最後の女

蒲公英

文字の大きさ
上 下
16 / 60

16.

しおりを挟む
 帰宅したら、茜が寝ていた。
「おかえりー。今、ごはん出すー」
 だるそうに布団から這い出してきた茜は、顔が赤い。ついでにゴンベも這い出して来たのは、ご愛嬌である。
「なんだ? 具合悪いのか?」
「ちょっと熱っぽい……出来合いで、ごめん」
「計ったのか?」
「計ると、動けなくなるもん。寝てたから、ちょっとはマシ」
 確かに前日、軽く咳はしていた。
「いいから、熱計って寝てろ。メシくらい、自分で食うから」
 茜に体温計を押し付け、秀一はシャワーを浴びるために服を脱ぎ始める。多分、風呂の用意はしていないだろう。少々肌寒いが、ひとりの時は滅多に浴槽に漬かることもなかったので、別に問題はない。

 居間兼食堂に戻ると、茜は皿を並べていた。秀一の分しか出ていないので、本人に食べる意思がないことはわかる。
「何やってんだ、寝ろ。体温、何度あったんだ」
「……三十八度。だって今日、まだ秀さんと喋ってない……」
「一日の報告する小学生かっ! 寝ろっ! 襖開けといていいから!」
 寝室との境目の襖を開けて茜を布団に押し込み、秀一はもそもそと食事した。元来、早メシ早ナントカが芸のうちって性質の男だから、食事は早い。
「あ、今日って木曜? 連ドラ……」
「録画しといてやる! 寝ろ、バカ!」
 茜の布団に、ゴンベが潜り込んでいくのが見えた。

 隣の部屋から、軽い咳が聞こえる。コップ酒を用意しようと立ち上がった秀一は、その気配に耳を済ませる。骨組みは華奢でも意外に丈夫な茜は、出会ってから今まで寝込んだことなんてない。尤も、秀一も寝込むような風邪をひいたことなんてないから、家には止瀉薬と頭痛薬がある程度で、熱が出ても冷やす手立てもないのだ。
「寒い……秀さん、毛布もう一枚……」
 茜が布団の中から言う言葉に違和感を感じ、頭の中で反芻した。すでに掛け布団の下に毛布を足し、中に毛付湯たんぽ(ゴンベ)まで入っているのだ。
  寒い? これから熱が上がるのか? さっき、三十八度って言わなかったか?
 慌ててもう一枚毛布を出しながら、頭の中で夜間診療している病院を検索する。無縁の場所のデータは入っていないので、普段打ち捨ててある電話帳を開いた。
「頭、痛くないか」
「痛くない……でも、寒い。足とか手とか、寒い」
 これ以上、熱が上がる前触れだ。

 風邪だから大丈夫だと言い張る茜を着替えさせ、車のエンジンをかける。普段の倍の時間をかけて支度した茜は、ひざ掛け毛布持参だ。熱があるはずなのに、顔色が青い。足元がふらふらしているように見える。普段病人を見つけない秀一には、ちょっとうろたえるような状態である。救急病院まで一気に走って受付につくと、結構な混雑ぶりだ。受付でもう一度体温計を渡され、肩に毛布をかけた茜に付き添う。
 ピピ、と信号音が鳴り、体温を確認した茜から体温計を奪い取った。
「八度九分? しんどくないのか?」
 愚問である。しんどいから、病院に来たのだ。その間にも軽い咳は続き、二時間かけての夜間診療は治療までは行われない。ますますぐったりして震える茜を車に乗せ、解熱剤だけもらって帰る。

 感染っては困るからと別々の部屋で寝ることすら、秀一には不安だった。ゴンベはどこかに遊びに行ったらしく、帰宅するといなくなっていた。解熱剤で少々楽になった茜の寝息を確認して、秀一も眠りにつく。そんな高熱の出る風邪なんて、秀一は知らない。しかも、軽い咳以外は症状がないなんて、おかしいじゃないか。

 翌朝、茜を病院に連れて行くのだと会社に連絡を入れると、軽い笑い声が戻ってきた。
『わかりましたー。午後から現場直行って、連絡しときまーす。お大事にー』
 事務のお姉ちゃんの含み笑いの意味は、秀一にはわからない。

「マイコプラズマ肺炎ですね。抗生物質で治りますが、しばらく外に出ないで、家の中でもマスクしててね。お父さんに感染したら困るからね」
 診察室にまで入っていった秀一と茜を等分に見て、医師はそう言った。
「あと、ゴミ箱のティッシュの始末は、お父さんがしてはいけませんよ。娘さんご本人で」
「お……お父さん?」
 熱が安定して上気したままの顔の茜が、思わず聞き返す。
「違うんですか?」
「夫です!」
 その剣幕に驚いた医師が、秀一の顔をまじまじと見てから、茜と見較べて口を噤んだ。
「い、いや、診察室にまで一緒に来るなんて、ずいぶん心配性のお父さんだと……申し訳ありません」
 秀一の仏頂面は毎度のことだが、医師には怒っているように見えるらしい。ふたりが診察室を出るまで、しきりと恐縮して頭をぺこぺこ下げていた。

「仕事行ってくる。メシは買ってくるから、何もするな」
 冷蔵庫に口当たりの良い食品を詰め込み、秀一は安全靴の紐を締める。きつく言っておかないと、茜はまた家事をはじめそうな気がする。
「いいな? 何もしなくていいから、寝てろ」
 そう言い捨てて、玄関を閉めた。

 現場に入ると、ちょうど昼休みだった。仕事仲間たちの弁当を横目で見ながら、秀一もコンビニエンスストアのおにぎりのパッケージをむしる。
「三沢ちゃんが熱出して、慌てたんだって?」
「慌ててなんかねえよ、病院に連れてっただけだ」
「またまたあ。大人相手に、普通そんなことしないって。タクシーで行かせて、おしまい。歩けないほど高熱だったの?」
「いや、でも九度近く……」
 じゃ、ない。解熱剤で体温が下がった分、朝は動きやすそうだった。タクシーを呼べば、ひとりで病院の往復なら可能な程度に。
「平野さん、新婚だもんね。若妻が可愛くて仕方なくても……うわっ!なんでっ!」
「うるせえっ!」
 喋りすぎる年若い同僚にヘッドロックをかけ、締め上げた。

 そうだよ、茜が重大な病気だったらどうしようかって、昨晩から不安だったんだ。悪いか。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】【R18百合】女子寮ルームメイトに夜な夜なおっぱいを吸われています。

千鶴田ルト
恋愛
本編完結済み。細々と特別編を書いていくかもしれません。 風月学園女子寮。 私――舞鶴ミサが夜中に目を覚ますと、ルームメイトの藤咲ひなたが私の胸を…! R-18ですが、いわゆる本番行為はなく、ひたすらおっぱいばかり攻めるガールズラブ小説です。 おすすめする人 ・百合/GL/ガールズラブが好きな人 ・ひたすらおっぱいを攻める描写が好きな人 ・起きないように寝込みを襲うドキドキが好きな人 ※タイトル画像はAI生成ですが、キャラクターデザインのイメージは合っています。 ※私の小説に関しては誤字等あったら指摘してもらえると嬉しいです。(他の方の場合はわからないですが)

【R18】やがて犯される病

開き茄子(あきなす)
恋愛
『凌辱モノ』をテーマにした短編連作の男性向け18禁小説です。 女の子が男にレイプされたり凌辱されたりして可哀そうな目にあいます。 女の子側に救いのない話がメインとなるので、とにかく可哀そうでエロい話が好きな人向けです。 ※ノクターンノベルスとpixivにも掲載しております。 内容に違いはありませんので、お好きなサイトでご覧下さい。 また、新シリーズとしてファンタジーものの長編小説(エロ)を企画中です。 更新準備が整いましたらこちらとTwitterでご報告させていただきます。

[R18] 激しめエロつめあわせ♡

ねねこ
恋愛
短編のエロを色々と。 激しくて濃厚なの多め♡ 苦手な人はお気をつけくださいませ♡

【R18舐め姦】変態パラダイス!こんな逆ハーレムはいらない!!

目裕翔
恋愛
唾液が淫液【媚薬】の淫魔や、愛が重めで残念なイケメンの変態から、全身をしつこく舐めまわされ、何度イッても辞めて貰えない、気の毒な女の子のお話です 全身舐め、乳首舐め、クンニ、分身の術(敏感な箇所同時舐め)、溺愛、ヤンデレ   クンニが特に多めで、愛撫がしつこいです 唾液が媚薬の淫魔から、身体中舐め回され 1点だけでも悶絶レベルの快感を、分身を使い 集団で敏感な箇所を同時に舐められ続け涎と涙をこぼしながら、誰も助けが来ない異空間で、言葉にならない喘ぎ声をあげ続ける そんな感じの歪んだお話になります。 嫌悪感を感じた方は、ご注意下さい。 18禁で刺激の強い内容になっていますので、閲覧注意

エッチな下着屋さんで、〇〇を苛められちゃう女の子のお話

まゆら
恋愛
投稿を閲覧いただき、ありがとうございます(*ˊᵕˋ*) 『色気がない』と浮気された女の子が、見返したくて大人っぽい下着を買いに来たら、売っているのはエッチな下着で。店員さんにいっぱい気持ち良くされちゃうお話です。

女の子がひたすら気持ちよくさせられる短編集

恋愛
様々な設定で女の子がえっちな目に遭うお話。詳しくはタグご覧下さい。モロ語あり一話完結型。注意書きがない限り各話につながりはありませんのでどこからでも読めます。pixivにも同じものを掲載しております。

親戚のおじさんに犯された!嫌がる私の姿を見ながら胸を揉み・・・

マッキーの世界
大衆娯楽
親戚のおじさんの家に住み、大学に通うことになった。 「おじさん、卒業するまで、どうぞよろしくお願いします」 「ああ、たっぷりとかわいがってあげるよ・・・」 「・・・?は、はい」 いやらしく私の目を見ながらニヤつく・・・ その夜。

妻がエロくて死にそうです

菅野鵜野
大衆娯楽
うだつの上がらないサラリーマンの士郎。だが、一つだけ自慢がある。 美しい妻、美佐子だ。同じ会社の上司にして、できる女で、日本人離れしたプロポーションを持つ。 こんな素敵な人が自分のようなフツーの男を選んだのには訳がある。 それは…… 限度を知らない性欲モンスターを妻に持つ男の日常

処理中です...