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雨が降りそうな空模様の日、明日は市が立つのだろうかと外の天気を気にしながら、サウビは小麦粉を捏ねている。寒い季節にパンを膨らませるコツを教えてもらったので、今日の夕方には焼きたてのパンをノキエに食べさせることができると思うと、不思議に嬉しい。数日作業場に籠っていたノキエが朝方にフラフラと自分の部屋に入った。おそらく眠っているのだろう、コトリとも音がしない。
生地が膨れる間にと手に取った布は、バザールからノキエに連れられてきたときに身に着けていたスカートだ。洗い替えは一枚だけで交互に使っていたので、色は褪せところどころ薄くなってしまっている。古布にしてしまおうかと思っていたけれど、思い切って鋏を入れて別の布を接ぐことにした。物置から何枚か古布を持って来て、色を合わせているうちに楽しくなった、接いだ布に刺繍を入れると、子供のころに着たスカートに似るかも知れない。なるほど、あれは新しいスカートを誂えられない貧しい生活の中で、みすぼらしく見せないような工夫だったのか。こんなところで、女親の愛情を知る。自分は何度も継ぎを当てたスカートを穿いて、機の前にいるのだから裸でなければかまわないと笑っていた。
もうじき会える懐かしい顔たちは、あの生活の中に入っていくのだろうか。そう思うと、自分だけが共に苦労していないのだと心苦しくなる。けれどサウビが戻っても、森の生活は豊かにはならないのだ。
気がつくとパン生地はふっくらと膨れ、もう竈に入れても良さそうだ。半分はゴマを乗せて、残りの半分はそのままで焼くことにする。ノキエがゴマのパンが好きなのは知っていて、満足そうに千切る指先を思う。殊更に旨い不味いと言うわけではないが、噛み締めたときに一瞬ほころぶ顔を思い浮かべ、サウビは竈を開けた。
ゴトゴトと音がして、ノキエが起き出したらしい。台所に顔を出さずに外に出る気配がして、慌ててサウビは勝手口を開けた。
「待って、まだ作業場に入らないで。もうじきパンが焼けますから」
普段なら出来上がった食事を作業場に運ぶサウビが引き留めたので、ノキエは意外そうな顔をした。
「馬を見て来るだけだ。珍しいな、食事の時間のことで何か言うのは」
「だって、ゴマのパンを焼いているんですもの。お好きかと思って」
差し出たことを言ったかと、きまり悪く言い訳すると、ノキエはやっと笑う。
「確かに好きだが、そう言ったことはあったかな」
サウビもほっとして、返事をする。
「お顔がそう言ってますよ」
ノキエは大きく笑った。
「敵わないな。母親っていうのは、食事をしている子供の顔を観察するのか」
「まあ。私は自分が生まれるよりも早く、子供を産んだ計算になるわ」
「きっと魔女なんだろう。若いふりをして、千年も生きているのかも知れない」
軽口を言いながら、ノキエは勝手口から出ていく。頃合いかと竈を開けると、小麦の焼けた香ばしい熱が台所を満たした。
準備ができても室内に戻らないノキエを呼ぶために、ショールを羽織って庭に出た。厩にはノキエの姿は見えず、まさか作業場に入ったのかと思っていると、門の外に出て通りを眺めていた。片方落ちた肩が寂しげで、何かを待っている子供のようだ。その背中に声をかけるのを、サウビはためらった。
ふと振り向いてサウビと目が合ったノキエは、とても穏やかな声で言った。
「あんたは、綺麗だな」
意味を図りかねて、サウビは首を傾げてノキエを見る。
「あんたはとても綺麗だ」
言葉を重ねた声の響きは、何故か寂しげだった。
「食事に呼びに来たのだろう? さあ、家に入ろうか」
先に立って家に向かうノキエを追いかけて、サウビもまた玄関へ向かう。もうじき夕暮れが始まる。
生地が膨れる間にと手に取った布は、バザールからノキエに連れられてきたときに身に着けていたスカートだ。洗い替えは一枚だけで交互に使っていたので、色は褪せところどころ薄くなってしまっている。古布にしてしまおうかと思っていたけれど、思い切って鋏を入れて別の布を接ぐことにした。物置から何枚か古布を持って来て、色を合わせているうちに楽しくなった、接いだ布に刺繍を入れると、子供のころに着たスカートに似るかも知れない。なるほど、あれは新しいスカートを誂えられない貧しい生活の中で、みすぼらしく見せないような工夫だったのか。こんなところで、女親の愛情を知る。自分は何度も継ぎを当てたスカートを穿いて、機の前にいるのだから裸でなければかまわないと笑っていた。
もうじき会える懐かしい顔たちは、あの生活の中に入っていくのだろうか。そう思うと、自分だけが共に苦労していないのだと心苦しくなる。けれどサウビが戻っても、森の生活は豊かにはならないのだ。
気がつくとパン生地はふっくらと膨れ、もう竈に入れても良さそうだ。半分はゴマを乗せて、残りの半分はそのままで焼くことにする。ノキエがゴマのパンが好きなのは知っていて、満足そうに千切る指先を思う。殊更に旨い不味いと言うわけではないが、噛み締めたときに一瞬ほころぶ顔を思い浮かべ、サウビは竈を開けた。
ゴトゴトと音がして、ノキエが起き出したらしい。台所に顔を出さずに外に出る気配がして、慌ててサウビは勝手口を開けた。
「待って、まだ作業場に入らないで。もうじきパンが焼けますから」
普段なら出来上がった食事を作業場に運ぶサウビが引き留めたので、ノキエは意外そうな顔をした。
「馬を見て来るだけだ。珍しいな、食事の時間のことで何か言うのは」
「だって、ゴマのパンを焼いているんですもの。お好きかと思って」
差し出たことを言ったかと、きまり悪く言い訳すると、ノキエはやっと笑う。
「確かに好きだが、そう言ったことはあったかな」
サウビもほっとして、返事をする。
「お顔がそう言ってますよ」
ノキエは大きく笑った。
「敵わないな。母親っていうのは、食事をしている子供の顔を観察するのか」
「まあ。私は自分が生まれるよりも早く、子供を産んだ計算になるわ」
「きっと魔女なんだろう。若いふりをして、千年も生きているのかも知れない」
軽口を言いながら、ノキエは勝手口から出ていく。頃合いかと竈を開けると、小麦の焼けた香ばしい熱が台所を満たした。
準備ができても室内に戻らないノキエを呼ぶために、ショールを羽織って庭に出た。厩にはノキエの姿は見えず、まさか作業場に入ったのかと思っていると、門の外に出て通りを眺めていた。片方落ちた肩が寂しげで、何かを待っている子供のようだ。その背中に声をかけるのを、サウビはためらった。
ふと振り向いてサウビと目が合ったノキエは、とても穏やかな声で言った。
「あんたは、綺麗だな」
意味を図りかねて、サウビは首を傾げてノキエを見る。
「あんたはとても綺麗だ」
言葉を重ねた声の響きは、何故か寂しげだった。
「食事に呼びに来たのだろう? さあ、家に入ろうか」
先に立って家に向かうノキエを追いかけて、サウビもまた玄関へ向かう。もうじき夕暮れが始まる。
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