、どっちも敵なのか、判らなくなってしまっていた。
その間、コトラは脱衣所で男の気配をずっと探り続けていたが、彼が動いた気配はまったくなかったという。
それからふたりは寝間着(玲奈は桜に、結奈の服を貸してあげた)に着替えると、玲奈の部屋へ移動する。
「……まさか、寝る時も一緒の布団で寝るって言わないよね?」
どこか胡乱な目で玲奈が問うと、
「え? 一緒の布団で寝るに決まってるじゃん?」
と桜はさも当たり前のように返事した。
「だって、何かあった時に守りやすいし」
「……むしろ桜に襲われそうで怖いんだけど」
「あの男に襲われるよりはマシじゃない? あたしに襲われる方が、玲奈も嬉しいでしょ?」
「嬉しくない」
「またまたぁ、玲奈もあたしのこと、愛してるくせに!」
「桜には村田くんがいるでしょ?」
「あたし、どっちもイケるタイプだから、安心して! ふたりまとめて愛してあげる!」
「ちょ、ちょっと! 離して! いやあぁっ!」
ケラケラ笑いながら飛びかかってきた桜に、玲奈はそのままベッドに押し倒される。
けど、本当に嫌な気分では決してなかった。
桜がどんな気持ちでおどけてみせてくれているか、玲奈にもちゃんと解っていたからだ。
玲奈の気を紛らわせるために、おちゃらけて見せているだけなのだ。
たぶん、そう、間違いなく、そのはず、だよね?
「――このまま脱がしていい?」
あまりに真剣な眼差しで口にする桜に、玲奈は思わず真顔になって、
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「――ちっ」
その舌打ちが、心からのものでないことを玲奈は願った。
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