薔薇は暁に香る

蒲公英

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 ノキエの家に到着したとき、無人のはずなのに庭にランプが点っていた。ノキエが馬借に賃金を払うより先に、両手を開いたマウニが扉から飛び出してきた。
「戻ったのね、戻って来たのね、サウビ!」
 抱きしめられてから、顔や肩を確認される。
「ああ、サウビだわ! もうバザールには行かなくて良いんでしょう? ここに居られるのよね?」
 続いて出てきたギヌクがノキエに挨拶をし、家の中に全員を導く。
「僧院から今日戻るはずだと聞いて、こちらの家で待っていた。マウニが何度も家の間を往復するものだから、却って来てしまおうと思ってね」
 部屋に落ち着くまでの間に、ギヌクはそんなことを言った。

 マウニがサウビの傍から離れないので、ギヌクが茶碗を運んできた。
「ごめんなさい、私が」
 立ち上がりかけたサウビの腕を、マウニが引く。
「駄目よ。サウビは冷えて疲れているんだから、ここにいてちょうだい」
 子供がするようにサウビの腕を抱いたまま、マウニは唇を尖らせた。
「眠れないくらい心配していたのよ。兄さんは何も言わずにいなくなってしまって、昨日僧院の人が教えてくれるまで、どこにいるかわからなかったし」
 言い募るマウニを抑え、ギヌクが留守の間の報告をする。
「市の始末は終わりました。土地の中は特に問題はありませんが、ひとり冬の悪魔に魅入られた老人がいます。僧院では早々に、春の祭の支度が始まっているようです。それとランプの件で話をしたいと訪ねてきた人が。それは俺では対応できないので、手紙を預かっています。以上です」
「いろいろ働かせてしまったな。手紙はあとで読もう」
「俺はあなたの手足です。けれどあまり、心配をさせないでください」
「悪かった」
 ギヌクとノキエの会話が途切れるのを待って、マウニはまた喋りはじめた。

「玄関の手前で簪が割れて落ちているのを見た兄さんが、いきなりマントを羽織って馬を出したのよ。庭の轍の方向だけ確認して。私たちはわけがわからなくって、家に入ってサウビを呼んだわ。だけど、いなかった」
 マウニが一呼吸置く。
「夜になって、ライギヒと兄さんがボロボロになった男を運んできて、何があったのか理解したわ。それで終わりなのかと思ったのに、サウビが戻らないどころか兄さんまで黙ってどこかに行ってしまって、どんなに心配したと思っているの?」
 ギヌクは少し、きまり悪そうな顔をした。おそらく故意に教えなかったことがあるのだろう。そして小さく溜息を吐いて、マウニに帰宅を促す言葉を告げた。
「ノキエもサウビも、疲れているだろう。もう夜も遅いのだから、お暇しよう」
 マウニはしぶしぶと頷き、もう一度サウビに抱きついた。
「もういなくならないわね? 明日も明後日もいるわね?」
 サウビはマウニに微笑みを見せた。

 ギヌクとマウニが去ってしまうと、サウビはノキエに向かって深々と頭を下げた。
「幾度も助けていただいて、感謝の言葉など役に立たないほどです。何でも致しますので、お申しつけください」
 この人に救ってもらわなければ、もう死んでいたかも知れない。故郷の幸福な記憶を失くし、自分を野菜屑のように道端に捨てたろう。そして今度は自分を見失い、他人を傷つけることに暗い喜びを感じていた。そこから救い上げてくれたのも、またこの人だった。何をしたらこの人の与えてくれたものに、報いることができるのだろう。
「頭を上げて、明日も来るだろうマウニのお喋り相手をしてくれ。あれが喋り出すと、うるさくてかなわん」
 サウビが頭を上げると、ノキエは口の端だけで笑った。
「マウニがあれほどまでに、あんたを慕うようになるなんて。あんたは給金以上のことをしてくれてるよ。だからまだしばらく、この家にいてくれると助かる」
 もう横になると、ノキエは部屋に引き上げた。残されたカップを片付け、サウビもまた寝室に向かう。もうツゲヌイに連れ戻される夢は、見なくて良いのだ。
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