最後の女

蒲公英

文字の大きさ
上 下
30 / 60

30.

しおりを挟む
 押入れの隅っこから出てきた幾葉かの写真を、茜はじっと見ていた。若い頃の秀一は無骨なりに髪を整え、体格も表情も現在よりもすっきりしている。言い換えれば、重みが少ない。
 ふうん。変わってないって聞いたけど、やっぱり若い頃はオジサンじゃないよね。重ねて束ねてあるものを、次々と捲ってみる。そして、それを見た。秀一の横に立つ女は、夏の薄いワンピースを着ている。秀一は女のほうに顔を向け、女は前を向いて微笑を浮かべている。背景は、多分どこかの寺だ。
 前の奥さんの写真だ、これ。何で捨ててないの? 次々開いていくと、女だけの写真も残っていた。黙って捨ててしまおうかと考えてから、それはルール違反だと自分を戒めた。茜自身は学生時代、恋人が変われば写真も交換したものも捨ててはいたけれども、そうしない友人も確かにいた。気が知れないとは思っていたが。
 見れば、写真はいくつもの季節にまたがっている。夏の高原らしき場所、花見の席、中華街。女は茜のようなシャツの重ね着にショートパンツなんかじゃなく、長いスカートにパンプスが多い。秀一は現在と同じくジーンズだが、Tシャツの上に羽織ったシャツが若々しい。生まれたときからおっさんじゃないのだから、当たり前である。
 秀さん、前の奥さんとは結構出かけて写真撮ったりしてるんだな。私がカメラ向けても、いらないとか言うくせに。
 茜の表情は、複雑だ。

「押入れ、ちょっと片付けた。この箱とか、何かに使う?」
「ああ、いらないと思ったら、捨てていい」
 引きずり出したものが、居間兼食堂の隅に積まれている。中には秀一ですら入れた覚えがないものがある。一時的な保管場所のつもりで入れて、そのままになっているのだろう。
「これは? アルバムとかに整理しないの?」
 茜は写真の束を出した。鼓動が早くなった。
「古い写真か? 何か箱にでも、入れときゃいいさ」
 一瞥しただけで秀一はそう言い放ち、煙草に火を点けた。
「中、確認しないの?」
「あんまり好きじゃねえんだ、写真」
「でも、秀さん嬉しそうに写ってるよ?」
 ストレートには聞こえ難い言い回しに、秀一はやっと気がついた。

「見せてみろ」
 茜から写真を受け取って、数枚捲る。若い頃の自分が写っている。俺も老けたもんだと思いながら捲くっていくと、いきなり別れた妻の顔があった。この写真は日光か? そう言えば行ったな、なんて思いながら、しばらく眺めた。
「それ、前の奥さん?」
「まあ、そうだな」
「美人だね」
 本当は、美人だなんて思ってはいない。ただ年回りといい服装といい、写真の二人がちゃんと夫婦に見えたことがショックだった。離婚経験があるのは承知していても、結局理解なんてしてなかったのである。自分より前に誰かが秀一と生活していたのだと、実感なんてしていなかった。
「小綺麗にはしてたけど、美人ってもんじゃなかったな」
 写真から目を離して、揃えて輪ゴムをかけた秀一は、それを茜に差し出した。
「もう古い話だよ。しまっといてくれ」
 捨てないの? と訊くことは、できない雰囲気だった。

「なんで、離婚なんてしたの?」
「セーカクのフイッチってやつだ。価値観の相違とも言うな」
「好きで結婚したんでしょ?」
「結婚しなくちゃわからないことだって、あるさ」
 気の進まない口調で、秀一は言う。今までだって、別れた妻の話など誰にもしていない。言葉を尽くしても、人間の心のうちなんて説明できるもんじゃない。どちかが浮気をしたとか経済的に破綻したとかじゃなくて、生活に求めるものが違ったのだ。
「我慢できないくらいイヤな相手だから、離婚するんじゃないの?」
 茜の両親の離婚は、父の浮気が原因だと聞いたことがある。茜に父親の記憶はないから、離婚後に子供に会いには来なかったのだろうが。ただ、そんな風にどちらかの非での離婚ならば、なんとなく納得できる気がする。
「イヤな女、ではなかったな。意見がすりあわないと喧嘩になるから、それでお互い疲れた」
「秀さんも喧嘩するの?」
 秀一が言い争っている姿なんて、茜には想像できない。
「喧嘩って言い方は、間違ってるか。そんなにやりあっちゃいない」
 今思えば自分は卑怯だったと秀一は思う。希望と意見を滔滔と述べる妻を鬱陶しがって、布団を被って背を向けた日のほうが多かった。気に食わないのならさっさと出て行っちまえと思いながら、自分から別れを切り出すこともしなかった。
 ふうっと小さく溜息を吐いて、秀一は隣に座っていたゴンベを膝に乗せた。

 写真の束を空いている箱に収めながら、茜の胸の内は複雑である。幸福そうに他の女と写真に収まっていた男は、自分の夫だ。しかも、イヤな女ではなかったと言う。
 批判するような言葉が欲しかったのだと、自分の中を覗く。別れた女を批判し、二度と会いたくないと言ってくれれば、自分は満足したのか――いや、秀一はそんなことはしない。そんなことをしたら、自分はきっと失望するだろうと思う。
 嫉妬してるんだな、私。似合いの夫婦に見える写真の秀さんと、親子だって言われちゃう私じゃ、全然違うもの。あんな風に一緒に出かけてないのって、やっぱり私と一緒じゃ話が合わないとか思ってるのかな。
 肩が落ちたまま押入れの中に物を押し込む茜の後姿を、秀一は黙って見ていた。 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫の告白に衝撃「家を出て行け!」幼馴染と再婚するから子供も置いて出ていけと言われた。

window
恋愛
伯爵家の長男レオナルド・フォックスと公爵令嬢の長女イリス・ミシュランは結婚した。 三人の子供に恵まれて平穏な生活を送っていた。 だがその日、夫のレオナルドの言葉で幸せな家庭は崩れてしまった。 レオナルドは幼馴染のエレナと再婚すると言い妻のイリスに家を出て行くように言う。 イリスは驚くべき告白に動揺したような表情になる。 子供の親権も放棄しろと言われてイリスは戸惑うことばかりでどうすればいいのか分からなくて混乱した。

賞味期限が切れようが、サ終が発表されようが

wannai
BL
賞味期限が切れようが、サ終が発表されようが 〜VR世界の恋人が現実で俺を抱かない気らしいんですが、陰キャに本気の恋させといて逃げ切れると思ってます?〜  VRワールド『LOKI IN HAPPY WORLD』。  プレイヤーネーム・亀吉は、アバターを完璧に亀にしたい。  が、最後の砦である『スキントーン:緑』は対人ゲームモード『コロシアム』の勝利報酬でしか入手できず、苦手ながらプレイする毎日。  けれど、勝率を意識しすぎるあまり他プレイヤーから嫌われるプレイばかりしてしまい、ゲーム内掲示板では悪評を書かれている。  どうにかプレイスキルを上げる方法はないものかと悩んでいたある日、頼めば対人戦の稽古をつけてくれるギルドがある、と噂で聞く。  しかしそのギルド『欲の虜』は、初めてコロシアムでチーム戦をプレイした亀吉を、「お前、いるだけ邪魔だな」と味方なのに鈍器でキルしてきたプレイヤーが所属するギルドだった。 ※ なろう(ムーンライト)でも並行掲載してます

依存の飴玉

wannai
BL
 人に依存することで精神の均衡を保ってる男が出会い系で捕まえた男に依存させてもらってたら逆依存くらってなんだかんだでラブになる話

死に役はごめんなので好きにさせてもらいます

橋本彩里(Ayari)
恋愛
フェリシアは幼馴染で婚約者のデュークのことが好きで健気に尽くしてきた。 前世の記憶が蘇り、物語冒頭で死ぬ役目の主人公たちのただの盛り上げ要員であると知ったフェリシアは、死んでたまるかと物語のヒーロー枠であるデュークへの恋心を捨てることを決意する。 愛を返されない、いつか違う人とくっつく予定の婚約者なんてごめんだ。しかも自分は死に役。 フェリシアはデューク中心の生活をやめ、なんなら婚約破棄を目指して自分のために好きなことをしようと決める。 どうせ何をしていても気にしないだろうとデュークと距離を置こうとするが…… お付き合いいただけたら幸いです。 たくさんのいいね、エール、感想、誤字報告をありがとうございます!

大柄武人の理想のあの娘

矢崎未紗
恋愛
 男性の中でもひときわ大柄な武人のヴィリアムは、その巨躯ゆえに恐れられて女性とはまったく縁がない。そんなヴィリアムの理想のタイプは自分と正反対の「小柄で華奢で小動物のようにちょこまかと動く愛らしい女性」。そんな人物がいるわけないと思っていたヴィリアムだが、ある日隣国で理想通りの小柄な女性ノエラと出逢う。悲しいこともあったけれど無事にノエラを嫁にできたヴィリアムは、これでもかとノエラを甘とろえっちにかわいがって幸せに生きました――というお話。(タイトルの「あの娘」は「あのこ」と読みます) 全8話で完結済/読了目安時間149分/性描写は全体の約28%

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

死ぬために向かった隣国で一途な王弟に溺愛されています

まえばる蒔乃
恋愛
「死んでこい。お前はもう用済みだ」  男子しか魔術師になれないハイゼン王国に生まれたアスリアは、実家の別邸に閉じ込められ、規格外の魔力を父の出世の為に消費され続けていた。18歳になったとき、最後に与えられた使命は自爆攻撃だった。  結局アスリアは自爆に失敗し、そのまま隣国で解呪のため氷漬けにさせられる。  長い眠りから目を覚ましたアスリアの前に現れたのは、美しい金髪の王弟殿下レイナードだった。 「新たな人生をあなたに捧げます。結婚してください、僕の憧れの人」  彼はアスリアに何か恩があるらしく、敵国テロリストだったアスリアを大切に扱う。  アスリアはまだ知らない。氷漬けで10年の時が経ち、故郷はもう滅びていること。  ――そして彼がかつてアスリアが保護していた、人攫いに遭った少年だということに。 <生きる意味を見失った令嬢×年齢逆転の王弟殿下×囲い込み愛>

なつのよるに弐 叢雨のあと

まへばらよし
恋愛
 現代日本とよく似ているけれど少し異なる世界観での、和風パラノーマル恋愛小説です。  特殊なお見合い制度が残っている、とある地域のお話。  職場で仲のいい同僚がお見合いで幸せな恋愛をしているのを、間近で見ていた菊野椎奈(きくのしいな)の元へ、見合いの話がやってきた。同僚のような恋をしたいと、椎奈は気合いを入れてお見合いに臨む。相手は正しい見合いの手順を踏まない、なかなか破天荒な男性であったが、椎奈は彼に惹かれていく。  見合い相手の男と連日会いながら、彼と結婚したいと椎奈は望むようになったが、ふとしたことから彼の生業を知ってしまう。それは椎奈にとって、最も忌避したいことだった。 ※こちらは「なつのよるに」関連作です。「なつのよるに」は現在同人誌として販売中につき、アルファポリス様のサイトでは非公開にしております。

処理中です...