68 / 107
68.
しおりを挟む
僧院へ行くと出て行ったノキエを見送り、サウビは肩の力を抜いた。人間が居住していれば部屋には埃が立つし、洗濯物も出る。部屋の埃を払い、掃き出し、ストーブの灰を始末して薪を運び、敷布を交換してノキエの洗濯物を回収する。これは普段のサウビの仕事だし、そのために雇われているのだ。だからそれを見たノキエが、何も言わなくても不思議ではない。ノキエのいる部屋には用事がない限り入らないようにはしているが、ノキエ自身はサウビが働いていれば、礼を言う。あまつさえ留まって軽口を交わすことさえある。それがバザールから戻ってから、途絶えている。
馬の世話をしていたノキエが部屋に戻り、サウビが仕事している横を無言で通り抜けて、机の引き出しから何かを出したあと、靴を履き替えた。
「どちらかへお出掛けですか」
「僧院」
単語だけの返事で扉を開けるノキエを追って、玄関でマントを渡した。無言で受け取ったノキエは、サウビの顔を見ない。
「行ってらっしゃいませ」
声を出したのは、サウビだけだった。
何かしたのだろうか。ノキエの機嫌を損ねるようなことを、自分はしてしまったのか。少々忙しくなったからと言ったきり、毎々の食事を自分の部屋で摂り、盆を扉の外に出すだけだなんて。ストーブの端で温めておいたパンも、前の日から時間をかけて煮たスープも、どんな顔で口に入れているのか見えない。ポットに入れただけのお茶は、飲むころには冷たくなっているのではないだろうか。それでもサウビと食卓を共にしたくないのか。
それに不満を抱くほど、自分はノキエとの生活に依存しているのか。それに思い至ったとき、サウビは自分の立場を知った。
これが本来の関係なのだ。サウビは家の中の管理をし、過不足のない居心地の良さを提供するのが仕事だ。ノキエは雇い主であり、家の管理に対する給金を払いさえすれば、サウビに対する礼は済んでいるのである。サウビの都合や感情になど、構う必要は微塵もない。
今までが幸運過ぎたのだ。虐げられた境遇から救われ、その繋がりを断ち切ることを助けられ、逆に切れてしまったかと思うような絆を取り戻してくれた。まるで家族のように扱われ、すっかり打ち解けて、それが続いて行くのが当然のように。
立場を弁えない使用人だと、腹の底では思っていたのかも知れない。出先で看病してもらった礼は、足りなかったろうか。森の人々を案内してもらった礼は。ムケカシ親子に侮辱されたときは、その前にツゲヌイの家まで助けに来てくれたときのことは。思い返せば、あれもこれも自分があまりにも図々しく、礼儀知らずだったように思う。
もっと早くに気がつかなくてはいけなかった。やさしいノキエにあんな態度を取らせる前に、自分が一歩下がらなくてはならなかったのだ。唇を噛み締めて、盥の中の敷布を踏む。凍てつくような寒さは和らいでも、まだ水は冷たい。
私の大切な姉さん、サウビ
昨日森に戻りました。
そちらに比べると、森は寒いです。
もう具合は良くなったかしら。
ノキエさんが看ていてくれたから少しは安心ですが、やっぱり心配。
バザールでは大変お世話になったので、心から感謝しているとお伝えください。
貧しいこちらでは大層なお礼はできませんが、別の包みで送ったものをお渡しください。
みんなで相談して決めたのですが、少しはお気に召すといいな。
あと、私とキズミにショールとマントも有難うと。
バザールを見回るためにお借りしたものだと思っていたら、持って帰れと言われて驚きました。
新しいショールはやはり暖かいので、母さんの外出のときに使ってもらっています。
バザールに出発する前に、姉さんの手紙と一緒にノキエさんからも手紙をもらいました。
織物の見本と刺繍の見本を見せて欲しいなんて、まるで商人のようだと驚きましたが、もっと驚いたのはアマベキさんに対してでした。
森に買い付けに来る商人たちとは、彼はまるで違います。
姉さんは知っていたかしら?
彼は私たちに、これをいくらで売りたいのか、織ったり刺したりに時間はどれくらいかかるのか、と質問してきたのです。
できあがったものを少しでも安く買おうとする商人しか知らない私たちは、上手く質問に答えられませんでした。
アマベキさんとノキエさんは笑って、しばらく調査したら手紙を出すと約束してくれました。
どんな調査をして、何のための手紙なのでしょう。
一緒に旅に行った人たちは、今日も興奮して集まっています。
こちらの寂しい森と煌びやかな街が、別の世界のようです。
姉さんは、あの騒々しく混沌とした場所で暮らしていたのね。
私には疲れてしまって、とても無理なことだと思いました。
父さんも母さんもラツカも、姉さんからの贈り物をとても喜んで、様子を知りたがっているわ。
おそらく今日も食卓の話題は、姉さんのことです。
またきっと、会えますね。
歩き疲れて足が痛い妹、イケレ
一緒に届いた荷物は、ノキエの部屋に運んだ。服地だろうと予想はしたが、質問はしなかった。もしも仕立てが必要ならば、ノキエから指示があるだろう。余計な口出しや軽口は、控えなくてはならないのだ。
馬の世話をしていたノキエが部屋に戻り、サウビが仕事している横を無言で通り抜けて、机の引き出しから何かを出したあと、靴を履き替えた。
「どちらかへお出掛けですか」
「僧院」
単語だけの返事で扉を開けるノキエを追って、玄関でマントを渡した。無言で受け取ったノキエは、サウビの顔を見ない。
「行ってらっしゃいませ」
声を出したのは、サウビだけだった。
何かしたのだろうか。ノキエの機嫌を損ねるようなことを、自分はしてしまったのか。少々忙しくなったからと言ったきり、毎々の食事を自分の部屋で摂り、盆を扉の外に出すだけだなんて。ストーブの端で温めておいたパンも、前の日から時間をかけて煮たスープも、どんな顔で口に入れているのか見えない。ポットに入れただけのお茶は、飲むころには冷たくなっているのではないだろうか。それでもサウビと食卓を共にしたくないのか。
それに不満を抱くほど、自分はノキエとの生活に依存しているのか。それに思い至ったとき、サウビは自分の立場を知った。
これが本来の関係なのだ。サウビは家の中の管理をし、過不足のない居心地の良さを提供するのが仕事だ。ノキエは雇い主であり、家の管理に対する給金を払いさえすれば、サウビに対する礼は済んでいるのである。サウビの都合や感情になど、構う必要は微塵もない。
今までが幸運過ぎたのだ。虐げられた境遇から救われ、その繋がりを断ち切ることを助けられ、逆に切れてしまったかと思うような絆を取り戻してくれた。まるで家族のように扱われ、すっかり打ち解けて、それが続いて行くのが当然のように。
立場を弁えない使用人だと、腹の底では思っていたのかも知れない。出先で看病してもらった礼は、足りなかったろうか。森の人々を案内してもらった礼は。ムケカシ親子に侮辱されたときは、その前にツゲヌイの家まで助けに来てくれたときのことは。思い返せば、あれもこれも自分があまりにも図々しく、礼儀知らずだったように思う。
もっと早くに気がつかなくてはいけなかった。やさしいノキエにあんな態度を取らせる前に、自分が一歩下がらなくてはならなかったのだ。唇を噛み締めて、盥の中の敷布を踏む。凍てつくような寒さは和らいでも、まだ水は冷たい。
私の大切な姉さん、サウビ
昨日森に戻りました。
そちらに比べると、森は寒いです。
もう具合は良くなったかしら。
ノキエさんが看ていてくれたから少しは安心ですが、やっぱり心配。
バザールでは大変お世話になったので、心から感謝しているとお伝えください。
貧しいこちらでは大層なお礼はできませんが、別の包みで送ったものをお渡しください。
みんなで相談して決めたのですが、少しはお気に召すといいな。
あと、私とキズミにショールとマントも有難うと。
バザールを見回るためにお借りしたものだと思っていたら、持って帰れと言われて驚きました。
新しいショールはやはり暖かいので、母さんの外出のときに使ってもらっています。
バザールに出発する前に、姉さんの手紙と一緒にノキエさんからも手紙をもらいました。
織物の見本と刺繍の見本を見せて欲しいなんて、まるで商人のようだと驚きましたが、もっと驚いたのはアマベキさんに対してでした。
森に買い付けに来る商人たちとは、彼はまるで違います。
姉さんは知っていたかしら?
彼は私たちに、これをいくらで売りたいのか、織ったり刺したりに時間はどれくらいかかるのか、と質問してきたのです。
できあがったものを少しでも安く買おうとする商人しか知らない私たちは、上手く質問に答えられませんでした。
アマベキさんとノキエさんは笑って、しばらく調査したら手紙を出すと約束してくれました。
どんな調査をして、何のための手紙なのでしょう。
一緒に旅に行った人たちは、今日も興奮して集まっています。
こちらの寂しい森と煌びやかな街が、別の世界のようです。
姉さんは、あの騒々しく混沌とした場所で暮らしていたのね。
私には疲れてしまって、とても無理なことだと思いました。
父さんも母さんもラツカも、姉さんからの贈り物をとても喜んで、様子を知りたがっているわ。
おそらく今日も食卓の話題は、姉さんのことです。
またきっと、会えますね。
歩き疲れて足が痛い妹、イケレ
一緒に届いた荷物は、ノキエの部屋に運んだ。服地だろうと予想はしたが、質問はしなかった。もしも仕立てが必要ならば、ノキエから指示があるだろう。余計な口出しや軽口は、控えなくてはならないのだ。
0
お気に入りに追加
220
あなたにおすすめの小説
エイミーと旦那さま ② ~伯爵とメイドの攻防~
トウリン
恋愛
※『エイミーと旦那さま』の第二部です。
遠く離れていた旦那さまの2年ぶりの帰還。ようやくまたお世話をさせていただけると安堵するエイミーだったけれど、再会した旦那さまは突然彼女に求婚してくる。エイミーの戸惑いを意に介さず攻めるセドリック。理解不能な旦那さまの猛追に困惑するエイミー。『大事だから彼女が欲しい』『大事だから彼を拒む』――空回りし、すれ違う二人の想いの行く末は?
茶番には付き合っていられません
わらびもち
恋愛
私の婚約者の隣には何故かいつも同じ女性がいる。
婚約者の交流茶会にも彼女を同席させ仲睦まじく過ごす。
これではまるで私の方が邪魔者だ。
苦言を呈しようものなら彼は目を吊り上げて罵倒する。
どうして婚約者同士の交流にわざわざ部外者を連れてくるのか。
彼が何をしたいのかさっぱり分からない。
もうこんな茶番に付き合っていられない。
そんなにその女性を傍に置きたいのなら好きにすればいいわ。
死に役はごめんなので好きにさせてもらいます
橋本彩里(Ayari)
恋愛
フェリシアは幼馴染で婚約者のデュークのことが好きで健気に尽くしてきた。
前世の記憶が蘇り、物語冒頭で死ぬ役目の主人公たちのただの盛り上げ要員であると知ったフェリシアは、死んでたまるかと物語のヒーロー枠であるデュークへの恋心を捨てることを決意する。
愛を返されない、いつか違う人とくっつく予定の婚約者なんてごめんだ。しかも自分は死に役。
フェリシアはデューク中心の生活をやめ、なんなら婚約破棄を目指して自分のために好きなことをしようと決める。
どうせ何をしていても気にしないだろうとデュークと距離を置こうとするが……
お付き合いいただけたら幸いです。
たくさんのいいね、エール、感想、誤字報告をありがとうございます!
望まれない結婚〜相手は前妻を忘れられない初恋の人でした
結城芙由奈
恋愛
【忘れるな、憎い君と結婚するのは亡き妻の遺言だということを】
男爵家令嬢、ジェニファーは薄幸な少女だった。両親を早くに亡くし、意地悪な叔母と叔父に育てられた彼女には忘れられない初恋があった。それは少女時代、病弱な従姉妹の話し相手として滞在した避暑地で偶然出会った少年。年が近かった2人は頻繁に会っては楽しい日々を過ごしているうちに、ジェニファーは少年に好意を抱くようになっていった。
少年に恋したジェニファーは今の生活が長く続くことを祈った。
けれど従姉妹の体調が悪化し、遠くの病院に入院することになり、ジェニファーの役目は終わった。
少年に別れを告げる事もできずに、元の生活に戻ることになってしまったのだ。
それから十数年の時が流れ、音信不通になっていた従姉妹が自分の初恋の男性と結婚したことを知る。その事実にショックを受けたものの、ジェニファーは2人の結婚を心から祝うことにした。
その2年後、従姉妹は病で亡くなってしまう。それから1年の歳月が流れ、突然彼から求婚状が届けられた。ずっと彼のことが忘れられなかったジェニファーは、喜んで後妻に入ることにしたのだが……。
そこには残酷な現実が待っていた――
*他サイトでも投稿中
英雄になった夫が妻子と帰還するそうです
白野佑奈
恋愛
初夜もなく戦場へ向かった夫。それから5年。
愛する彼の為に必死に留守を守ってきたけれど、戦場で『英雄』になった彼には、すでに妻子がいて、王命により離婚することに。
好きだからこそ王命に従うしかない。大人しく離縁して、実家の領地で暮らすことになったのに。
今、目の前にいる人は誰なのだろう?
ヤンデレ激愛系ヒーローと、周囲に翻弄される流され系ヒロインです。
珍しくもちょっとだけ切ない系を目指してみました(恥)
ざまぁが少々キツイので、※がついています。苦手な方はご注意下さい。
芙蓉の宴
蒲公英
現代文学
たくさんの事情を抱えて、人は生きていく。芙蓉の花が咲くのは一度ではなく、猛暑の夏も冷夏も、花の様子は違ってもやはり花開くのだ。
正しいとは言えない状況で出逢った男と女の、足掻きながら寄り添おうとするお話。
表紙絵はどらりぬ様からいただきました。
エイミーと旦那さま ① ~伯爵とメイドの日常~
トウリン
恋愛
※『エイミーと旦那さま』の第一部です。
父を10歳で亡くしたエイミーは、ボールドウィン伯爵家に引き取られた。お屋敷の旦那さま、セドリック付きのメイドとして働くようになったエイミー。旦那さまの困った行動にエイミーは時々眉をひそめるけれども、概ね平和に過ぎていく日々。けれど、兄と妹のようだった二人の関係は、やがてゆっくりと変化していく……
【完結】貴方のために涙は流しません
ユユ
恋愛
私の涙には希少価値がある。
一人の女神様によって無理矢理
連れてこられたのは
小説の世界をなんとかするためだった。
私は虐げられることを
黙っているアリスではない。
“母親の言うことを聞きなさい”
あんたはアリスの父親を寝とっただけの女で
母親じゃない。
“婚約者なら言うことを聞け”
なら、お前が聞け。
後妻や婚約者や駄女神に屈しない!
好き勝手に変えてやる!
※ 作り話です
※ 15万字前後
※ 完結保証付き
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる