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豆のスープが煮える間、ストーブの前でウトウトしていたら森の夢を見た。もうじき春が来るよとイケレが言い、木の下で枝を見上げる。こんなに暖かい日なら明日は一輪か二輪は咲くかも知れないねと、低い枝に手を伸ばす自分を上から眺め、木登りは苦手なのにと思ったところで目が覚めた。
すべてが止まったような冬の森で、どれだけ春を待ったことか。襟に縫い付けたイケレのリボンを手で探り、来月には会えるのだと胸を膨らませる。会ったときに何か渡せるものはないかと、身の回りのあれこれを考えた。草原の村は農業の村で、豊かな食料品はあっても贈り物になるようなものは少ない。それならばバザールでしか手に入らないものが良いと思っても、そもそもバザールの中はかつて使っていた食品や酒を扱っている店しか知らないのだ。
バザールの中を歩いて、もしもツゲヌイに会ってしまったら。その可能性に行きついて、サウビの肩がびくりと震えた。もう離縁は認められ、関わり合いのない間柄になったはずだ。けれど、その記憶は。
「そろそろ食事の支度はできたか」
台所の入り口から聞こえた声に、我に返った。
「はい、すぐにお持ちします。お掛けになってお待ちくださいな」
もう出来上がっているものを運ぶだけなので、手を借りるつもりはない。
「豆のスープか。旨そうだ」
気軽に鍋を持ち上げようとするノキエを、慌てて止める。
「私が運びますので、あちらでお待ちになっていて」
「どうせ食堂に行くのならば、運ぼうが運ぶまいが動くのは一緒だ。あんたはストーブの上のパンを、持ってくればいい」
鍋を持って食堂に向かうノキエの後を追い、それ以外の用意を運ぶ。ふたりだけの食卓は、ささやかだ。サウビの育ちは慎ましく、ノキエは贅沢を喜ぶ性質ではない。贅沢を求める雇い主でなくて良かったと、サウビは思う。サウビの手仕事の調度を喜んでくれ、ここにいても良いのだと思わせてくれる。
「妹に会うのなら、三日間休んで欲しい。古い知り合いと積もる話もあるだろうし、渡したいものもあるだろう」
「そんなにお休みをいただくなんて、もったいないことです。ただ顔を見るだけですのに」
本当に三日も休みをもらえたら、忙しく行き帰らずに済む。暗い草原を歩くのは、とても心細かったのだ。
「俺もアマベキの店に用がある。帰りはライギヒに迎えに行かせよう」
「迎えに来ていただくなんて、あまりにも申し訳ないわ。大丈夫、ひとりでロバくらいは借りられます」
サウビは慌てて顔の前で手を振った。
「ライギヒはもともと、バザールに野菜や蜂蜜を運んでいるんだ。自分で売った方が良い儲けになるからな」
小作が自分で商売をするのか、とサウビは目を丸くする。
「考えて商売をすることは止めないよ。商人が買い付ける分はちゃんとこちらに納めてくれているし、誰でも豊かになりたいものだろう?」
金があれば豊かだとはもう思っていないけれど、あの貧しい森の生活に潤いがあればとは思う。山羊と織物と少しの農作物、生きるためにだけ生きているような人々が、せめて穴の空いた靴を履かないで済むように。
「豊かさが、誰でも求められるものなら」
吐息の様なサウビの呟きは、ノキエの耳には届かなかった。
「家族への贈り物は、アマベキのかみさんに買い物を手伝いを頼んでおこう。ひとりでバザールの中を、歩きたくないだろう」
ノキエの提案を、有難く受ける。説明せずに自分の状況を知る人がいるのは、なんと心強いことか。
「サウビ」
ノキエが急に名を呼んだ。
「村の中には、他人の噂を鵜呑みにしたがる人間も多い。こんな場所に連れてきてしまって、俺の考えが浅かった。けれどあんたを知る人たちは、あんたが悪い人間だなんて思わないはずだ。どうか悪く思わないで欲しい」
ムケカシの言葉に尾鰭がついていることは、想像に難くない。
「とうして救い主を、悪く思えるでしょう。私はこの家に来ることができて、幸福です」
紛うことなき本心は、ノキエの手を握った。
すべてが止まったような冬の森で、どれだけ春を待ったことか。襟に縫い付けたイケレのリボンを手で探り、来月には会えるのだと胸を膨らませる。会ったときに何か渡せるものはないかと、身の回りのあれこれを考えた。草原の村は農業の村で、豊かな食料品はあっても贈り物になるようなものは少ない。それならばバザールでしか手に入らないものが良いと思っても、そもそもバザールの中はかつて使っていた食品や酒を扱っている店しか知らないのだ。
バザールの中を歩いて、もしもツゲヌイに会ってしまったら。その可能性に行きついて、サウビの肩がびくりと震えた。もう離縁は認められ、関わり合いのない間柄になったはずだ。けれど、その記憶は。
「そろそろ食事の支度はできたか」
台所の入り口から聞こえた声に、我に返った。
「はい、すぐにお持ちします。お掛けになってお待ちくださいな」
もう出来上がっているものを運ぶだけなので、手を借りるつもりはない。
「豆のスープか。旨そうだ」
気軽に鍋を持ち上げようとするノキエを、慌てて止める。
「私が運びますので、あちらでお待ちになっていて」
「どうせ食堂に行くのならば、運ぼうが運ぶまいが動くのは一緒だ。あんたはストーブの上のパンを、持ってくればいい」
鍋を持って食堂に向かうノキエの後を追い、それ以外の用意を運ぶ。ふたりだけの食卓は、ささやかだ。サウビの育ちは慎ましく、ノキエは贅沢を喜ぶ性質ではない。贅沢を求める雇い主でなくて良かったと、サウビは思う。サウビの手仕事の調度を喜んでくれ、ここにいても良いのだと思わせてくれる。
「妹に会うのなら、三日間休んで欲しい。古い知り合いと積もる話もあるだろうし、渡したいものもあるだろう」
「そんなにお休みをいただくなんて、もったいないことです。ただ顔を見るだけですのに」
本当に三日も休みをもらえたら、忙しく行き帰らずに済む。暗い草原を歩くのは、とても心細かったのだ。
「俺もアマベキの店に用がある。帰りはライギヒに迎えに行かせよう」
「迎えに来ていただくなんて、あまりにも申し訳ないわ。大丈夫、ひとりでロバくらいは借りられます」
サウビは慌てて顔の前で手を振った。
「ライギヒはもともと、バザールに野菜や蜂蜜を運んでいるんだ。自分で売った方が良い儲けになるからな」
小作が自分で商売をするのか、とサウビは目を丸くする。
「考えて商売をすることは止めないよ。商人が買い付ける分はちゃんとこちらに納めてくれているし、誰でも豊かになりたいものだろう?」
金があれば豊かだとはもう思っていないけれど、あの貧しい森の生活に潤いがあればとは思う。山羊と織物と少しの農作物、生きるためにだけ生きているような人々が、せめて穴の空いた靴を履かないで済むように。
「豊かさが、誰でも求められるものなら」
吐息の様なサウビの呟きは、ノキエの耳には届かなかった。
「家族への贈り物は、アマベキのかみさんに買い物を手伝いを頼んでおこう。ひとりでバザールの中を、歩きたくないだろう」
ノキエの提案を、有難く受ける。説明せずに自分の状況を知る人がいるのは、なんと心強いことか。
「サウビ」
ノキエが急に名を呼んだ。
「村の中には、他人の噂を鵜呑みにしたがる人間も多い。こんな場所に連れてきてしまって、俺の考えが浅かった。けれどあんたを知る人たちは、あんたが悪い人間だなんて思わないはずだ。どうか悪く思わないで欲しい」
ムケカシの言葉に尾鰭がついていることは、想像に難くない。
「とうして救い主を、悪く思えるでしょう。私はこの家に来ることができて、幸福です」
紛うことなき本心は、ノキエの手を握った。
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