薔薇は暁に香る

蒲公英

文字の大きさ
上 下
54 / 107

54.

しおりを挟む
 豆のスープが煮える間、ストーブの前でウトウトしていたら森の夢を見た。もうじき春が来るよとイケレが言い、木の下で枝を見上げる。こんなに暖かい日なら明日は一輪か二輪は咲くかも知れないねと、低い枝に手を伸ばす自分を上から眺め、木登りは苦手なのにと思ったところで目が覚めた。
 すべてが止まったような冬の森で、どれだけ春を待ったことか。襟に縫い付けたイケレのリボンを手で探り、来月には会えるのだと胸を膨らませる。会ったときに何か渡せるものはないかと、身の回りのあれこれを考えた。草原の村は農業の村で、豊かな食料品はあっても贈り物になるようなものは少ない。それならばバザールでしか手に入らないものが良いと思っても、そもそもバザールの中はかつて使っていた食品や酒を扱っている店しか知らないのだ。
 バザールの中を歩いて、もしもツゲヌイに会ってしまったら。その可能性に行きついて、サウビの肩がびくりと震えた。もう離縁は認められ、関わり合いのない間柄になったはずだ。けれど、その記憶は。

「そろそろ食事の支度はできたか」
 台所の入り口から聞こえた声に、我に返った。
「はい、すぐにお持ちします。お掛けになってお待ちくださいな」
 もう出来上がっているものを運ぶだけなので、手を借りるつもりはない。
「豆のスープか。旨そうだ」
 気軽に鍋を持ち上げようとするノキエを、慌てて止める。
「私が運びますので、あちらでお待ちになっていて」
「どうせ食堂に行くのならば、運ぼうが運ぶまいが動くのは一緒だ。あんたはストーブの上のパンを、持ってくればいい」
 鍋を持って食堂に向かうノキエの後を追い、それ以外の用意を運ぶ。ふたりだけの食卓は、ささやかだ。サウビの育ちは慎ましく、ノキエは贅沢を喜ぶ性質ではない。贅沢を求める雇い主でなくて良かったと、サウビは思う。サウビの手仕事の調度を喜んでくれ、ここにいても良いのだと思わせてくれる。

「妹に会うのなら、三日間休んで欲しい。古い知り合いと積もる話もあるだろうし、渡したいものもあるだろう」
「そんなにお休みをいただくなんて、もったいないことです。ただ顔を見るだけですのに」
 本当に三日も休みをもらえたら、忙しく行き帰らずに済む。暗い草原を歩くのは、とても心細かったのだ。
「俺もアマベキの店に用がある。帰りはライギヒに迎えに行かせよう」
「迎えに来ていただくなんて、あまりにも申し訳ないわ。大丈夫、ひとりでロバくらいは借りられます」
 サウビは慌てて顔の前で手を振った。
「ライギヒはもともと、バザールに野菜や蜂蜜を運んでいるんだ。自分で売った方が良い儲けになるからな」
 小作が自分で商売をするのか、とサウビは目を丸くする。
「考えて商売をすることは止めないよ。商人が買い付ける分はちゃんとこちらに納めてくれているし、誰でも豊かになりたいものだろう?」

 金があれば豊かだとはもう思っていないけれど、あの貧しい森の生活に潤いがあればとは思う。山羊と織物と少しの農作物、生きるためにだけ生きているような人々が、せめて穴の空いた靴を履かないで済むように。
「豊かさが、誰でも求められるものなら」
 吐息の様なサウビの呟きは、ノキエの耳には届かなかった。
「家族への贈り物は、アマベキのかみさんに買い物を手伝いを頼んでおこう。ひとりでバザールの中を、歩きたくないだろう」
 ノキエの提案を、有難く受ける。説明せずに自分の状況を知る人がいるのは、なんと心強いことか。

「サウビ」
 ノキエが急に名を呼んだ。
「村の中には、他人の噂を鵜呑みにしたがる人間も多い。こんな場所に連れてきてしまって、俺の考えが浅かった。けれどあんたを知る人たちは、あんたが悪い人間だなんて思わないはずだ。どうか悪く思わないで欲しい」
 ムケカシの言葉に尾鰭がついていることは、想像に難くない。
「とうして救い主を、悪く思えるでしょう。私はこの家に来ることができて、幸福です」
 紛うことなき本心は、ノキエの手を握った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

エイミーと旦那さま ② ~伯爵とメイドの攻防~

トウリン
恋愛
※『エイミーと旦那さま』の第二部です。 遠く離れていた旦那さまの2年ぶりの帰還。ようやくまたお世話をさせていただけると安堵するエイミーだったけれど、再会した旦那さまは突然彼女に求婚してくる。エイミーの戸惑いを意に介さず攻めるセドリック。理解不能な旦那さまの猛追に困惑するエイミー。『大事だから彼女が欲しい』『大事だから彼を拒む』――空回りし、すれ違う二人の想いの行く末は?

茶番には付き合っていられません

わらびもち
恋愛
私の婚約者の隣には何故かいつも同じ女性がいる。 婚約者の交流茶会にも彼女を同席させ仲睦まじく過ごす。 これではまるで私の方が邪魔者だ。 苦言を呈しようものなら彼は目を吊り上げて罵倒する。 どうして婚約者同士の交流にわざわざ部外者を連れてくるのか。 彼が何をしたいのかさっぱり分からない。 もうこんな茶番に付き合っていられない。 そんなにその女性を傍に置きたいのなら好きにすればいいわ。

死に役はごめんなので好きにさせてもらいます

橋本彩里(Ayari)
恋愛
フェリシアは幼馴染で婚約者のデュークのことが好きで健気に尽くしてきた。 前世の記憶が蘇り、物語冒頭で死ぬ役目の主人公たちのただの盛り上げ要員であると知ったフェリシアは、死んでたまるかと物語のヒーロー枠であるデュークへの恋心を捨てることを決意する。 愛を返されない、いつか違う人とくっつく予定の婚約者なんてごめんだ。しかも自分は死に役。 フェリシアはデューク中心の生活をやめ、なんなら婚約破棄を目指して自分のために好きなことをしようと決める。 どうせ何をしていても気にしないだろうとデュークと距離を置こうとするが…… お付き合いいただけたら幸いです。 たくさんのいいね、エール、感想、誤字報告をありがとうございます!

望まれない結婚〜相手は前妻を忘れられない初恋の人でした

結城芙由奈 
恋愛
【忘れるな、憎い君と結婚するのは亡き妻の遺言だということを】 男爵家令嬢、ジェニファーは薄幸な少女だった。両親を早くに亡くし、意地悪な叔母と叔父に育てられた彼女には忘れられない初恋があった。それは少女時代、病弱な従姉妹の話し相手として滞在した避暑地で偶然出会った少年。年が近かった2人は頻繁に会っては楽しい日々を過ごしているうちに、ジェニファーは少年に好意を抱くようになっていった。 少年に恋したジェニファーは今の生活が長く続くことを祈った。 けれど従姉妹の体調が悪化し、遠くの病院に入院することになり、ジェニファーの役目は終わった。 少年に別れを告げる事もできずに、元の生活に戻ることになってしまったのだ。 それから十数年の時が流れ、音信不通になっていた従姉妹が自分の初恋の男性と結婚したことを知る。その事実にショックを受けたものの、ジェニファーは2人の結婚を心から祝うことにした。 その2年後、従姉妹は病で亡くなってしまう。それから1年の歳月が流れ、突然彼から求婚状が届けられた。ずっと彼のことが忘れられなかったジェニファーは、喜んで後妻に入ることにしたのだが……。 そこには残酷な現実が待っていた―― *他サイトでも投稿中

英雄になった夫が妻子と帰還するそうです

白野佑奈
恋愛
初夜もなく戦場へ向かった夫。それから5年。 愛する彼の為に必死に留守を守ってきたけれど、戦場で『英雄』になった彼には、すでに妻子がいて、王命により離婚することに。 好きだからこそ王命に従うしかない。大人しく離縁して、実家の領地で暮らすことになったのに。 今、目の前にいる人は誰なのだろう? ヤンデレ激愛系ヒーローと、周囲に翻弄される流され系ヒロインです。 珍しくもちょっとだけ切ない系を目指してみました(恥) ざまぁが少々キツイので、※がついています。苦手な方はご注意下さい。

芙蓉の宴

蒲公英
現代文学
たくさんの事情を抱えて、人は生きていく。芙蓉の花が咲くのは一度ではなく、猛暑の夏も冷夏も、花の様子は違ってもやはり花開くのだ。 正しいとは言えない状況で出逢った男と女の、足掻きながら寄り添おうとするお話。 表紙絵はどらりぬ様からいただきました。

エイミーと旦那さま ① ~伯爵とメイドの日常~

トウリン
恋愛
※『エイミーと旦那さま』の第一部です。 父を10歳で亡くしたエイミーは、ボールドウィン伯爵家に引き取られた。お屋敷の旦那さま、セドリック付きのメイドとして働くようになったエイミー。旦那さまの困った行動にエイミーは時々眉をひそめるけれども、概ね平和に過ぎていく日々。けれど、兄と妹のようだった二人の関係は、やがてゆっくりと変化していく……

【完結】貴方のために涙は流しません

ユユ
恋愛
私の涙には希少価値がある。 一人の女神様によって無理矢理 連れてこられたのは 小説の世界をなんとかするためだった。 私は虐げられることを 黙っているアリスではない。 “母親の言うことを聞きなさい” あんたはアリスの父親を寝とっただけの女で 母親じゃない。 “婚約者なら言うことを聞け” なら、お前が聞け。 後妻や婚約者や駄女神に屈しない! 好き勝手に変えてやる! ※ 作り話です ※ 15万字前後 ※ 完結保証付き

処理中です...