59 / 107
59.
しおりを挟む
市の中を籠を片手に歩いていると、陶器の美しい容器が並んでいた。異国から来たものなのか、見たことのない形をしている。面白いと足を止めると、不思議な香りがする。店番をしている男が、ニコニコして容器を開けてみせた。
「練り香だよ。このまま服と一緒に置けば香りが移るし、髪を纏めるときに少しだけ使えば一日中香る」
香りを纏うような習慣はないが、店の前の空気は華やかだ。こんなものは、森では手に入らないだろう。妹への贈り物にしようかと手に取る。
「今、手首につけてごらん。ああ、よく似合う」
サウビの顔を見ていた男は、男は小さな容器をひとつ差し出した。
「これをあげよう。その代わり、しばらく市の中をウロウロしてくれないか。そして香りについて訊かれたら、あの店で買ったと言ってくれ」
「あら、ちゃんとお金を払うわ。妹の分が欲しいんですもの」
ではその分も持って行けと、男は気前の良いところを見せた。何か不思議な気持ちで容器を受け取り、籠の中に入れて歩いた。
すれ違う人が振り返るのは、手首につけた香りのせいだろうか。ひとつに纏めただけの髪が風に舞い、サウビはショールの前を合わせた。春になるのはもう少し先だけれど、木や草はそろそろ準備を始めているだろう。バザールから持ち出した母から送られたスカートは冬のものだから、暖かな季節のための服も、考え始めなくてはならない。
木の実の店で品物を選んでいると、若い娘に声を掛けられた。子供に文字を教えていると言っていた、マウニの友達のひとりだ。
「ねえ、良い香りがするわ。何かしているの?」
練り香を買ったのだと言うと、それに釣られたらしい女たちが一緒になって質問してくる。店を広げている場所を教えて、そちらに歩いていく女たちを見送った。同じようなことが何度かあり、どうも自分は宣伝に使われたらしいと気がついた。練り香屋がそれでどれくらい儲けたのかは、サウビにもわからない。
塩漬け肉をふた包み買い、籠に入れたままチーズを求めようとすると、男に声を掛けられた。
「重いだろう。家まで届けようか」
「いいえ、大丈夫。それにまだ、買い物が残っているから」
「終わるまで荷物持ちをしよう。家はどこ?」
「運んでくれる人がいるので、結構です」
並んで歩こうとする男を振り切ろうと、早足で歩いた。ライギヒの荷車に到着するまで、あれこれと話しかけてくる。
「うちの娘に何か用か」
ライギヒが声をかけると、うすら笑いで返事をした。
「あんまり綺麗な人なので、話してみたくなっただけです。見ない顔だし」
「悪いね、この娘は怖がりなんだ。急に近づかないでくれ」
ライギヒに遮断されて、男は渋々その場を去った。
「ちょうど良かった。イネハムに頼まれた買い物を思い出したから、ちょっと店番をしてておくれ。すぐ戻るよ」
荷車に積んだ荷物は扱い難いものではないし、考えていたものは全部買い揃えた。そろそろ友達とのおしゃべりに飽きたマウニも、荷物を抱えて来るだろう。荷車の後ろに腰掛け、サウビは通りを眺めていた。
「マルメロの砂糖漬けはまだあるかい?」
女がひとり買いに来て、サウビは紙に品物を包む。そうして金を受け取ったとき、手首が香ったらしい。また練り香の店を教えていると、今度は男が近づいて来た。
「ここは何を売っているんだい」
残った品物を広げて見せていると、また人が覗き込む。礼を言いながら品物を渡し、そうしているうちに人がまた来る。突然客が増えて戸惑いながら、サウビはライギヒに代わって品物を包んだ。荷車の上には、もう乾いたアンズしかない。まだ来る客には商品がなくなったと詫びを言い、ライギヒを待つうちにマウニが戻った。
「あら、ぜーんぶ空っぽ! さっき来たときには、たくさん残っていたのに」
片手に何かの包みを持ち片手に菓子を持って、ライギヒが戻って来た。そして荷車の上を見て、驚きの声を上げる。
「どうしたことだ、これは。誰かに持って行かれてしまったのか」
ちゃんと売れたのだと売上金を渡し、ライギヒが買ってきた菓子を食べている間にも、また客が来る。そして荷車の前に立つライギヒではなく、サウビに声をかけるのだ。
「売り切れだ、次はもっとたくさん持ってくるよ」
サウビへの問いにライギヒが答えると、客はサウビをちらりと見ながら去っていく。
「なるほど、おまえさんはずいぶん良い宣伝係だったらしいな」
ライギヒの言葉に、サウビは首を傾げた。
「さっき女たちが、こぞって練り香を買いに行ってたわ。サウビがつけているのを真似していたのね」
マウニがニコニコしながら言う。
「良い香りですもの」
「違うわ。サウビが綺麗だからよ。同じことをすると、自分も綺麗になれる気がするもの」
「いやだ、そんなわけないわ。こんな地味なショールで、髪を結っているわけでも」
サウビの言葉を、マウニは遮る。
「そんなこと気にならないくらい、サウビは綺麗なのよ」
「マウニの言う通りだよ、サウビ。バザールから来たときの、痩せこけて窶れたおまえさんからは、想像もつかない」
ライギヒの肯定に、どんな言葉を返せば良かったのか。
「練り香だよ。このまま服と一緒に置けば香りが移るし、髪を纏めるときに少しだけ使えば一日中香る」
香りを纏うような習慣はないが、店の前の空気は華やかだ。こんなものは、森では手に入らないだろう。妹への贈り物にしようかと手に取る。
「今、手首につけてごらん。ああ、よく似合う」
サウビの顔を見ていた男は、男は小さな容器をひとつ差し出した。
「これをあげよう。その代わり、しばらく市の中をウロウロしてくれないか。そして香りについて訊かれたら、あの店で買ったと言ってくれ」
「あら、ちゃんとお金を払うわ。妹の分が欲しいんですもの」
ではその分も持って行けと、男は気前の良いところを見せた。何か不思議な気持ちで容器を受け取り、籠の中に入れて歩いた。
すれ違う人が振り返るのは、手首につけた香りのせいだろうか。ひとつに纏めただけの髪が風に舞い、サウビはショールの前を合わせた。春になるのはもう少し先だけれど、木や草はそろそろ準備を始めているだろう。バザールから持ち出した母から送られたスカートは冬のものだから、暖かな季節のための服も、考え始めなくてはならない。
木の実の店で品物を選んでいると、若い娘に声を掛けられた。子供に文字を教えていると言っていた、マウニの友達のひとりだ。
「ねえ、良い香りがするわ。何かしているの?」
練り香を買ったのだと言うと、それに釣られたらしい女たちが一緒になって質問してくる。店を広げている場所を教えて、そちらに歩いていく女たちを見送った。同じようなことが何度かあり、どうも自分は宣伝に使われたらしいと気がついた。練り香屋がそれでどれくらい儲けたのかは、サウビにもわからない。
塩漬け肉をふた包み買い、籠に入れたままチーズを求めようとすると、男に声を掛けられた。
「重いだろう。家まで届けようか」
「いいえ、大丈夫。それにまだ、買い物が残っているから」
「終わるまで荷物持ちをしよう。家はどこ?」
「運んでくれる人がいるので、結構です」
並んで歩こうとする男を振り切ろうと、早足で歩いた。ライギヒの荷車に到着するまで、あれこれと話しかけてくる。
「うちの娘に何か用か」
ライギヒが声をかけると、うすら笑いで返事をした。
「あんまり綺麗な人なので、話してみたくなっただけです。見ない顔だし」
「悪いね、この娘は怖がりなんだ。急に近づかないでくれ」
ライギヒに遮断されて、男は渋々その場を去った。
「ちょうど良かった。イネハムに頼まれた買い物を思い出したから、ちょっと店番をしてておくれ。すぐ戻るよ」
荷車に積んだ荷物は扱い難いものではないし、考えていたものは全部買い揃えた。そろそろ友達とのおしゃべりに飽きたマウニも、荷物を抱えて来るだろう。荷車の後ろに腰掛け、サウビは通りを眺めていた。
「マルメロの砂糖漬けはまだあるかい?」
女がひとり買いに来て、サウビは紙に品物を包む。そうして金を受け取ったとき、手首が香ったらしい。また練り香の店を教えていると、今度は男が近づいて来た。
「ここは何を売っているんだい」
残った品物を広げて見せていると、また人が覗き込む。礼を言いながら品物を渡し、そうしているうちに人がまた来る。突然客が増えて戸惑いながら、サウビはライギヒに代わって品物を包んだ。荷車の上には、もう乾いたアンズしかない。まだ来る客には商品がなくなったと詫びを言い、ライギヒを待つうちにマウニが戻った。
「あら、ぜーんぶ空っぽ! さっき来たときには、たくさん残っていたのに」
片手に何かの包みを持ち片手に菓子を持って、ライギヒが戻って来た。そして荷車の上を見て、驚きの声を上げる。
「どうしたことだ、これは。誰かに持って行かれてしまったのか」
ちゃんと売れたのだと売上金を渡し、ライギヒが買ってきた菓子を食べている間にも、また客が来る。そして荷車の前に立つライギヒではなく、サウビに声をかけるのだ。
「売り切れだ、次はもっとたくさん持ってくるよ」
サウビへの問いにライギヒが答えると、客はサウビをちらりと見ながら去っていく。
「なるほど、おまえさんはずいぶん良い宣伝係だったらしいな」
ライギヒの言葉に、サウビは首を傾げた。
「さっき女たちが、こぞって練り香を買いに行ってたわ。サウビがつけているのを真似していたのね」
マウニがニコニコしながら言う。
「良い香りですもの」
「違うわ。サウビが綺麗だからよ。同じことをすると、自分も綺麗になれる気がするもの」
「いやだ、そんなわけないわ。こんな地味なショールで、髪を結っているわけでも」
サウビの言葉を、マウニは遮る。
「そんなこと気にならないくらい、サウビは綺麗なのよ」
「マウニの言う通りだよ、サウビ。バザールから来たときの、痩せこけて窶れたおまえさんからは、想像もつかない」
ライギヒの肯定に、どんな言葉を返せば良かったのか。
0
お気に入りに追加
220
あなたにおすすめの小説
エイミーと旦那さま ② ~伯爵とメイドの攻防~
トウリン
恋愛
※『エイミーと旦那さま』の第二部です。
遠く離れていた旦那さまの2年ぶりの帰還。ようやくまたお世話をさせていただけると安堵するエイミーだったけれど、再会した旦那さまは突然彼女に求婚してくる。エイミーの戸惑いを意に介さず攻めるセドリック。理解不能な旦那さまの猛追に困惑するエイミー。『大事だから彼女が欲しい』『大事だから彼を拒む』――空回りし、すれ違う二人の想いの行く末は?
茶番には付き合っていられません
わらびもち
恋愛
私の婚約者の隣には何故かいつも同じ女性がいる。
婚約者の交流茶会にも彼女を同席させ仲睦まじく過ごす。
これではまるで私の方が邪魔者だ。
苦言を呈しようものなら彼は目を吊り上げて罵倒する。
どうして婚約者同士の交流にわざわざ部外者を連れてくるのか。
彼が何をしたいのかさっぱり分からない。
もうこんな茶番に付き合っていられない。
そんなにその女性を傍に置きたいのなら好きにすればいいわ。
死に役はごめんなので好きにさせてもらいます
橋本彩里(Ayari)
恋愛
フェリシアは幼馴染で婚約者のデュークのことが好きで健気に尽くしてきた。
前世の記憶が蘇り、物語冒頭で死ぬ役目の主人公たちのただの盛り上げ要員であると知ったフェリシアは、死んでたまるかと物語のヒーロー枠であるデュークへの恋心を捨てることを決意する。
愛を返されない、いつか違う人とくっつく予定の婚約者なんてごめんだ。しかも自分は死に役。
フェリシアはデューク中心の生活をやめ、なんなら婚約破棄を目指して自分のために好きなことをしようと決める。
どうせ何をしていても気にしないだろうとデュークと距離を置こうとするが……
お付き合いいただけたら幸いです。
たくさんのいいね、エール、感想、誤字報告をありがとうございます!
望まれない結婚〜相手は前妻を忘れられない初恋の人でした
結城芙由奈
恋愛
【忘れるな、憎い君と結婚するのは亡き妻の遺言だということを】
男爵家令嬢、ジェニファーは薄幸な少女だった。両親を早くに亡くし、意地悪な叔母と叔父に育てられた彼女には忘れられない初恋があった。それは少女時代、病弱な従姉妹の話し相手として滞在した避暑地で偶然出会った少年。年が近かった2人は頻繁に会っては楽しい日々を過ごしているうちに、ジェニファーは少年に好意を抱くようになっていった。
少年に恋したジェニファーは今の生活が長く続くことを祈った。
けれど従姉妹の体調が悪化し、遠くの病院に入院することになり、ジェニファーの役目は終わった。
少年に別れを告げる事もできずに、元の生活に戻ることになってしまったのだ。
それから十数年の時が流れ、音信不通になっていた従姉妹が自分の初恋の男性と結婚したことを知る。その事実にショックを受けたものの、ジェニファーは2人の結婚を心から祝うことにした。
その2年後、従姉妹は病で亡くなってしまう。それから1年の歳月が流れ、突然彼から求婚状が届けられた。ずっと彼のことが忘れられなかったジェニファーは、喜んで後妻に入ることにしたのだが……。
そこには残酷な現実が待っていた――
*他サイトでも投稿中
英雄になった夫が妻子と帰還するそうです
白野佑奈
恋愛
初夜もなく戦場へ向かった夫。それから5年。
愛する彼の為に必死に留守を守ってきたけれど、戦場で『英雄』になった彼には、すでに妻子がいて、王命により離婚することに。
好きだからこそ王命に従うしかない。大人しく離縁して、実家の領地で暮らすことになったのに。
今、目の前にいる人は誰なのだろう?
ヤンデレ激愛系ヒーローと、周囲に翻弄される流され系ヒロインです。
珍しくもちょっとだけ切ない系を目指してみました(恥)
ざまぁが少々キツイので、※がついています。苦手な方はご注意下さい。
芙蓉の宴
蒲公英
現代文学
たくさんの事情を抱えて、人は生きていく。芙蓉の花が咲くのは一度ではなく、猛暑の夏も冷夏も、花の様子は違ってもやはり花開くのだ。
正しいとは言えない状況で出逢った男と女の、足掻きながら寄り添おうとするお話。
表紙絵はどらりぬ様からいただきました。
エイミーと旦那さま ① ~伯爵とメイドの日常~
トウリン
恋愛
※『エイミーと旦那さま』の第一部です。
父を10歳で亡くしたエイミーは、ボールドウィン伯爵家に引き取られた。お屋敷の旦那さま、セドリック付きのメイドとして働くようになったエイミー。旦那さまの困った行動にエイミーは時々眉をひそめるけれども、概ね平和に過ぎていく日々。けれど、兄と妹のようだった二人の関係は、やがてゆっくりと変化していく……
【完結】貴方のために涙は流しません
ユユ
恋愛
私の涙には希少価値がある。
一人の女神様によって無理矢理
連れてこられたのは
小説の世界をなんとかするためだった。
私は虐げられることを
黙っているアリスではない。
“母親の言うことを聞きなさい”
あんたはアリスの父親を寝とっただけの女で
母親じゃない。
“婚約者なら言うことを聞け”
なら、お前が聞け。
後妻や婚約者や駄女神に屈しない!
好き勝手に変えてやる!
※ 作り話です
※ 15万字前後
※ 完結保証付き
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる