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02.現地到着

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異世界派遣を受け入れた悠介とまつりには、件の魔法陣が描かれた紙が渡された。実際目にしたそれは呆れるほど精緻且つ複雑で、二人は『馬鹿と天才は紙一重』という言葉を目の当たりにした気分だった。
 ような、というか、実際そうなのだけれど。
 そして実際に魔法陣に触れ、異世界に足――どころか全身を一瞬にして踏み入れた二人の視界に飛び込んできたのは、鬱蒼と生い茂る草木、時々、花。


「緑豊かっていうか、これ森じゃん」
「あら、山かも知れませんよ?」
「どっちでもいいっていうか、どっちにしろ人が生活する基盤が整えられてないことには変わりなくない?」

 悠介がそういうのも当然で、二人の周りには本当に植物しかなかった。
 膝近くまで伸びた野草に、大樹と称するにふさわしい木々。
 獣道さえないこの環境を、果たして派遣されたという人々はどうやって偵察したというのか。
 当面はキャンプするにしたって、もう少し人間の手が加えられてないと厳しいだろう。

「キャンピング用品、経費で落とせますかね? 現状必需品ではありますけど」
「どうでしょう……まあ、異世界交番ここについては特別予算が組まれるって言ってたし、是が非でも認めさせますけど」
「わあ、佐々木さん頼もしい」

 からからと力なく笑う悠介に、まつりも「もっと褒めてくれていいんですよ」と返したけれど、その声は覇気にかけていた。二人とも、この先の苦難が目に見えてしまっているのだ。
 とはいえ、このままここに突っ立っているわけにもいかない。

「第一目標は人里探しですかね?」
「ですね。この調子だと勤務先になる交番だってないでしょうし、空き家を借りてそこを拠点にしましょうか」
「初日の任務が現地人探しかぁ……しんどそう」

 というか、今日中に出会えるのだろうか。
 辟易を隠しもしない悠介に、しかしまつりはあっけらかんとしていた。

「まあ、探すだけなら御の字じゃないですか?」
「え、何その含みのある言い方」

 ちょっと怖い、と僅かに唇を尖らせた悠介に、だって、とまつりは言葉を継いだ。

「ロープレとかだと探索中にモンスターに遭遇しますし」
「ロープレ?」
「ロールプレイングゲーム」
「あー、なるほど、確かに。って、え、佐々木さんゲームとかやる人?」
「周回を日課にする程度にはやってますね」

 思いの外やりこんでる人だった。
 マドンナなのに? と思わず零した悠介に、まつりは「なんですか、それ」と笑い飛ばす。

「でも、モンスターとかさすがに勘弁だよね。ファンタジーの定番ではあるけど、実際そんなのと遭遇して勝てる気しないよ」
 
 情けないことを言っている自覚はあるが、それが悠介の本心だった。
 警察学校を卒業した身として、当然武道訓練は受けている。何が起きるかわからない未開の地ということで拳銃も携帯、使用許可が下りているが、使わないに越したことはないのだ。

「でも、モンスターもいたら魔法もあるのかなぁ」
「あったら楽しそうですよね」

 そんな、おおよそ金部中に相応しくない和気藹々とした談笑が辺りに響く。見かける植物は馴染みの植物もあったが、少なくとも日本で見かけたことはない植物も多かった。
 探索を開始してそれなりの時間が経過しているが、いまだ動物の姿は見かけていない。生息している痕跡はあるのだ。木の幹には虫の抜け殻がへばりついていたし、その根元には自然に空いたようには見えない穴が掘られていた。

 もしかしたら、人間の声に警戒して隠れているだけかもしれない。悠介たちが気を張りすぎているだけなのかもしれない。

 けれどそれでも、鳥の鳴き声さえ聞こえてこないのが不気味だった。

 しばらく歩き続けると、ようやく道らしい道を見つけた。野草の生えていない、地面がさらけ出されたそれは、よく見ると古びた縄で柵が作られている。

「人間、あるいはそれに近しい生物はいるようですね」
「よかったぁ。何にも見かけないから、ちょっと不安だったんですよねぇ」

 二人は笑い合い、道を進むことにした。距離に差はあるだろうが、少なくともこの道を進めばやがては集落に行きつくはずだ。
 文明がある、それが分かっただけでも二人の足取りはずいぶんと軽くなった。

「まずは拠点を決めて、出入り口の確保ですね」
「あと、ライフラインも。いちいち帰還していては万が一の時に困りますし」
「となると、金銭の確保もか。佐々木さん、こういう時ゲームだとどうします?」
「資材を集めて売買したり、ギルドに所属してクエストをクリアしたり、ですかね」
「物の相場がわからないからなぁ……ギルドに入るなら、相談してからの方がいいね」

 とはいえ、上司は上層部の総意として基本的には悠介たちの判断に任せると放任を宣言していた。「事件は現場で起きているのだよ」と何かの受け売りなのだろうセリフを口にした時のドヤ顔は、忘れようとしても忘れられない。腹立たしすぎて。

「あの上司、知らぬ存ぜぬを決め込む気満々でしたもんねぇ」
「でもまあ、あんな人でも上司ですから。報連相は大事ですよ、社会人として」

 そんな風に、他愛もない話をしながら道を進んでいると、不意にまつりが足を止めた。振り返れば、端麗な顔を不快そうに顰めて顔の下半分を手で覆い隠している。

「佐々木さん? どうかしたんですか?」
「臭い、が……」
「臭い?」
「変な……何かを腐らせてしまった時のような臭い。感じませんか?」

 悠介は意識して息を吸ってみたが、これまでと違う臭いは感じられなかった。けれど彼女の様子を見るに、決して気分の良い臭いではないことはわかる。
 女性の方が鼻が利くというから、まだかすかな臭いなのかもしれない。
「進めますか?」
「ええ。でも、恒常的な臭いなら、ガスマスクとかの対策が必要ですね」

 そうでないことを祈るばかりである。
 まつりを気遣いつつも先に足を進めると、やがて悠介にも腐敗臭がわかるようになってきた。生ゴミともまた違う臭いは強烈で、彼女が顔を顰めた理由がよくわかる。

 口元を覆ってまた先を行く。早く新鮮な空気を吸いたいと、どちらからともなく急ぎ足になっていた。
 その、最中のことだ。
 悠介の耳が、草木を掻き分ける音を聞き留めた。

「佐々木さん、動物がいるみたいですよ」

 言うと同時に、音が草木を抜けた。
 振り返ったまつりは、上品に口元に手を当てて驚いていた。

「佐々木さん?」

 悠介が声をかける。
 まつりは口元に手を当てたまま、ゆっくりと悠介の背後を指差した。
 悠介の目が、もう一度茂みを向く。
 細長い、爬虫類の目がそこにあった。地球ではまず有り得ない、クジラの如き巨大な体躯を伴って。
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