薔薇は暁に香る

蒲公英

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 僧院へ行くと出て行ったノキエを見送り、サウビは肩の力を抜いた。人間が居住していれば部屋には埃が立つし、洗濯物も出る。部屋の埃を払い、掃き出し、ストーブの灰を始末して薪を運び、敷布を交換してノキエの洗濯物を回収する。これは普段のサウビの仕事だし、そのために雇われているのだ。だからそれを見たノキエが、何も言わなくても不思議ではない。ノキエのいる部屋には用事がない限り入らないようにはしているが、ノキエ自身はサウビが働いていれば、礼を言う。あまつさえ留まって軽口を交わすことさえある。それがバザールから戻ってから、途絶えている。
 馬の世話をしていたノキエが部屋に戻り、サウビが仕事している横を無言で通り抜けて、机の引き出しから何かを出したあと、靴を履き替えた。
「どちらかへお出掛けですか」
「僧院」
 単語だけの返事で扉を開けるノキエを追って、玄関でマントを渡した。無言で受け取ったノキエは、サウビの顔を見ない。
「行ってらっしゃいませ」
 声を出したのは、サウビだけだった。

 何かしたのだろうか。ノキエの機嫌を損ねるようなことを、自分はしてしまったのか。少々忙しくなったからと言ったきり、毎々の食事を自分の部屋で摂り、盆を扉の外に出すだけだなんて。ストーブの端で温めておいたパンも、前の日から時間をかけて煮たスープも、どんな顔で口に入れているのか見えない。ポットに入れただけのお茶は、飲むころには冷たくなっているのではないだろうか。それでもサウビと食卓を共にしたくないのか。
 それに不満を抱くほど、自分はノキエとの生活に依存しているのか。それに思い至ったとき、サウビは自分の立場を知った。

 これが本来の関係なのだ。サウビは家の中の管理をし、過不足のない居心地の良さを提供するのが仕事だ。ノキエは雇い主であり、家の管理に対する給金を払いさえすれば、サウビに対する礼は済んでいるのである。サウビの都合や感情になど、構う必要は微塵もない。
 今までが幸運過ぎたのだ。虐げられた境遇から救われ、その繋がりを断ち切ることを助けられ、逆に切れてしまったかと思うような絆を取り戻してくれた。まるで家族のように扱われ、すっかり打ち解けて、それが続いて行くのが当然のように。
 立場を弁えない使用人だと、腹の底では思っていたのかも知れない。出先で看病してもらった礼は、足りなかったろうか。森の人々を案内してもらった礼は。ムケカシ親子に侮辱されたときは、その前にツゲヌイの家まで助けに来てくれたときのことは。思い返せば、あれもこれも自分があまりにも図々しく、礼儀知らずだったように思う。
 もっと早くに気がつかなくてはいけなかった。やさしいノキエにあんな態度を取らせる前に、自分が一歩下がらなくてはならなかったのだ。唇を噛み締めて、盥の中の敷布を踏む。凍てつくような寒さは和らいでも、まだ水は冷たい。


 私の大切な姉さん、サウビ

 昨日森に戻りました。
 そちらに比べると、森は寒いです。
 もう具合は良くなったかしら。
 ノキエさんが看ていてくれたから少しは安心ですが、やっぱり心配。
 バザールでは大変お世話になったので、心から感謝しているとお伝えください。
 貧しいこちらでは大層なお礼はできませんが、別の包みで送ったものをお渡しください。
 みんなで相談して決めたのですが、少しはお気に召すといいな。
 あと、私とキズミにショールとマントも有難うと。
 バザールを見回るためにお借りしたものだと思っていたら、持って帰れと言われて驚きました。
 新しいショールはやはり暖かいので、母さんの外出のときに使ってもらっています。
 バザールに出発する前に、姉さんの手紙と一緒にノキエさんからも手紙をもらいました。
 織物の見本と刺繍の見本を見せて欲しいなんて、まるで商人のようだと驚きましたが、もっと驚いたのはアマベキさんに対してでした。
 森に買い付けに来る商人たちとは、彼はまるで違います。
 姉さんは知っていたかしら?
 彼は私たちに、これをいくらで売りたいのか、織ったり刺したりに時間はどれくらいかかるのか、と質問してきたのです。
 できあがったものを少しでも安く買おうとする商人しか知らない私たちは、上手く質問に答えられませんでした。
 アマベキさんとノキエさんは笑って、しばらく調査したら手紙を出すと約束してくれました。
 どんな調査をして、何のための手紙なのでしょう。
 一緒に旅に行った人たちは、今日も興奮して集まっています。
 こちらの寂しい森と煌びやかな街が、別の世界のようです。
 姉さんは、あの騒々しく混沌とした場所で暮らしていたのね。
 私には疲れてしまって、とても無理なことだと思いました。
 父さんも母さんもラツカも、姉さんからの贈り物をとても喜んで、様子を知りたがっているわ。
 おそらく今日も食卓の話題は、姉さんのことです。
 またきっと、会えますね。

          歩き疲れて足が痛い妹、イケレ


 一緒に届いた荷物は、ノキエの部屋に運んだ。服地だろうと予想はしたが、質問はしなかった。もしも仕立てが必要ならば、ノキエから指示があるだろう。余計な口出しや軽口は、控えなくてはならないのだ。
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