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私も部屋を整えることを手伝う言い張り、マウニは一緒にライギヒの荷車に乗り込んだ。
「サウビがどんなところを宛がわれるのか、ちゃんと見たいもの。もしも下働き小屋みたいなところなら、連れて帰ってくるんだから」
唇を尖らせて主張するマウニを、ギヌクは苦笑いで許した。下に扱うなんてノキエが許すわけはなく、まして今回はじめる商売はサウビの存在がとても大きく作用するのだ。ただ寂しがって別れを惜しむマウニが、少しでも納得できるようにとの心遣いがある。
戸締りを済ませて、あとはギヌクに頭を下げた。しばらく留守しても大丈夫なように片付けたつもりだけれど、ときどき風を通してくださいと頼んだあとに、自分の家ではないのにと自嘲した。短い期間に、自分はこの家にどれだけ依存してしまったのだろう。
アマベキの店の近くに借りたという小さな店は、狭い階段が屋根裏に通じており、小さいながらも湯を使える場所まであった。小さなストーブで煮炊きもでき、ひとりで住むのならば不自由はなさそうだ。バザールでは村とは違って、パンや焼き菓子は買うことができる。
窓に布をかけ表に花を飾ることからはじめる商売の支度は、アマベキの奥さん主導で行われることになっている。小さな子供を抱えた彼女は、嬉しそうにサウビを迎えた。
「よく来てくれたわ。とても働き者だとノキエもギヌクも保証してくれているし、北の森としっかり話が通じるなんて、本当に有難いことよ」
はにかんだ顔で微笑むサウビの前に立ち、マウニが宣言する。
「私の大切なお友達なのよ、ニヨカイ。こき使ったら承知しないわ」
「あら、怖い。連れて帰られないように、大切にしなくては」
そこでサウビが笑う。
「マウニにわからないように、こっそりとこき使ってください」
バザールに暮らす人と、冗談が交わせるとは思っていなかった。虐げられることと哀れまれることしか記憶にないバザールの住民たちは、本当はどんな顔をしているのだろう。
一緒に眠るのだと一晩泊まったマウニが、アマベキの家に泊まったライギヒに連れられて帰ったあと、サウビは寝台に腰掛けて部屋を見回した。自分しかいない場所は頼りなく、考えてみればひとりで生活したことなど、なかったのだ。けれどツゲヌイの下で絶望していたときに、身を売るのか行き倒れるのかと自分を諫めていたのが、まったく嘘のように平和だ。もしかするとあの頃に逃げ出しても、自分が考えていたよりも遥かにマシな生活ができていたのかも知れない。あんなに怖かったひとりの生活が、大した心配もなくはじまってしまった。
もちろん幸運なめぐりあわせはあって、自分だけで逃げ出しても夜の街に立っていたかも知れない。今は考えても仕方のないことだ。サウビはこうして、バザールに居を決めてしまったのだから。
慌ただしく職人が出入りして、店の入り口に飾りタイルが張られたり棚が作られたりしていく。子供を連れたアマベキの奥さん、つまりニヨカイと一緒にそれを確認し、窓布の色を決めて飾り付けるのは楽しかった。家具職人が運び込んだ椅子の形すら、サウビの好みが反映されるのは嬉しい。これから次々に咲くという花を買い求め、店の入り口を飾る。忙しく過ごす昼の時間は充実し、自分が必要とされている喜びがある。
そして自分だけの食卓を整える夜がやってくる。バザールは暗くなるまで人が動いている。狭い部屋に不似合いな明るいランプで、自分のためだけのスープを作り、買ってきたパンを浸すのだ。向かい側にノキエはいない。夕暮れの残る庭が見える窓もない。匙を持つ手が止まると、そのまま飲み下すことができなくなってしまう。自分を励まし食事を終えると、また部屋の中をぐるりと見回して肩を落とす。
北の森から、ずいぶん遠い所へ来てしまった。ノキエの家にいたときに抱いた郷愁とは別の、溜息を吐くような感情だった。
「サウビがどんなところを宛がわれるのか、ちゃんと見たいもの。もしも下働き小屋みたいなところなら、連れて帰ってくるんだから」
唇を尖らせて主張するマウニを、ギヌクは苦笑いで許した。下に扱うなんてノキエが許すわけはなく、まして今回はじめる商売はサウビの存在がとても大きく作用するのだ。ただ寂しがって別れを惜しむマウニが、少しでも納得できるようにとの心遣いがある。
戸締りを済ませて、あとはギヌクに頭を下げた。しばらく留守しても大丈夫なように片付けたつもりだけれど、ときどき風を通してくださいと頼んだあとに、自分の家ではないのにと自嘲した。短い期間に、自分はこの家にどれだけ依存してしまったのだろう。
アマベキの店の近くに借りたという小さな店は、狭い階段が屋根裏に通じており、小さいながらも湯を使える場所まであった。小さなストーブで煮炊きもでき、ひとりで住むのならば不自由はなさそうだ。バザールでは村とは違って、パンや焼き菓子は買うことができる。
窓に布をかけ表に花を飾ることからはじめる商売の支度は、アマベキの奥さん主導で行われることになっている。小さな子供を抱えた彼女は、嬉しそうにサウビを迎えた。
「よく来てくれたわ。とても働き者だとノキエもギヌクも保証してくれているし、北の森としっかり話が通じるなんて、本当に有難いことよ」
はにかんだ顔で微笑むサウビの前に立ち、マウニが宣言する。
「私の大切なお友達なのよ、ニヨカイ。こき使ったら承知しないわ」
「あら、怖い。連れて帰られないように、大切にしなくては」
そこでサウビが笑う。
「マウニにわからないように、こっそりとこき使ってください」
バザールに暮らす人と、冗談が交わせるとは思っていなかった。虐げられることと哀れまれることしか記憶にないバザールの住民たちは、本当はどんな顔をしているのだろう。
一緒に眠るのだと一晩泊まったマウニが、アマベキの家に泊まったライギヒに連れられて帰ったあと、サウビは寝台に腰掛けて部屋を見回した。自分しかいない場所は頼りなく、考えてみればひとりで生活したことなど、なかったのだ。けれどツゲヌイの下で絶望していたときに、身を売るのか行き倒れるのかと自分を諫めていたのが、まったく嘘のように平和だ。もしかするとあの頃に逃げ出しても、自分が考えていたよりも遥かにマシな生活ができていたのかも知れない。あんなに怖かったひとりの生活が、大した心配もなくはじまってしまった。
もちろん幸運なめぐりあわせはあって、自分だけで逃げ出しても夜の街に立っていたかも知れない。今は考えても仕方のないことだ。サウビはこうして、バザールに居を決めてしまったのだから。
慌ただしく職人が出入りして、店の入り口に飾りタイルが張られたり棚が作られたりしていく。子供を連れたアマベキの奥さん、つまりニヨカイと一緒にそれを確認し、窓布の色を決めて飾り付けるのは楽しかった。家具職人が運び込んだ椅子の形すら、サウビの好みが反映されるのは嬉しい。これから次々に咲くという花を買い求め、店の入り口を飾る。忙しく過ごす昼の時間は充実し、自分が必要とされている喜びがある。
そして自分だけの食卓を整える夜がやってくる。バザールは暗くなるまで人が動いている。狭い部屋に不似合いな明るいランプで、自分のためだけのスープを作り、買ってきたパンを浸すのだ。向かい側にノキエはいない。夕暮れの残る庭が見える窓もない。匙を持つ手が止まると、そのまま飲み下すことができなくなってしまう。自分を励まし食事を終えると、また部屋の中をぐるりと見回して肩を落とす。
北の森から、ずいぶん遠い所へ来てしまった。ノキエの家にいたときに抱いた郷愁とは別の、溜息を吐くような感情だった。
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