芙蓉の宴

蒲公英

文字の大きさ
上 下
62 / 66

結実した種は芽吹けど 2

しおりを挟む
「あなたの人生が続いてもらわなくては、困るんですよ。僕は最初のときから、あなたを覆っている気鬱を取り払って欲しいと思っていた。あなたは若くて健康で、綺麗なんです。そしてもっと綺麗になることができる。それを見るのが楽しみだったんです」
 自分が口から出した言葉が、すでに過去形だということに気がつく。大丈夫だ、私の方向はぶれていない。彼女が納得しようがしまいが、私から線引きをするより外ない。
「私はそんなに強くありません。先生にもっと寄り添って、先生と言葉を交わして」
「いつまで可能かは、わからないのですよ」
 彼女は小さく息を飲んだ。私もこれを言うつもりは、なかったのだ。
「諦めているわけではないと、先に言っておきます。だから必要な治療は受けますし、仕事だってします。まだ書きたいものがあり、見ておきたいものもあるんです」
 そう言って彼女の横から起き上がり、ベッドのヘッドボードに寄りかかった。

「可能性の問題です。ここから先、僕の完全治癒は難しい。身体の中に小さな爆弾をいくつも抱えて、それが着火しないようにするだけなんです。そして考えたくないことですが、数年後に着火していない可能性は、十パーセントにも満たない。僕はそれに怯えて、オロオロハラハラするでしょう。そんな僕を見て、あなたが心を傷めないはずがない。だからこれ以上、近くならないほうが良いのです。あなただけではなく、苦痛を強いている僕も不幸になる。そんなのはごめんだ」
 最後の言葉だけ、我にもなく強くなった。
「心配してはいけませんか。痛みに寄り添いたいと思っては」
 なおも言い募る彼女に、これ以上強い言葉は使いたくない。
「僕の痛みは、僕のものにだけしておきたいんです。僕は欲張りなので、自分のものを他人に分け与えたくない」
 彼女はしばらく仰臥したまま、何か言葉を探していた。そして起き上がり、私と向かい合うように座り直した。
「先生は、私がこれからどうすれば良いとお考えですか」
 これについてのイメージは、私の中にある。
「僕とあなたの関係を、梅を観に行った前に戻すだけです。もうあなたを脅かす男は大人しくなったのだし、ゆっくり習い事を楽しんだり話題の本を読んだり、もともとあなたが時間を割いていたことがあるでしょう。それにほら、昔馴染の人に仕事を手伝ってくれと言われたんでしょう? きっと忙しくなりますよ」
 そうやって何もない日々を平穏に、微笑んで生きてくれることこそが私の望みなのだから。

「電話したら、受けてくださいますか」
「今まで通りです。受けられないことが多々あります。メールの返信も、遅いです」
「どうしても会いたくなったら、どうしたら良いのですか」
「呼んでください。ただ僕は、厄介な病気の他に毎日の勤めがあって、しかも文章を捻り出す仕事もあります。ですから、それほど多くの時間はありません」
 目をぎゅっと閉じ、唇を噛んで下を向く彼女を見ていた。うっかりとその肩に手を伸ばし、本当はまだ同じ時間を過ごしたいのだと言いたくなる。こんな表情をしていても、彼女は綺麗だと思った。
「治療の甲斐あって、先生の身体から悪い細胞が消えたら」
 声が潤んでいることに、気がつかないふりをした。
「そうしたら、あなたにこんな話をしたことを後悔して、地団太踏んで悔しがります。今更遅い、ざまあみろと笑ってください。それから闘病記でも書きましょうか」
 上目づかいで私の顔を睨んでいた彼女は、ふと視線を外した。窓の外は、そろそろ日が落ちる時間の色になっていた。

「先に出てください。僕がチェックアウトして帰ります」
 彼女の目が、問うように動く。
「見送られるより、見送るほうが寂しいものです。僕はもう少しこの部屋で休憩してから帰ります」
 私の言葉に、彼女は大きく顔を歪めた。
「そうやって、先生は先回りして私の感情を決めてしまう。それが優しさだと、知ってはいました」
 けれど泣き出すことはせずに、彼女はバッグを持って会釈し、部屋から出て行った。

 ヘッドボードに寄りかかったまま、しばらく暮れていく街を見ていた。そして頭に手をやり、ニット帽の位置を直す。おそらくこれで、正しいのだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

茶番には付き合っていられません

わらびもち
恋愛
私の婚約者の隣には何故かいつも同じ女性がいる。 婚約者の交流茶会にも彼女を同席させ仲睦まじく過ごす。 これではまるで私の方が邪魔者だ。 苦言を呈しようものなら彼は目を吊り上げて罵倒する。 どうして婚約者同士の交流にわざわざ部外者を連れてくるのか。 彼が何をしたいのかさっぱり分からない。 もうこんな茶番に付き合っていられない。 そんなにその女性を傍に置きたいのなら好きにすればいいわ。

エイミーと旦那さま ② ~伯爵とメイドの攻防~

トウリン
恋愛
※『エイミーと旦那さま』の第二部です。 遠く離れていた旦那さまの2年ぶりの帰還。ようやくまたお世話をさせていただけると安堵するエイミーだったけれど、再会した旦那さまは突然彼女に求婚してくる。エイミーの戸惑いを意に介さず攻めるセドリック。理解不能な旦那さまの猛追に困惑するエイミー。『大事だから彼女が欲しい』『大事だから彼を拒む』――空回りし、すれ違う二人の想いの行く末は?

薔薇は暁に香る

蒲公英
現代文学
虐げられた女に、救いの手を差し伸べる男。愛は生まれて育まれていくだろうか。 架空の国のお話ですが、ファンタジー要素はありません。 表紙絵はコマさん(@watagashi4)からお借りしました。

セイレーンの家

まへばらよし
恋愛
 病気のせいで結婚を諦めていた桐島柊子は、叔母の紹介で建築士の松井卓朗とお見合いをすることになった。卓朗は柊子の憧れの人物であり、柊子は彼に会えると喜ぶも、緊張でお見合いは微妙な雰囲気で終えてしまう。一方で卓朗もまた柊子に惹かれていく。ぎこちなくも順調に交際を重ね、二人は見合いから半年後に結婚をする。しかし、お互いに抱えていた傷と葛藤のせいで、結婚生活は微妙にすれ違っていく。

望まれない結婚〜相手は前妻を忘れられない初恋の人でした

結城芙由奈 
恋愛
【忘れるな、憎い君と結婚するのは亡き妻の遺言だということを】 男爵家令嬢、ジェニファーは薄幸な少女だった。両親を早くに亡くし、意地悪な叔母と叔父に育てられた彼女には忘れられない初恋があった。それは少女時代、病弱な従姉妹の話し相手として滞在した避暑地で偶然出会った少年。年が近かった2人は頻繁に会っては楽しい日々を過ごしているうちに、ジェニファーは少年に好意を抱くようになっていった。 少年に恋したジェニファーは今の生活が長く続くことを祈った。 けれど従姉妹の体調が悪化し、遠くの病院に入院することになり、ジェニファーの役目は終わった。 少年に別れを告げる事もできずに、元の生活に戻ることになってしまったのだ。 それから十数年の時が流れ、音信不通になっていた従姉妹が自分の初恋の男性と結婚したことを知る。その事実にショックを受けたものの、ジェニファーは2人の結婚を心から祝うことにした。 その2年後、従姉妹は病で亡くなってしまう。それから1年の歳月が流れ、突然彼から求婚状が届けられた。ずっと彼のことが忘れられなかったジェニファーは、喜んで後妻に入ることにしたのだが……。 そこには残酷な現実が待っていた―― *他サイトでも投稿中

エイミーと旦那さま ① ~伯爵とメイドの日常~

トウリン
恋愛
※『エイミーと旦那さま』の第一部です。 父を10歳で亡くしたエイミーは、ボールドウィン伯爵家に引き取られた。お屋敷の旦那さま、セドリック付きのメイドとして働くようになったエイミー。旦那さまの困った行動にエイミーは時々眉をひそめるけれども、概ね平和に過ぎていく日々。けれど、兄と妹のようだった二人の関係は、やがてゆっくりと変化していく……

【完結】貴方のために涙は流しません

ユユ
恋愛
私の涙には希少価値がある。 一人の女神様によって無理矢理 連れてこられたのは 小説の世界をなんとかするためだった。 私は虐げられることを 黙っているアリスではない。 “母親の言うことを聞きなさい” あんたはアリスの父親を寝とっただけの女で 母親じゃない。 “婚約者なら言うことを聞け” なら、お前が聞け。 後妻や婚約者や駄女神に屈しない! 好き勝手に変えてやる! ※ 作り話です ※ 15万字前後 ※ 完結保証付き

放蕩貴族と銀の天使

トウリン
恋愛
【第一部】『地上に舞い降りた天使は護り手など必要としない。』;ブライアン・ラザフォードは自他ともに認める放蕩者だ。伯爵家の跡継ぎであるという自覚は持ちつつも、女性という名の美しい花々を愉しみ、ちょっとしたスリルを賭け事で楽しむ自堕落で気楽な日々を過ごしていた。そんな彼が、下町の路地裏で衝撃的かつ運命的な出会いを果たす。以来、彼のそれまでの人生はガラガラと音を立てて崩れ始めた。――天使に心を奪われた三十路(ダメ)男の明日はどっちだ。

処理中です...