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13.療養所

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 療養所は、ギルドハウスよりも中町の方にある。冒険者といえども怪我人は怪我人。血気盛んな彼らを少しでも戦闘から遠ざけるための立地だそうだ。
 ギルドハウスよりこじんまりとした建物の扉をあけて、まずはリトハルトが顔を出す。と、中から驚き混じりの歓声が上がった。

「マスター!」
「邪魔するぞ。調子はどうだ?」
「まずまず、というところですね。化膿はしていないので、それだけでも上々でしょう」

 答えたのは、比較的傷の少ない男性だった。黄色味の強い金髪を丁寧に後ろへ撫で付けた青年で、いかにも規律を重んじそうな顔つきをしている。普通にしていればそれなりに注目を集めそうなものを、今は包帯やガーゼが目立つせいで痛々しかった。

「マスター、そちらのお嬢さん方は?」
「ああ、今日の本題だ。『レッドグリフォン』からきてくれた、マツリとユースケだ。マツリは治癒魔法の使い手でもある」
「治癒魔法の……!?」

 にわかに活気付いた騒めきに、まつりが気恥ずかしそうに会釈する。清楚な容姿によく似合う淑やかな仕草に、周囲の熱が増すは必定だった。
 期待だけではない熱い眼差しを一身に浴びながら、まつりは読み漁った魔導書の記載を呼び起こし、口遊む。

「さやけき安らぎの音色よ『治癒ヒーリング』」

 魔力を込めた言葉とともに、まつりから淡い光が溢れ出る。じんわりと広がるそれが、怪我人たちを包み込んだ。まるで陽だまりにいるかのような、心地よい感覚に浸る。

「温かい……」
「ああ、痛みが……」

 喜びの滲む声。自ずと浮かび上がる微笑。
 良かったとリトハルトも安堵しているが、立役者であるはずのまつりの表情はなんとも不満げだった。

「どうしたの?」
「うーん……思ってたよりも効果が薄くて」
「そうなの? みんな喜んでるけど……」
「だって、怪我、治ってないじゃない」

 初級魔法じゃやっぱり足りないのかしら。でも、これ以上の魔法はまだ使ったことがないし、と続けられる呟きに、悠介は改めて喜んでいる面々を見直した。
 『治癒ヒーリング』は、魔力を40消費する代わりに対象の体力を30から50ほど回復する。悠介も度々世話になる、コスパの良い魔法だ。軽傷程度であれば十分治療可能なのだが、彼らの全快には効果が足りなかった。それなりに深い傷らしく、火傷や裂傷といった状態異常が払拭されていないことが原因のようだ。
 痛みから解放された面々はそれだけでも十分と笑みを零しているが、たしかにまつりの言う通り、怪我が治ったわけではない。ということは、たとえば鎮痛剤のような、一時的な効果しか見込めないだろう。

 悠介はまつりのステータスを確認した。
 消費した魔力は320。残っている魔力は半分以上、余剰は十分だ。買ったばかりの金色羊の革袋アリエス・ポーチには、ポーションも入っている。

「ワンランク上げたらどのくらい消費するの?」
「さぁ? 使ったことないからわからないわ」
「じゃあ、検証も兼ねて練習・・させてもらったら?」
「練習?」
「僕たちのクエストも、これから難易度上がるだろうし。今は『治癒ヒーリング』で十分だけど、今後の予習もかねて」

 万が一失敗しても、魔力が削られるだけで悪化させるようなことにはならない。それは以前のスライム退治で悠介自身が確認している。
 どうせ結果が同じなら、やってみても損はないだろう。

「やらない後悔よりやった後悔、ってね」

 にかりと悪戯っぽく笑う悠介に、まつりの目が丸くなる。それから、くしゃりと堪えきれない微笑に変わった。

「失敗したら恥ずかしいから、隠しててくれる?」
「お安い御用だよ」

 とん、と胸を叩いた悠介に、まつりはそっと背を借りた。手を当てた胸がドキドキしている。まつりは祈るように、初めての詠唱を紡いだ。

「静かなる夜の月 儚く灯る導きの星」

 まつりの体を、白い光が包み込む。『治癒ヒーリング』の光を絹布シルクに例えるなら、この光は天鵞絨ビロードのような重厚感があった。
 詠唱は続く。

「暗黒へと誘う暗き手に 慈悲の光を」

 浸透するように広がる光が、怪我人たちを包み込む。とうとう事態に気がついた彼らが、はっとして悠介を、その奥に身を隠すまつりを見た。
 シィィ……。悠介が優しげな微笑で人差し指を立てる。

「ーー完全治癒パーフェクト・ヒール……!」

 詠唱が完成する。途端、目も開けられぬ眩い光が部屋に満ちた。
 網膜に焼き付くような白。視覚が戻るまでに幾許か時間がかかった。

「そんな、まさか……」
「傷が……っ!」

 シュルシュルと解かれた包帯が床を這う。包帯の下、ガーゼの下にも、そこにあったはずの火傷はなくなっていた。薄桃の引き攣れた痕だけが、たしかに傷があったのだと物語っている。

「お疲れ様、まつりさん」
「ん……うん、さすがに、疲れたかも」

 慣れないことはするもんじゃないね。
 そう言いながらも、まつりは今度こそ満足げな笑みを浮かべていた。疲れた、と正直に口にした彼女は、さっきと比べて少し顔色が悪い。『完全治癒パーフェクト・ヒーリング』の影響だろうか?
 悠介はまつりのステータスを確認した。
 

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佐々木まつり レベル25
HP 1086/1281
MP 135/1075
種族/人間
職業/警察官・冒険者
所属/警察・ギルド『レッドグリフォン』
冒険者ランク/D
属性/光・闇
スキル/情報収集
    『生産』――『調理』Lv.20
『調合』Lv.20

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(MPの減りが早すぎる……)

 まつりの疲弊の原因はこれか。
 悠介は金色羊の革袋アリエス・ポーチに手を突っ込んだ。下級……いや足りない。中級ポーションを一瓶取り出す。

「まつりさん」

 自分の手のひらで包み隠したポーションを渡すと、まつりは一気に飲み干した。紙のように白かった頬に、ほんの少し赤みが戻る。まつりの中でも何かしらの変化があったのだろう、薄く開かれた唇の隙間から、ほっと気を抜くような吐息が溢れた。
 まつりのMPが300台まで回復している。けれど、まだ足りない。もう一本ポーションを手渡したところで、肩越しに声がかけられた。

「マツリ、大丈夫かい? ああ、まったくなんて無茶を……」
「大丈夫です。無茶なんてしてませんよ」
「この人数に二度も、それも上級の治癒魔法まで使って、これを無茶と言わずに何と言うんだ。手だってこんなに冷え切って……」

 痛ましげに眉を潜めたリトハルトが、大きな手でまつりの手を包む。握手とは違う接触に、まつりは「ひぇ」と情けない悲鳴を上げた。

(た、助けて!)
(なんで? 役得じゃん、甘んじて受け入れたら?)
(じゃあ悠介くんが受けてよ! それかランドルフさん!)
(なんで⁉︎)

 さすがに訳がわからない。ぎょっと目を剥いた悠介に、まつりは涙目で解釈違いだと訴えた。

 ひそひそと言い合う二人を目の前にしながら、リトハルトは口を挟まない。彼は一心にまつりを見つめていた。

「君の気持ちは嬉しいが、もうこんなことはやめてくれ。君が死んでしまう」
「そんな、大袈裟な……」
「大袈裟なものか!」

 リトハルトが初めて声を荒げた。事の重大さを理解せよ、と険しい表情に、まつりはもちろん悠介も困惑する。
 その反応に、本当に知らないのだと察したリトハルトは理性で自身を宥め賺し、努めて平静に語りかけた。

「本当に、大袈裟な話ではない。怪我は魔法で治せても、魔力切れは魔法では治せないのだから」
「魔力切れ……?」

 なんだ、それは。思わずと復唱したまつりと悠介に、そこからかとリトハルトが眉間のシワを深くする。

「ランドルフはいったい何をしているんだ」
「え、っと……いろいろ親切にしてもらってますよ? 私たちが物知らずなだけなので……」
「君たちが物知らずというのには否定しないが、物事には限度というものがあると思わないか?」

 リトハルトが食い気味に話を遮る。困ったように視線をずらすも、彼の背後に控える元怪我人たちさえ渋い顔をして沈黙を貫いていた。
 どうやら助け舟は来そうにない。

「魔法を使うには魔力がいる。消費した魔力を回復するには、休息かポーションがいる。……思うに、君は彼の背に隠れているうちにポーションを服用したのだろう?」

 でなければありえない、とリトハルトは断言した。
 沈黙は、肯定。
 リトハルトはまた溜息を吐いた。

「魔力切れとは、文字通り魔力の欠乏を意味する。魔力切れを起こせば軽くても目眩、失神や、ーー最悪の場合、死にすら至る」

 リトハルトの声が重く、低く、部屋に響く。赤みを取り戻したはずのまつりの頰は、また血の気を失っていた。それは悠介も同様だ。
 なにが練習か。一歩間違っていれば、と怖気がはしる。
 血相を変えた二人に、リトハルトは言い聞かせた。

「治癒魔法を使えるものは稀だ。それは適正だけでなく、魔力消費や負荷が他の魔法より重いという理由もある。君の善意も、才能も認めるが、だからこそ、もうこんな無茶はしないでくれ」
「……すみません、でした。まつりさんも、本当にごめんね」
「ううん、私の方こそ、ごめんなさい」

 軽率でしたと心底反省する二人に、リトハルトの目元が和らぐ。

「マツリ、危険を冒してまで私の仲間を治療してくれてありがとう。ユースケも、貴重なポーションを使ってくれてありがとう。『シルバーホーン』の恩人達に、心からの感謝を」

 まるで忠誠を捧げる騎士のように、リトハルトが胸に手を当てる。それに倣うように、『シルバーホーン』の冒険者達も胸に手を当て、首を垂れた。
 過ぎるほどに真摯な礼に、悠介とまつりはむず痒くなりながらもどうにか頭を上げさせる。

「まだ、スタート地点に戻っただけですよ。問題のモンスターは退治できていないんですから」
「そうですよ。ほら、私たちはご覧の通り物知らずなので、先輩方にお力添えいただけるととても心強いです」

 どうかよろしくお願いします、とあくまで下手に出る二人に、周囲が困惑する中で、リトハルトも目を丸くしながら、けれど嬉しそうに口元を緩めた。

「さすが、ランドルフの秘蔵っ子というべきか……。こちらこそ、よろしく頼む」
「よろしくお願いします!」

 威勢よく声を揃えた二人に、リトハルトは眩しいものを見るように目を細めた。
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