暮井慈の事件簿

藤野

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file.2 資産家の死

11.凍てつく微笑

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 さて、雄と亀山が食堂を出てからしばらく。
 慈は柔らかな橙の灯火に照らされながら、優雅に芳醇ほうじゅんな香りを立ち昇らせる紅茶に舌鼓を打っていた。
 いかにも絵になる一挙手一投足に、屋敷の主である紡でさえ思わずうっとりと魅入ってしまう。
 それは控える使用人たちも変わらず、彼女たちは恍惚の息を吐いた。

「…………そんなに食い入るように見つめられたら、穴があいてしまうわ」

 困ったような笑みさえ美しい友人に、紡がはっと我に帰る。
 ごめんごめんと軽く謝りながらも目を逸らせずにいると、慈は仕方がないわねとでも言うように苦笑を滲ませた。
 それさえも紡の心を掴んでやまないのだから、人たらしというよりは最早魔性である。

 紡がそんなことを思っている時に、不意に慈が「そろそろかしら」と呟いた。
 ティーカップを持ち上げていた手が緩やかに動き、端末に触れる。華奢な指が数度画面を叩き、彼女はもう一度端末をしまった。
 その口許に、うっそりと艶やかな笑みを携えて。
 赤い弦月の如き唇が動くのを、紡はスローモーションをかけられたように見ていた。

「さあ、私たちも、動きましょうか」

 うふふ、と酷く楽しげな笑い声に、紡は言い知れぬ寒気を感じた。ぞくりと全身に冷や水をかけられたような、体の芯から凍てつかせるような、正体不明の悪寒。
 ふるりと身を震わせた友人に、慈がたおやかな動作で笑みを浮かべた。

「大丈夫よ、安心なさい。貴女が怖がることなんて、何一つありはしないのだから」

 そう語りかける声には、聖母もかくやと思うほどの慈愛に満ちている。
 けれど、紡は見つけてしまった。自身に向けられていない目線、瞳の最奥に、狂気とも見紛う激情が揺らめいている。

 これは、怒りだ。

 ここまで異常な怒り方をする人を、紡は初めて見た。
あいや、そもそも慈が怒る様さえ、今まで見たことはなかった。
 優艶に、凄絶に。形容する言葉は違えども、彼女は常に笑みを絶やさなかったから。

 けれど、これは違う。凍てつき、き尽くす微笑は、微笑ではない。

 硬直する紡をちらと見て、慈は徐に立ち上がった。

「いらっしゃい」

 紡の体が、本人の意思とは関係なく動き出す。
 誘われるまま勝手に慈に従う自分の体を、紡はどこか遠いことのように感じていた。

 控えていたメイドたちが、同じく恍惚とした表情で勤めを果たすべく動き出す。
 閉ざされていた扉が慈の歩に合わせて開かれた。

 月明かりだけが照らす屋敷。大理石の敷き詰められた回廊に響く、二人分の靴音。

「どこ、行くの……?」
「害獣は駆除しなきゃ。ーーねえ?」

 うふふ。ふふ。うふふふふ。
 暗闇の中、慈の楽しげな笑い声が響き渡る。
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