薔薇は暁に香る

蒲公英

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 ノキエがアマベキの店に顔を出したとき、サウビはちょうど客と話をしていた。いつも荷物持ちに使っている少年が故郷に帰ってしまったと言うので、ラツカを紹介できないものかと話の節目を待っていたのだ。ところが言葉の端々に、金に汚い田舎者という言葉が出てくる。この人に預けても大切にはしてもらえそうもないと、心の中で溜息を吐きながら、帰りを促すこともできずにいた。だからアマベキの使いが呼びに来て、渡りに船と客をニヨカイに預けた。
「どうせ夜は我が家で食事を摂るのに」
 ニヨカイは苦笑しながらも、サウビを送り出す。夕食に招待してくれるつもりらしい。

 アマベキの店を訪ねると、少年がお茶を淹れていた。
「あら、私がするのに」
 サウビが茶器に手を伸ばそうとすると、少年は慌てて頭を振った。
「これはぼくの仕事です。主人にそう言いつけられていますから」
 ラツカと年が変わらなそうな少年は、やはり遠くの村から来たという。
「父さんが死んで、兄さんが土地を継いだものですから。土地を持たないのならば、新しいことは早いうちに身につけたほうが良いと、紹介してくれた人がいまして」
 手際の良さが、アマベキの躾を物語っている。
「そんなに遠くから知らない人ばかりの場所は、不安だったでしょうに」
「ええ。ですが貧しい地域の子供は、多かれ少なかれそうでしょう? 幼友達も豊かな村で農家の手伝いをしたり、僧院の小間使いになったりしていますよ」
 ごく当然のような顔で答える少年は、ノキエの前に茶碗を置いた。

「アマベキは商談に出てしまった。友達甲斐のない男だ」
 不満らしく言うノキエだが、表情は明るい。
「本当なら店のほうに持って行くべきなんだが、客が入っているのが見えたものでね」
 そう言いながら、麻袋から包みを出す。
「若い職人が何人か育ってきている。良い値で売ってやってくれ」
「それなら、ニヨカイと交代しますわ。呼んできましょう」
 立ち上がりかけたサウビを、ノキエは諫めるような仕草で引き留めた。
「あんたのことだ、どうせまた働き過ぎているんだろう? 少しサボるのも悪くないぞ」
「まあ、なんてこと」
 確かにノキエは少し、変わったのかも知れない。草原の村ではうっすらとそう思っただけだったが、ここに来るとますます確信に近くなる。髪と瞳の色だけが似た兄妹だと思っていたが、マウニと表情が似ている。何か知らない人を見ているようで、サウビはきょとんとした顔になった。

 仕入れの話だとニヨカイに引き継ぎ、サウビは店に戻る。お喋りな内儀は帰ったらしく、代わりのように若い娘が何人かリボンを見比べていた。
「私もサウビのように髪が豊かなら、編んで結い上げるのに」
「この服の襟に縫い付けるのなら、どっちの色が良いと思う?」
 娘たちの華やかな靄が店の中に満ち、中が見えるわけでもないのに通りの男たちの背が伸びる。面白いものだなとサウビは思う。その賑やかさの中で、サウビの耳が余計な音を拾った。
「だから食い詰めて出てきたような田舎娘なんて、竈の掃除でもさせておけば良いのよ」
 どんな会話からその言葉になったのかは知らないし、誰がそう言ったのかも正確にはわからない。けれど自分の頬が青褪めたことだけはわかった。食い詰めていた田舎娘は、自分だ。けれどそれは、嘲られるようなことだったろうか?
 無理に表情を繕って客を送り出したサウビは、そのまま店を閉めてニヨカイを呼びに行った。まだノキエと話していたニヨカイは、サウビの顔を見て了解したように頷く。そのときのサウビには、ノキエの顔は目に入らなかった。

 いつものように石畳をずんずん歩き、何度か深呼吸をする。そして道端に座り込んだときに、ふと何かが頭の中を掠った気がする。それはアマベキの店の少年の顔だったり、ラツカの叫びのような手紙、明るい表情で座るノキエ、バザールには住めないと言ったイケレ、サウビの怒りの発作を受け入れるニヨカイの頷く仕草だったり、甘えるようなマウニの笑顔だったりする。
 溢れるような人恋しさが、サウビの胸に広がる。これは何だろう? 
 帰ろう、ニヨカイの店へ。私にできることがある。利口で人の良い雇い主が子守から子供を受け取り、私の帰りを今かと待っていることだろう。そして森で待つ弟のために、しなくてはならないことがあるではないか。
 道を見据え、しっかりとした足取りで、サウビは帰り道を急いだ。

 アマベキの家で食事に呼ばれたあと、宿に帰るついでだからとノキエはサウビを送った。
「あんたは草原の村にいた俺と、同じことになっていると聞いた」
 道を歩きながら、ノキエが言う。
「はい。でも今日、何か掴めそうな気がしたんです」
 夕方に店に戻っても、サウビの瞳は輝いたままだった。胸の奥に何か明るいものが灯り、手足に力が漲っている気がする。
「焦らなくていいんだ。アマベキもニヨカイも、ちゃんとわかっているから」
 ふたりで言葉少なに歩き、店の前に到着した。

 夜の挨拶をしようとすると、すっとノキエの手が伸びて、サウビの簪に触れた。
「この花」
 そう言って一度目を閉じ、ゆっくり開いてから続ける。
「この花を、あんたと一緒に見たいものだな」
 どう答えて良いのか、サウビにはわからない。
「北の春はまだ遠いが、マウニの出産よりは早いだろう。美しい春が来るのを待っている」
 おやすみと言って、ノキエは踵を返した。サウビは、おやすみなさいとしか返事ができなかった。

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