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草原の村に戻ったノキエは、また作業場に籠ってしまう。いつもよりも長く籠っているノキエがどうやって身体を休めているのかと、サウビは心配する。火を使う部屋の外にあるのは小さな机と椅子、それに作業台だけだ。身体を横たえる場所もないのに、睡眠はどうしているのだろう。一緒に住んでいるわけではないマウニは、作業場に籠っていると言えば納得してしまう。
「兄さんははじめると、昼も夜もなくなってしまうのよ。気が済めば出てくるわ」
「でももう、一週間も出てきていないの」
「ちょっと長いのね。何か難しい細工を考えついたんでしょう」
心配しているのはサウビだけで、マウニもギヌクも気にしていない。作業場からは音がするし、届けた食事はちゃんとなくなっている。自分だけがヤキモキしているようで、サウビは落ち着かない。
不思議なほど訪ねてくる人もいず、来客の予定がないから籠っているのか、籠るために時間を空けたのかもわからない。まさか来週の市まで出てこないつもりではないかと、サウビは馬に飼葉を運びながら作業場の扉を見た。ノキエもギヌクも世話ができない日のために人を頼んでいるのだが、桶が空になって腹を空かせていては可哀想だ。
家の中にひとりだと、つい食事を摂ることを忘れそうになる。夢中になって床を磨いていたら、空気が冷たくなっていることに気がついた。どうせノキエは籠ったまま冷めた食事をしているのだから、パンとチーズだけ届ければ良いのではないかと一瞬思い、自分の仕事はそれではいけないと否定する。家族ではなくて使用人なのだと自分を戒めておかなくては、この家の居心地の良さに流されてしまう。
野菜を刻んで鍋に入れ、バターを落としたところで勝手口の開いた音がした。やっとノキエが戻ったのかと息を吐き、台所に入ってくるのを待っていたが、来ない。自分の部屋に入って、眠ってしまったのだろうか。
ノキエの部屋を控えめにノックすると、中から返事があった。
「お食事の支度ができています」
「ここに運んでくれ」
マウニが出て以来、ノキエが家の中にいるときはずっと一緒の食卓だった。使用人と雇い主ではおかしなことなのかも知れないが、ノキエとサウビにはごくごく当然のことのような気がしていた。だから部屋で食事をするのは、何か急ぎの仕事があるのだと思った。
盆に食事を乗せて運ぶと、ノキエは長椅子に寄りかかって座っていた。執務机の上は綺麗なままだし、何かをしていた様子もない。
「お疲れになったのですか」
「いや、ときどきは床で横になっていたし」
「それでは十分に休まりませんわ。あまり根を詰めてしまっても」
サウビが言いかけると、ノキエはそれを遮った。
「放っておいてくれ」
ノキエの表情は見えなかった。
部屋を辞しながら、サウビは怯えていた。放っておいてくれ。なんと冷たい言葉だろう。笑う顔も怒りの顔も傷ついた顔も、この短い期間で見てきた。けれどサウビを拒絶する言葉は、はじめて聞いた気がする。
疲れて気が荒くなっているのだろうと自分に言い聞かせ、暗い食堂でひとり食事をしたためた。不愛想ではないが口数の多くはないノキエとでも、一緒に食事するのは楽しい。ツゲヌイの家の台所で目を盗みながらする食事は、ただただ生きるためだけだった。この家で、味覚があるのだと思い出した。けれど耳の奥に、ノキエの声が反復するのだ。
放っておいてくれ。放っておいてくれ。放っておいてくれ、と。
何かノキエの気に障ることをしたろうか。黙って部屋の前に出されていた盆を下げ、食器を拭き上げる。もう眠ってしまったのか、部屋の中からはコトリとも音がしない。思ったように細工ができなくて、苛ついていたのかも知れないと思い、自分を落ち着けようとする。きっと一晩眠ればいつものノキエで、自分が籠っていたときに済んだあれこれに、礼を言ってくれる。
もしもノキエが自分を、不必要な荷物だと思っていたら? 縁談が持ちかけられていると言ったとき、ノキエはすでにサウビを家から出したいと思っていたのだとしたら。それともバザールで寝込んだときに、世話の焼ける使用人はいらないと思ったのか。
怯えと不安がサウビを覆う。大丈夫、きっと明日はノキエの態度は戻るはず。
「兄さんははじめると、昼も夜もなくなってしまうのよ。気が済めば出てくるわ」
「でももう、一週間も出てきていないの」
「ちょっと長いのね。何か難しい細工を考えついたんでしょう」
心配しているのはサウビだけで、マウニもギヌクも気にしていない。作業場からは音がするし、届けた食事はちゃんとなくなっている。自分だけがヤキモキしているようで、サウビは落ち着かない。
不思議なほど訪ねてくる人もいず、来客の予定がないから籠っているのか、籠るために時間を空けたのかもわからない。まさか来週の市まで出てこないつもりではないかと、サウビは馬に飼葉を運びながら作業場の扉を見た。ノキエもギヌクも世話ができない日のために人を頼んでいるのだが、桶が空になって腹を空かせていては可哀想だ。
家の中にひとりだと、つい食事を摂ることを忘れそうになる。夢中になって床を磨いていたら、空気が冷たくなっていることに気がついた。どうせノキエは籠ったまま冷めた食事をしているのだから、パンとチーズだけ届ければ良いのではないかと一瞬思い、自分の仕事はそれではいけないと否定する。家族ではなくて使用人なのだと自分を戒めておかなくては、この家の居心地の良さに流されてしまう。
野菜を刻んで鍋に入れ、バターを落としたところで勝手口の開いた音がした。やっとノキエが戻ったのかと息を吐き、台所に入ってくるのを待っていたが、来ない。自分の部屋に入って、眠ってしまったのだろうか。
ノキエの部屋を控えめにノックすると、中から返事があった。
「お食事の支度ができています」
「ここに運んでくれ」
マウニが出て以来、ノキエが家の中にいるときはずっと一緒の食卓だった。使用人と雇い主ではおかしなことなのかも知れないが、ノキエとサウビにはごくごく当然のことのような気がしていた。だから部屋で食事をするのは、何か急ぎの仕事があるのだと思った。
盆に食事を乗せて運ぶと、ノキエは長椅子に寄りかかって座っていた。執務机の上は綺麗なままだし、何かをしていた様子もない。
「お疲れになったのですか」
「いや、ときどきは床で横になっていたし」
「それでは十分に休まりませんわ。あまり根を詰めてしまっても」
サウビが言いかけると、ノキエはそれを遮った。
「放っておいてくれ」
ノキエの表情は見えなかった。
部屋を辞しながら、サウビは怯えていた。放っておいてくれ。なんと冷たい言葉だろう。笑う顔も怒りの顔も傷ついた顔も、この短い期間で見てきた。けれどサウビを拒絶する言葉は、はじめて聞いた気がする。
疲れて気が荒くなっているのだろうと自分に言い聞かせ、暗い食堂でひとり食事をしたためた。不愛想ではないが口数の多くはないノキエとでも、一緒に食事するのは楽しい。ツゲヌイの家の台所で目を盗みながらする食事は、ただただ生きるためだけだった。この家で、味覚があるのだと思い出した。けれど耳の奥に、ノキエの声が反復するのだ。
放っておいてくれ。放っておいてくれ。放っておいてくれ、と。
何かノキエの気に障ることをしたろうか。黙って部屋の前に出されていた盆を下げ、食器を拭き上げる。もう眠ってしまったのか、部屋の中からはコトリとも音がしない。思ったように細工ができなくて、苛ついていたのかも知れないと思い、自分を落ち着けようとする。きっと一晩眠ればいつものノキエで、自分が籠っていたときに済んだあれこれに、礼を言ってくれる。
もしもノキエが自分を、不必要な荷物だと思っていたら? 縁談が持ちかけられていると言ったとき、ノキエはすでにサウビを家から出したいと思っていたのだとしたら。それともバザールで寝込んだときに、世話の焼ける使用人はいらないと思ったのか。
怯えと不安がサウビを覆う。大丈夫、きっと明日はノキエの態度は戻るはず。
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