最後の女

蒲公英

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 夕食を終え、テレビを見始めても茜は秀一の膝に来ない。
「お正月、秀さんの実家には二日に行くんだよね?」
 そんなことを言いながら、膝を抱えている。不機嫌であることは秀一にも理解できるのだが、どうしようもない。茜に出会う前のことであり、終わってしまっている話なのだから。写真を処分して、元妻の痕跡を消してしまえば良いのだろうか? 表向きの痕跡を消しても、事実は変わらないというのに。

「もっと若い秀さんと、こうしてみたかったな。二十代の頃とか」
 茜の言葉は寂しげだが、リアリティはない。
「おまえ、その頃いくつだ」
 生まれていないか、生まれていても記憶に残らない頃である。出会っていても、あまり意味は無い。
「……えっと。せめて結婚する前とか」
「十歳にもならない子供と、何だって? 変態じゃねえか」
 これは至極当然な返事だ。
「だってなんだか、秀さんの写真、楽しそうなんだもん。一緒に写ってるの、私じゃないのに」
 下唇を突き出して、茜が呟く。自分でも、仕方の無いことだと納得しているのだ。
「私は秀さんとの生活しか知らないのに、秀さんは他の人も知っててっ。だからなんとなく、不公平っ」
 正直なことと噓を吐かないことの区別は、なかなか難しい。茜は今、自分の不機嫌な感情に手一杯である。そうしてそれは、秀一が宥めてくれるはずの不機嫌だった。

「なんだ? 俺が四十過ぎまで未婚で童貞なら、満足だったのか?」
「……うっ」
「自分しか知らない男が良けりゃ、男子高校生でも誑かすこった。ヤツらは飢えてっから、結婚しようねーなんて言いながらやらせとけば、その気になるぞ?」
 言い過ぎの暴言である。つまり、秀一も若干は後ろめたいのだ。
「そんな言い方、ずるい! 私が言ってることと違う!」
「何が聞きたい」
「何にも聞きたくない。悔しいだけ」
 理不尽であることは、茜も承知だ。

「おまえが前、オトモダチを作ったときのこと、覚えてるか」
「オトモダチ?」
「俺、噛んだよな? 俺は過去だけど、おまえは現在形だ」
 太腿にくっきり歯型を残されたことが、あった。茜が既婚者だと言わずに異性と仲良くなり、交際を求められたときだ。
「進行してないもん。断ったもん」
「これからも同じようなことがあるってことだ」
 言い争いっていうのは、同じ土俵でなくては起こらない。はからずも同じ土俵に乗ったのは、秀一もちょっと思うことがあったからだ。
「俺はこれから先、女と新しく出会う可能性なんて、まず無い。おまえはどうだ?」
「出会ったからって、そう思う男ばっかりじゃないでしょ」
「皆無じゃない。おまえは若い女だし、魔が差しても不思議じゃ……」
「魔なんて差さない! 私をそんな風に思ってるんだ!」
 茜の口調は、少々激しい。

 秀一は運命論者じゃない。出会うべき相手に会って来世まで添い遂げる恋愛なんて、信じちゃいない。茜が入社してきたのも猫を助けたのを見たのも偶然で、たとえばそれが他の男だったとしても、何も不思議じゃない。だからこその不安は、常に持っている。
「気持ちってのは、変わるもんだ。あの頃はあの頃だ」
「私、変わんないもん!」
 言い切れることが茜の若さだとは、指摘したくない。
「だから秀さんも、変わっちゃやだ。私の秀さんだもん。写真見て、楽しかったとか思い出すのもやだ。これから私が一緒なのに」
 半べその茜に、秀一は困った顔をしてみせた。

 あのな、おまえは俺を支える最後の女になるって言ってくれたろう? それだけで、充分満足なんだ。これからおまえが変わってしまっても、そう思ってくれたってことが俺の一生の支えになると思ってんだぞ。
 そんな言葉は口には出せない。胸の中に倒れこんだ茜を支えながら、秀一は目だけで上を向いた。
「写真、捨ててもいいぞ?」
 胸に顔をすりつけたまま、茜は返事する。
「捨てなくてもいい。ずうっと仲良くしてるんだよね、私たち」
「ああ、そうなるといいな」
「そうするの!」
 茜の髪が、胸の中でほんのり香った
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