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15.魔犬

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 翌日、悠介はすっかり全回復したまつりとリトハルトと共に、昨日診療所を訪れていた。

「おはよう」
「おはようございまーす!」
「おはようございます。ユースケとマツリもおはよう。昨日は本当にありがとう。おかげさまでよく眠れたよ」

 リトハルトに倣ってか紳士的な態度を取る元負傷者の面々に、それは良かったと笑顔を返す。
 言葉の通りすっかり元気になった『シルバーホーン』の冒険者たちに、リトハルトが嬉しそうに目を細めていた。
 全員と挨拶を交わし、朝食を囲んで今日の洞窟行きについてを話し合う。
 悠介たちがポーション作りに勤しんでいる間、リトハルトが書庫で該当するモンスターがいないかと調べてくれたのだが、残念ながら特定することは叶わなかった。
 やはり、回数を重ねて情報を掻き集めていくしか方法はないらしい。

「とりあえず今日は偵察だけの予定ですが、場合によっては強行突破もあり得ます。俺たちも微力ながらがんばりますので、どうかご協力をお願いします」
「負傷した場合は私に、魔力が足りなくなった場合はどちらにでもお声掛けください。ポーションのストックはたっぷりあるので、絶対に遠慮はしないでくださいね!」
「…………は?」
「? 何か?」
「えーっと、なんでポーション使うことが前提なんだ……?」
「備えあれば憂いなし、って俺たちの故郷では昔から言うので、たくさん作りました」
「たくさん」
「はい! 一人当たり十本は余裕でありますよー」

 だから安心してください! と無邪気に笑い合う二人に、それなりに冒険者歴のある面々は思わず自分たちのマスターを振り仰いだ。
 こちらを見てくれるな。リトハルトが気まずそうに眉間を揉み解す。

「マ、マスター……」
「……二人の言っていることは本当だ。腹の具合や効率を考えて中級ポーションを主に作ってくれた、とのことだ」
「ちゅうきゅうぽーしょん」
「じゅっぽんいじょうの?」

 理解が追いつかず舌も回らなくなったギルドメンバーに、心中は察するが事実であるからこそリトハルトには頷くしかない。

「……健闘を祈る」

 リトハルトに言えることはそれだけだった。






 リュカスの町、北西部。ガレナ鉱山の麓に、モンスターの棲みついた洞窟はある。朝日が差し込んでも薄暗いその中は広々としていて、何度となく冒険者が挑んだが故か、ある程度ならしされているようだった。
 一度は辛酸を嘗めたその場所に、『シルバーホーン』のメンバーたちが真剣な表情で臨んでいる。

「行くぞ」
「ああ。全員、わかっているな?」
「もちろんだとも。偵察だけ、偵察だけだ」
「間違っても強行突破はともかく、ポーションを使うような事態にはなるなよ!」
「応!」

「遠慮なんてしなくていいのに」
「ね。また作れば良いだけなのに」

 噛み合わないまま、悠介たちは洞窟に足を踏み入れた。

「照らせ、『光灯シャイン』」

 言葉に込めた魔力が小さな光球となって辺りを照らすが、洞窟の最奥までは届かなかった。

「結構深いですね……」
「モンスターに遭遇したのはおそらく最深部だ。松明では壁まで照らせなかったから」

 その言葉の通り、枝分かれもしていない一本道だというのになかなか突き当たりが見えてこない。
 後ろを振り返って見ても、もう入り口の光は見えなかった。

「どこまで続いてるんだろう……」

 と、その時だ。

「うわっ!?」
「えっ?」
「きゃあっ!」

 後ろから上がった声に、悠介が即座に振り返る。と、体制を崩したまつりとぶつかって、慌ててその体を支えて転倒を回避した。

「大丈夫?」
「あ、ありがと……」

 支えたまつりの顔が、悠介には少し血の気が引いているように見えた。暗がりとはいえ光源も近いのに。

「…………」

 悠介の視線が後尾に移る。腰をうちつけてしまった男が、仲間の手を借りながら立ち上がろうとしていた。

「どうしたんだよ。何もないところで転ぶなんて、らしくないぞ」
「転んだんじゃない、足を取られたんだ! 何かが急に、後ろ……か、ら……」

 途中から、男の顔色が変わる。
 否、状況を理解した全員が顔色を変えて見構えた。
 後ろから足を取られた。ーーそれはつまり、敵に背後を取られたということ。
 けれど、周囲に目を走らせてもモンスターの姿はない。
 悠介とまつりが『情報収集』を意識して見回してみても、それらしい反応は見つけられなかった。
 だが、たしかにいるはずだ。

「どうする?」
「……退路を残してくれているとは考え難いね」
「同感。となると……」

 伺うまつりに、悠介は小さく頷いた。

「進むしかない」

 誰かが、息を飲む音がした。





 慎重に、一歩一歩安全を確認しながら先に進む。幸い今のところ二度目の襲撃はないが、それすらもモンスターの策のうちではと思うと気が気でなかった。
 それでも進んでいくと、どうやら広い場所に出たらしい。視界の端にあった壁がなくなった。

「照らせ、『光灯シャイン』」

 悠介はもう一つ光球を作り出した。それを、体のバネを使って天井目掛けて放り投げる。
 宿主を離れた光球が弱りながらも照らし出したそこは、ぽっかりと開けた空間だった。
 けれどやはり、モンスターの姿はない。と、一瞬、視界の端を何かが掠めた気がした。目の動きよりも早く姿を晦ませたその先にも、あるのは岩だけ。
 それでも悠介は凝視し続けた。

(ーーなんだろう。何かがおかしい……)

 歪な岩。伸びる影は細長く、揺らぐ光球のせいで伸び縮みを繰り返している。
 ここまでの道中に見てきたものと同じなのに、何かが違う。

「悠介くん?」
「!」

 呼ばれたことで、一瞬意識が逸れる。刹那、岩の影が揺らぐのを見た。

「モンスター!!」

 叫ぶとともに、悠介が足を振り上げ砂を蹴りかける。揺らいだ影に砂埃がついた。目印のついたモンスターを、まつりが照準を合わせるように指し示す。

「淡き安らぎ 束の間の憩い 『揺籠|《クレイドル》』!」

ーー状態異常/誘眠(速度×0.8)

 『情報収集』が魔力の作用を告知する。

「っえ、失敗した!?」
「違う、デバフ耐性! 速度二割減!」

 本来は なら対象を睡眠状態に陥らせるはずの魔法は、動きを鈍らせるまでに効力を留めた。おそらくはモンスターが抗っているのだろう。

「GRRRRR……!」

 獣の唸り声が炎を吐き出す。
 けれどそのおかげで、モンスターの位置を特定した。
 『シルバー・ホーン』の一人が火の玉を見据えて詠唱を唱える。一拍遅れて、悠介も詠唱した。

「降り注げ 『飛沫スプラッシュ』!」
「疾れ稲妻いなづま 『雷閃サンダーボルト』!」

 術者から発された水が火の玉をかき消し辺りを濡らす。薄く張った水溜りに、悠介の雷魔法が当たった。

「GURUAAAAAAA!!」

 獣の悲鳴が響く。パリパリと静電気を纏った見えない何かが、音を立てて水溜りに倒れ込んだ。
 意識が遠のいているのか、モンスターにかかっていた靄が薄れていく。

「これは……犬? 魔犬ってやつですか?」
妖精犬クー・シーか……黒毛だから黒妖犬ブラック・ドッグの可能性も否定できない」

 そのモンスターを知っている『シルバーホーン』の面々が渋い顔をする。
 モンスター退治が一筋縄ではいかないことは覚悟していたが、彼らの反応を見る限り自分たちの予想さえ上回るらしいことは、悠介たちにも感じ取れた。

「強いんですか?」
「一体一体ならそこまでは。だが幻覚を含めて魔法を使う上に……」
「っ危ない!」

 遮って、まつりが全身で体当たりした。
 黒い髪が動きに合わせて揺れる。束ねられた毛の先を、火の玉が掠めた。
 髪を燃やした時の独特の臭気が鼻をつく。
 じゃり、と踏み締める音が複数聞こえた。
 人間以外の影はない。
 けれどどこからともなく繰り出される火の玉に、悠介とまつりも、手練れであるシルバーホーンの面々でさえ手も足も出せずにいた。

「……群れに囲まれたな」

 一体一体ならそこまでは強くない。けれど、群れとなれば話は別だ。
 四方八方から襲われ、逃げ惑ううちに体力魔力が底をつく。動けなくなったら最期の耐久戦。
 平野であるならまだしも、洞窟という狭い戦場は小回りが効く魔犬側に優位に働く。
 場数を踏んだ冒険者でさえ息を呑んだこの場面で、張りのある声が朗々と詠唱した。

「祈りをここに! 集い来たるは加護の光 『聖壁ホワイトウォール』」

 術者を中心に、柔らかな光の粒子が生まれ、拡がる。それは悠介たちを覆い、包み込んだ。

「GAAAAAA!」

 火の玉が悠介たちを襲う。至近距離から放たれたそれは、誰かが水魔法を使うよりも早く燐光を帯びた障壁に阻まれた。
 光属性防御魔法、聖壁ホワイトウォールは、淡い光の灯る僅かな時間、敵からの攻撃を無効化する。
 二、三と立て続けに放たれた業火の連弾は、悠介たちに些かの衝撃も与えることなく掻き消された。

「逃げて体力を消耗するなら、逃げずに体力を保持すればいいんですよ」

 まつりが口元に笑みを佩く。
 なるほど。悠介は口角を上げ、何もない・・・・空間に狙いを定めた。

「降り注ぐは水の弾丸! 『 水弾ウォーター・ショット』!」

 悠介の魔法が発動する。圧縮された水の礫が同時射発され、その幾つかが不自然に跳ね返った。

「GYAUU……GUUUU……」

 ダメージを負った魔犬が数頭、幻覚を保つ余裕もなく姿を現す。息も絶え絶えなそれらに、悠介は右手で銃を象り照準を定めた。

「下手な鉄砲、数撃ちゃあたる。ってね」

 挑発的なそれに、魔犬たちは牙を剥き出し唸りながらも為す術なく地に伏した。
 じりじりと、魔犬側の警戒の気配が強くなるのを肌で感じる。

「!」
「? なんだ……?」

 不意に、緊張が緩んだ。
 地を蹴る音を立て、潜んでいた魔犬が、倒れていた魔犬さえその身に鞭打って駆けていく。
 風を切るような高い音が微かに響いた。

「洞窟の奥に、何かあるのかしら?」
「わからない。……『シルバーホーン』の皆さんは? この奥に何があるか、知っていますか?」

 悠介とまつりが振り返る。
 呆然と立ち尽くしていた彼らはハッと我に返り、言葉を反芻してようやく首を横に振った。

「い、いや。面目ない……」
「いえ、とんでもない。……しかし、どうしましょうか」

 悠介が素早く『情報収集』でステータスを確認する。ダメージはほとんど受けていないが、魔力が予定よりやや消費していた。

「ユ、ユースケ殿、マツリ殿……ここは退却した方が良いのでは……」

 もともと回数を重ねて情報を集めるだけの予定だったのだから、現状は目的を達成したと言えなくもない。ならば退却しても、とも言い募られたが、悠介もまつりも示し合わせたように首を横に振った。

「いいえ、それは得策ではないでしょう。退いても、振り出しに戻るだけです」

 モンスターとはいえ、連携の仕方から一定以上の知能があることがわかる。再挑戦しても同じ手が再度通用するとは考え難い。

「なら……」
「先に進みましょう」

 荒げられかけた声を遮るように、まつりが先を促す。『シルバーホーン』の冒険者たちは僅かに揺らぎを滲ませたが、一度は逸らした視線を再度洞窟の奥へと向けた。
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