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第1部 第1章 喪服の少女
第4回
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木村と廊下で分かれ、奈央は自分のクラスに向かった。一番後ろの窓際の席に鞄を下ろし、椅子に座る。ぼんやりと窓の外を見ていると、ぽつぽつと雨が窓を叩き始めた。次第に強くなる雨足に、やがてざぁっという雨音が響き渡る。けれどその音は教室の喧騒の中にあって、誰も気に留めている様子はなかった。
その低い音に耳を傾けていると次第に眠気が奈央を襲い、しばらく目を閉じて休んでいようと机の上に突っ伏した。長い髪が机の上にさらさらと流れ落ちる。
しばらくうとうとしていると、前の席に誰かが座る気配があった。それに続くようにもう一人、別の席から歩み寄ってくる足音。二人が誰なのかは判っている。宮野首玲奈と矢野桜だ。二人はいつも仲良さそうに一緒に行動しており、無二の親友といった感じだった。どうやら中学の頃からの付き合いらしい。いつも目の前で色々な話をしているので、聞く気がなくとも自然と会話の内容は耳に入った。
奈央は何気なく、今日も二人の会話に耳をそば立たせる。
二人の会話は概ね不可思議な話に満ちていた。こんな雨の日にはどこそこの山の廃屋からいつも同じ女性の惨殺死体が発見されているらしいだとか、深夜に現れるドライバーも居ないのに走行しているという幽霊タクシーだとか、俄かには信じ難い、胡散臭い都市伝説について二人は語り合っていた。やがて話は件の喪服の少女に変わり、奈央は思わず耳を澄ました。
「……これ、昨日の夜うちに遊びに来たお父さんの友達が言ってた話なんだけどさ」とこれは矢野の声だ。「その知り合いの人、うちの近くで造園屋さんの社長をやってるんだけどね。去年、そこの従業員さんがひとり、突然居なくなっちゃったんだってさ。社長さんは仕事が嫌になってその人は逃げたんだと思ってるみたいなんだけど、谷さんっていう古くから働いてるお爺さんが、あいつは逃げたんじゃない、連れていかれたんだって言い張ってるらしくて。でも、誰に、って聞いても絶対に言わないんだってさ」
「どうして?」
と宮野首が不思議そうに訊ねると、矢野は「さあね」とため息をひとつ吐いて、
「そこはよく解んない。ただ、その居なくなった人、居なくなる前に他の従業員さんたちに言ってたらしいの。物凄い美人がいる、あの人と付き合えるんなら何でもするって。それがどうやら、あの喪服の少女のことだったらしくてさ。あの峠の廃墟みたいな家に住んでるって噂の子。谷さんと一緒に仕事で行って、その時に会ったんだって。だけど、その谷さんは頑なに言うの。あそこには誰も住んで居ないって」
「……どういうこと?」
「それもよく解んないんだよね。だから社長さんも困ってるみたい。その居なくなった人の家族からは会社で何かあったんじゃないかって疑われるし、うまく説明も出来ないし。で、もしかしたらそのうち戻ってくるかもってことで、半年くらい小競り合いを挟みながら様子をみてたらしいんだけど、痺れを切らした親御さんが裁判を起こすって言い出して大変なんだって、お父さんに愚痴ってた」
「それは……大変だね。説明出来ないことを説明しろって言われても、困るよね」
「そうなんだよね。だから、うちのお父さんが良い弁護士紹介してやる、とか言ってたんだけど…… ああ、でもこの話、続きがあってね」
「続き?」
「うん」と矢野は一拍置き、「実はさ、その造園屋さんに出入りしてた業者さんが居たらしいんだけど。その人も居なくなった人と似たようなことを言ってたみたいでさ。喪服の女性がいたって。で、やっぱり暫くして来なくなっちゃったんだって」
それを聞いた途端、奈央は思わず顔を上げ、二人の様子を窺っていた。
造園屋に出入りしていた業者、それに奈央は心当たりがあった。
あれは二週間くらい前だっただろうか。帰宅中に偶然、仕事をしている響紀の姿を見かけたのだ。あそこは確か、須山庭園という造園屋さんではなかっただろうか。響紀は作業着屋さんの営業をしていたはずだ。これはもしかして、響紀の話をしているんじゃないだろうか。
そう思うと、何故か胸がどきどきして仕方がなかった。もっと詳しい話が聞きたい。奈央は気づくと二人をじっと見つめていた。
宮野首は自分のすぐ後ろで奈央がじっと見ている事に気付くことなく、
「……その人も“連れていかれちゃった”ってこと?」
と不安げな口調で矢野に訊ねる。
――連れていかれた? 奈央はその言葉に、言い知れぬ不安を覚えた。誰に? 喪服の女の子に? 何で? どういうこと?
「いやいや」と矢野はそれを否定して、「来なくなっただけみたいだよ、詳しくは判らないけど。会社を辞めちゃっただけ、なんじゃないかとは思うんだけど、居なくなった従業員さんの件があるから心配してるんだって、その社長さんは言ってた。だけど、怪しいよね。あたしも、もしかしたら、とか思っちゃうもの」
その途端、奈央は思わず、
「もしかしたらって、どういう意味……?」
突然のことに驚いたのか、後ろを振り向いた宮野首も矢野も目を丸くして奈央を見つめた。しばらく奈央と視線が交わり、やがて二人は眼配せをすると、先に口を開いたのは矢野の方だった。
「どうしたのさ、相原さん。もしかして、怖い話に興味があるとか?」
その問いに、奈央は「えっ、あっ……」と言葉を詰まらせる。
響紀の事を、どう説明すれば良いのか解らなかった。そもそもそんな身内の話をしてどうする? それに響紀は消えたわけじゃない、昨日の夕方に家を飛び出していっただけだ。二人の話と全く関係ないじゃないか。
奈央は二の句が継げず、ニ、三度口をパクパクさせ、
「……ごめん、急に話しかけちゃって」
口から漏れて出たのは、謝罪の言葉だった。
それに対して、矢野は「あっ」と気不味そうな顔を浮かべると、慌てたように両掌を振る。
「ち、違う違う、そういう意味じゃなくて! 本当に、ただ、純粋に、怖い話が好きなのかなぁって思っただけでさ! 人の会話に横から口出すなとか、そういう意味じゃ本当にないからね! 信じて!」
その様子を、奈央は思わずポカンとしながら見つめていた。自分もそんなつもりで謝った訳ではなかった。自分から話しかけておきながら、次の言葉が出てこなかったそのことに対する謝罪のつもりだったのに。どうして彼女はこんなに必死になって謝っているのだろう。
私はどう答えたらいいのだろうか、と迷っていると、そんな奈央と矢野を見かねてか、宮野首がにっこりと微笑みながら、
「ごめんね、何か変な話ばかりしてて。気になっちゃうよね」
「あ、だから、違うの……」
奈央がそう言い掛けた時、スピーカーからHRの時間を知らせるチャイムが辺りに響き渡った。それが鳴り終わらないうちから、矢野は「あっ」と口にし、
「席に戻らなきゃ! また後でね、玲奈、相原さん!」
そう言い残して、奈央たちの返事を待つことなく矢野は自分の席に戻って行った。
宮野首も気付くとすでに前を向いており、奈央は何となく居心地の悪いまま、浅い溜息を吐くのだった。
その低い音に耳を傾けていると次第に眠気が奈央を襲い、しばらく目を閉じて休んでいようと机の上に突っ伏した。長い髪が机の上にさらさらと流れ落ちる。
しばらくうとうとしていると、前の席に誰かが座る気配があった。それに続くようにもう一人、別の席から歩み寄ってくる足音。二人が誰なのかは判っている。宮野首玲奈と矢野桜だ。二人はいつも仲良さそうに一緒に行動しており、無二の親友といった感じだった。どうやら中学の頃からの付き合いらしい。いつも目の前で色々な話をしているので、聞く気がなくとも自然と会話の内容は耳に入った。
奈央は何気なく、今日も二人の会話に耳をそば立たせる。
二人の会話は概ね不可思議な話に満ちていた。こんな雨の日にはどこそこの山の廃屋からいつも同じ女性の惨殺死体が発見されているらしいだとか、深夜に現れるドライバーも居ないのに走行しているという幽霊タクシーだとか、俄かには信じ難い、胡散臭い都市伝説について二人は語り合っていた。やがて話は件の喪服の少女に変わり、奈央は思わず耳を澄ました。
「……これ、昨日の夜うちに遊びに来たお父さんの友達が言ってた話なんだけどさ」とこれは矢野の声だ。「その知り合いの人、うちの近くで造園屋さんの社長をやってるんだけどね。去年、そこの従業員さんがひとり、突然居なくなっちゃったんだってさ。社長さんは仕事が嫌になってその人は逃げたんだと思ってるみたいなんだけど、谷さんっていう古くから働いてるお爺さんが、あいつは逃げたんじゃない、連れていかれたんだって言い張ってるらしくて。でも、誰に、って聞いても絶対に言わないんだってさ」
「どうして?」
と宮野首が不思議そうに訊ねると、矢野は「さあね」とため息をひとつ吐いて、
「そこはよく解んない。ただ、その居なくなった人、居なくなる前に他の従業員さんたちに言ってたらしいの。物凄い美人がいる、あの人と付き合えるんなら何でもするって。それがどうやら、あの喪服の少女のことだったらしくてさ。あの峠の廃墟みたいな家に住んでるって噂の子。谷さんと一緒に仕事で行って、その時に会ったんだって。だけど、その谷さんは頑なに言うの。あそこには誰も住んで居ないって」
「……どういうこと?」
「それもよく解んないんだよね。だから社長さんも困ってるみたい。その居なくなった人の家族からは会社で何かあったんじゃないかって疑われるし、うまく説明も出来ないし。で、もしかしたらそのうち戻ってくるかもってことで、半年くらい小競り合いを挟みながら様子をみてたらしいんだけど、痺れを切らした親御さんが裁判を起こすって言い出して大変なんだって、お父さんに愚痴ってた」
「それは……大変だね。説明出来ないことを説明しろって言われても、困るよね」
「そうなんだよね。だから、うちのお父さんが良い弁護士紹介してやる、とか言ってたんだけど…… ああ、でもこの話、続きがあってね」
「続き?」
「うん」と矢野は一拍置き、「実はさ、その造園屋さんに出入りしてた業者さんが居たらしいんだけど。その人も居なくなった人と似たようなことを言ってたみたいでさ。喪服の女性がいたって。で、やっぱり暫くして来なくなっちゃったんだって」
それを聞いた途端、奈央は思わず顔を上げ、二人の様子を窺っていた。
造園屋に出入りしていた業者、それに奈央は心当たりがあった。
あれは二週間くらい前だっただろうか。帰宅中に偶然、仕事をしている響紀の姿を見かけたのだ。あそこは確か、須山庭園という造園屋さんではなかっただろうか。響紀は作業着屋さんの営業をしていたはずだ。これはもしかして、響紀の話をしているんじゃないだろうか。
そう思うと、何故か胸がどきどきして仕方がなかった。もっと詳しい話が聞きたい。奈央は気づくと二人をじっと見つめていた。
宮野首は自分のすぐ後ろで奈央がじっと見ている事に気付くことなく、
「……その人も“連れていかれちゃった”ってこと?」
と不安げな口調で矢野に訊ねる。
――連れていかれた? 奈央はその言葉に、言い知れぬ不安を覚えた。誰に? 喪服の女の子に? 何で? どういうこと?
「いやいや」と矢野はそれを否定して、「来なくなっただけみたいだよ、詳しくは判らないけど。会社を辞めちゃっただけ、なんじゃないかとは思うんだけど、居なくなった従業員さんの件があるから心配してるんだって、その社長さんは言ってた。だけど、怪しいよね。あたしも、もしかしたら、とか思っちゃうもの」
その途端、奈央は思わず、
「もしかしたらって、どういう意味……?」
突然のことに驚いたのか、後ろを振り向いた宮野首も矢野も目を丸くして奈央を見つめた。しばらく奈央と視線が交わり、やがて二人は眼配せをすると、先に口を開いたのは矢野の方だった。
「どうしたのさ、相原さん。もしかして、怖い話に興味があるとか?」
その問いに、奈央は「えっ、あっ……」と言葉を詰まらせる。
響紀の事を、どう説明すれば良いのか解らなかった。そもそもそんな身内の話をしてどうする? それに響紀は消えたわけじゃない、昨日の夕方に家を飛び出していっただけだ。二人の話と全く関係ないじゃないか。
奈央は二の句が継げず、ニ、三度口をパクパクさせ、
「……ごめん、急に話しかけちゃって」
口から漏れて出たのは、謝罪の言葉だった。
それに対して、矢野は「あっ」と気不味そうな顔を浮かべると、慌てたように両掌を振る。
「ち、違う違う、そういう意味じゃなくて! 本当に、ただ、純粋に、怖い話が好きなのかなぁって思っただけでさ! 人の会話に横から口出すなとか、そういう意味じゃ本当にないからね! 信じて!」
その様子を、奈央は思わずポカンとしながら見つめていた。自分もそんなつもりで謝った訳ではなかった。自分から話しかけておきながら、次の言葉が出てこなかったそのことに対する謝罪のつもりだったのに。どうして彼女はこんなに必死になって謝っているのだろう。
私はどう答えたらいいのだろうか、と迷っていると、そんな奈央と矢野を見かねてか、宮野首がにっこりと微笑みながら、
「ごめんね、何か変な話ばかりしてて。気になっちゃうよね」
「あ、だから、違うの……」
奈央がそう言い掛けた時、スピーカーからHRの時間を知らせるチャイムが辺りに響き渡った。それが鳴り終わらないうちから、矢野は「あっ」と口にし、
「席に戻らなきゃ! また後でね、玲奈、相原さん!」
そう言い残して、奈央たちの返事を待つことなく矢野は自分の席に戻って行った。
宮野首も気付くとすでに前を向いており、奈央は何となく居心地の悪いまま、浅い溜息を吐くのだった。
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