薔薇は暁に香る

蒲公英

文字の大きさ
上 下
88 / 107

88.

しおりを挟む
 ある日、ひとりの夫人が訪ねてきた。
「ああ、買い物ではないのよ。そのお嬢さんに用があるの」
 勝手に接客用の椅子に座り、サウビに向かって言う。他人に命令することに慣れた、尊大な態度だ。警戒したニヨカイが、子供を抱き寄せてサウビの隣に立った。夫人は鼻先で小さく笑い、ささやかな商売だこと、と呟く。
「店主はお留守かしら」
「私ですが」
 一歩前に出たニヨカイは、迷惑顔を隠そうともしなかった。
「あら、女が店を持つだなんて。しかも幼い子供を抱えて働くなんて、ご主人は余程稼ぎがないのかしら」
 夫人は失礼なことを言っているつもりはないらしく、世間話のような調子で言う。
「喉が渇いたわ。お茶を出してちょうだい」
 用意しようとするサウビを止め、ニヨカイに言う。
「あなたに話があるの。女店主さん、あなたに言ったのよ」
 そしてサウビに、向かいに座るように指示した。

 買い物ではないと最初に断っているのだから、客ではない。客ではない相手に出す茶などなく、店を整える時間は必要でも、話し相手をする義理もないのだ。
「店主を立ち働かせて、私が座るわけにはまいりません、奥様」
 サウビはやんわりと拒否をした。この嵩高い夫人と向かい合って、何かを命じられるのは嫌だ。
「面倒なのね、まあいいわ。率直に言うと、私の息子があなたを嫁に欲しいと言うの。そうなればこんな小さな店であくせく働かなくても、夫に仕える生活ができるのよ。あら、お茶はまだ?」
 ニヨカイは店の奥に入ったきり、顔を出さない。当たり前に不愉快で、顔も見たくないのだろう。サウビが自分で断るしかない。
「奥様。私はこの店に満足していますし、誰かに嫁入りするつもりはありません。先程ご子息とおっしゃいましたが、そのかたの見当がつきません。お引き取りください」
「知らないですって? それならこれから、ここに呼ぶわ」
 勢い込む夫人の言葉を、サウビは遮った。
「ここは女のための店です。そんな場所に男を呼ぼうとする家になど、ますます嫁入りしたくありません。お引き取りください」
 騒ごうとする夫人を、押し出すように扉まで連れて行く。
「なんて生意気なの。こんな店は使わないように、友達に言って歩いてやるわ」
「それなら私も適齢期のお客様に、自分で求婚することもできない男の話をしますわ、絨毯屋の奥様」
 身元は知っているのだぞと強調し、サウビは夫人を店の外に出した。外に出す時に夫人の腕を掴んだ手が、汚れたような気がした。

 奥からニヨカイがケタケタ笑いながら、顔を出した。子供を長椅子に寝かしつけたらしい。
「良い手並みだったわ、サウビ。でも少し惜しいわね。あの絨毯屋なら、一生贅沢な生活ができるのに」
「お金を持った家に嫁いだからって、贅沢な生活ができるとは限りませんよ。それにあの奥様のいる家に嫁に入ったりしたら、一日中あれこれ命令されそうだわ」
 ニヨカイはまだ笑い、サウビの顔を覗き込んだ。
「サウビはもう、大丈夫そうね。あなたは強気な相手に対して、怯まなかった」
 他人を受け入れることが上手だと、以前褒められた。けれど自分の意にそぐわないことを拒否することも、同じくらい大切なのだとニヨカイは言う。そうでないと流されてしまうと。

 またあるとき、通りでひとりの男に声をかけられた。初老の男は、サウビをジロジロと上から下まで眺めた。
「あんた、ツゲヌイの内儀さんだった女だろう?」
 サウビはその男に見覚えがない。
「後家だとか言って、布を商っているらしいじゃないか。亭主は乞食になり下がったのにねえ」
 曖昧に返事して場を離れようとしたサウビの前に、男はまわりこむ。
「北の布の店だってな。俺ならあんたに、店を一軒持たせてやるよ。北の田舎者から俺が安く買い付けて来て、あんたが売る。ツゲヌイに卸していたものさえ買ってくれりゃ、俺も元が取れる。店の家賃は、俺が週に一度通うことでチャラにしてやるよ」
 下衆な視線をサウビの胸のあたりに留め、男は楽しそうに笑う。
「女盛りを持て余してるんじゃないのか? え? どうだい、男の身体と金の両方が手に入る」
 瞬間的に、殴りかかってしまいそうだった。握りしめた拳をどうにかこらえ、怒りで震えてくる足を宥めるのが精一杯だ。そんなサウビに頓着せず、男は続ける。
「最近は北の田舎者たちも生意気になって、売値を吊り上げようとしやがる。なあに、ちょっと買い控えて脅してやれば、元の通りになるさ。儲けが減るのは、お互いに面白くないだろう?」

 殴りかかるかわりに、サウビは持っていたパンの包みを男に投げつけた。
「なんて下衆な男なの。私を北の森のサウビだと知らないのね。北の森は、あんたになんて二度と布を扱わせないわ」
 足を踏み鳴らし、怒りをあらわにする。
「女のくせに、男に逆らうのか」
「男に逆らうことなんて、もう怖くないのよ。あんたもツゲヌイのように、物乞いをして歩くようになればいいんだわ」
 男はサウビの肩を掴み、路地まで追い詰めようとする。そうか、こんなときは声を出せば良いのだ。
「助けて! この男が私に乱暴しようとする!」
 サウビの叫びを耳にした数人が寄ってくると、男は舌打ちして逃げて行った。駆けつけた人に大丈夫かと労られながら、サウビは腹の奥から息を吐いた。
 大丈夫、ちゃんと自分で助けを求めることができた。ノキエの名を呼ばなくても。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

妻がエロくて死にそうです

菅野鵜野
大衆娯楽
うだつの上がらないサラリーマンの士郎。だが、一つだけ自慢がある。 美しい妻、美佐子だ。同じ会社の上司にして、できる女で、日本人離れしたプロポーションを持つ。 こんな素敵な人が自分のようなフツーの男を選んだのには訳がある。 それは…… 限度を知らない性欲モンスターを妻に持つ男の日常

お嬢様、お仕置の時間です。

moa
恋愛
私は御門 凛(みかど りん)、御門財閥の長女として産まれた。 両親は跡継ぎの息子が欲しかったようで女として産まれた私のことをよく思っていなかった。 私の世話は執事とメイド達がしてくれていた。 私が2歳になったとき、弟の御門 新(みかど あらた)が産まれた。 両親は念願の息子が産まれたことで私を執事とメイド達に渡し、新を連れて家を出ていってしまった。 新しい屋敷を建ててそこで暮らしているそうだが、必要な費用を送ってくれている以外は何も教えてくれてくれなかった。 私が小さい頃から執事としてずっと一緒にいる氷川 海(ひかわ かい)が身の回りの世話や勉強など色々してくれていた。 海は普段は優しくなんでもこなしてしまう完璧な執事。 しかし厳しいときは厳しくて怒らせるとすごく怖い。 海は執事としてずっと一緒にいると思っていたのにある日、私の中で何か特別な感情がある事に気付く。 しかし、愛を知らずに育ってきた私が愛と知るのは、まだ先の話。

ロリっ子がおじさんに種付けされる話

オニオン太郎
大衆娯楽
なろうにも投稿した奴です

♡蜜壺に指を滑り込ませて蜜をクチュクチュ♡

x頭金x
大衆娯楽
♡ちょっとHなショートショート♡年末まで毎日5本投稿中!!

連れ子が中学生に成長して胸が膨らむ・・・1人での快感にも目覚て恥ずかしそうにベッドの上で寝る

マッキーの世界
大衆娯楽
連れ子が成長し、中学生になった。 思春期ということもあり、反抗的な態度をとられる。 だが、そんな反抗的な表情も妙に俺の心を捉えて離さない。 「ああ、抱きたい・・・」

体育教師に目を付けられ、理不尽な体罰を受ける女の子

恩知らずなわんこ
現代文学
入学したばかりの女の子が体育の先生から理不尽な体罰をされてしまうお話です。

[恥辱]りみの強制おむつ生活

rei
大衆娯楽
中学三年生になる主人公倉持りみが集会中にお漏らしをしてしまい、おむつを当てられる。 保健室の先生におむつを当ててもらうようにお願い、クラスメイトの前でおむつ着用宣言、お漏らしで小学一年生へ落第など恥辱にあふれた作品です。

処理中です...