芙蓉の宴

蒲公英

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戻り霜の降りる枝 3

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 桜よりも梅の花が好きだ。冬の冷たい空気の中に凛と咲く花を見ると、背筋を伸ばさなくてはならないような気がする。ひとりの食卓を整えるための買い物の量は、そう多くない。平日には出来合いを買ってしまったり外食したりで、休みの日くらいはと腰を上げた結果だ。家の中の仕事は、妻がいたころに慣れていたつもりだったが、自分だけのこととなると妙に億劫だ。朝からビールを飲みながら洗濯と掃除をやっつけ、気温が下がらないうちにとスーパーマーケットまで出た帰りに、少し横道に逸れた場所に梅畑があった。住宅の並んでいる地域にぽっかり出現したような、綺麗な並びの木々の枝には、小さな丸い蕾が並んでいる。梅か、こうまで並んでいたら満開には見事だろうと見回すと、枝の先にいくつか白いものが見えた。もう咲いているのか。
 強い北風の中に咲く花に、彼女を思い浮かべたのは何故なのか。彼女が辛い思いをしたことは察していても、詳しい話など知らない。再会した彼女は健康そうに見えたし、勤めも持っているという。私は彼女に触れようとする異物で、彼女の人生にはまるで関わりのない人間なのに、ことあるごとに彼女の面影が浮かぶ。
 女性には、きっと私は魅力的ではない。過去に少々名前が出た程度の、所得の少ない中年男。美しい容姿もなく、言葉巧みに他人とコミュニケートする能力もない。唯一の武器だと思っていた書く能力は、今の世間に必要とされていないらしい。

 少し変わった形の茶飲み友達で、良いではないか。性的な事柄を入れず、季節のことや雲の形、映画の感想を語り合うような間柄の男女であれば、年齢も職業も気にする必要はない。少なくとも彼女は私の書いたものを丁寧に読み、詳細な感想を記してくれた、得難い私の読者なのだ。
 夕暮れが終わったころに、彼女のスマートフォンを呼んだ。外出していないのであれば、夕方の家事の少し前の時間だと思う。
「はい」
 短く答えた声の後ろから、強い風が通るような音が聞こえた。
「もしもし、北岡さんですか」
 数度しか会ったことはないが、彼女の話す調子が少しおかしいと感じた。どことなく上滑りなのに語気が強い気がする。感情に任せて歩いたと言うからには、腹を立てているのかも知れない。それは何か、彼女にひどくそぐわないように感じる。微笑みながら大粒の涙を流したときも、私が突然訪ねたときも、抑制の利いた人に見えた。私が知らない彼女のほうが多いのだけれど、人の印象は意外と当てになるものだ。
「何かあったのですか」
「いつかお話するときが、あるかも知れません」
 今は話せない事柄なのだと残念に思いながら、込み入った話をするほどの間柄ではないことを思う。しかし彼女は、私と一緒に梅を見に行きたいと言ってくれた。どこか梅の名所はあったろうかと思いながら、電話を終えた。

 勤め先の半日ドックの胃の検診を胃カメラで希望したのは、ただバリウムが苦手だという理由だった。健康診断など就業前に一度簡単なものを受けただけだが、特に身体に不具合は感じていない。二週間ほどで結果が来るからと言われ、駅でたまたま見たフリーペーパーの花見情報を持って帰った。蝋梅からツツジまでの見頃の情報を眺め、彼女の住まいと私の住まいの中間に、良い場所を見つけた。ここならば、途中で彼女を車でピックアップして連れて行けそうだ。なんとなく気分が浮き立ち、夜にでも電話しようと決める。約束をして会うのは初めてだから、何か勝手が違う気がして、遮るもののない梅林はどれくらい寒いのかとか、食事をする場所を調べておいた方が良いかと、余計なことが次々と浮かぶ。そんな自分に苦笑しながら連絡をして、週末の予定が決まった。


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