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店に戻ると、ニヨカイが心配そうな顔で出迎えた。
「サウビ、どうしてしまったの? 様子がおかしかったから、誰かを探しにやろうとしていたのよ」
つい数時間前に冷たく聞こえたニヨカイの言葉は、とても暖かかった。ニヨカイの態度が変わったのではなく、やはりサウビの受け取り方がねじ曲がっていたのだ。
「私はどうも、少し壊れてしまっているようです。それでも私がここで働くことを、許していただけますか」
ニヨカイの前で、サウビは膝を折った。ノキエが何年も抱えてきた感情を、サウビも抱えなくてはならないのかも知れない。ノキエのように人から離れた生活ではなく、この雑踏の中で。
「それはどういうことなの。私にも話してちょうだい。今晩、私たちの家にいらっしゃい。ノキエのことならば、アマベキが一番よく知っているわ。一緒に考えさせて欲しいの」
母親のような言葉に、サウビは顔を覆った。助けが必要なのは身体の危険だけじゃない。もしも何かの手がかりが得られるのならば、それが欲しい。
何も思い煩うことのない居心地の良いノキエの家から離れれば、自分がどうしたいのか考えることができるはずだった。それなのに自分はバザールの中でも、ノキエの家と同じように庇われる生活をしていただけだ。生活している場所にひとりきりだという理由で、もうすっかり自分は問題なく生きていると思っていたが、揺さぶられれば呆気なく崩れてしまう。
キズミとラツカの宿に今晩は留守だと託けて、サウビはアマベキの家で長い話をした。ノキエが火の村から戻ったあとの状態を知っているアマベキは飲み込みが早く、サウビを安心させた。
「身体の中に熾火が燻っていて、ときどき薪がくべられてしまうと言っていた。俺もよくわからないのだが、薪だけでは火は燃えない。どうやったら熾火を消せるのか考えよう」
アマベキに送られて店に戻る途中、謝罪があった。
「実はサウビと話をしたいとか、縁談の口を利いてくれという話が、いくつも来ている。ニヨカイと相談して、全部断っていた。サウビの考えを確認もしていないのに、悪かった」
「ありがとうございます。私はもう、夫を持ちたいとは思いません」
そう答えると、アマベキは微かに笑う。
「ノキエの奴も、嫁は取らないと言っていたな。ノキエもサウビも、きっと言ったことを後悔するさ」
そして夜の挨拶をして、帰って行った。
翌日、キズミだけが店に訪れた。
「ラツカが本屋に張り付いていて、つきあっていられない。彼が使える金は僅かだから、あれもこれもと迷っているみたいだ」
この店に入れることはできないからとお茶一杯分の休憩をもらい、アマベキの店に導いた。
「実はサウビの両親から、頼まれていることがある。ラツカは勉強熱心で、賢い子だ。バザールの中に、彼が勉強しながら働ける場所はあるだろうか」
「たとえあったとしても、私が紹介できるような立場じゃないわ」
ラツカに勉強させたいのは山々でも、彼が寄宿して働けるような場所の提供はできない。サウビと共棲みするとしたって、サウビが養えるわけじゃない。
「いくつか当たったんだが、俺にはよくわからない。こっちが長いサウビなら、適当な相手を思いつくかと」
「思いつくことはないけれど、でも」
何か良いことを考えたように、サウビの目が開いた。
「今回は見に来ただけなのでしょう? まだラツカは、家にいられるのでしょう?」
「ああ、もちろんだ。父さんはまだ働けるし、俺とイケレに子供はできていない」
自分の考えにワクワクすることがあることを、サウビは思い出した。働き口を探すにしても他の村で学ぶにしても、北の森では耳に入らない情報が、バザールでは手に入る。ラツカの進む道を、提示できるかも知れないのだ。
今まで迎えるだけだった客と、話してみよう。その人がどんな性格でどういう生活をしているのか知れば、得られる情報の内容を知ることができる。目の前が開け、自分がバザールで働く意味を見つけた気がする。北の森を豊かにしたいと思っていたのは間違いないが、それはサウビの力だけでは動かない。けれどラツカのために働くことなら、今すぐにでもできるではないか。
ふと、身体の上から何かが退いた気がした。何を見ていなかったのか、そこからはじめるのだ。ノキエもこんな風に、目が開いたのだろうか。そうして自分が見ていなかったものが見えるようになれば、自分が何をしたいのかわかる予感が、サウビの中の確信になった。
「サウビ、どうしてしまったの? 様子がおかしかったから、誰かを探しにやろうとしていたのよ」
つい数時間前に冷たく聞こえたニヨカイの言葉は、とても暖かかった。ニヨカイの態度が変わったのではなく、やはりサウビの受け取り方がねじ曲がっていたのだ。
「私はどうも、少し壊れてしまっているようです。それでも私がここで働くことを、許していただけますか」
ニヨカイの前で、サウビは膝を折った。ノキエが何年も抱えてきた感情を、サウビも抱えなくてはならないのかも知れない。ノキエのように人から離れた生活ではなく、この雑踏の中で。
「それはどういうことなの。私にも話してちょうだい。今晩、私たちの家にいらっしゃい。ノキエのことならば、アマベキが一番よく知っているわ。一緒に考えさせて欲しいの」
母親のような言葉に、サウビは顔を覆った。助けが必要なのは身体の危険だけじゃない。もしも何かの手がかりが得られるのならば、それが欲しい。
何も思い煩うことのない居心地の良いノキエの家から離れれば、自分がどうしたいのか考えることができるはずだった。それなのに自分はバザールの中でも、ノキエの家と同じように庇われる生活をしていただけだ。生活している場所にひとりきりだという理由で、もうすっかり自分は問題なく生きていると思っていたが、揺さぶられれば呆気なく崩れてしまう。
キズミとラツカの宿に今晩は留守だと託けて、サウビはアマベキの家で長い話をした。ノキエが火の村から戻ったあとの状態を知っているアマベキは飲み込みが早く、サウビを安心させた。
「身体の中に熾火が燻っていて、ときどき薪がくべられてしまうと言っていた。俺もよくわからないのだが、薪だけでは火は燃えない。どうやったら熾火を消せるのか考えよう」
アマベキに送られて店に戻る途中、謝罪があった。
「実はサウビと話をしたいとか、縁談の口を利いてくれという話が、いくつも来ている。ニヨカイと相談して、全部断っていた。サウビの考えを確認もしていないのに、悪かった」
「ありがとうございます。私はもう、夫を持ちたいとは思いません」
そう答えると、アマベキは微かに笑う。
「ノキエの奴も、嫁は取らないと言っていたな。ノキエもサウビも、きっと言ったことを後悔するさ」
そして夜の挨拶をして、帰って行った。
翌日、キズミだけが店に訪れた。
「ラツカが本屋に張り付いていて、つきあっていられない。彼が使える金は僅かだから、あれもこれもと迷っているみたいだ」
この店に入れることはできないからとお茶一杯分の休憩をもらい、アマベキの店に導いた。
「実はサウビの両親から、頼まれていることがある。ラツカは勉強熱心で、賢い子だ。バザールの中に、彼が勉強しながら働ける場所はあるだろうか」
「たとえあったとしても、私が紹介できるような立場じゃないわ」
ラツカに勉強させたいのは山々でも、彼が寄宿して働けるような場所の提供はできない。サウビと共棲みするとしたって、サウビが養えるわけじゃない。
「いくつか当たったんだが、俺にはよくわからない。こっちが長いサウビなら、適当な相手を思いつくかと」
「思いつくことはないけれど、でも」
何か良いことを考えたように、サウビの目が開いた。
「今回は見に来ただけなのでしょう? まだラツカは、家にいられるのでしょう?」
「ああ、もちろんだ。父さんはまだ働けるし、俺とイケレに子供はできていない」
自分の考えにワクワクすることがあることを、サウビは思い出した。働き口を探すにしても他の村で学ぶにしても、北の森では耳に入らない情報が、バザールでは手に入る。ラツカの進む道を、提示できるかも知れないのだ。
今まで迎えるだけだった客と、話してみよう。その人がどんな性格でどういう生活をしているのか知れば、得られる情報の内容を知ることができる。目の前が開け、自分がバザールで働く意味を見つけた気がする。北の森を豊かにしたいと思っていたのは間違いないが、それはサウビの力だけでは動かない。けれどラツカのために働くことなら、今すぐにでもできるではないか。
ふと、身体の上から何かが退いた気がした。何を見ていなかったのか、そこからはじめるのだ。ノキエもこんな風に、目が開いたのだろうか。そうして自分が見ていなかったものが見えるようになれば、自分が何をしたいのかわかる予感が、サウビの中の確信になった。
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