31 / 107
31.
しおりを挟む
使者と一緒にツゲヌイの倒れた場所まで行くと、気を失っていた。もしや死んだのかと慌てて脈をとると、うっすらと目を開けた。使者が傷を確認し、出血の割には深い傷ではないが膝の骨が見えていると言う。少し触るだけでも大仰な悲鳴を上げるツゲヌイに、痛みに慣れていない男の弱さを知る。
「肩を貸しますので、ロバまで歩いてください」
使者とサウビが両側から支え、森を歩かせた。ツゲヌイが恨みの言葉を吐き散らすたびに、使者はひどく冷たい声を出した。
「どうしてこうなったのか、説明していただけますか。私を置き去りにして、どうしようとしていたのか」
もちろん説明などできるはずもなく、ツゲヌイにできる抵抗は足の力をすべて抜くくらいのものだが、そうすると木の根に当たる衝撃で激痛が走り、また血が噴き出す。
ふたりがかりでも片足に力の入らない男を運ぶのは大変で、時間がかかった。
「ここからなら、村のほうが近い。一度僧院に戻りましょう」
おとなしく草を食みながら待っていたロバの荷車にツゲヌイを乗せたとき、使者がそう言った。
「いや、バザールまで行ってくれ! 何日も店を閉めていたら、儲けが減ってしまう」
金はしっかり溜め込んでいるくせに、休んでいる分の売り上げが惜しいらしい。その足でどうやって商売をするつもりなのかと、サウビは滑稽なものを見ている気分になった。
「行っていただけますか。バザールでは夜中でも診てくれる医者がいます。戻ればまた、村の僧院に迷惑を掛けますので」
不安げな使者に頷いて、ロバを出させた。どうせツゲヌイは言い出したら聞かないし、自分が言ったことなのだから身体が辛くても使者のせいにはできない。ただひたすらに怖ろしかった男が滑稽に見えはじめたことが、愉快に感じる。
痛い痛いと騒いでいたツゲヌイは、草原を半分も進んだころに静かになった。使者の手当てが適切だったらしく酷い出血はおさまっていたが、マントにもじわじわと血が滲んでいる。おそらく半ば失神していたのだろう。
途中の休憩で無理矢理水を飲ませた以外は、ツゲヌイは何も口に入れず、サウビと使者は枯れた草が続く草原を急いだ。二度と目の前にあらわれて欲しくないとは願っても、他人の死に無関心ではいられない。日が暮れかけた草原の風は冷たく、時折何かに怯えるロバを宥めながらカンテラを頼りに進む。バザールに到着したころには、日をまたぐような時間になっていた。
草原とはうって変わってそちらこちらの店に灯りが点るバザールの中は、サウビには懐かしいものではない。二度と通らないと思っていた道を通り、医者の看板を探す。酒場で喧嘩した者や夜の店のトラブルで、盛り場の医者は夜中でも扉を開けてくれる。運び込む時に触れたツゲヌイの手は、冷たくなっていた。
「ああ、傷口が汚いな。まず開いてよく消毒して、と」
正気付いて痛みに暴れまわるツゲヌイを助手に抑え込ませ、医者は手慣れたように傷口を開き消毒した。途端に噴き出す血を見たくなくて、サウビは下を向く。
傷口を縫い合わせて処置が終わったころには、ツゲヌイは魂が抜けたようにおとなしくなり、処置台の上で声も出せずに横たわっていた。さすがに気の毒になったが、どこに運ぼうかという話になる。
「お嬢さん、あんたの顔も酷いねえ。薬を塗ってあげるから、ちょっと待っておいで」
医者に指摘されて改めて鏡を見ると、サウビもまだ頬が腫れあがり、目の周が青く痣になっていた。
僧院に運び込もうかと使者とサウビが相談していると、ツゲヌイが口を挟んだ。
「家に行ってくれ。明日は店を開けなくちゃならん」
「その怪我で、どうやって生活するつもりなんですか。手伝ってくれる人がいるんですか」
使者が冷静に返す。
「そこにいるだろう。ウスノロだが、家の片付けくらい」
ツゲヌイの言葉が終わらないうちに、サウビは笑い出した。
なんて馬鹿な男に、怯えていたのだろう。サウビの何もかもを思い通りにできると、まだ信じている。ぽかんとサウビを見ていた使者がつられたように笑い出し、それが良いと同意した。
「まだ離縁の届け出はしていませんからね。私はしばらく、こちらの僧院で勉強させていただくことにしましょうか」
意味がわからなくとも馬鹿にされたとは理解して、ツゲヌイの顔は怒っていた。
「早くロバまで連れていけ、ウスノロが。家に帰ったら今まで留守したぶん、働いてもらうぞ」
その滑稽さに憐れを感じるほど、サウビはもう怯えることを止めてしまっていた。
「夫の言うことを聞いてやってください。ただ私では手当てが難しいので、一度様子を見に来ていただけますか」
ツゲヌイの言いつけに従ったのだと、使者とサウビは互いに目で確認しあった。一番鶏が啼く。
「肩を貸しますので、ロバまで歩いてください」
使者とサウビが両側から支え、森を歩かせた。ツゲヌイが恨みの言葉を吐き散らすたびに、使者はひどく冷たい声を出した。
「どうしてこうなったのか、説明していただけますか。私を置き去りにして、どうしようとしていたのか」
もちろん説明などできるはずもなく、ツゲヌイにできる抵抗は足の力をすべて抜くくらいのものだが、そうすると木の根に当たる衝撃で激痛が走り、また血が噴き出す。
ふたりがかりでも片足に力の入らない男を運ぶのは大変で、時間がかかった。
「ここからなら、村のほうが近い。一度僧院に戻りましょう」
おとなしく草を食みながら待っていたロバの荷車にツゲヌイを乗せたとき、使者がそう言った。
「いや、バザールまで行ってくれ! 何日も店を閉めていたら、儲けが減ってしまう」
金はしっかり溜め込んでいるくせに、休んでいる分の売り上げが惜しいらしい。その足でどうやって商売をするつもりなのかと、サウビは滑稽なものを見ている気分になった。
「行っていただけますか。バザールでは夜中でも診てくれる医者がいます。戻ればまた、村の僧院に迷惑を掛けますので」
不安げな使者に頷いて、ロバを出させた。どうせツゲヌイは言い出したら聞かないし、自分が言ったことなのだから身体が辛くても使者のせいにはできない。ただひたすらに怖ろしかった男が滑稽に見えはじめたことが、愉快に感じる。
痛い痛いと騒いでいたツゲヌイは、草原を半分も進んだころに静かになった。使者の手当てが適切だったらしく酷い出血はおさまっていたが、マントにもじわじわと血が滲んでいる。おそらく半ば失神していたのだろう。
途中の休憩で無理矢理水を飲ませた以外は、ツゲヌイは何も口に入れず、サウビと使者は枯れた草が続く草原を急いだ。二度と目の前にあらわれて欲しくないとは願っても、他人の死に無関心ではいられない。日が暮れかけた草原の風は冷たく、時折何かに怯えるロバを宥めながらカンテラを頼りに進む。バザールに到着したころには、日をまたぐような時間になっていた。
草原とはうって変わってそちらこちらの店に灯りが点るバザールの中は、サウビには懐かしいものではない。二度と通らないと思っていた道を通り、医者の看板を探す。酒場で喧嘩した者や夜の店のトラブルで、盛り場の医者は夜中でも扉を開けてくれる。運び込む時に触れたツゲヌイの手は、冷たくなっていた。
「ああ、傷口が汚いな。まず開いてよく消毒して、と」
正気付いて痛みに暴れまわるツゲヌイを助手に抑え込ませ、医者は手慣れたように傷口を開き消毒した。途端に噴き出す血を見たくなくて、サウビは下を向く。
傷口を縫い合わせて処置が終わったころには、ツゲヌイは魂が抜けたようにおとなしくなり、処置台の上で声も出せずに横たわっていた。さすがに気の毒になったが、どこに運ぼうかという話になる。
「お嬢さん、あんたの顔も酷いねえ。薬を塗ってあげるから、ちょっと待っておいで」
医者に指摘されて改めて鏡を見ると、サウビもまだ頬が腫れあがり、目の周が青く痣になっていた。
僧院に運び込もうかと使者とサウビが相談していると、ツゲヌイが口を挟んだ。
「家に行ってくれ。明日は店を開けなくちゃならん」
「その怪我で、どうやって生活するつもりなんですか。手伝ってくれる人がいるんですか」
使者が冷静に返す。
「そこにいるだろう。ウスノロだが、家の片付けくらい」
ツゲヌイの言葉が終わらないうちに、サウビは笑い出した。
なんて馬鹿な男に、怯えていたのだろう。サウビの何もかもを思い通りにできると、まだ信じている。ぽかんとサウビを見ていた使者がつられたように笑い出し、それが良いと同意した。
「まだ離縁の届け出はしていませんからね。私はしばらく、こちらの僧院で勉強させていただくことにしましょうか」
意味がわからなくとも馬鹿にされたとは理解して、ツゲヌイの顔は怒っていた。
「早くロバまで連れていけ、ウスノロが。家に帰ったら今まで留守したぶん、働いてもらうぞ」
その滑稽さに憐れを感じるほど、サウビはもう怯えることを止めてしまっていた。
「夫の言うことを聞いてやってください。ただ私では手当てが難しいので、一度様子を見に来ていただけますか」
ツゲヌイの言いつけに従ったのだと、使者とサウビは互いに目で確認しあった。一番鶏が啼く。
0
お気に入りに追加
220
あなたにおすすめの小説
エイミーと旦那さま ② ~伯爵とメイドの攻防~
トウリン
恋愛
※『エイミーと旦那さま』の第二部です。
遠く離れていた旦那さまの2年ぶりの帰還。ようやくまたお世話をさせていただけると安堵するエイミーだったけれど、再会した旦那さまは突然彼女に求婚してくる。エイミーの戸惑いを意に介さず攻めるセドリック。理解不能な旦那さまの猛追に困惑するエイミー。『大事だから彼女が欲しい』『大事だから彼を拒む』――空回りし、すれ違う二人の想いの行く末は?
茶番には付き合っていられません
わらびもち
恋愛
私の婚約者の隣には何故かいつも同じ女性がいる。
婚約者の交流茶会にも彼女を同席させ仲睦まじく過ごす。
これではまるで私の方が邪魔者だ。
苦言を呈しようものなら彼は目を吊り上げて罵倒する。
どうして婚約者同士の交流にわざわざ部外者を連れてくるのか。
彼が何をしたいのかさっぱり分からない。
もうこんな茶番に付き合っていられない。
そんなにその女性を傍に置きたいのなら好きにすればいいわ。
死に役はごめんなので好きにさせてもらいます
橋本彩里(Ayari)
恋愛
フェリシアは幼馴染で婚約者のデュークのことが好きで健気に尽くしてきた。
前世の記憶が蘇り、物語冒頭で死ぬ役目の主人公たちのただの盛り上げ要員であると知ったフェリシアは、死んでたまるかと物語のヒーロー枠であるデュークへの恋心を捨てることを決意する。
愛を返されない、いつか違う人とくっつく予定の婚約者なんてごめんだ。しかも自分は死に役。
フェリシアはデューク中心の生活をやめ、なんなら婚約破棄を目指して自分のために好きなことをしようと決める。
どうせ何をしていても気にしないだろうとデュークと距離を置こうとするが……
お付き合いいただけたら幸いです。
たくさんのいいね、エール、感想、誤字報告をありがとうございます!
望まれない結婚〜相手は前妻を忘れられない初恋の人でした
結城芙由奈
恋愛
【忘れるな、憎い君と結婚するのは亡き妻の遺言だということを】
男爵家令嬢、ジェニファーは薄幸な少女だった。両親を早くに亡くし、意地悪な叔母と叔父に育てられた彼女には忘れられない初恋があった。それは少女時代、病弱な従姉妹の話し相手として滞在した避暑地で偶然出会った少年。年が近かった2人は頻繁に会っては楽しい日々を過ごしているうちに、ジェニファーは少年に好意を抱くようになっていった。
少年に恋したジェニファーは今の生活が長く続くことを祈った。
けれど従姉妹の体調が悪化し、遠くの病院に入院することになり、ジェニファーの役目は終わった。
少年に別れを告げる事もできずに、元の生活に戻ることになってしまったのだ。
それから十数年の時が流れ、音信不通になっていた従姉妹が自分の初恋の男性と結婚したことを知る。その事実にショックを受けたものの、ジェニファーは2人の結婚を心から祝うことにした。
その2年後、従姉妹は病で亡くなってしまう。それから1年の歳月が流れ、突然彼から求婚状が届けられた。ずっと彼のことが忘れられなかったジェニファーは、喜んで後妻に入ることにしたのだが……。
そこには残酷な現実が待っていた――
*他サイトでも投稿中
英雄になった夫が妻子と帰還するそうです
白野佑奈
恋愛
初夜もなく戦場へ向かった夫。それから5年。
愛する彼の為に必死に留守を守ってきたけれど、戦場で『英雄』になった彼には、すでに妻子がいて、王命により離婚することに。
好きだからこそ王命に従うしかない。大人しく離縁して、実家の領地で暮らすことになったのに。
今、目の前にいる人は誰なのだろう?
ヤンデレ激愛系ヒーローと、周囲に翻弄される流され系ヒロインです。
珍しくもちょっとだけ切ない系を目指してみました(恥)
ざまぁが少々キツイので、※がついています。苦手な方はご注意下さい。
芙蓉の宴
蒲公英
現代文学
たくさんの事情を抱えて、人は生きていく。芙蓉の花が咲くのは一度ではなく、猛暑の夏も冷夏も、花の様子は違ってもやはり花開くのだ。
正しいとは言えない状況で出逢った男と女の、足掻きながら寄り添おうとするお話。
表紙絵はどらりぬ様からいただきました。
エイミーと旦那さま ① ~伯爵とメイドの日常~
トウリン
恋愛
※『エイミーと旦那さま』の第一部です。
父を10歳で亡くしたエイミーは、ボールドウィン伯爵家に引き取られた。お屋敷の旦那さま、セドリック付きのメイドとして働くようになったエイミー。旦那さまの困った行動にエイミーは時々眉をひそめるけれども、概ね平和に過ぎていく日々。けれど、兄と妹のようだった二人の関係は、やがてゆっくりと変化していく……
【完結】貴方のために涙は流しません
ユユ
恋愛
私の涙には希少価値がある。
一人の女神様によって無理矢理
連れてこられたのは
小説の世界をなんとかするためだった。
私は虐げられることを
黙っているアリスではない。
“母親の言うことを聞きなさい”
あんたはアリスの父親を寝とっただけの女で
母親じゃない。
“婚約者なら言うことを聞け”
なら、お前が聞け。
後妻や婚約者や駄女神に屈しない!
好き勝手に変えてやる!
※ 作り話です
※ 15万字前後
※ 完結保証付き
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる