薔薇は暁に香る

蒲公英

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 市の中を籠を片手に歩いていると、陶器の美しい容器が並んでいた。異国から来たものなのか、見たことのない形をしている。面白いと足を止めると、不思議な香りがする。店番をしている男が、ニコニコして容器を開けてみせた。
「練り香だよ。このまま服と一緒に置けば香りが移るし、髪を纏めるときに少しだけ使えば一日中香る」
 香りを纏うような習慣はないが、店の前の空気は華やかだ。こんなものは、森では手に入らないだろう。妹への贈り物にしようかと手に取る。
「今、手首につけてごらん。ああ、よく似合う」
 サウビの顔を見ていた男は、男は小さな容器をひとつ差し出した。
「これをあげよう。その代わり、しばらく市の中をウロウロしてくれないか。そして香りについて訊かれたら、あの店で買ったと言ってくれ」
「あら、ちゃんとお金を払うわ。妹の分が欲しいんですもの」
 ではその分も持って行けと、男は気前の良いところを見せた。何か不思議な気持ちで容器を受け取り、籠の中に入れて歩いた。

 すれ違う人が振り返るのは、手首につけた香りのせいだろうか。ひとつに纏めただけの髪が風に舞い、サウビはショールの前を合わせた。春になるのはもう少し先だけれど、木や草はそろそろ準備を始めているだろう。バザールから持ち出した母から送られたスカートは冬のものだから、暖かな季節のための服も、考え始めなくてはならない。
 木の実の店で品物を選んでいると、若い娘に声を掛けられた。子供に文字を教えていると言っていた、マウニの友達のひとりだ。
「ねえ、良い香りがするわ。何かしているの?」
 練り香を買ったのだと言うと、それに釣られたらしい女たちが一緒になって質問してくる。店を広げている場所を教えて、そちらに歩いていく女たちを見送った。同じようなことが何度かあり、どうも自分は宣伝に使われたらしいと気がついた。練り香屋がそれでどれくらい儲けたのかは、サウビにもわからない。

 塩漬け肉をふた包み買い、籠に入れたままチーズを求めようとすると、男に声を掛けられた。
「重いだろう。家まで届けようか」
「いいえ、大丈夫。それにまだ、買い物が残っているから」
「終わるまで荷物持ちをしよう。家はどこ?」
「運んでくれる人がいるので、結構です」
 並んで歩こうとする男を振り切ろうと、早足で歩いた。ライギヒの荷車に到着するまで、あれこれと話しかけてくる。
「うちの娘に何か用か」
 ライギヒが声をかけると、うすら笑いで返事をした。
「あんまり綺麗な人なので、話してみたくなっただけです。見ない顔だし」
「悪いね、この娘は怖がりなんだ。急に近づかないでくれ」
 ライギヒに遮断されて、男は渋々その場を去った。

「ちょうど良かった。イネハムに頼まれた買い物を思い出したから、ちょっと店番をしてておくれ。すぐ戻るよ」
 荷車に積んだ荷物は扱い難いものではないし、考えていたものは全部買い揃えた。そろそろ友達とのおしゃべりに飽きたマウニも、荷物を抱えて来るだろう。荷車の後ろに腰掛け、サウビは通りを眺めていた。
「マルメロの砂糖漬けはまだあるかい?」
 女がひとり買いに来て、サウビは紙に品物を包む。そうして金を受け取ったとき、手首が香ったらしい。また練り香の店を教えていると、今度は男が近づいて来た。
「ここは何を売っているんだい」
 残った品物を広げて見せていると、また人が覗き込む。礼を言いながら品物を渡し、そうしているうちに人がまた来る。突然客が増えて戸惑いながら、サウビはライギヒに代わって品物を包んだ。荷車の上には、もう乾いたアンズしかない。まだ来る客には商品がなくなったと詫びを言い、ライギヒを待つうちにマウニが戻った。
「あら、ぜーんぶ空っぽ! さっき来たときには、たくさん残っていたのに」

 片手に何かの包みを持ち片手に菓子を持って、ライギヒが戻って来た。そして荷車の上を見て、驚きの声を上げる。
「どうしたことだ、これは。誰かに持って行かれてしまったのか」
 ちゃんと売れたのだと売上金を渡し、ライギヒが買ってきた菓子を食べている間にも、また客が来る。そして荷車の前に立つライギヒではなく、サウビに声をかけるのだ。
「売り切れだ、次はもっとたくさん持ってくるよ」
 サウビへの問いにライギヒが答えると、客はサウビをちらりと見ながら去っていく。
「なるほど、おまえさんはずいぶん良い宣伝係だったらしいな」
 ライギヒの言葉に、サウビは首を傾げた。

「さっき女たちが、こぞって練り香を買いに行ってたわ。サウビがつけているのを真似していたのね」
 マウニがニコニコしながら言う。
「良い香りですもの」
「違うわ。サウビが綺麗だからよ。同じことをすると、自分も綺麗になれる気がするもの」
「いやだ、そんなわけないわ。こんな地味なショールで、髪を結っているわけでも」
 サウビの言葉を、マウニは遮る。
「そんなこと気にならないくらい、サウビは綺麗なのよ」
「マウニの言う通りだよ、サウビ。バザールから来たときの、痩せこけて窶れたおまえさんからは、想像もつかない」
 ライギヒの肯定に、どんな言葉を返せば良かったのか。
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