最後の女

蒲公英

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 資料館の庭のつつじが見頃だ。昼休み、茜は庭で弁当を広げた。たまたまひとりなだけで、孤立しているわけじゃない。ぼーっとつつじのグラデーションを見ながら、週末について考えていた。
 根津神社に行って、谷中でお買い物もいいなあ。最近秀さんは時々は一緒に出てくれるようになったし、外で腕組んでも嫌がらなくなった。馴染んできたってことかな、それとも慣れただけ? どっちでもいいけど。
 箸を使いながら、ついでに仕事のことも少し考える。補助作業は物足りなくて、やはりメインで動く人間になりたいと思う。学芸員補といっても、実は資料館に正規の学芸員はいない。研究者自体を求めている場所ではないので、資料整理が主な仕事だ。つまんないなーとか思っちゃうのは、仕事自体を理解していないからだとは、茜はまだ気付けない。どんな仕事にでもルーティンな作業はあるから、それの変化を楽しめるようになると俄然面白くなることを知るには、キャリア不足なのだ。自分の可能性について傲慢になれるのは、世間知らずの特権かも知れない。

 翌週には勤める資料館で、茜にとってははじめてのイベントが行われる。子供たちを集めて、近隣の歴史について学ぼうなんて趣旨で、憧れの「学芸員のお姉さん」ができると、茜は大層張り切っていた。土日のイベントに備え休館日に一斉に展示替えをして、説明資料を作る手伝いをすれば、あっという間に就業時間が終わる。茜自体は忙しさを楽しんでいて、自分も何か提案したいとワクワクしているのだ。
「当日の担当ね、平野さんは来た子供たちの誘導をお願い」
「誘導、ですか」
「そう。こっちでフィルム見せて、あっちのコーナーで江戸時代の体験……」
「私も体験コーナーに行きたいです」
 体験コーナーを任された人だって、契約職員だ。区の資料館の簡単な展示だから、難しい知識はいらない。それならば、自分にだってできると思う。
「新人さんには、ちょっとお願いできないなあ。平野さん、若いし」
 それ以上希望しても、話は通りそうもない。少々ぶすったれた気分で、茜は帰途に着いた。

「遅かったのか」
 秀一が帰宅したとき、まだ食事の仕度はできていなかった。
「んー、なーんか疲れちゃってー。たまには外食しよ」
 珍しいこともあるものだと思いながら、作業着から着替える。外で晩酌は落ち着かないが、気分を変えたいときもあるだろう。
「どこ行くんだ?」
 平野家で外食といえば居酒屋系になるはずなのだが、茜はファミリーレストランが良いと言った。ハンバーグやミックスフライでは、酒を飲みたくない。
「駅前の焼き鳥じゃダメか?」
「たまには若者向けのとこ行きたいのっ! いつもお酒メインのとこばっかり」
 強い口調に、秀一は一歩譲歩する。とりあえず不機嫌なのは、わかった。その原因がなんだかは知らないが、自分には身に覚えがない。口数の少ない茜と夜道を歩き出して、口の中でだけ溜息を吐いた。

 席が空くのを待つほどじゃない、中くらいの混雑のファミリーレストランだ。若者向けと言えば聞こえはいいが、要は手っ取り早く食欲を満たすために利用する場所だと、秀一は認識している。
「酒は家に帰ってからだな、こりゃ」
「たまには呑まない日、作ったら? アル中のダンナなんか、やだ」
 なんとなく、カチンと来る言い草である。口を結んでメニューを開いても、茜の不機嫌が自分に移ってきそうな気がする。秀一自身は不機嫌なんかじゃないし、場所も茜が行きたいと言った店にしたのだから、少しは取り繕って欲しいところだ。不機嫌を押し隠して振舞ってでもくれれば、まだ気を遣ってやる気になるってものなのに。

 出されたハンバーグを一口食べて、茜は一度フォークを置いた。
「……美味しくない」
 秀一もそれは極めて同感だが、この場所で口にして良い言葉じゃない。それを旨いと思って食べている人間や、本部で決めた通りのレシピだろうが調理した人間がいるのである。
「文句言わずに食え」
「もったいないから食べるけど」
 茜はもう一度フォークを取って、肘を着いたままハンバーグを口に運ぶ。どう見ても食事を楽しむというよりも、給餌を受けている風情で。これは見良い姿じゃない。ってか、見方によっては他人に失礼だ。
「……行儀悪りぃな」
 不機嫌を不機嫌で受けるとどうなるかは、秀一だって知っている。知っていて、つい口から出た。
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